英国留学生活

2002年10月17日(木) 世間は狭い

「冬には全てが凍りつく極寒の地
−強い風が吹いている。身を切るほど鋭利に冷えた風。
木立も山も川も、唸りを上げる風に晒され、白く凍てついている。
−なのにまた、冬が来る。」
−『黄昏の岸 暁の空 十二国記』 小野不由美著 講談社

というわけで、冬ですね。
最低気温が0℃を記録しました。
せめて、サマータイムが終わるまでは、
0℃にならずにいてほしかったっ・・・。
それなのに、さっきノースリの人見ちゃったよ。
さむー。

今日のレクチャーは、コレクションの分類。
年代測定とか、来歴とか、コミュニティーに属するものとしての価値
など。
大学の頃から、放射性炭素による年代測定の原理
とか、苦手だったな。
あれよりは、ヘリアカル・ライジング(シリウスが昇ること)
で、エジプト暦を算出していた方が良かった。

ミュージアム・ソサエティのメンバーで夕飯を食べようか、ということで、
最近、買い物が億劫で碌なものを食べていなかったので、
一緒にインド料理を食べに行った。
唐辛子を丸かじりして泣く、ドイツ人。
ヴィブカ・・・しっかり・・・っ。
スコティッシュの人が、ワイングラスを掲げて元気良く
「かんぱーい!」
おや?何故日本語。
「私、東村山に住んでたことがあるの。
所沢のN○VAで教えていたのよ。
新所沢もカントリーサイドで好きだったわ。」
なんだか、すごいローカルな話な気がするのは、私だけですか。
「焼酎が恋しいわ!」
そ、そーかー。




2002年10月15日(火) あらし

ここ2日ほど嵐。

風邪薬が胃にきた。気持悪い。

日本語の小説を浴びるほど読みたい。



2002年10月14日(月) アポ

朝、でない声を振り絞って病院に電話を入れる。
予約は水曜日。
「その前に薬局行って。治ったらキャンセルしてね、じゃ。」
この、風邪をひいてから病院にいけるまで2日3日のブランクが開く、
このシステムに、矢張りどうも馴染めない。
薬局がそのぐらいの面倒は見るのかもしれないけど・・・。

こちらではカウンセリングの面を重視しているのはわかる。
前にノイローゼで緊急で病院に駆け込んだフラットメイトの
アフターケアは、丁寧だったと思う。
でも、
「足が動かないんです」
「なぜ?」
「痺れているから。」
「だから、何故?」
っていう、やり取りはどうかと思う。
(友人、談)

It's your business.



2002年10月12日(土) お庭番

どうやら、風邪を拗らせてしまったようだ。
気管支が変な音がする。
月曜日は病院に行こう。
本当は先週の月曜日も病院に行く為に、
アポイントを取ろうとして、電話していたのだが、
繋がらなくて、そのうちに寝てしまったのだ。
それを学校で話したら、
「そうやって、手遅れになる人がこの国には、
大勢いるのよね。」と言われた。
やなこというなー!

博物館設立当初のポリシーについての、
短いエッセイを書いていて、日英の比較をしている。
それで、村垣範正の「遣米使日記」の一部を読んでいる。
昔、お庭番については少し調べたことがあるので、ちょっと懐かしい。
お庭番とは。
「暴れん坊将軍」のラストシーンで両脇に侍る男女の従者、あれである。
この人は、お庭番の出世頭の一人で、確か函館の五稜郭の
資料館にいけば写真が飾ってある。
間宮林蔵は、彼の部下だった。

川村修就という、長崎奉行や新潟奉行を歴任したお庭番の
子孫の方に会いに行ったこともある。
忍者好きの友人には、「畳返しに気をつけて」と忠告を受けた。
因みに彼女は、手裏剣も持っているし、
最近、伊賀上野の忍者屋敷にも行ったらしい。
今度、私も連れてけ。

彼は別段手裏剣は使っていなかったらしい。
(忍者とお庭番はちょっと別物だし)
ただ、町人に変装する事はあったので、町人差を武器として、
使っていたのだそうな。
刀のことはよくわからないが、脇差よりやや長い小太刀と呼ばれる長さ。
普通の武士は使わないものなのだろう。
それと、見せてもらったのは巾着に入れた鎖。
鎖の先に、分銅がついていて、潜入先の室内で襲われた時などに、
それを振り回して頭を強打したのだそうな。
やっぱり潜入捜査とかしてたのねー、と思うと面白い。

やっぱり、日本と言うと「サムライ」「ニンジャ」「ゲイシャ」
のイメージが未だに強いような気がする。
昨年、芸者の手記か何かが出版されて、結構売れたらしく、
本屋に平積みになっていた。
日本から来た、と言うと
「あー、ワールドカップとゲイシャ」と言われたりする。
その二つを並べて語ることに疑問は覚えないのか?
そして最近気になっているのは、大英博物館の解説文の
「Samurai woman」である。
文脈からして武家の女性と言いたいのだろうけど・・・。

なんだか、わけわからないことを長々と書いてしまった。



2002年10月11日(金) エイズと少女妊娠と身体障害と。

声が出なくて、ディスカッションが出来ない。

今日は一コマ目が、マーケティング。
マーケティング・セオリーを博物館で取り上げ始めたのは、
ここ20年ほどのことだという。
こういった、アート・マーケティングの話のときに
引き合いに出されるのが、
日本が、高額で購入したゴッホの話だ。
一体、絵の価値とはなんで決まるのか。
バブルの頃に投機目的で購入した絵の多くが、
銀行の金庫に差し押さえられて眠っているというが。

2コマ目は、社会と博物館との関係。
レクチャラーが以前、ノッティンガムの博物館で、
マーケティングを担当していた人なので、
その博物館での一つの特別展を例にあげた。
ノッティンガムはレスターよりもやや北に位置する町で、
ロビン・フッド伝説で有名だ。
それはともかく。ノッティンガム、シェフィールド、マンチェスター、
リバプールなどの都市は北部工業地帯として似たような性質を持つ。
共通の問題として、10代の妊娠・出産があるという。
それにまつわる、展覧会をこの博物館で行ったところ、
タブロイドに叩かれ、地元の政治家からクレームがついて、
博物館と双方が、コメンテーターなどを出し合って、
展覧会の有害性や正当性の講演の応酬をやって、
すごい騒ぎになったらしい。
ちょっと楽しそう。
地元の都市のカラーを左右するということで、
結構政治家も口出ししてくるものなのか。

もう一つは、一枚の写真。
裸の女性の背に、歩き始めたばかりの幼児が手を当てて立っている。
女性は、ほぼ二の腕の付け根から腕が無く、足も極端に短く、
太もものみが非常に太い。
この写真をロンドンの美術館で(どことは言わなかった)
展示された時、モデルの女性は激怒したそうだ。
この作品だけが注意書きと共に、隔絶されて展示されていたから。
その後、別の都市ミュージアムで普通に展示された時、
来館者から、"freak show"のようだと批判された。
彼女は、「私は何が美しく、何が醜いのか、
性とは何かを問い掛けたいのです。私は醜く、性別を持たない。」
と言った。

一枚の版画を見た。
ヴィクトリア時代の女性細密画家、彼女も腕がない。
たっぷりと取られた、レースの襟飾りにペンを縫い付け、
それで絵を描いていたらしい。
彼女は広く(多分ヨーロッパじゅうを)旅行し、多くの博物館に
足を運んだ。女性が「家庭の天使」であるべき時代に。
自分の力で、自由で在り続けた人なんだろうな、と思った。


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