英国留学生活

2002年07月30日(火) つけが回った。

昨日、学校で途中で頭痛とめまいでダウンして、寮に帰った。
そのことを先生に伝えてくれと、クラスメートに言付けたのだが、
今日学校に行ったら、日本に帰ったことになってた。おいおい。
病院に行こうかとも思ったのだが、先週末クラスメートに
「扁桃腺か何かが腫れて、口中から注射器で、膿みを取ることに
なったんだけど、研修医が4回も失敗して、泣いた。」
という、「病院坂首縊りの家」より怖い話を聞いていたので、
やめといた。

とにかく8月1日がエッセイに最終提出日。
エッセイの最後の手直しをして、金曜日のプレゼンの資料を
作らなければいけない。
私のエッセイは、グローバリゼーションが
アメリカナイゼーションと呼ばれることの問題点。
みたいな内容だが、タイトルでグローバリゼーション
としか書いてないので、それが問題だと言われた。
内容に、アメリカ以外の例を盛り込むか、タイトルを変えるかしろ、
と言われ、当然、タイトルを変える。
それに伴って、結論も変えないと。



2002年07月28日(日) シェークスピアの故郷


学校がバスをチャーターして、6ポンドでストラットフォード・
アポン・エイボンに行かれるというので申し込んでいた。
体調がいまいち良くないので、どうしようかなあと悩んだけど、
結局中国人のフラットメイトが迎えに来て、いくことにした。

珍しい快晴で、確かに気持ち良かった。
彼の生家は、入場料は確かに高いが、展示は面白く作っていたと思う。
オックスブリッジなどを卒業していなくて、
成り上がりと言われてたらしいので、
貧しい家の出なのかと思っていたけど、
この村の名家だったらしい。父は村長にまでなっていた。
彼の作品にでてくるあらゆる種類の花を集めたという庭は、
花盛りでとても綺麗。そこでイタリア人の団体に会う。
「韓国人か?」と聞かれたので、Noと答えると、
じゃあ行っていいと言われた。
ワールドカップの件か?
あの試合は確かに色々言いたいことはあるのはわかるけど、
何も旅先でまで・・・。

生家は一時期Innになっていたそうで、
客用寝室がInnの部屋にアレンジしてあった。
彼が、妻のアンに「2番目に上等な寝台」を残したという話は、
モンゴメリーの「丘の家のジェーン」で読んでいた。
「なんで、彼は妻に2番目に上等な寝台を残したんだと思うかい?」
「きっと彼の奥さんは、その寝台が一等好きだったのよ。」
「ああ、ジェーン今までこの問題を論議してきた研究者たちに、
お前のような健全な問いが浮かんだことがあっただろうか」と
言うやり取りがあったのだが、学芸員の話によると、
一番上等な寝台は客用寝室のそれを指し、夫婦で使っているのが、
2番目なんだそうだ。
だから、一番上等なのをわざわざ遺言で残す方がむしろ、
愛情を疑われるらしい。

エイボン川で、30分のクルージング。風が爽やかで気持ちよい。
片側は草原で、もう片側には、洒落た建物が並ぶ。別荘だろうか?
彼の遺体が眠っているトリニティチャーチへ。
床の墓石に赤く印がつけられている。なんだかな。
川辺に立っていて、年振りた墓石が並んだ墓場もむしろ風情がある。

フラットメイトのマギーと埋葬と死生観に付いて話し合う。
やっぱり49日の審判という考えは中国にもまだ残っているのね。
でも基本的にSpiritualなものは信じてはいけないのだと言う。
まあ、共産主義だからね。それはwrong consciousnessなのだ。
でも、儒教思想だと先祖供養が大事なので、最近の市場開放で、
お金を稼いだ人は自分自身の土地を買って、お墓を立てたがるのだそうだ。

その帰り道、パブと公園の間の石垣に登って、スピーチをしている人を
見かける。私たちが通りがかった時はタリバンの話だった。
こう書くといかにも陳腐に聞こえるが、大事なのは愛と平和だということを、
韻を踏んで独特の抑揚で、フレーズを繰り返しながら話す。
そして、「こうして休日にアイスを食べて木陰で本を読む、
それが大事なことじゃないか、それが平和ということじゃないか」
と言いながら、
何の本を、読んでいるのかを、周りの人間に聞く。
何人かが答えた返事の中に、「チャタレイ夫人の恋人」というのがある。
すると、「そうそれこそが、愛というもの。」と言って、
今度はチャタレイ夫人の恋人に話を絡めて、続きを語りだすのだ。
うまく説明できないけど、面白かった。
最後の口上は、「真夏の夜の夢」のパックの文字りかなあ。
ストラットフォードだし。

その「真夏の夜の夢」の綺麗なカードを買ったので、
リデルに送ろうかと思う。



2002年07月27日(土) shoe


台湾人のクラスメートに誘われて、街のアートギャラリーに行った。
テーマは「靴」。消費と虚栄の三部作の一つらしい。
ピンヒールから、テクノスニーカーまで、都市生活の戦士の必需品。
とかいう、宣伝文句がついていた。ナイキ神話とかね。
印象的だったのは、ブリキで作った履き古された風の靴が並んでいる作品。
「Remenber, it must not be memory・・・」

ここのワークショップを担当している人は日本人だった。
昨年、レスター大学の博物館学を卒業したらしい。
彼女によると、今年はカリキュラムが随分と変わったらしい。

フラットシェアのオーナーに会った。
契約書のサンプルを貰って帰る。詳しい話は来週末。



2002年07月26日(金) 夏だよ

1000ワードのエッセイのドラフト第2版を提出と
リスニングのテスト。


さて、今日は夏だった。25℃を越えていたらしい。
たまに夏な日もある。日本の暑さに比べたら、湿度も低いし、
たいした事はないのだが、急に10度ぐらい気温が上がると少しだるい。
それは、貧血のせいかもしれないけれど。

博物館学部から、「事前に読んでおきなさいね」という、
Pre-Reading Listが送られてきた。
「リーディングリストはあまりに長く、そして人生はあまりに短い。」
という、前コースヘッドの格言が頭をよぎる。
最近余っている時間に、FDPSのノート整理をしていたのだけど、
そんな暇もなくなるようだ。

ロンドンにいる友人が、指輪物語を観てきたらしい。
レスター・オデオンかな?
それともプリンス・チャールズ(古い映画を上映)に、きたのかな?
10日後にDVDが発売されるという今頃、
何故観る気になったのかはよくわからないけれど・・・。
とりあえず面白かったらしいので良かった。
勿論、私に向かって
「psyさん、指輪観てきましたよー、つまんなかった、あれ」
などと言おうものなら、それ相応の報復を受けることは
彼も予想の範囲内だろう。
あ、日記に余り自分のことを書くなといわれていたんだっけ、
まあいいや。

今日、フラットシェアのオーナーに連絡、明日の午後に会うことになった。
早めに決めちゃいたいな。



2002年07月25日(木) じぶり

今、ラピュタのエンディングが流れている。郷愁を誘うなあ。
大好きだ、この曲。
近くの部屋に音楽生がいるらしく、
今までも、バイオリンの音が流れてきていたが、
この選曲からすると、日本人なんだろうか?
あ、魔女の宅急便に変わった。
ジブリはこの国でも割と知られているから、英国人の可能性もあるけど。
以前、バービカンホールでフェスティバルをやっていて、
耳を澄ませばを見に行ったことがあるし、
ビデオ屋さんにもののけとかおいてある。
そう言えば、オックスフォード・ストリートのHMVには
日本のアニメコーナーがあった。

ともかく。
エッセイのドラフトが返ってきて、
現在と過去の比較がなってないと言われた。
今日中に直さなくてはいけないらしい。
また、ライティングタスクも出ているし。
忙しくなってきたのだけど、それよりもやはり住むところが気になって、
余り集中できない。貧血は治らないし。

今度は、もののけだー。



2002年07月24日(水) 不動産屋

1000ワードのエッセイのドラフトとライティングタスクを提出。

私の英語はSouth England Englishだと、ネイティブに言われた。
確かに、ロンドンに住んでいたけれど、そういうものなのかな?
関係ないけど、ショーン・ビーン氏の英語はとてもわかりやすいので、
(Rが弱いし。)私はRADAで訓練された英語なのだな、と思っていたけど、
ネイティブのリデルに言わせると、シェフィールド訛があるそうだ。
北部の訛はわかりにくいイメージがあるので、意外だった。

とりあえず、今のところレスターの訛はどんなものか、わからない。
そもそも、語学の教師は標準語を喋っているわけだし、
大学生はいろんな地域からきているわけだから。
ロンドンのコックニーは「All right?」が
アヒルの鳴き声みたいだったと思う。
こちらの人は話し方を聞いて階級が分かるという話を、以前本で読んだが、
(「ロンドン骨董街の人々」)、実際そうらしい。
その本によると「How do you do.」の最初のHowの言い方で、
上流階級か否か、瞬時に判別できるらしい、英国らしいと言うか。

他に何度か聞いたのは、人の話し方を聞いて「Well educated」と、
表現すること。
別に話の内容を指して、教養があるとか言っているわけではない。
そういう表現は、日本では聞いたことがない気がする。

地域の新聞を買って、物件を物色。
学生寮の担当者からは「今、バケーション中、ごめんね。
貴方の寮の部屋についての回答は、1週間後か2週間後だから。」
という自動送信メールが送られてきた。
1週間なのか、2週間なのか、はっきりさせて欲しいとは思うが、
言っても詮無いことなのだろう。
1ベットフラットやステューディオを取り扱っている
不動産屋を見つけたので、
電話して、レッティングリストを見せて欲しいと言うと、
郵送すると言うので、いつになるかわからないから、
直接取りに行った。・・・でも手数料が高すぎて話にならなかった。
紹介に50ポンド、契約締結に70ポンドって何?
一週間の家賃より高いじゃないの、折角貧血を押して街中まで出たのに。

帰り道、貧血で倒れそうになったので、
ウォーターストーンズの中のコーヒー・リパブリックで甘いコーヒーを飲む。
本のセールをしていて楽しそうだったが、さすがに立ち読みする気力は
なかった。



2002年07月22日(月) 物件探し

今日はまたもう一軒フラットを見に行った。
物件としてはいいけれど、Billが込みではないので、
ガス・電気代を含めるといくらになるのか良くわからない。
今、まだ入居者がいて、その人の留守中に見せてもらったのだが、
かなり・・・汚い。
「掃除してから出て行くからね」と案内してくれた、
オーナーの息子さんは言っていたけれど。
お風呂場はかなり気合を入れて掃除してもらいたいなあ、と思う。

さて。実家から電話があって、以前の大学院準備コースの
成績表がついたと言う。
19日に発送と聞いていたので、驚異的に早い。
予想はしていたものの、アカデミック・イングリッシュが悪かった。
もう、いい加減、何とかしなくては。いつまでたっても
英語の資格試験等に弱いままだ。
総合としては悪くはないかな。
卒論は、誰がセカンド・マーカーだったのか気になるところ。
どちらにせよ、この成績は結局私の場合、進学には関係なかったが。


1000ワードのエッセイを仕上げようと思っていたが、
昨日蛾と一晩中格闘していて良く寝ていないので、
今日はもう、寝てしまおう。
立ち上がり様、蜻蛉を捕まえてみせた友人の技を身につけたい。



2002年07月21日(日) 宿題

曇るととたんに涼しくなる。
風は爽やかと言うより、ひんやりと冷たい。
買い物に出たのだけど、日曜日なので、本当に街の中心部の
一部のショッピングセンターしか開いていない上に、5時に閉まる。
店が大半閉まっていたから気がつかなかったのかもしれないけど、
ファーストフードとチェーンのコーヒーショップとパブ以外、
飲食店が見当たらない。
短いライティングの宿題と明日のプレゼンの準備を終える。



2002年07月18日(木) この国の医療制度

今日は、病院に登録。
今日、メディカルチェックがあるのかと思っていたら、違った。
ちょっと体調が悪いから、丁度いいかと思ったのに。

この国の医療制度は、食事ほど有名ではないが、
かなり問題ありだ、と思う。野戦病院だという説もある。
料金を無料にしたため、医療の質が下がったようだ。

以前、友人が急に歩けなくなって、救急に運ばれた。
それから何時間かたって、彼女の彼氏から私に連絡が入り、
UCH(ロンドン大学・UCLの大学病院だったと思う)のERに駆けつけた。
患者が溢れ返る待合室の受付で、彼女の居場所を聞くと、
病室に写されていなくて、 ER内にいるという。

カーテンで仕切られたベッドに行き、
「原因は何なの?いま、どんな状況なの?」と聞くと。
「さあ?研修医が4回ぐらい、脚気の検査をしただけだから。」と言われた。
は?なんですか、それは?
研修医が入れ替わり立ち代り、小さな木槌で膝を叩いていったらしい。

その後ようやくお医者さんが来て、
問診をしたが、また膝をたたくという。
「もうそれはいい。」とうんざりと答える友人。
でも結局押し切られ、膝をたたいて、針で足をつついて感覚を調べる。
CTスキャンを取るけど、いつ取れるかわからないと言う、
お医者さんに、彼女はもう酷く疲れたから、
今日は家に帰りたいと訴えるが(この時点で夜の11時)
[You can't go home, absolutely, definitely]と言われた。
そもそも、救急病院に連絡したら、
彼女の自宅の近くの病院では10時間、UCHでは5時間待ちだと言われ、
こちらに来たらしい。
それは、救急ではないんじゃなかろうか。
結局待合室で、何時間も待った挙句、診察室でも何時間も待ち、
CTの設備がないだか、空いてないだかで、
夜中の2時過ぎに別の病院に移されたらしい。辛い。

ERのパクリのドラマを作っているくらいなら、
あのスピード感を実際の現場で真似て欲しい、と思う。
あの複雑怪奇な人間関係は真似なくていいから。
別の人は火傷をして、救急で2時間待った挙句、
隣に立っていた人がついに倒れて、
頭から血を流したのを見て恐れをなして帰ったらしい。

プライベートでは、高いお金を払えば
フレキシブルな治療が受けられるとも聞く。
無料よりも、2.3割自腹でいいから速やかな治療を受けたいと
思うけど、その金額も払えない人にとっては、
このシステムもありがたいのかもしれない。

今日、この期に及んでエッセイ・トピックを変える。
グローバリゼーション。
使い回しではなく、
それだけ興味のある分野だということにしておいて下さい。



2002年07月17日(水) ヒーター代は?

ウェルカムパーティー。
大学院のスチューデント・レプレゼンタティブが
(学生代表?)来ると聞いていたので、
ちょっと期待していたのだが、博物館学部からは来なかったので、
チキンミートパイや、カンバーランドソーセージや、
なんだかよくわからないものを、まくまく食べて、速やかに撤収。

一軒、フラットシェアの募集をしていたところを見に行った。
行くまでの道が狭いが、それはちょっと迂回すれば問題なく、
大学からも近い。
イギリス人の医学生とフランス人の院生(専攻は知らない)が住んでいる。
彼の綺麗な英語は、ちょっとありがたいかも。
部屋は広くはないが、家具が新調してあり、
バスルームは広くて、バスタブとシャワーが両方ついていて、
シャワーは可動式、お湯は制限なしで出るという。
なんでこんなことに感動しなければならないのだと思いつつ、
バスはイギリスの物件の重要ポイントだろう。

ただ、相場より家賃が高いのと、
その上ヒーター代が込みじゃないのが気になる。
かなり雪が降るらしいこの町で、ヒーター代がどの位になるのか正直、
見当がつかない。 skyTVに加入している模様。
カレンダーはThe Lord of the Ringsだった。
今月はギムリらしい。私のカレンダーは今月はアラゴルンだ。
しまっているけど。

もう何軒か見てみようかと思う。大学からのオファーも待ちたいし。



2002年07月16日(火) 授業内容

寮費と授業料を払う。
このコースの授業料はかなり高い。
それなのに、午前中の授業は語学学校のような内容にも関わらず、
14人もいて、明らかに多すぎだ。
ちょっと納得いかない。
カリキュラムはよく練られてるとは思うけど。
午後は、エッセイの書き方講習。
今日は1000ワードのエッセイのアウトラインを提出。



2002年07月15日(月) 力業

クラスメートの協力もあって、
かなりな力業でネットにつなげた。
寮の電話は、専用のカードでPINナンバーを入力して
電話を掛けるシステムだ。結構セットアップが煩雑で、
(詳しい人にはそうでもないのかもしれないけど)
しかもPay as you go なので、高いー。
でも、最低限メールはできるようになって安心した。
部屋の電話、壊れぎみだしね。
ところで、部屋の電気は2アンペアまでだ。
うっかり、電気を落としてしまった。

フラットを探しているのだが、一軒アポイントメントを取った。
水曜の午後に見に行く予定。



2002年07月13日(土) フラット探し

業者がやってくれた。
隣の寮のポータールームに私の荷物を置き去りにしていってくれた。
隣といっても大きな車道を挟んでいて、それなりの距離がある。
何の為に高いお金払って、業者に頼んだんだ!
丁度お昼時だったので、キッチンに行ってフラットメイトに頼んだら、
皆が総出で手伝ってくれた。ありがとう、皆。本当に助かった。
しかし、次の引越しまでに荷物を整理しないと。

MAにはいる事ができたとしても
(このコースの最後の試験にパスしたら)、
まだ、次ぎの寮が決まっていないので、多分引っ越すことになると思う。
と言うより、この寮に割り当てられたら断ろうかと思う。
贅沢を言っている場合ではないとも思うけど、
フラットシェアの方が概ね安いし、
それでいて清潔なところは見つかると思う。

ロンドンで、SOASの寮に入れる前に1ヶ月、
日本人とフラットシェアしたことがある。
そのときは、ジャパンセンターの掲示板で、
期間が合えばいいという感じで探した。
今回は、スチューデント・ユニオンの掲示板に頼ることになるだろう。
とりあえず、大学の寮も申し込んでおくけど。



2002年07月12日(金) 引越し1

午前中に集荷に来た。
またその時点で揉めたのだけど。
まあ、それはたいしたことないからいいとして。

友人を誘って、ソーホーで昼食を取る。日本食。
しばらくお別れだし。
その途中で、バーゲン本屋さんでマクベスを買ってしまった。
今朝の反省はどこへ行った。
でも、劇見る前に原書で読んでおきたいし・・・。
因みに75p。(150円弱)。
この本屋はやや軍事関係に偏っているので、
ドイツエースパイロット集、なんかがあるのを発見。
ロタール・フォン・リフトホーフェンとか、ゲーリングとか。
指輪物語のイラスト集?も£5.90で売っていて、心が動いたけど、
さすがにその誘惑は振り切る。
友人は星の王子様を買っていた。
チャイナタウンのスーパーで、
中国産のインスタント・ラーメンを買って、寮に戻る。

セキュリティーにキーの類を渡して、後ろで門が閉まった時、
なんだか、一抹の寂しさを感じた。



2002年07月11日(木) 徹夜で荷造り

授業後、一旦ロンドンに戻る。
7日にはスーツケース一つでとりあえず、
レスターに来ただけなのだ。
今回は業者に配送を頼んだのだが、
土曜日の集荷はできないといわれたので、
明日は一日学校を休んで、業者を待つ。
「9時から5時までの間に行きます」
・・・時間の特定になっていませんが。

フラットに残っている友人たちと、
近所のタイ食堂(ほんとに食堂といった感じ)で、夕食を食べて、
エンジェルまで呑みに行く。
ああ、荷造りしてないよ・・・と思いつつ、目先の幸せに流される。
一人はSOASの院に進学が決まっていて、他の2人は結果待ち。
Yさんはバルセロナでのエイズのカンファレンスから帰ってきたばかりで、
ちょっとお疲れ。
丸一日、会議かワークショップに参加していたみたい。
くだらない話で、気持ちよく盛り上がる。

・・・そして、徹夜で荷造りをした。
ゆっくりベッドで休むつもりだったのに。
しかしこの荷物の増殖振りはなんだろうか。
この寮は、台所用品や布団が自前だったので、
それと授業の分厚いバインダー類。そして、本。
テキストや博物館学や美術史、サイードやフーコー。
それから、小説も結構増えていて、さすがに反省した。



2002年07月10日(水) エッセイ2本

昨日のテスト結果に従って、クラス分けがされ、
今日から正規授業。

この10週のコースで、
参考文献表などをつけないエッセイ1000ワードを一本、
自分のマスターでの専攻に関わる2000ワードエッセイを一本を、
仕上げるらしい。
一応、SOASのファウンデーションコースで、
4週間で2000ワードのエッセイを2本仕上げていたので、
量的にはそんなに恐れはないが、何も参照しないで、
一般知識で1000ワードというのは、逆に難しいのではないだろうか?

大学のメールアドレスが割り当てられた。
でも、インターネットを使ってみて、
日本語ダウンロードがブロックされていた。
まあ、多国籍のSOASが特殊なんだけど、
読むこともできないのは痛い。
こんなにメールが溜まっているのになー。



2002年07月09日(火) Summer Ball

大学の卒業式のようだ。
マントをひらひらさせて、学生たちが行き交う。
Summer Ballが今週末にあるらしい。
私は盆踊りしか踊れないので、参加したいと思ったこともないが、
英国の風物詩としてみてみたい気がする。
スチューデント・ユニオンのソサエティの掲示板を見ていたら、
各国のソサエティがあるのだが、日本だけ、
ジャパニーズ・アニメーションだった。何故?



2002年07月08日(月) 7月なのにね

朝晩、めっきり冷え込むようになりましたね。
・・・。・・・。って7月なのに・・・。

大学の建物は、そっけない近代建築と煉瓦造りの建物の混合。
80年の間にその時々の建築様式で増築してったらしい。
煉瓦造りで蔦が這っていて、
フロント・ガーデンには薔薇や野ばらが咲いていて、綺麗。
オックスブリッジなどの石造りのオールド・ユニバーシティとは
また違っていい雰囲気だ。
勿論、雑駁な雰囲気のロンドン大学とも違う。

オリエンテーションにでて、中国人と台湾人の多さに驚く。
200人近いコースなのだが、8割強、中国系ではないだろうか。
まだ、日本人を見ていない。
これは珍しいことだと思うのだけど。
最後に子供の遠足のように町の中心部まで連れて行かれて、解散。

同じフラットの子達が、アルゴス(カタログショッピングの店)で
買い物するというので、付き合う。
エンターテインメントのページを何気なく見ていたら、
立体ガンダルフパズルがあって、吹き出しそうになった。



2002年07月07日(日) 新しい寮

今日はかなり気持ちが萎えている。
新しい寮が・・・寮が・・。
値段からある程度覚悟はしていたんだけど。

今までのSOASの寮は値段もかなり良かったが、
ZONE1(ロンドンの中心地)に位置し、
治安は悪いが一応24時間セキュリティー、カードキーを2回、
普通のキーを2回通過しないと入室できないようになっていた。
さらに、個室に固定式ではあるがシャワーブースと洗面台、
トイレがついていて、そして,LANが使い放題だった。

今回の寮は地方都市ということを差し引いても、半額に近い。
一つの建物に10人が住み、1階にシャワーブースとトイレ、
2階にキッチンと洗面所、3階にバスタブとトイレがある。
因みにバスタブは、本当にバスタブのみのシャワーなし、
蛇口はきっちりお湯と水に分かれている。
つまり、熱湯か冷水しか出ないのだ。英国人はこのスタイルで、
バブルバスに入り、体を流さないであがるので良いが、
私はちょっと・・・。
(ついでに彼らはお皿洗いの後もゆすがないで、日々洗剤を食べている)

この、プリセッショナルコースに参加しているのは殆どアジア人なので、
このバスタブのみには皆戸惑っていた。
結局、実質1つのシャワーと一つの冷蔵庫を10人で共有する。
ついでに部屋の電話機は壊れていた。
そして、いつから廃屋だったのですか、と聞きたいような状況だ。
私の部屋は二重窓の間に蜘蛛の巣が張っていて、
床もまあ、それなり。何より鳥肌が立ったのは、
シャワールームに虫の大群が生息していたことだ。

・・・・。ハンドタオルを雑巾に格下げし、
吸引力に乏しい掃除機を駆使し、
既に筋肉痛の体に鞭打って掃除していたが、
途中でふと嫌気がさし、町へ。
寮のすぐ近所にチェーンのSafeWayというスーパーがあり、
それは便利だ。その裏手にはオデオンシネマが。
12月になったらここに通うのだろう、きっと。

町の中心までは徒歩40分ぐらいだろうか。
中心部に可愛らしい時計台が立っている。
とりあえずWaterStones(本屋)も見つけたし。
何とか生きていけるだろう。

隣人はヨルダン人。
人権について法学部で学ぶ為にやってきたらしい。
元警察官、格好いい。
部屋に国王夫妻の写真が飾ってあるけど、
ヨルダン王妃ってとっても美人なのね。



2002年07月05日(金) シェークスピアとロンドンの地下鉄

今日はリデルにあって、お別れの挨拶をした。
また、私はロンドンにくるから(マクベスを観にね)
多分会えるだろうけど。最近のリデルの気に入りの、
ラッセルスクエアのカフェだ。

私はクリスマス休暇に日本に帰る予定だが、
以前は11月が12月に日本に行くといっていたのが、
予定が伸びて12月か1月かまだわからないと言う。
日本で会えればいいのだけど。
日本語の聞き取りが上達しない、と言って
ちょっと落ち込んでいたみたいだった。
日本に行くことへの不安が高まっているみたい。
彼女の上達は随分早いと思うのだけど、
(自分の高校時代とかの英語の上達に引き比べたら、雲泥の差だ。)
心配なんだろうな。

私は和紙のピアスをあげたのだけれど、
彼女はシェークスピアの台詞集とロンドンの地下鉄の詩集をくれた。
後者には、
「日本に戻ってもロンドンの地下鉄を思い出しますように」
というメッセージが書かれていた。
今は、汚い、遅れる、止まると、
ぶうぶう文句を言っている地下鉄だけど、日本に戻ったら、
懐かしく思い出すんだろうな。



2002年07月04日(木) バスツアー

今日は、B&Bがやっている小型バスでのツアーで、
ハワースのブロンテ姉妹縁の地を巡るツアーに、
行く予定だったのに、もう一組がキャンセルして、
ツアーが中止になってしまった。がっかり。
嵐が丘の地を見たかった。
毎日実施している他のツアーを選べといわれて、
別に断っても良かったのだけど、昨日個人で歩き回ったので、
この辺りの湖を回るツアーに参加。
やっぱり個人ではそんなに回れないし、綺麗だった。
欲を言えば晴れてて欲しかったけど。

ワーズワースがダッフォデイルを謳ったバタミア湖。
羊歯が生い茂る森と、小さな滝エラ・フォース。
やっぱり地名がカンブリア地方だし、
植生(でいいのかな?)が古いのか。
湖はダーウェント湖が、一番美しかったように思う。
ダーウェント湖は小高い山の上からも一望したし、
また小さな船にも乗った。

他に、スレートの採掘地もキャッスル・リンクという
ストーンサークルも面白かった。 ストーンヘンジより小さいし、
あれほど形は整ってはいないけど、直にさわれた。
天文と関係があるといわれているけれど、
数千年前と今では軌道が違うはずだから、今の計測は無意味だ、
と運転手件ツアーガイド言った。
そうか、そう言えばそうだ。
でも、きっとケルトのドルイドと関係しているのだろう。

このキャッスルリンクの近辺は、狐狩りで有名だったらしい。
過去形なのはこの春に国会で狐狩りが禁じられたから。
確か前にリデルに聞いた。
でも、ゲームキーパーの失業が問題になっているらしい。
ゲームキーパーは「チャタレイ夫人の恋人」のメラーズのような存在で、
(若き日のショーン・ビーン氏が演じています)
狩りに使う動物の世話をする人。
現在でも残る階級社会の象徴的な存在ともいえるらしい。

最後はワーズワース縁の地、グラスミアへ。
彼のお墓を詣でる。やはりここも小さな村だ。
湖水地方のほかの町や村もそうだが、
濃い灰褐色の細い石を積み上げた家が多く、落ち着いた雰囲気だ。
コッツウォルズの蜂蜜色の石造りの家とは、また違ったよさがある。
ティールームでオーツクッキーと紅茶を飲む。おいしかった。



2002年07月03日(水) 懐かしのベンジャミン・バーニー

昨日は日暮れ前に寝てしまった。10時半ごろまで明るかったらしい。
朝食に降りると、予想していたこととはいえ、
見事に日本人ばかりだった。
今日は単独行動。ピーターラビットの里、
ヒルトップとレイクサイドの蒸気機関車が今日の目的地。
ウィンダミア湖は縦に細長い湖で、ボウネスが一番大きい街。
そこから、ほぼ真横にフェリーで横断する。
船着場から、ヒルトップまではパブリックフットパスが通っている。
とはいっても、ヒルトップまでは距離も遠くないし
(3マイルぐらい?)、所々車道に出るので、
本格的なウォーキングではない。
初心者向けとして良いかもしれない。
丈の高い羊歯が下生えに生い茂っているのが、印象的な森だった。

森を抜けると、のどかな牧草地帯に出る。
平野ばかりの南イングランドと異なり、低い山の連なりを
背景にしているとはいえ、先日訪れたコーンウォールが
荒々しい印象を与えたのに比べ、ここは穏やかだ。

ナショナルトラストに管理されているポターの家と庭は、
そんなに広くなくて、余り面白くなかったけど(私は)、
途中ののどかな田園風景は楽しめた。
この小さな村のティールームでクリームティーを昼食代わりにとる。
私は田舎を訪れた際には、ティールームで昼食、パブで夕食が定番だ。
(というより、余り選択肢はない)
レイクサイドに直接行けるバスか何かがあるのではないかと
期待していたが、ないらしい。歩くにはちょっと遠い。
7マイルぐらい。ボウネスに戻るのが一番だといわれた。
どうしようかなあ、とつらつら迷っていたら、
ティールームで一緒だったカップルが、
ボウネスまで車に乗せていってくれた。リバプールからきたらしい。
結構おしゃべり好きで、日本の話とかロンドンの話とか
ワールドカップの話とかをする。
そして、お礼に石のお守りをあげて別れた。

フェリーと蒸気汽車のセットの件を購入。
今度は大きいフェリーでレイクサイドまで。
かなり湖上の風は冷たい。フリースを着ていても寒いくらいだ。
私は別に鉄道に興味はないのだけれど、
蒸気機関車の固い椅子に座って、
窓から綺麗な森の風景を眺めていると、
なんとなくノスタルジックな気分になって嬉しい。
赤毛のアンとかを連想する。汽車のドアの窓から外に手を出して、
外の取っ手から開けるこの方式、
ポーターが外からドアを開けていた頃の名残だそうだけど、
ロンドンの電車でものこのスタイルが残っていて、
最初は酷く慌てた。

やっぱり夜はパブで夕食。ローストチキンとチップスとピー。



2002年07月02日(火) 湖水地方


湖水地方へ旅立つ。
ロンドンから列車で4時間。乗換え一回。またもや理由もなく、ナチュラルに電車が遅れたので、
乗換えがぎりぎりだった。やはり、ここまで北上してくると寒い。
地球の歩き方で推奨されている、ウィンダミア駅近くのB&Bに泊まる。
到着した時に既に夕方だったので、ボウネスの湖畔まで歩いていき、夕食を取る。
2マイル、と書いてあっただろうか?途中はB&B街だった。
晴れていたら、湖の色ももっと美しいだろうにな、と思う。有数の観光地のため、団体客を多く見た。



2002年07月01日(月) 住所不定無職


今頃ようやく、次の住居が決まる。夏の間は学生寮に一応は入れるらしい。
正統王位継承者のアラゴルンは、荒野を彷徨っていてもいいが、私が彷徨っていたら、
それはただの住所不定無職だ。とりあえず、その肩書きは免れたようだ。
大学に確認の電話や、引越し業者を探しての電話掛けに明け暮れる。
今までは、ロンドン市内だったこともあり、キャブで荷物を運んでいたが、
布団や鍋かま、プリンターなどの荷物が増えてしまった為に、レスターへの
独力での引越しはちょっと無理だ。
ああ、色々と気が重い。


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