のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2000年05月09日(火)  「夢のかけら」 

  人、だれしも夢を持って生きる。

あれをやりたい、これもやりたい。
ああなりたい、こうなりたい。

数えきれないほどの夢に心をふくらまし、人は人生の川を下る。

現実の壁に挑み、夢は時間と共に砕けていく。

この世は、見渡す限り、人々の砕けた「夢のかけら」で埋まっている。

そして人々の心の中にも、「夢のかけら」の破片が残る。

小さいが、けっして消えることは無い。
粉々になったガラスの破片の様に、忘れた頃に心の内側に
ひっかかる破片である。


   日本のゴールデンウイークを利用して、学生時代の仲間が2人ハワイに遊びに来た。

ひとりは昔「ベース」を弾いていた。

ひとりは昔「タイコ」をたたいていた。
(何故か日本で演奏活動をしていたことのある人間はドラムスをタイコと言う。不思議である。)

朝から晩までギターを抱えていた私の真後ろと左側に位置していたふたりである。

これにピアノとフルート、ボーカルの女性を2人加えて、ボサノバとスタンダードジャズに狂っていた。


ついこのあいだ・・・・・

そう、ついこの間のことである。 ほんの30年ほど前・・・・

7人の若者たちの夢は、はちきれんばかりに膨らんでいた。

薄暗く狭いジャズ喫茶、タバコの煙が充満する片隅で、毎晩時間が経つのも忘れて過ごした。

「プロでやりたいナ〜」

「演奏で食いたいな〜」

「出来るはずだよ! こんなに好きなんだから」

「やろうぜ!」

「そうだ、やろうぜ やろうぜ!!」



時は容赦なく過ぎ去り、「夢のかけら」は、それぞれの心の中に残るのみ。

長身・細身で、カモシカの様な足、カッコ良かった「ベース」は、
今、体重90キロを越え、丸々と太り、ゴルフ焼けした3段腹のおやじである。

肩までの長髪を振り乱し、客席の女の子の視線をひとり占めしていた
クールな2枚目の「タイコ」は、耳の周囲にわずかに頭髪のなごりはあるものの、
テカテカと良く光るハゲ頭と、しわくちゃな笑顔で初孫の誕生を語る温厚なグランパである。

総合商社の部長と広告代理店の常務取締役、
かつての面影はどこをさがしても見つからない。


短い日程のサラリーマン旅行。

1日目、ゴルフ。

2日目、買い物と食事。

そして3日目、

3人で街のカラオケへ。

オヤジトリオによる、60年代洋モノ(なんて古い表現でしょう!)と
70年代GSメドレー(この和製英語はもう死語ですね)

恥も肩書きもぶっとばして大声で熱唱する!

汗が噴出し、声がかれる。

体中を血が走り回る。

心臓に悪い!?

一瞬、時が30年前に逆戻りした様な不思議な錯覚にとらわれる。


   翌朝、典型的な日本のサラリーマンスタイルに着替えた
2人が、次回の私の日本行きスケジュールを確認して、機上の人となる。

駐車場に戻り、メルセデスの時計を見る。
そろそろ出社の時刻である。

今日は経理事務所と次の不動産投資プロジェクトの採算ラインに関するミーティングがある。

経営者の顔に戻っていく自分がわかる。


昨夜、ホノルルのカラオケで、大声でわけのわからぬ唄を歌っていた
デブとハゲと白髪の3人のオヤジの「若き夢のかけら」を知る人はいない。


2000年05月01日(月)  「才無き者の嘆き」 

  音楽と絵画とゴルフをこよなく愛する私にとって、その各分野で活躍する
かつての仲間達との交友の輪はかけがえの無いものである。

しかし、それは時によって人生の苦さを思い知らしてもくれる。

「かつての」というところが大切である。
現在の彼等は皆それぞれにその畑でそれなりに成功している「プロ」
であり、私はその才能無きが故に、それを「趣味」として生きているに
すぎない。

先日、かつて同じ師について絵画を学び、現在はドイツで認められ、
ドイツ人の嫁さんをもらって現地に永住してしまった画家の友人から
身に余る誘いを受けた。

彼の久しぶりの里帰りにあわせて、彼の故郷の青年商工会議所が
主宰する絵画展に私の作品も出してみないかとの趣旨であった。

即売会を兼ねており、彼の日本の友人や彼の故郷の絵筆自慢達の
作品がでるのでそれらと一緒に並べてみてはとの誘いである。

「余興」である。

私は己が才能の無さを自覚せぬほどのアホでは無いつもりだった。
かつて同じ師について競ったことのある米国暮らしの友人への
気紛れの社交辞令である。
こちらも社交辞令で一応作品を送り、次回ドイツで会ったときの
酒のサカナにでもして笑ってもらえればという程度の気持ちで応じた。

よせばよかった。

だいぶ前に時間をかけて描いた小さな作品をひとつ送ってしまった。
けっして満足のいく作品ではなかった。
しかし、その頃としてはそれなりに描けた様な気がして、
あえて上から描き直そうという気にはならずにそのままになっていた。

本業の不動産事業が忙しく、作品を送った後は半分忘れていた。

そろそろ例の絵画展も終わり、作品が返送されてくる頃だな、
などとなんとなく思い始めたところに、全く予期せぬことが起きた。

主宰者から、買い手がつき作品が売却された旨の手紙とともに
ドル建ての小切手が郵送されてきたのだ。

仰天した。
「まさか」である。

それだけならまだよかった。
後ろめたい気分は私だけの中でいつかは消えていったかもしれない。

手紙にはドイツに戻る準備で忙しかったであろう古き友からの
短い手書きのメモが糊付け封筒で添付されていた。

それにはひとこと「残念だが売れてしまった。悪かった。」とだけ書いてあった。

脳天をマサカリでかち割られたような衝撃と、顔から火が出る様な
恥ずかしさでいたたまれなくなった。

私の作品には非才な人間がせいいっぱい背伸びをしてつくろった
負け犬の遠吠えが溢れていた。

絵画の才能が全身から溢れ出す彼の眼には、
かつてのライバル(俺が勝手にそう思っていただけであったが)
のあまりに無残な才無き作品の出来が一目瞭然であったに違いない。

手書きのメモにあった「残念ながら」の一言にすべてが凝縮されていた。
やつと俺だけにしかわからぬコミュニケーションである。

「対価を払うに値しないことを互いに知っている作品が
それを見抜くことの出来ない、これまた才無き買い手によって
買われてしまい、おまえの作品と名前がこの世のどこかに残る
ことになってしまった。 あってはならないことが起きた。
おまえもさぞかし恥ずかしいだろう。 さそった俺が悪かった。」

「残念ながら」の一言がそう語りかけてきた。

私は残りの短い人生で、2度と絵画展の様なはれがましい場所に
自分の作品を出す愚は繰り返すまいと心に決めた。



芸術とは残酷なものである。

天性の才能に恵まれた者が数時間で描きなぐった作品と
才なき者が数年の修練と汗と涙と努力で描きあげた作品を
比べたとき、前者の輝きの前に後者の辛苦は足元にも及ばないのだ。

努力とは、才無き者による、絶望への永遠の代償行為である。


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