銀の鎧細工通信
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2009年07月21日(火) 001:言葉の代わりに、君に刃を (土方とお盆)

     ああ、あつい

     あついな


 ぽかりと瞼を開けると土方は大きく息をついた。風一つなく、重い湿気が澱んだ空気の層を作っている。絡みつく。枕もとの時計に手を伸ばすと、それはまだまだ夜明けが遠いことを示していた。煙草を咥えてみたものの口の中が酷く乾いていて、土方は煙草を唇から離しもそりと身体を起こして灯りをつけた。水差しを持ってこなかったことを後悔しつつ立ち上がる。
 (昼間の日差しの強さもたまったもんじゃねえが、夜のこの蒸し暑さはなんなんだ・・・)
 からりと引き戸を開けると、不意に真っ白いものが目に飛び込んでくる。発光しているような、あわあわと輪郭を滲ませたうなじ。形の良い丸い頭蓋。びくりと土方の身体が震えた。
 「何、してやがんだ・・・人の部屋の前で」
 すっと振りかえって見上げたその面は汗ひとつかいてはおらず涼しげで、土方はどこか不愉快に思う。かすかにしかめられた眉間に気がついたのか、男は目を細めた。うれしげに薄い唇が持ち上げられる。
 「起こしてしまったか?」
 「いや、あちぃから目が覚めただけだ。水でも飲もうかと思って」
 起こすも何も、戸を開けるまで土方はその存在に気がついてはいなかった。そうか、と云って男は縁側に腰掛けているその腿に視線を落とした。何かを撫でるような仕草をするので、覗き込んで見たら猫が丸くなっている。これもまた、真っ白い猫だった。
 「水だったら、ここにある」
 どこから出したのか、男はことん、小ぶりの水差しを空いている手で廊下に置いた。薄い玻璃、優美なとろりとした曲線。趣味のいい品だ、と土方は思う。繊細で神経質そうな手付きをして、こうしたやさしげなものを好む。
 (だからインテリの坊ちゃんは嫌いだ)
 黙っている土方を訝ったのか、男は「別に毒など仕込んでないぞ」と小首を傾げて厭味な笑い方をして見せた。廊下の端に吊るしてある提灯の灯りが白い頬をかすかに橙に染めた。
 「んなこと考えちゃいねえ」
 そっと掴むとじかに口をつけて土方は煽った。薄い注ぎ口がなめらかに唇に触れる。水は冷たく、心地よく喉を流れ落ちた。
 「・・・なんだか、えらく美味い水だな」
 思わず口にしてしまってから、土方ははっとした。男は目を丸くした後に、「それは良かった」とちいさく笑んだ。
 「僕の郷里の水だ」
 「常州か」
 「ああ」
 「へえ。武州の水こそ美味いと思ってきたが、俺は存外もの知らずだったようだ」
 土方が肩を竦めておどけて見せると、男はやはりおかしげに「ただ田舎者なだけだろう」と云った。この男には、土方が不快そうにしたりニヒリスティックなもの云いをしたりすることを無邪気に喜ぶところがある。うるせえ、と睨みつけてから、土方は懐におさめていた煙草を取り出した。「喫むぞ」と問えば、「構わない」と応える。
 「郷里に行ってたのか」
 「ああ。寄ってきたよ」
 「えらく早いお帰りじゃねえか」
 「まあ、することもないしな」
 ふうん、と云った後に、長居するとこじゃねえなと土方は続けた。ああ、と男はまた頷く。
 「その猫は?」
 「さあ、ついてきた」
 そっと静かに撫でている。暑くないのか、と土方は思う。
 「常州の猫か?」
 「はは、まさか。水戸かも知れないな」
 「水戸にも行ってきたのか」
 「そりゃあ。通り道だし、義理もある」
 「エリート様は堅苦しいことだな」
 儀礼的なものだよ、意味はないんだ。と男はぽつりと呟いた。膝に視線を落としたままのその顔は、けれど穏やかなものだった。この男は自己顕示欲が強く、そうして自分を誇示して周囲から賞賛されても満たされず、いつも何か必死に縋っている。その貌を一皮ぺろりとめくってしまうと、そこにはもう、あとはただただひたすらに穏やかでものやさしいものが残るばかりだ。どちらが本当ということもないのだろうと土方は思う。その固くなさは、内にある柔らかく脆い部分を守るためだと思えば、男の誇る頭脳と知性などは他愛のない幼稚なものだ。こうして素を見せることなど、それは容易いことだろうのに。
 「嘘だよ、おそらくはここいらの猫だろう」
 「猫なんかいたか」
 「器量よしで賢い。飼われていたのかも知れないな」
 (俺のことを殺したいほど目障りで堪らないってのに、どうしてお前は俺に穏やかな姿を見せる。どうして、こんな風に)
 細く煙を吐き出すが、それは少しもたなびく気配がない。時折寝惚けでもしたのか、蝉がじじと鳴く。ふと澄んだ声が響いた。
 「土方君」
 「なんだ」
 「一手、願いたい」
 「この暑いのにか」
 土方は露骨に嫌そうな顔をした。暑い上に真夜中だ、正気の沙汰ではない。それを察してか、怜悧な眼差しが和らぐ。将棋でも碁でも構わない、と男は指先で眼鏡のフレームを押し上げて云った。
 無風の縁側での将棋は土方には愉快で不愉快なものだった。暑い、そして隙を見せられない手の読みあい。こう来るだろうと予想する、その裏をかこうとすることまで相手は予測している、そこでどういう手に出るのが相手にとって一番意外かを考えることが楽しい。男は過たず土方の意図を読み取ったし、それに乗った上で鮮やかに裏切ってみせもした。
 土方は時折銀時と似た者同士だとからかわれることがある。大層心外だった。あんなぐうたらな腑抜けと似ているなんぞと。よしんば似ていたとしても、それは気質の問題だ。頭の構造はむしろこの男との方が似ているのではないだろうか。ただし気質がだいぶん異なってはいた。
 (万事屋の考えてることはさっぱりわからねーが、結果として取った行動が同じなことは多い。こいつは行動は全然かぶらねーが、考えてることは結構わかる。・・・まあ、どっちも勘弁願いてーな)
 「お」
 「あ」
 突然、風鈴が高く鳴いたかと思うと、ふたりの間をさあっと風が吹きぬけた。重苦しい湿気が減りはしないが、少しは気が紛れる。
 「ようやく風が出てきたな」
 男は首をめぐらしてどこかを見ている。耳でも澄ますように。
 「おい?」
 「誰か、風鈴を吊るしてるんだな」
 「ああ、3番隊の奴だな。彼女に貰ったんだとか云って」
 「風趣のある贈り物だ」
 ようやく土方のほうに向き直り、男は表情を緩めた。遠くの方で葉擦れの音がする。お互い取り立てて冗談を云う性質でもないが、要点を過たずに話が進む。その機転は土方には面白く、心地よいものだった。おそらくは男にとっても。ざわざわと葉が鳴っている。風よ、来い。こんな、ぬるま湯のような空気を吹き飛ばせ、土方は思った。それに心地よさを覚えている自分も。
 「こんなむさ苦しい場所で風趣もへったくれもなかろうよ」
 つい語調が吐き捨てるようなものになった。男は頓着しない風にあっさりと応える。鮮やかに返す刃のように。
 「おや。句作を好む人とは思えない云いようだ」
 「だっ」
 土方の声が上ずってひっくり返った。猫が顔を上げ、ふわりとあくびをした。男は涼しい顔でその小さな額を撫でてやっている。猫は気持ち良さそうにくるくると喉奥で鳴いた。
 「誰がンなこと云った・・・!」
 「近藤さんだよ。宴会の時にね」
 「ちっ、おらさっさと打つなり指すなりしろよ、まさか投了じゃねぇだろ」
 「愚問だ」
 男は笑った。蛍のように、淡いけれど確かな破顔一笑。
 





 鋭い陽射しに焼かれ、土方は瞼を開いた。
 (あ〜・・・襖、開けっ放しだったのか・・・くそ、いい天気だ)
 のそのそと起き上がると、土方は大きなあくびをした。とたとたと耳慣れた足音が廊下から響いてくる。
 (山崎か・・・起こしに来たのか)
 おはよーございまーすと云いながらひょこりと覗き込んできたのは、やはり山崎だった。
 「あれ、起きてる」
 「起きてちゃわりーのか」
 煙草を咥えながら憮然と云うと、「いえ、昨夜遅くまで起きてたみたいだったから」と山崎は応えた。
 「・・・あ?」
 「え?灯り、ついてたでしょ」
 土方はぱちりと瞬いた。その返答も気になったが、同時に山崎の抱えている物にも気を取られた。
 「それ、なんだ」
 「へ、ああ。精霊馬です、けど」
 大のオカルト嫌いである土方の反応に身構える。無言が恐ろしく思えて、山崎は事も無げな調子でひとり続けた。
 「胡瓜は足が速いから来る時に乗ってきて、茄子はゆっくり帰る用の馬らしいですよ。厳密なやり方は俺も知らないんですけど、今年はいっぱい人死にがあったから」
 「ほんとにはえーな・・・」
 「え?誰か来たんですか?ていうか見たんですか?」
 真顔で煙草を指に挟んだまま固まった土方に、山崎は狼狽する。
 「いや、夢かも知れねえ、わかんねえ。どっちでもいい」
 淡々と並べ立てる土方の様子を眺め、山崎はうーん?と呟きながら首を傾げる。夢かも知れないのはそうで、或いは土方は寝惚けているのかも知れない。けれど端から否定していたら、そもそも精霊馬をこしらえたりなどもしない。こうした行為はきっと、生きているもののためにやるのだ、と山崎は解釈していた。
 「その様子だと、会いたくない人とか怖い感じじゃなかったってことですかねえ?」
 「会いたくねーよ」
 土方は即答して着替え始めた。けれど、目が。
 山崎は頻繁に思う。土方は目がよく語る。正直で剥き出しだ。
 (たぶん自覚は、ない。だから云わない。あんまり無防備なのも考えものだけど)
 「えー誰だろうなー」
 半ばポーズで、半ば本気で山崎は考える振りをする。云いたくなかったら土方は云わないし、そうでなければ応えてくれる。それだけのことだ。
 ばさりとジャケットを肩にかけ、肘で山崎を部屋から押しやる。先に歩きながら土方は云った。
 「伊東だよ」
 「え」
 「伊東が来てた」
 前を歩く土方の顔は窺えなかった。けれど、きっと複雑な色を浮べながらそれでも笑っているのだろう、あの目は。そう山崎は思った。


 
 「朝飯、なに」
 「冬瓜の冷汁とーニラ玉とー」









END

余談ですが、逆に目が喋らないのは沖田、銀さん、陸奥だと思います。山崎も割とそうか。ヅラもかな。
2年前もこの時期に伊東と土方をかいている私。動乱編が本誌で終わった頃だったわけですね。今回はお盆です。
結論:伊東と土方は「百合」。
伊東好きです伊東。ただの仲良しさんになっちゃってなんだかなー。私の脳みそが仲良し淡々が人間関係のデフォなんでしょうなー。
あ、さりげなく山土なのは仕様です。

 
 
 


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