英国留学生活

2002年06月30日(日) モナリザの魅力


今日は美術館の日。オルセーにいったことがないので、行ってみる。
眼を射るように日差しが強い。でも、歩いてセーヌ川を越えてオルセーに。
途中で、W杯の看板?を見る。各国の選手が勢ぞろい。おお、中田が。
オルセーは割と満遍なく観られたと思う。やはり印象派が質量ともに揃っている。
サン・ラザール駅にのイメージがあるせいか、元駅舎のこの美術館そのものが印象派に似合っている気がする。
ただ、一番強烈な印象を受けたのは、リアリズムのクールベの絵。グロテスクなまでのリアリティーだ。
ギュスターヴ・モローはその繊麗な筆致が好き。特にサロメが好きだが、ここにはなかった。
ルドンのパステルも何点もあった。
モネのルーアン大聖堂やマネの草上の昼食、ピサロやカイユボットがある最上階では、
ガラス張りの時計の向こうにパリ市内が一望できた。真っ白なサクレクール寺院や、
緑の屋根に金の彫刻のオペラ座が、青空に映えて綺麗に見えた。

昼食を、オルセーのカフェで取る。さすが、パリの美術館のカフェ、レベルが高い。
地中海風とか、オリエント風とか名付けられたプレートのメニューがあって、私は北欧風を選んだ。
ピタパンみたいな柔らかな薄手のパンと、サラダにスモークサーモンと同じく燻製の白身魚に、
小海老のマリネ。おいしかった。値段も安くはないけれど、これなら納得できる。

昼食後しばらく、またオルセーを見て回り、次にルーブルに行こうか、ギュスターヴ・モロー美術館に
行こうか悩んだ結果、ルーブルへ。(モロー美術館は遠かったから。)
一番好きなギリシャ彫刻のセクションへ。ミロのヴィーナスとサモトラケのニケの周辺はやはり
とても混雑している。ヴィーナスはそんなに好きではないけど、ニケは好き。
あれにどんな腕を復元しても、誰もが納得しないんだろうな。腕も顔も失ったからこそ、
生き生きと自由に、羽ばたいている感じを受ける。
リュシッポスのアレクサンドロス像の摸刻を懐かしく眺め(大学の卒論テーマだったから)、
カッセルのアポロンの摸刻を憧憬をこめて眺める。パルテノン神殿の総監督を勤めた
フェイディアス作のアポロン像の摸刻、カッセルのアポロンは私が一番見たい彫刻だ。
抑制の効いた端正な表情が美しい。いつか、ドイツのカッセル市を訪れるつもりだ。

気になったことが一つ。彫刻に対して、ぞんざいな態度を取る人がいる気がした。
イタリア人らしき観光客は平気で撫でさすっていたが、大理石なんだから汗がついた手で
撫でまわされたら溶けるのだ。微弱であっても。当然磨耗もするし。
他にも、日本人女性がリュシッポスのヘルメス像の台座に座ってフィルムを替えていた。
そこは椅子じゃないのですが。はっきりと彫刻自体に触れているし。
注意されても、何を言われているかよくわからないらしい。

その後、イタリア・ルネッサンス絵画へ。
レオナルドの絵がたくさんあって嬉しい。
友人は聖ヨハネやディオニュソスの、中性的なレオナルドの絵が好きだといっていた。
逆に言えば、聖アンナも中性的なんだろうな。ナショナル・ギャラリーにあるカルトンと同じモチーフの
聖アンナと聖母子の油彩画がとても好き。
館内ではフラッシュ禁止だが、モナ・リザの前では大量にフラッシュをたいて写真撮影が
行われている。うそかほんとか知らないが、あのガラスケースは光を反射して絵が傷まないように、
写真に写らないようになっていると聞いた。真偽のほどはどうなんだろう?
何故、モナ・リザだけがこんなに人気なのか?
比較文化のセミナーでもウォルター・ベンジャミンのAURA(本物のみが持つ光輝、のようなもの)
の話が出たときに、話題に上った。
有名だから、一目見てみたい。と言う。では何故、そもそも有名になったのか。
あの絵を心底好きという人はどのぐらいいるのだろう?或いは、美しいと思っている人は?
ある研究者は、むしろ嫌悪感を抱く人のほうが多いといっていた。だからこそ印象的だと。
別の人は、好悪のいずれにしろ無視できない存在感があるとも。
どの角度から見てもショコンダに見つめられているように思わせるテクニック、
一見リアルに見えて実は現実にはありえない背景。それらが人の無意識に働きかけるのだと言う。
また、或いは単にコマーシャリズムの成功例と言う人もいる。
どれも正しいようでいて、どれも納得するのに十分ではない。

夕食に名物のクレープを食べようと思っていたのに、ホテルの近所のクレープやさんが、
日曜日で休業だった。残念。「クレープリー」を「クレプスリー」と読んでしまう私は、
ダレン・シャン一巻を読書中。
その後のユーロスターに乗る経緯は前述のとおり。



2002年06月29日(土) ビザの更新


ビザが6月末で切れるので、延長の為に一度パリに出た。結果からいうと、
観光ビザに「STS(Short Term Student)」の注意書きが付いたものしかもらえなかった。
矢張りユーロスターではいけないのかもしれない。私の友人はちゃんと延長できたと言っていたけど。
きちんと、大学院からの書類やSOASの卒業証明、銀行の残高証明書をそろえていたのだが、
その前にプリ・セッショナルの短期コースに行くから、その分のビザしか出せないと言う。
書類に不備でもあるのかと聞くと、それを持ってホーム・オフィスに行けば一年分のビザが出るから、
大丈夫だよ、と言う。それじゃあ、今おくれ。と思う。
新学期は何かと登録が多いので、パスポートは手元に置いておきたいのだが、ホーム・オフィスに送ると
2ヶ月以上帰ってこないと言うのだ。だからわざわざ、海外に出たのに。(電車で3時間だが)
そして、動揺して係官と話しているうちに出国ゲートが閉まってしまった。なんてことだ・・・。
でも、それはすぐに次の列車に振り替えてもらえたけど。
ロンドンからパリに行くのは、全く何にも審査がなかった、出国も入国も。
パリの駅では、検札さえなかった。ヨーロッパの犯罪者は国外逃亡が容易なのでは?と思った。

パリの駅に到着してすぐに、地下鉄の切符を買っていると、少年たちの一団がうろうろしていた。
怪しいな、と思って荷物を抱えなおして切符を買い、自動改札を通ろうとすると、
改札の前で地図を広げていた白人女性の二人のうちの一人の背後から、少年が一人、
本の下に何かを隠しながら遠ざかっている。よく見ると彼女のリュックのファスナーは空いている。
その女性に近づくと少年たちはそそくさと逃げていった。
大声で呼び止めればよかったのかもしれないけど・・・。
一応、手遅れとは思いつつもその人にファスナーがあいていることと少年が、
何かとったかもしれないと告げる。やはり、財布がなくなっていた。
おそらく彼女たちもユーロスターでついたばかりだろうから、とても気の毒だけど
大きなリュックを背負ってその外ポケットに、財布を入れとくのはやはり無用心だと思う。
なんとなく旅の出だしからいやな気分に。ロンドン以上に治安が悪いのだろうか?
メトロはなんとなくアンダーグラウンドよりも柄が悪い印象を受けた。

オペラ座の近くのホテルにチェックイン。ここからなら、ある程度いろいろなところに歩いていけるから。
それと、「オペラ座の怪人」が好きな為にパレ・ガルニエの近くと言うだけでなんとなく嬉しい。
でも、中心地とはいえ、大通りに面しているような高級ホテルではなくて、
地元民が来るようなレストラン街の一角という雰囲気にある、ビジネスホテルに近い。
インターネットでパフォーマンスを調べていたので、この日は何もないのは判っていたけど、
一応中に入ってみる。何年か前に友人ときた時には、衣装展を見た。大階段やガラス張りの廊下に
シェヘラザードやシルフィード(だったと思う)の衣装を纏った黒いマネキンが置かれていると、
鏡張りの回転扉(実際にある)からファントムが現れそうな気分になる。
地下のカフェのチョコレートケーキもおいしかった。
今年改装工事が終了したばかりで、屋根の上の彫像も綺羅綺羅しい。
いつかここで、オペラかバレエが見てみたい。ああ、パトリック・デュポンが全盛期の頃に観たかったなあ。

近所のオイスターバーで、牡蠣などの貝の盛り合わせとシードルで食事して、
オペラ大通りと、リュクサンブール公園をぶらぶらして、この日は終わり。
魚介がおいしいと、とても嬉しい。



2002年06月27日(木) Final Party


今日はファイナルパーティー。
パーティー会場に入る前にプレゼンの時の試験官に捕まった。
やっぱり、丸暗記しているのを読み上げているみたいだったと言われた。
それだったら、あんなに同じ単語を繰り返してはいないんだけど・・・。
ただ、質疑応答は良かったと言われた。テーマを越えた知識をもっていることを証明したらしい。
はったりはかますものだ。さて、どのくらいの点数がつくのだろう?

まあ、とにかく気を取り直して会場のブルネイ・ギャラリーへ。
この建物はSOASに留学していたブルネイ王室縁の学生が卒業記念に寄付したとか。
さすが、桁が違いますね。
立食パーティーの形式。なんだか紙皿にワイングラスを引っ掛けられるようになっている
のが面白い。一見洒落たパスタや、ローストチキンが並んでいるが、味は・・・味は・・・
いつもの学食の味だ。つまり、味がない。いつも通り塩・胡椒をふんだんに振りかけて食べる。
修了書を一人一人、手渡しされる。しかし成績が出ていないので、本当には終了していない。
落ちてるかもしれないのだもの。これの意味はなんだろう?

日本人らしいと言われるかもしれないが、(でも日本人以外もやっていた)
友人や先生と写真を取り合う。
エルロンドは最近もみ上げを伸ばしていて、一層迫力を増している。
今写真を見返してみても、やっぱり似ている。どうせなら長髪にしましょうよ。
夏休みの予定を聞いてみたら、9月に第2子が誕生するから、休みは実質ないらしい。
おめでとうございます。
クイーン・アンは旦那さんの実家のトルコに行くらしい。
でも、姑のいる実家は余り好きではないらしいことを以前言っていた。
それでも、英国からなら安いから行くといいわよ、と言われた。
たしかに、エフェソスのトロイの木馬や、イスタンブールのモスク、カッパドキアの奇岩の住居は見たい。
ジョンがパーティーに来ていないのが残念。最後にお礼が言いたかったのだけど。
元銀行のシステム部にいた日英ハーフのクラスメートが、「みずほのシステムは何故破綻したか」
とかいう、本を持っていてわざわざみせてくれた。
なんで、パーティーにそんなの持っているんですか。
夜間バッチなんて単語、すんごく久しぶりに聞きましたよ。
イラン人夫婦のクラスメートは、本当はアメリカに留学したかったらしいのだが、
ビザが下りなかったらしい。今は大学院の結果待ち。

そして。パーティーのあと、友人たちとソーホーのカラオケに行く。
英国人が「カラオキ」と呼ぶ、パブのカラオケではなくて、日系のカラオケ・ボックスだ。
日本の居酒屋が懐かしいなあ。
帰りにロンドン大学のキャンパスを通る。これで本当に終了かと思うと感慨深い。



2002年06月26日(水) final exam

今日、ヨーロピアンの試験が終了した。
これで全ての試験が終了。明日は、Final Partyだ。
なんだか、正直言って実感が湧かない。
これで終わってしまっていいのかという気がする。
1月からこっち随分と時の経つのが早かった気がする。
Term2は事前に言われていたとおり、特に忙しかったと思う。
エッセイを書いたり、プレゼンテーションをしたり、
大学院の出願をしたり、指輪にはまったり、卒論を書いたり。

今日また例によって試験時間は3時間、設問は3問。
「最終的には崩壊したとはいえ、古代ギリシャ民主政治の理念は、
欧州政治の記憶の中で不動の地位を占めていると言えて?」と、
「"東洋は東洋、西洋は西洋、両者は決して出会うことはない"
ヨーロッパのオリエンタリズムを参照しながら議論なさい。」と、
「"サミュエル・ハンティントンは間違っていてよ。
文明の衝突は起こりえないわ。"議論なさい。」
の3つだ。
最後の一問は質問に微妙に答えていなかったと思うので、
不安だ。フクヤマの批判だったら割と簡単なのだけど。
試験で腱鞘炎気味のところに持ってきて、さっきスコーンを作ったので、
右の手首から親指にかけてが死んでいる。

試験が終わったので、友人の部屋でDVDを観た。(こればっかり)
「National Geographic -Beyound the mivie-
The Lord of the Rings」である。
はっきりいうと目新しい事実は特になかったけど、面白かった。
ナショナル・ジオグラフィックのHPでみられるとおりの構成で、
・トールキンのバーミンガム時代の影響。(粉屋のサンディマン)
・アングロ・サクソンの移住とノルマン・コンクエスト。
・第1次世界大戦の塹壕における経験と戦友の死。
・「ホビットの冒険」の基盤となった北欧神話「ベイオウルフ」
・エルフ語の創作、言語と文化の関係。(エッセイで以前使った部分)
・エルフ語の元になったフィンランドの「Viena Karelia」
・歌い継がれる叙事詩。失われゆく後継者。
・第2次世界大戦のドイツ侵攻。(誘惑者/煽動者サルマン)
・コンゴ周辺の熱帯雨林の探求(?)
など。

誤算だったのは、英語字幕がついていないこと。
でもドキュメンタリーなので、とても聞き取り易い。
インタビューで登場するのは、
PJ,マッケラン、イライジャ、オーランド、タイラー、リー、アラン・リー、
ブランシェット、シッピー、チャンス・・・小道具さん、かな。
一番でてきて欲しかったお二方がおらぬ・・・。
でも、ブランシェットの最後のコメントは面白かった。
映画にはでてこなかったロスロリエンのエルフたちの映像が多少あって綺麗。
それから、第2部のロヒリムらしき映像と。

第1次世界大戦の「塹壕」というものは、
英国人にとって一種の集団無意識のようになっているように思う。
人々が共有している、恐怖と死と汚辱との記憶。
こちらに来て驚いたことの一つに戦争に関するTVプログラムが多いという
ことがあるが(大戦に敗れていないからね)、トレンチについては
TVや本などで繰り返し取り上げられていることのようだ。

世代から世代へ歌い継がれていた北欧の叙事詩、現在の継承者は、
もうかなりの老齢。N・G専属探検家(いいなーこの肩書き)は、
「一つの言語の消滅は、一つの文化の消滅です。
言語を失うことによって、人類の夢の要素を失うのです。」と言う。
サーガの原型はシャーマニズムに関係しているとか。
そりゃーそうでしょうね。バルド/バード(吟遊詩人)は、
ケルトでは確か、ドルイドと同じように魔術師の一部だったはずだし。
Mythologyとか勉強したいなー。

BBCの指輪物語の朗読テープまでも欲しくなってきた、今日この頃。



2002年06月23日(日) お引越しとハリー

そろそろ寮を出て行かなければならない頃合なのだが、
次の引越し先が決まっていない。
ここ9ヶ月ほど安穏と一つ所に住んでいたので、
留学生は基本的にさすらい人だということを忘れていた。
とりあえず、荷物でもまとめ始めようとしたのだけど、
手に取った、ハリーポッターを読み返してみたりして。

そういえば、4巻が¥3,800だと先日知った。
(私が持っているのは£7≒1400円)
たーかーい。買うことはないのだろうな。
日本でこの本を手に取らなかったのは、文庫になるのを
待っていたのと、「人間界ではいじめられる主人公が、
魔法の世界では英雄に、云々」とかいう書評を読んで、
現実逃避もの?とちょっとひいたから。
この金額設定で充分売れるんだろうから、文庫にはならないかなあ。
ハウス・エルフの喋り方は日本語で読んでみたいのだけど。

こちらに来て、友人に映画に誘われたり、
関連のサイトを見てみたりしたのをきっかけに買った。
結果、1、2巻はそんなに面白くなかったのだけど、
3,4巻は面白かった。
私の好きになる登場人物は、概ね死相がでていがちなので
シビアな展開となっても頑張って生き延びていってもらいたい。
ハマイオニーは、絶対死ななそう。
でもジェームズもイメージとしては、世界一の俺様な感じだった、そう言えば。

"Forgive me, ・・・old friend."
"Together?"
"Yes, I think so."
"You should have realised, if he didn't kill you, we would, goodbye,−."
"Bad Dobby, Bad Dobby."
"Are you mad?"
"Chiken!"
"There.There, The Dark Mark"
"He is no more a Death Eater than I am."
"We're goingg to need a few laughs more than usual before long."
"I was happier than I had ever been in my life."
"it sounded a bit like Percy singing"

好きな台詞。ランダムに、思い出す限り。



2002年06月22日(土) Ntional Gallery

今日は不意に引きこもり生活に飽きて、(引き篭もり≠勉強してる)
午後に外出してきた。まず、ソーホーで日本食を食べる。
別名ゲイストリートのOld Compton Stと、
日系のお店が並ぶBrewer Rdのぶつかった辺りの
Satumaというお店。日本食というより、創作日本食だが、
結構おいしくお勧めのお店。

来週末にビザが切れるのでパリへ行くチケットを取る。
JapanCentreというロンドン在住日本人留学生が
一度はお世話になるお店(?)。日本食、書籍、旅行代理店、
日本語がインストールされたインターネットカフェ等がある。
しかしそこでおまけに渡されたTimeOut、よく見てみたら
Spring号だった。・・・意味ないんですけど。
途中レスタースクエアのオデオンシネマの前での
指輪の囁きを振り切って更に南下。
ネルソン提督と高島屋のライオンで有名なトラファルガー広場へ。
トルコ人サポーターが巨大な旗を掲げて騒いでいる。

その正面がナショナルギャラリー。
入って左手がウェスト・ウィング、その手前の小さな展示室で、
いつも小さな特別展(無料)を行っている。
今日は、ゴールデン・ジュビリーに伴って、エリザベスの肖像展。
以前、ここでファン・エイク展を観られた。

西翼はコレッジョらの後期ルネッサンス、マニエリスムに始まる。
ここでのお気に入りは、2点。
アーニョロ・ブロンズィーノの「聖母子と洗礼者ヨハネ」
この画家は隣の「愛のアレゴリー」の方が有名だが、私は前者の方が好き。
瑕瑾なく冷たいほどに整った聖母マリアの顔が美しい。
「愛の寓意」はアフロディーテとエロスが口付けを交わしている絵で、
仮面・体が鳥の少女・時の翁などの寓意が散りばめられている。
あのエロスの体勢は絶対に背骨が折れているはずだ、と思う。

もう一つはパオロ・ヴェロネーゼの「アレクサンドロスの前のダレイオス一家」
これは主に主題が好き。ペルシャ王ダレイオスの老母が、
勝者アレクサンドロスの前に引き出された時に彼と彼の腹心の
ヘファイステイオンを取り違えてしまう。慌てる老母にアレクサンドロスが
「気にすることはない。この者はもう一人のアレクサンドロスだから」
と声をかけているシーン。
構図としてはその隣の窓辺の聖女の絵のほうが好きかも。

西翼を更に西に行くと、セインズベリー翼という増築された棟に着く。
ここの作品が最も古いものだが、個人的に一番好き。
Room51にあるダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」。
ルーブルにあるヴァリアント(同題異作)の方が評価が高いようだが、
こちらの天使の方が切れ長の目の妖艶さという点では上ではないかと思う。
そして、その裏の小さな暗室。
「聖母子と聖アンナと洗礼者ヨハネ」の素描。私の一番好きな絵だ。
初めてこの絵を見たときに、一緒にいた友人がポツリと
「やっぱりこの人天才だわ」と言ったけど、正に。
最近は印刷技術も発達して、小学館の世界美術全集などは
かなり綺麗なものになったけど、このカルトンの色味は
まだまだ出せてない、と思う。青みが強く出てしまっている気がする。
その奥には日本人に人気のボッティチェルリやラファエロの聖母子像も。
そして、クリベリ。
偏執狂的な緻密な装飾と、聖人とは思えない妖しい美貌を描き出す。
「甘美なる遠近法」と言ったのはブルネレスッキだったか、
この人も陶酔しているような構図を描く。
マリアや聖ミカエルの冷艶な目付きといったら。
そして、この翼の突き当りには「アルノルフィニ夫妻」
ファン・エイクの傑作で夫婦の背後の凸面鏡に映る姿まで、描かれている。
しかしこの夫婦、特に旦那の方、夜道で出会ったら一目散に逃げる容貌だ。

一旦西翼まで戻り、ノース・ウィングへ。
かなり北側の部屋にフェルメールとデルフト派の絵がある。
昨年、地階の展示室で「フェルメールとデルフト派」展があった。
企画者の意図はわからないが、同じような主題の作品を一室に集めていた。
−富裕なオランダ市民の家庭、遠近法を際立たせる市松模様の床
窓から差し込む日の光−同じモチーフを扱っていても、
フェルメールの絵は際立っていた。
仄かな熱さえ感じさせるような、澄明な光のせいだろうか。
近くにはレンブラントの部屋がある。
他、中央ホールの北側を横切るような形の回廊には
ルーヴェンス、カラヴァッジョ、エル・グレコ、ベラスケスなど。
バロックやヴェネツィア派の絵画だ。
ヴェネツィア派の絵画は鮮やかなピジョンブラッドやコバルトブルー
の対比が特徴。だがここのグレコの枢機卿の絵は保存状態の問題か、
常のどろりとしたような質感のある紅ではなくて、残念。
カラヴァッジョの絵は肉厚で、結構優等生な絵だと思うので、
友人を賭博の場で刺殺して、流浪の生涯を終えた本人とのギャップがある。
ここのベラスケスのイエスは好きではない。
プラド美術館の彼の「磔刑のイエス」は素晴らしいと思う。
闇の中に浮かぶ、俯いた死せるイエス。酷く静謐だった。
なんでこんなに、イエスの描き方が違うのだろう。

最後、イースト・ウィング。印象派を中心とした近代絵画。
北側から入るとアングルやドラクロアのロマン派と新古典主義。
Room42の小さな(15X20?)アングルのスフィンクスが好き。
そこを抜けると、モネの「ポプラ並木」や「サン・ラザール駅」などの
馴染みある優しい絵が並ぶ。スーラの「アニエールの水浴」もだ。
先日、比較文化の勉強会していたときに友人が、スーラの点描は
Representationがどうとか、言っていたな・・・。
印象派ではピサロの思いっきり牧歌的な絵が好きだ。

そして、中央ホールへと戻る。
この隣に売店があるけど、スライドは地階に行かないとない。
いよーに長い日記になってしまった。



2002年06月20日(木) プレゼン


何より気が重いプレゼンが終わった。なんだかもう試験が全部終わったような気分だな。
これは卒論について10分間プレゼンテーションをして(OHP使用可)、質疑応答を受けるというもの。
私は、以前プレゼンテーションで何も覚えていかなかったにも関わらず、
話し方が平坦で、丸暗記したものを喋っているようだと注意された。
多分私は母国語でも、同じ喋り方だと思う。
そもそも、記憶容量がバーリマン・バタバーおやじレベルの私は、丸暗記が苦手だ。
友人には、「外付けハードでもセットアップしようか?」と言われた。
それができるなら、どんなにいいか・・・。
とにかく、話すポイントだけを押さえて、スーパーバイザーに誉められたフレーズだけを
暗記していったが、途中で混乱して頭が真っ白になった。うーん、かなり成績悪そう。
質問も結構、意表をついていたし。
「生涯教育の場としての博物館」というのが、私の卒論のテーマだが、
「レジャー産業としての博物館の発展に付いてはどう思う?」と聞かれた。知らん。
とりあえず、「この研究者の結果によると、レジャー産業としては日本の博物館が提供するサービスには
継続性がないので、リピーターが生まれないと言えます」と言っておく。
日本の研究者を引き合いに出すときは、自分に都合のいいように説を多少変えても、
ばれないのがいいですね。

リデルは、フリーでいろいろな仕事をしているのだが、その中にビジネスマン相手のプレゼンの
トレーニングと言うのがある。以前、それでドイツまで行っていたことがあるので需要は多いのだろう。
色々な国籍の人間を集めたプレゼンの講習会で、英語でのプレゼンと母国語でのプレゼンを
やらせたことがあるらしい。その中に日本人のビジネスマンもいて、彼の英語でのプレゼンはかなり
秀逸なものだったそうだ。しかし、その他の国の人間、特にイタリア人やブラジル人は母国語での
プレゼンになると一層パフォーマンスが大きくなったのが、日本人だけ日本語でのプレゼンになったとたん、
手を前で組み合わせ、穏やかな笑みを終始浮かべて、殆ど身動きもせずにプレゼンを行ったそうだ。
別に日本人相手の場合、それでいいんだと思うけど。



2002年06月15日(土) パブ観戦

今日は友人と一緒にパブ観戦。
・・・試験期間中なんだけどね。

朝、友人宅でドイツ対パラグアイ戦を見る。
チームとしてはドイツが好きなので、勝ったのは嬉しいけど、
実はチラベルトも割と好きなので、シュート外した時は
ちょっと哀しかった。

もしかしたら、暴動に巻き込まれるかも、と
一抹の不安を抱きながら、ローカル・パブへ。
でも、当初行く予定だった大画面のあるパブは既に一杯。
やはり、朝から気合入れてこなければならなかったらしい。
もう既に多くのイギリス人が赤い顔をして、
そのうち何人かは踊っている。

結局3軒目のパブに入り、カウンターの近くを陣取る。
皆が、オーダー入れまくりでオーダーする余地がない。
試合開始5分、あっという間にイングランドの先制。一斉に沸き返る店内。
「よし、今だ!」
皆が画面に釘付けになった隙を狙って、友人がオーダーを
入れようとするが店員も聞いてない。
「To, What!?」
と叫び返される。

とりあえず、パイント・ビアを確保して観戦を続ける。
期待通り、オーウェンも点を入れてくれたし。
しかし、この辺りまでは盛り上がったけど、
その後はワンサイド・ゲームの感が強くて、
盛り上がりに欠けた、と思うのは異国人の私たちだけ。
彼らはベッカムにボールが渡っただけでも、歓声を挙げる。
ハーフタイム後にあの雨でへたれたソフトモヒカン
(友人は「ブルックリンちゃんの寝癖頭とお揃いにしたかった
だけじゃないの?」と言う)が直ってたのには笑った。

しかしー。皆パイントグラスを片手に応援していると言うのに、
拍手する時に凄まじい速さでそれを卓に置くのには感嘆を禁じえない。
矢張り日ごろの訓練の賜物だろうか?

試合終了後、一部の人間は外に走り出る。
歩道を抜けて車道まで。そして車をとめて勝利を伝え、
自分のユニフォームのオーウェンの文字を見せびらかす。
おいおい、バスまで止めてるよ。
そのうち、車道にクラクションの音が溢れ出す。
この国の人間が、フットボール好きか極端に嫌いかに
分かれるのがわかる気がする。そんな今日の異文化体験。



2002年06月14日(金) カフェ観戦

今日は、日本戦なので、外のテレビで観戦しようとして、
朝早く寮を出たら、クラブ帰りのお姉ちゃんに絡まれた。
誰が、My Babyだ、だれが。
朝早くキングスクロス駅周辺を歩くと、
いろいろな人に出会えてしまうかも。
血のついた注射器踏んじゃったよ・・・。
結構この辺りのB&Bはガイドブックに載っているけど、
夜だけでなく、早朝も気をつけたほうが良いのかも。
駅前の交番が一番危険地帯、らしいので、
皆さんお気をつけください。
「魔法の世界への汽車がこんな駅から出ていちゃ駄目よね」
とは友人の言。

カフェで朝食を取りながら、テレビ観戦。
といっても時間の関係で前半戦しか見られなかったので、
点を入れたところは見られなかった。
会社へ行く途中らしいビジネスマンが前に座ってたけど、
日本が惜しいプレーをするたびに私のほうを振り返る。
大丈夫だよ、別に暴れだしたりはしないから。



2002年06月12日(水) 朝まで生討論


来週ある比較文化の試験対策として、同じ寮に住んでいる3人の友人と
キッチンで勉強会をした。・・・夜の8時から明け方4時まで。
別にそこまで長々とやるつもりはなかったんだけど。
Key Issueは「Representation」「Rationalism/Rationality」
「Culture/Nature」「Identity」等々。

最後の1時間は話がスライドして映画の話になっていた。
グローバリゼーションのトピックで、またもや私が9.11の話を持ち出して、
アメリカが「戦争」という意味の単語を定義しているという話になって、
一人が「パール・ハーバー」を見ていたので、その話になったのだ。

私は見ていないのだが、あの映画は悪評高い。戦闘機など軍事技術は勿論、
素人目に見ても明らかな時代考証の不備があると以前から新聞で読んでいた。
戦国時代のようにのぼりを立てて野外で軍事会議をしているとか、
番傘を差して空襲の中を逃げ惑うとか、それは笑いを取りたかったのかと聞きたい。
友人の話で一番面白かったのは、日本人が死ぬ姿が出てこないということ。
日本軍の真珠湾攻撃の時の描写では、水中のアメリカ人の体をミサイルが貫くシーンさえあるらしい。
それ以前に、いかにも民間人を襲ったかのように描かれているという。
それに対してアメリカ軍の報復攻撃の東京空襲では、戦闘機の映像だけで、
そこで大量に死んでいるはずの人間はでてこないらしい。
思考の誘導だな、と思う。湾岸戦争を思い出した。

あの戦争は「お茶の間に戦争をもたらした」とか「シュミレーション・ゲーム」と評された。
ミサイルと迎撃ミサイルのぶつかり合う火花と、爆音だけの映像。
米兵をはじめとする西側諸国の被害だけが詳細に知らされる。
CNNやBBCの西側のメディアが編集した「事実」だけが世界に広まった。
これも、「Representation」の大きな一例だ。
ボードリアールは「湾岸戦争は起こらなかった」と言った。



2002年06月10日(月) Academic English

トムって、本名トーマスだったんだ・・・。
(普段、顔が似てる為にエルロンドと呼んでいる人のこと)
彼の事を知らず愛称で呼んでいたかと思うと、
なんとなく衝撃。

今日は卒業成績にある意味、一番大きなウェイトを占める、
Academic Englishの試験だった。
結論から先に、簡潔に言うと模擬よりもできなかった。(泣)
前回注意された点をカバーしようと、プランを練っていたら、
時間が足りなくなって、粗い文章になってしまった。

少しここで補足説明。
この試験は全部で3時間15分。
(その間ずっとうつむいている為に首と頭が痛くなる)
今回のトピックは"Consider the view that making money is the dominant
and most harmful value in the modern world"
30分位の講義を聞き、両面7枚程度の資料を読んで、
適宜引用しながら、設問に答えるというもの。
リーディングに1時間15分、プラニングに30分、
実際のライティングに1時間と言うのが私の目安だったんだけど。
だったんだけど・・・。
本当はA46ページ位は書かなくてはならないのに、4ページちょっと
しか書けなかった。

何故この試験が重要かというと、大学院に申し込んだ際に
充分なAcademic Backgroundと英語力の証明ができれば、
条件なしで合格できる(Unconditional offer)が、
多くは(特に学部と専攻を変える場合)、条件付
(Conditional offer)だ。この時に、大学によるのだが、
このSOASのコースをファウンデーションとして認める大学では、
総合(Over all)で、XX点(60とか65)以上、かつ英語力の
証明としてアカデミックイングリッシュXX点以上、という条件が
付くことが多い。

更に試験後、比較文化のエッセイが返ってきた。
そして、点数が悪かった。
自分でも論旨が粗いと思うので、点数が悪いのは仕方がないが、
この点で、コメントがGoodが多いというのは納得がいかない。
どこが悪いのかを具体的に指摘してくれなくては
次回の役に立たない。



2002年06月08日(土) パンドラの函

どっと眠気が襲ってきているので、
意味不明になってしまうかもしれないけど。

今日は友人に「余裕かましてやがりますね」と言われながらも、
モダン・オペラを観にGuildhall School of Music and Dramaに
行ってきた。バービカン・センターの隣だ。
タイトルは"Postcard from Morocco"
実は・・・ストーリーは余り追えなかった。英語なのに・・・。

私はモダン・オペラを観るのは初めて。
ステージのスタイルから今まで見たことのないタイプで、
キャバレー・タイプ?というものらしい。
普通のレストランのような丸テーブルについて観劇した。
スペインのフラメンコを観たときのような感じだった。

駅で列車の到着を待つ7人の男女、それぞれが鞄を持っている。
ハット・ボックス、靴のサンプルの入ったトランク、ケーキの箱。
それぞれが酷くそれに固執しているようなのに、
誰も開けて見せようとはしない。それは彼らのattributeなのか。
一人、子供の頃の夢を謳いあげた男がついに
彼のペイントボックスを開ける。
しかし中は空だった。
それを嘲笑して去る他の人間たち。
だが、開けてみせてはいない彼らの持物もまた、空なのだ。
大きなトランクから現れる彼と同じ服装の虚ろな顔の男。
まるで、ドッペルゲンガーのような。
空っぽなもの、虚ろなもの、ただ大事に抱え込んでいるもの。
それは本当に大事なもの?それは開けてはいけないもの?
死んでしまったもう一人の自分。死んだのは影の方?
大声で叫んでも届かない言葉。本当の自分はどこにいる?

註)だから、ストーリーは把握できていないんです。

必死に聞き取ろうとしているので、周りと同じようには
笑えなかったけど、別の意味で面白かった。
副舞台監督の方にお話を聞かせてもらった。
舞台裏ではいろいろあるんですね、表からでは全然気付きませんでした。
お疲れ様でした。



2002年06月07日(金) お祭り騒ぎ

言わずと知れたイングランド戦の日。

私は試合時間中に、ロンドンの街中を歩いていた。
パブから溢れる人だかり。
(スーツ姿の人込み。ばっちり勤務時間中の筈)
さらにはパブの窓ガラスにへばりついている人もちらほら。
ソーホーの辺りで一人で食事を取っていたら、
階下の厨房から雄叫びが、と思ったら店員さんが、
ガッツポーズをしながら、階段を駆け上がってくる。
隣で立ち上がる老婦人。
「イングランドが点を取ったのね!?」
「勿論です!」
その向かいに座っていた旦那さんも立ち上がり二人で
テーブルを挟んで固く抱き合う。
向かいの全く何の関係のないお店の店員さんも
何故か叫びながら駆け込んでくる。
パブの前では輪になって歌い踊る人々。車道にはみ出してるよ。

大学でも開発学のレクチャラーはお酒が入った状態で
講義をしていたらしいし、
あるクラスでは模擬試験の結果を学内のパブで、返却だった。
先生、勉強になりません。
国を挙げて仕事をサボっているという感じ。
愉快な人たちだ。

今日は最後の授業だった。(来週から試験だから)
ジョンのヨーロッパ研究の授業。
この人の授業が一番好きだった気がする。
アンやマイケルのレクチャーも好きだったけど。
長身で銀髪で物静かで博識な彼は、
私のイギリス紳士のイメージに限りなく近かった。
でも、本当は両親ポーランド人らしいけど。
前回提出したエッセイも返ってきて、アンとまた面接。
「分析はいいけど、英語が変よ。」
はい、今回は全く英文を見直す時間がなかったので。
しかし、結局3学期通して殆ど同じ点数ということは、
このコースで全く成長していないということかと思うと気が滅入る。

これから、そのアンに参考文献を聞く為にメール出さなくては。



2002年06月03日(月) タイフード

取り立てて何も無い一日だったが、
タイ人のフラットメイトがタイフードを作ってくれて、
日本人とオマーン人のフラットメイトとで食べた。
私はタイのトム・ヤン・クンとグリーン・カレーが好き。
近所のエンジェルとソーホーにあった「Wok Wok」というアジアンフード
レストランのグリーンカレーもおいしかったのだが、
潰れてしまった。

オマーンでは普通に英語をしゃべっているという話から、
彼女に「何故日本人は英語が喋れないの?英国の大学に来ても」
と言われた。また、クリティカルなことを・・・。
オマーンもタイも私立では幼稚園から英語を勉強するらしい。
「中学から?それじゃ遅すぎるわ。」と言われた。
多分、今の世代はもっと早くから個別に英語の勉強を
しているのだろうけど。授業内容は実用的になったのだろうか?
かといって、会話偏重も良いとは思わないけど。
文法ができないと限界が早い、と思う。
私は因みに「日本人とは思えない」と教師に言われたぐらい、
文法が出来ない。

来週はアカデミックイングリッシュのテストがあるから、
文法の復習でもしてようかな。



2002年06月02日(日) ケンブリッジ

とにかく暑かった。
気温としてはそうでもないのだろうけれど、
3日ほど前までコートを羽織っていたものにとっては、
だるかった。

石造りの街並みはオックスフォードと矢張り似ている。
ややこちらの方が大きいだろうか?
今日は日曜日だったのと、試験期間中だったのとで、
殆どカレッジの中に入れなかった。
ケム側のほとりで、お弁当を食べたが、
そこも大学の私有地だったため、守衛に追い出された。
アジア人だと部外者なことが一目瞭然だから。
他にも大勢部外者はいると思うんだけど。

フィッツウィリアム博物館には入れた。
グレコ・ローマンの彫刻とヴェネツィア派の絵画は良かった。
面白かったのが、ローマン・コピーの一体。
顔はヘレニズムのアレクサンドロスのコピーで、
体はクラシックのオケアノス(だと思う)のコピー。
顔と体がいかにもちぐはぐ。

帰りの電車はいつもの通り遅れたが、
イングランド戦があったにも関わらず、止まらなくて良かった。




2002年06月01日(土) まったり

今日は発作を起こして(活字中毒の)
文庫(勿論日本語)を10冊ほど読んでしまった。反省。

明日ケンブリッジに遠足に行くので、夜にお弁当を作る。
このゴールデン・ジュビリーの休日中に
1.オックスフォードにトールキン先生のお墓参り。
2.ハットフィールドにウィリアム・セシルの庭を見に行く。
3.キューガーデン散策とリッチモンドシアターの下見。
のどれか、という計画を一人で立てていたのだが、
友人にケンブリッジに誘われたのでそれも良いか、とあっさり予定を変更。
どうでもいいけど、映画「エリザベス」のセシルは納得いかなかった。
ジェントリ階級上がりの懐刀だと思っていたのに、
あれでは、若に結婚するように迫るどこぞの爺のようだ。
ウォルシンガムは腹黒くていい感じだった。

お弁当のおかずは、唐揚とロースト・ポーク。
ローズマリーが丁度なくなってしまった。
元々ローズマリーの風味は好きだけど、
こちらではかなり本来的な意味で使っている。
お肉が時にたぷたぷと血の海に浮いている状態で売られている
この国では、香辛料を求めて東に旅立った先人の気持が良くわかる。
そう、時は正に大航海時代である。

それはさておき、デザートに失敗してしまったようだ。
膨らし粉を入れすぎたのと、砂糖の代わりに蜂蜜を使ったのが敗因か。
胡桃と蜂蜜の焼き菓子を狙ったのだけど。
まあ、もったいないのでそれでも、人に食べさせてしまおう。


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