銀の鎧細工通信
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2009年08月29日(土) |
090:何もかも、わたしを置いて通り過ぎていく (江神さんを甘やかすシドジロ) |
台風が近付いて来るという夕暮れのことだった。いつもより尚、静かに低められた声が蜩の断末魔に掻き消える。 「・・・はい、はい。そうですか・・・」 不穏なほど鮮やかに西日に照らされた背中が、その影を濃くしていた。流れる汗もそのままに、志度はそれを凝視していた。オブジェのように、いっそ荘厳な彫像じみた背中は微動だにしない。 「良くない報せかい」 受話器を置いた背中に声をかけると、傾いた陽に照らされた背中が「訃報や」とやはり静かにぽつりと応える。穏やかな声は悲報に接したことも感じさせないほどで、詩人は完成されきったオブジェを眺める気持ちでそれを見た。無意識のうちに、(振り返れ)(振り返れ)と強く願った。こちらを見ろ、と。 そうして振り返った江神の顔は、丁度影となって壁にもたれる志度には見えなかった。物静かな影が「出てくる」と告げる。押入れを開けるとクリーニングのビニルをがさがさ鳴らしながら過たず一着取り出した。その一張羅の位置が埋没しきって判らなくならない程度の間隔で、彼に哀しい報せがもたらされることをうかがわせる一連の動作。 「今から?」 「ああ。空きがあったんで今夜が通夜で、明日に告別式やって。・・・明後日は友引やしな」 「死んでまで暦かよ、ご苦労なこった」 心底忌々しげに吐き捨てた志度の言葉に、江神は苦笑したようであった。音もなく空気が揺れる。もうそのものはこの世に存在しないというのに、尚何がしかに振り回される。 「・・・ほんまやなぁ」 その声は、ぞっとするほど深く、空漠としていた。諦念とも遣り切れなさとも、なんとも云えぬ寂寥を湛えていた。志度はぎょっとして目を見張ると、そのままぎょろりと江神を見上げる。陽射しが目に付き刺さり、その姿はもう全くといっていいほど見えない。 「あんた、大丈夫か」 「ふ、何がや」 がばりと勢いよく立ち上がると、光線は2人の胴に差し、志度はようやく江神の顔を見た。いつもと変わらぬ賢者のまなこが志度を見ていた。光線の具合か、はたまた部屋に籠もる熱気のせいか、炎を見つめているかのようにただ光を放っている静かな目。ふいにぐらりと詩人を既視感が襲った。これはあの村の鍾乳洞で、焚き火越しに見たものと同じだ。 (・・・悲憤?) どろりと複雑な感情に彩られた目だ。江神はしばしばこういう目をする。それもほんの一瞬のことだ。他のことに気を取られていたら、確実に気がつかないレベルの。 (それで、あんたは賢者のスタンスをキープってわけか) 立ち上がったついでに煙草を手にとり、開け放したままの窓枠に腰掛ける。今年の夏は涼しいと江神はいうが、それでも志度には充分に堪えるものであった。暑さの質が違うのだ。 詩人にも解っている。江神は好んで賢者のポーズを作っているわけではない。周りが勝手にイメージを仮託している。うっすらと感じることは、あらゆる感情や事象が江神には遠いのだ。激情に身を任せきることができない、直面した出来事の奔流に呑み込まれきることができないのだ。事象そのものへの情動よりも、そこへの遠さが江神の目に遣る瀬無い色を浮べさせる。 「あんたは、ものを考え過ぎたんだ」 「どうやろうな」 俯いてベルトを締める面は、そんなことはないよといいたげに微笑を作る。ち、と忌々しげに志度は煙草を咥えた奥で舌を鳴らした。自分でも何が不愉快なのかさっぱり判りはしない。果たして本当に不愉快なのかも。 「で?これからどちらへ?」 「山科」 「ふぅん」 「どこか解ってないやろ」 ネクタイを締めていた江神が顔を上げて笑う。どこかの家の風鈴がか細く鳴いた。もうじき太陽は山の向こうへと姿を隠すだろう。 「まぁね」 細く煙を吐き出しながら、志度はどうでもよさそうに応えた。西陣から見える景色は詩人を飽きさせることがない。たぶん詩人はどこに行っても見るものが尽きることはないし、何を見ても根本から変わるということもないだろう。 (どこに行っても同じ、何を見ても同じ) それはその景色と、それを取り巻く環境をなかったことにするというものではない。ないけれども、影響を受けつつも自分は変わらないだろう、変われないだろうと実感する類のものだった。おそらくは江神もそういう性質の人間だ。どこに行っても自分とは違って順応するし溶け込むだろうけれど、どうにもならないものを抱えたままに違いない。どうにもならないものが、ただ純然と、在る。 (まあ、25過ぎた人間がそうそうほいほい変わるってほうがレアか) 「ほな、行ってくる」 上着を小脇に抱え、江神はついと玄関に向かった。スーツにはおよそ非常識な長髪であるにもかかわらず、びっくりするほど似合ってしまうのが志度には不思議で仕方がない。 「なあ」 振り向いた江神にぽいと煙草を投げて渡す。 「持っていかないならそのままそちらへ置いてどうぞ」 玄関に隣接する半畳分の台所を指差す。「ああ、おおきに」と江神は笑って煙草をポケットへおさめた。喫煙者が煙草のことを失念するとは余程のことだ。どんな状況でも普通に見えてしまうのは江神にとっては不幸なことではなかろうかと志度は漫然と思う。 (余計なお世話だな) ふと渡したそれが最後の一箱であることに気がつき、志度はのそりと立ち上がると玄関へ向かう。 「見送りならいらんよ」 「つれないこと云うな、煙草屋までお供させていただくよ」 はは、と江神のあげた笑い声を聞きながら、今日はよく笑うと志度は思った。それに気がついてしまう自分も如何なものかと同時に思った。
「秋だな」 「日ぃ短うなったなあ」 つらつらと歩くうちに、すっかりと夜が町を覆った。こころもち風が涼しくなった気さえする。 「誰の葬式だい」 さほど興味はなかった。誰のものであろうと死は死であり、誰のものであろうと喪失に変わりはない。ただ江神の常ならぬ様子は気にかかった。 「恩師や。国語の先生で」 涼やかな声で江神は澱みなく応える。話す気ならそれでいい、と志度はポケットに手を突っ込んだまま鼻を鳴らした。煙草が欲しかったが、それは江神が持っている。 「理知的で穏やかなんやけど結構曲者で、美意識の高い人やった。学童疎開で山形へ行っとった人で、しなやかなタフさがあった」 「あんたにしちゃ情緒的な物云いだね。思慕のほどが伺える」 猫背のまま蓬髪をがしがしと掻いて、志度は首を傾げた。山の上に浮かぶのは金星だろうか。何かは解らない虫の音が聞こえてくる。 「そうやな。あの人の、白くなった睫毛に縁取られた透きとおった目が、俺は本当に好きやった」 「ふぅん」 志度は応えながら江神をじっと凝視した。何だと問われ、煙草おくれと応える。江神はああ、と云うと志度の視線から逃れるようにそっと、そっと目を伏せて胸ポケットに手を伸ばす。志度はそれでもじっと伺う様子を隠さずに江神を見つめた。 「あんた、小さい頃に可愛げがないって云われなかったかい」 「なんや藪から棒に。・・・・・・云われた」 にやりとして応える江神に満足げに目を細めると、志度は「俺はたいそう可愛げに満ち溢れた子どもだったぜ」と唇の端を吊り上げて云った。 「そりゃ結構なことや。今じゃこんなやけどな」 「余計なお世話だ」 2人はぽつぽつと静かに言葉を交わす。街灯に群がった蛾の影が躍るように足元に映っては消える。何も救いをもたらしはしない。けれど、何もかもが不幸でもない。
「結局駅まで来ちまった、あんたも罪な男だな」 「なんでや」 改札で切符を買う江神の後ろに立ち、志度は腕を組みながらにやついて口にした。煌々と光る蛍光灯は、不躾なほどに江神の黒いスーツ姿を照らし出した。どこに行っても変わらないだろう、どこに行っても救われないだろう。それでも尚、 「江神」 「ん?」 「行ってきな」 改札に入りしな、声をかけられて振り向くと、闇を背負ってチェシャ猫のように詩人が笑っていた。 「寝ててええからな」 俺は大丈夫やから、と言葉にはせずに江神は微笑んだ。他人の身にふりかかった出来事に、頓着するかはいつも志度が自身で決める。不幸に接して泣くも笑うも。今は明らかに気にかけている。そうさせたのは自分だと思うと、江神はいたたまれない心地がした。気が引けるような、後ろめたいような、ただひたすらにほの暗く冷たい罪悪感。 「饅頭貰ってこい」 志度は云い捨てるとふいと後ろを向き、雪駄をペタペタと鳴らして去っていく。丸めた背中に浮かぶ肩甲骨が、シャツにくっきりと影を落とした。一度瞬いてそれを眺めると、江神はくるりと向き直ってホームへと歩みを進めた。髪をなぶった風は、嵐の気配を感じさせるものだった。
END
・・・! ちちち違うんだ!!! こんな、こんなゲロ甘展開になるはずでは・・・!!!もっと陰気で淡々とした話のイメージだったんだ・・・・・・・・・・・・っ!!!! ちょっと志度さんに感情移入モードだったのがまずかったのか?それとも何か?無意識に江神さんを甘やかしたいモードだったのか?! なんだこの仲良し2人組み。 もう俺は駄目だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
志度さんは江神さんの「理解者」じゃなくて、「観察者」でいいと思ってます。
2009年08月04日(火) |
ベイビー、スターダスト [下] (近高そよ、続き物完結編) |
「こんにちは、体調はどう?」 「日輪さん。お陰様ですっかり」 「すっかり?嘘仰い、そんな軽い怪我じゃなかったでしょう」 「ふふ、でももう大丈夫なんですよ。義足にも慣れなくちゃいけないし」 ふ、と軽く息をついて吉原一の花魁が微笑む。 この少女は瀕死の状態で吉原に運び込まれた。瀕死とまでは云わないにしても、やはり深手を負った男に抱きかかえられて。それを先導していたのが現在の吉原を名目上取り仕切る、宇宙海賊春雨の第7師団長であったために、少女と男は手厚い看護を受けた。 焼け爛れた片足を膝下から切断し、熱によって白く濁り機能を失った片目を細胞ごと切除した。 意識を取り戻しそのことを知っても、少女は酷く冷静だった。「面白そうだから匿ってやってよね」と笑う、神威と名乗る少年をただ黙って見据えていた。数日経つと、常に少女の傍らに居た男が姿を消し、そしてたまに戻ってきていた。 地下暮らしが長い吉原では、地上での情報がいまひとつ行き渡っていない節がある。日輪は政府高官の馴染みをもっていたために、他の女たちの預かり知らぬことを知っていた。日輪は、少女の顔を見たことがあった。もう、到底この星には居られない娘だ。 「出発はいつなの?」 「そろそろです。最後の検査が終わったら、かな。随分長いことお世話になってしまってすみません」 きっちりと美しい所作で頭を下げる。艶やかな髪が少女の細い肩を滑り落ちて流れた。 「構んせん。好きなだけ居ればいい。ここはもう、ぬしの家なんでありんすから」 「月詠」「月詠さん」と二人の声が揃う。 「お客でありんす」 月詠が云い終えぬうちから、にゅうと背の高い男がそよの部屋に姿を見せた。 「こりゃあぁ美人が揃っちゅうで、どうしたもがかぇ」 そよはもうこの星には居られない。その存在を快くどころか、むしろ率先して欲しがったのが快援隊だった。『そよちゃんの顔利用しゆう気がやない。単に陸奥が交渉のこたう船員が欲しいゆうてきかんがじゃ。なに、悪ぃようにゃしやーせんよ』坂本は鷹揚に笑ったのだった。 「坂本さん」 「あ、いやいや客はわしがやないんだ。近藤が来ちゅうよ」 日輪の方を見ると、微笑まれて頷かれた。腰掛けていたベッドから降りると、忙しない様子で部屋を出て行く。 「すっかり慣れたようでありんしょ」 「そうね。でも顔の火傷はやっぱり無理みたい、残るそうよ」 「足が悪うても、顔に傷があっても、美しいもがやき変わらんがじゃ。そう思いやーせんか?お二人さん」 坂本はにこにこしている。なんとも緊張感がなく、人好きする人物である。日輪が「そりゃあ勿論。うちのお月様のきれいなことったら」と苦笑すれば、月詠は「わっちらの太陽の輝きに変わりはありんせん」と真面目くさった顔で頷く。あっはっは、そうろーと坂本は満足げに笑う。 「あら、それで坂本さんはそよちゃんに用事じゃなかったの?」 はたと気がついたように日輪が首を傾げれば、「用事ってばあがやない。あの子は真っ黒い髪にきらきら光る目をしてて、星空みたいやき、ここはまるで宇宙ちや。好いちゅう」とまたにこにこした。 「詩人なのか単なる宇宙オタクなのか、わかりんせん」 月詠は嘆息して首を振る。 「そうねえ・・・でも解る気はするなあ。本当はこのままここに居て欲しいくらいよ。だけどあの子はもっと広い世界で、色んなものを見た方がいいんでしょうねえ。 まだまだ先は長いもの」 月詠の様子を眺めて日輪はくすくす笑いながら、少し遠い目をした。真っ暗闇の中で、小さく鋭い光がちろちろと静かに燃えているような目を、確かにあの少女はしている。そう思いながら。
「近藤さん!」 「そよさ・・・」 様、と続けようとして、近藤は一瞬口篭り、そうして少しはにかんで笑った。もう将軍家はないのですから、とそよに云われても、なかなか簡単に切り替えることができないでいる。 「ふふ・・・庭に出ましょうか、今日はいいお天気だし」 近藤の逡巡を察して、そよは笑う。叶わないという風に眉を下げ、近藤はいいですなあと応える。 こうして非番の日に近藤は吉原に下りて来ていた。正式に新政府が立ち上がるまでは業務は従来通りである。新たな行政機関が警察組織をどのように編成するかは、それはもう判らないことだった。 そよは以前「たぶん真選組はなくならないと思います。しばらくはこれまで以上に武装警察の必要性があるでしょうから。・・・なんて、組織お取り潰しの可能性の元凶が云うことではありませんが・・・」と顔を曇らせた。それには近藤も同感だった。散発的に起こる天人の暴動に、通常の警察だけでは手が回りきらないのだ。鎮圧と警備に特化した組織はあった方がいいだろう。 松平も同様のことを云っていた。彼は暫定内閣の一員に選ばれており、今までより更に多忙を極めている。先日、近藤はカマをかけられて、まんまとそよが生きていることを知らせてしまった。 表向きは生死不明の最後の将軍。先代もろとも江戸城に呑まれたというのが一般の見解だ。 うろたえて誤魔化そうとする近藤に、「ふん・・・よぉくやったぁ」と小さく鼻をすすって告げたきり、後のことは聞きだそうとはしない。こみ上げるものを隠そうとする背中は、まるで父親のそれであった。 彼女の兄は、遠いところで健勝らしい。たびたび泣いたそうだ。当たり前だ。それでも一日一日を懸命に生きている。自分にこれから何ができるのか、と自問しながら。 「・・・本当に行くんですか」 「やだ近藤さん、そんな顔しないでください。今生の別れじゃないんですから」 どの道ここにもずっとはいられませんし、とそよは続けた。確かに春雨の師団長に匿われているとはいえ、吉原に留まり続けることも危険だろう。しばらくはこの国を、この星を離れたほうがいいのだ。それがどれくらいの期間のことなのか、或いは一生そうしなければならないのか、それは近藤には判らない。 「欲が、でますね」 「え」 じっと近藤を見詰めていたのだろう、顔をあげるとそよの隻眼と目が合う。今は包帯を巻いている。 いつだったか、坂本が『なんだかあいつに似ちゅうな』と彼にしては珍しい性質の笑いを浮べたことがあった。『宇宙へ行ったら、いいがを買うちゃおー』そよとほとんど身長の変わらない陸奥がその頭を撫でて微笑んだ。近藤は陸奥のこんな笑顔を見るのは初めてだと思い、それは顔を合わせる機会が、妙とおりょうに『すまいる』から叩き出された自分と坂本を回収に来る時のことばかりだからだと思い至った。そよは、快援隊で幸せにやっていけるだろう、そう思った。 近藤が黙って見返していると、そよはふっと視線をそらし、遠くへと目を向けた。 「幕引きが私の役目だと考えていました。その代価は死ぬしかなかった」 淡々と話すそよの髪を風がなぶる。 「でも生きています。たくさんの人に生かされてしまった。ふふ・・・こんなんじゃ、何故死なせてくれなかっただなんて云えませんね・・・ここまでしてもらっておいて・・・。 だからね、近藤さん。ただの私に何が出来るのか、知りたくなってしまいました。 ただの一個人として、この国がどうなっていくかを見届けたいと思ってしまった」
それはそよの本音だろう、けれどどこかほんのちょっぴりだけは強がりだろう、と近藤は思いながら天を仰いだ。きっといつか、どこかで、『何故あのまま死なせてくれなかった』と思う瞬間が来るだろう。それは自分が高杉を見てきていたから思ったことかも知れない。 そう思ってもいい。生きてくれと希った以上、何度でも生きていていい、生きていてほしいと云おう。どれだけそれが自分勝手なものでも。そう近藤は祈るように思う。自分は高杉に対してそうとしかできなかったし、それはこれからだって同じことだ。 (まるで莫迦のひとつ覚えだ、俺は非力だなあ・・・) 目の前の少女が決めて成したことに比べると、自分のできることなど本当にちっぽけだ。 「いなくなってしまいたいと願っていました。でも、 でも生きて見届けたいとも、願っていました」
「叶うなんて、思ってもなかった」 そう云うと、そよは何か憑き物が落ちたかのように、さっぱりと笑った。大きく息を吐き、晴れ晴れと笑った。 (ああ、俺にできることなんて本当に本当にちっぽけだ。でもそれはきっと無駄じゃない)
「叶いますよ。叶えられますよ」
力強く応えると、そよはまた鮮やかに笑った。 「欲が出るって云いましたよね」 「ええ」 「私ね、またいつか、高杉さんに会いたいなぁ」 歌うようにそよは云った。こんな風に、軽やかに他愛なく希望を口にする彼女を見るのは初めてだった。それができる地平に、ようやく彼女は来たのだ。ただ一人の人間として、個人的な願いを口にできる場所を作ったのだ。思い切り荒っぽい遣り方で、力ずくで。 「・・・会えますよ」 じん、と目の奥が熱くなるのを誤魔化すように、近藤はくしゃりと顔を歪めた。 「ちなみに俺はもう会いました」 「嘘!?」 「ほんとです」 随分とくだけた口調に、彼女の歳相応さを感じてうれしくなる。ちょくちょくやって来ているという万事屋のチャイナ娘の影響もあるのだろうか。 「会いに、来たんですか?」 そよが小首を傾げる。 「来ましたよ」 少女の真っ黒い目がきらきらと輝く。 「今潰すのは野暮だ。猶予くらい呉れてやる。どうなるかが見物だな」
「って云って、ふらっと帰りました」 済ました顔で物真似をして見せた近藤に、似てないと笑ってそよは云った。 「何処に向かったんでしょうね」 「さあ?今まで通り全国をふらふらして?春雨と手を切ってなければ宇宙にも行くでしょう」 「そう、そっかぁ・・・」 うちゅう、とそよはあどけない口調で呟いた。伸びをするように仰け反って空を見上げる。吉原の屋根に開いた穴からも、空は変わりなく青く遠い。 「楽しみです」 ぱちりと長い睫毛が上下に動くのを、近藤は満足げに眺めた。殊更恭しい口調で云う。 「お帰りの際には、お土産を期待しております」 「あはは!上司に相談してみます。うちの船は薄給やきなって云われました」
(俺ぁ、あんたたちがなんでもいい。 生きてれば、いい。生きて、幸せになれる力なら持ってる筈なんだ。 満更じゃないってことを、知ってる筈なんだ。赦そうが、赦すまいが、自分のことを気にかけてる奴が居るってことを、もっともっと思い知ればいい)
「今度会ったら、眼帯を自慢しちゃいます」 「? ああ、陸奥さんがいいのを買ってあげるって云ってましたね」 「そうなんです。どんなのがいいでしょうね?」 「そうだなあー・・・」
星くずのひとつの気分は多分こんな感じ。
END
タイトル、末文引用 Thee Michelle Gun Elephant「ベイビー・スターダスト」
長らくのお付き合いありがとうございました。これにて完結です。
ほんとか?本当にこの終わり方でいいのか?とは思いますが、いつまでも手元で煮詰めていてももう際限がないのだと思います。 思いつく限りのものはぶち込みましたが、正直本編と絡めては掘り下げられなかったものもあります。 シリーズとしては完結ですが、作品内の世界が終わるわけではないので、そこら辺はまた別の機会に書くか知れません。ツッコミなど大歓迎です!!
今後書く近高そよはこのオチを踏襲するものもあれば、しないものもあるかと思います。
今回気付いたこと:鉄火は「笑う」描写が好き。
字数制限でまさかの3分割。しかも日記の日付問題で一気にうpできなかった。なんてこった!
2009年08月03日(月) |
ベイビー、スターダスト [中] (近高そよ、続き物10話目) |
江戸城は猛然と煙と炎を吹き上げ、最早燃え盛る瓦礫も同然の様相を呈した。もう間もなく外堀というその場所で、それは起こった。城下へと出られる残された道を思えば、それは当たり前の邂逅といえばそうである。 「よう。生きてここまで来たか、随分と強運の持ち主らしい」 全蔵が微笑含みに発した声に、そよはハッとして顔をあげた。会いたかった、会いたくなかった。会わせる顔などなかった。 「近藤さん、・・・高杉さん!」 「そよ様!」 それは安堵をもたらしはしたが、こうして生きて再びまみえることなどは願ってもいなかった。どうしても生かされるということに、そよは改めて絶望を深くする。自分自身に守られる価値などありはしないのに、ただ将軍家の人間というだけで守られてしまうことが、ひたすらに哀しかった。守られ、尊重されるべき命がもしもあるというのなら、彼らのこそがそうであるべきだと胸を軋ませる。 「全蔵さん、おろして。もう逃げないから」 高杉の無事を確認して落ち着いたのだと踏み、全蔵はそよの言葉に従った。ようやく地に足をつけると、そよは真っ直ぐに近藤とその背におぶわれた高杉に歩み寄った。 「近藤さん・・・ありがとう・・・!」 「・・・命令だからじゃない。俺がそうしたいから、したまでです」 近藤は力強く笑った。それにそよも笑みを返す。高杉はただ憮然と押し黙っている。 「感動の再会もいいですけどね、追っ手が居るみたいっすよ。後にしちゃもらえませんか」 油断なく耳を澄ませている様子の全蔵が、いつもと変わらない調子で口を挟んだ。 「追っ手?」 「ああ。宇宙海賊か天導衆か知らねーけどな」 不意にそよが小さく笑った。それは徐々に大きくなった。男たちが訝って目を動かす。 「ふふ・・・は、あははははは!!私に流れる血は変わらない。生きていたらまた利用される。 生きている限り、利用される。
お願い、もう私を自由にして・・・!!」
哄笑は掻き消えた。今にも崩れていきそうな笑みだった。 「黙れ!俺に生きろと云う奴が、何が自由だ!んなもん死んだってありゃしねぇんだよ!」 高杉が咆哮する。その叫びの強さで、近藤の背からずるりと滑り落ちた。そのままに近藤は高杉の肩を掴んで支え、そうしてそよの腕を掴む。 「駄目だ。そいつはきいてやれない」
「ひじかたさ・・・っ!繋がった!局長は、無事です!!」 土方と山崎が回線を調整する黒い機械が、近藤の声を拾う。 『あんたは生きなきゃなんねーって云われるの、重いよな。 誰が死のうと、死んじゃいけねーって云われるのはさ、ほんとに。・・・すげー重い。 それは俺にだって解る』 土方が凍りついたようにゆっくりと瞬くのを、山崎は見た。そんなことを 近藤に云いそうなのは、誰よりも冷静に、平然と云ってのけそうなのは目の前の人しかいない。咄嗟に土方にこれ以上聞かせたくないと願った。或いは聞くべきだと思ったのか知れない。
『でも駄目だ』
『残される辛さも、残されたものの重さも、全部知ってるあんたたちが、 それを無視しちゃ駄目だ。 ・・・頼むよ。生きてくれ。俺ぁもう、あんたたちが何でもいい。 こんなこと繰り返してたら、きりがねえ。人間皆いなくなっちまう・・・』 無線の彼方で近藤の声がわなないた。その声は混線してノイズ混じりの音でも判るほど震えていた。 泣いていた。 土方の顔が冴えた月のように白くなってゆくのを、山崎は黙って視界の隅で追いかけた。 誰が死のうとあんたは生きろ、土方がそれを云ったとすればおそらくは伊東の騒ぎのあった時だ。山崎はそれを知らない。その場にいなかったことを悔やんだ。 土方にとってはそれは自明のことなのだ。近藤がそんなことを望んでいないのを知っていて、それでも土方という男は告げるだろう。酷薄だ鬼だ、そう陰口を囁かれることも引き受けて。近藤が憤り、あるいは悲しみ、そうしてそれでも笑って否定することを解った上で尚、土方にとっての真実は”近藤が生きていればいい”ということなのだと。 (あんたは聞くべきだ・・・これが、あんたの想い人の、本当の) 山崎は伸ばしそうになる手を必死で堪えた。仮初めでしかない、そんなものに縋るような人間に惚れたつもりなどない。 (解ってただろ、知ってただろ。局長は高杉と知り合いだった、もうずっと前から。そしてその存在が、俺たちとはまた違った意味で、大事なものだってこと) 『頼むよ。ぽんぽん命投げださんでくれ』 こうして土方は何度でも近藤に惚れなおすのだろう。その度に、最後には近藤だけを選ぶ自分と、誰をも見限らない近藤との落差にひっそりと傷付くのだ。 (でも、それでいいと思ってるんでしょ・・・土方さん)
(そんな局長だから、あんたはこんな風にぼろぼろになっても愛しく想うんでしょ)
「ふ・・・ははっ、何だこれ。中学生日記か?何やってんだかな、うちの大将は・・・」 「全くです。さ、迎えに行ってください」 「ああ。お前も来るな?山崎」 土方の目の奥で揺れる哀しみと愛着を見て、山崎は苦く笑った。 (全部解ってる俺を、それでも手元に置こうとするんだから、あんたは全く酷いお人だ) 「なんですか、来るな?って。なんでこんな時に限って俺に決めさせようとするんですか」 ちろりと流し目で訊くと、土方は片方の眉を上げてから人の悪い笑みを浮べた。 「うるせぇ。お前も来い、山崎!」 「はいはい」 (行きますよ。あんたが、俺を呼ぶんだから、俺は何遍だって)
ふと響く怒号を耳にして、そよははっと身を堅くした。 追っ手だというのか、何を追っているつもりなのだろう。ここにはもう、何もないのに。 どこにも、はじめから何もなかったというのに。あったのはただ、意味を成さない空虚な冠だけだった。その冠が世界を動かす総てだと、まだ云うのか。こんなになってさえも。 「ありがとう」 するりと近藤の腕からそよが離れていく。 「私はもう、充分なんです」 心からの笑顔だった。崩れ落ちてきた柱に全蔵が気を取られた隙をつき、駆け出した背中は炎と煙に呑まれて消える。 「いたぞ!あっちだ!」 「そよ様!」 追おうとする近藤を掌で制し、場違いなほどに落ち着き払った声で全蔵は笑った。 「おっと。こっから先は俺に任せてもらおうか」 「な・・・」 「出番がないまま二度も主人をみすみすなくしたとあっちゃあ、お庭番の名が泣くんでね。 死なせねえよ。俺のプライドと腕にかけて」 不敵な笑みを浮べて全蔵の姿が掻き消える。 ぐったりとした高杉に目をやり、近藤は顔を上げた。
「はあ、はあ・・・全く、なんということだ!あの娘、舐めた真似を」 外堀を越えたところでは、各星の大使たちが煤と汗にまみれた散々な姿で息巻いている。 「やれ墓だなんだというのは虚仮おどしにしても、我らとの貿易はどうなる」 「くそ、これまで通りとはいかぬだろう・・・」 ざり。砂利を踏みしめる音に大使たちが一斉に振りかえる。そこには鷹揚な笑みを浮べた長身の男と、不敵に目を光らせた女が佇んでいた。 「お商売の話なら承りますよ、わたくしども快援隊と申します」 「一介の貿易会社が何をしゃしゃり出て来ている!」 「そうです、おっしゃる通り。あなた方がこれから相手になさるのは、幕府を介してではない、この江戸の一介の商社や店屋でございます。商いは先んずることが何より必須でございましょう?」 女はにこりともせず、慇懃に云う。 この際に快援隊が関税自主権を取り戻したことが、後にこの国の貿易に大きな大きな影響をもたらすこととなる。それはまだ、少しばかり先のこと。
”そんなことをしても誰も喜ばない” ”そんなこと誰も望んでいない” 復讐を止める奴は皆そう云う。だけど違う。そういう問題じゃない。それは復讐をしない理由でしかない。 するかしないかだよ、復讐なんてのは。形だって幾らでもある。 それをしなきゃ生きられない奴もいる。死ねない奴も。 理由なんかどうでもいいんだ。 死んで逃げることも、死んで赦されようとすることもできないのなら、生きるしかない。 ああ、そうか。 赦そうが赦すまいが、 俺はもう、生きるしかないんだ。
武装警察真選組局長の手によって捕縛された高杉は、二日後に脱獄した。荒っぽい逃げ方に比して、死傷者は出なかったという。その手際に「鮮やかなもんだ」と局長は笑った。 「晋助様!!」 姿を見せた高杉にまた子が駆け寄る。そっと袖を掴み、言葉に詰まって俯いた。 「泣くんじゃありません。年増の涙は見苦しいですよ」 のっそりと現れた男が真顔でそれを嗜める。 「泣いてないし、年増でもないっす。このロリコン」 「違いますフェミニストです。お帰りをお待ちしておりました、晋助様」 武市が静かに頭を下げる。それらを呆けたように眺めてから、高杉は口を開いた。 「おめーらも、よく、無事だったなあ」 くっと万斎が笑う。 「何を戯言を。お主の唄が止むまでは拙者死ぬ気はないでござるよ」 「そうっす。晋助様を残して死んだりなんかしないっす」 今度こそまた子の目からぽろりと涙が落ちた。 「よく云うぜぇ・・・」 ぽかりと煙を吐き出す。その煙は青空に溶けていった。
和解、などはしていない。おそらくはそんなものはないのだ。そんな都合の良いものは。 取り戻そうにも、総ては取り返せないこと。 過ぎ去ってしまっていること。
2009年08月02日(日) |
ベイビー、スターダスト [上] (近高そよ、続き物10話目) |
まさかターミナルそのものを壊すだなんて思うわけがない。誰も。
神楽が真剣な目をして見つめていた画面からは、予想もできない言葉と混乱しきった状況が流れてきた。新八は「え・・・?」と絶句したまま固まり、銀時はひたすら押し黙って新聞を広げたきりでいる。ブラックアウトした後の画面に数秒砂嵐が広がり、ぶちりと途切れると「臨時ニュースです」と真っ白い顔色をしたキャスターが一礼した。 「え、地震?」 うまく内容の飲み込めない言葉に耳を傾けていると、不意に地面が揺れた。外を見れば、突き抜ける青空の彼方で溶けていく塔。 「出かけてくるネ!」 『暫定内閣は選挙の後に解散、一切の権限は白紙。ただし、新議員が意見を求めることは自由とし・・・』 まつわりつくキャスターの声を跳ね飛ばす勢いで神楽が飛び出した。 「何処に行くっていうの!」 慌てて追いかけようとしたものの、足が縺れてよろけた新八の横で舌打ちがした。するや否や、銀時が追い越して白い影のように駆けて表に飛び出していった。 「ちょ、待ってくださいよ!僕も行きます!」 いったい、何処へ?
『副長!駄目です、大混乱ですよぉ!』 「泣き言なんざ聞きたくねぇな。だからそこにいるんだろうが!」 一喝して無線を叩きつける。そんな土方の目の前でも、ずらりと並んだ天人たちが激しく睨みつけてきている。双方これ見よがしに危なげなものを手にしていた。相手は虚仮にされたと頭に血が上りきっていて、市街地で銃火器を用いることに何も躊躇いがないのは明白だった。 「と、こっちもそんな状態なもんでしてね。まぁ紳士的にいきましょうや」 (避難勧告は出した。だが人が死ななきゃいいってもんじゃねえ。分が悪ぃ・・・) 「何が紳士的だ!こんな無体をされて、まさか我々に黙っていろとでも仰るつもりか?」 叫んだ天人の頬は引き攣っている。一触即発。土方が覚悟を決めたその時に、「あっ、やべっ」と緊張感のない声がした。炸裂音がしたかと思うと、もうもうと煙が渦をまく。たちまち辺りを深い靄に沈めた。 「くそっ、ふざけやがって」 「何だこりゃぁあ!?」 「あちゃ〜、どうもすいまっせぇん。ところで今のどなたです?優作みたいで良かったなあ。あ、優作ってご存知ですか?松田優作」 ゆるい口調で話しつつ、山崎がとん、と指先で軽く土方の肩を押した。そのまま滑るように土方は走り出し、滑らかに抜刀した。霞がかった視界を切り裂くような鋭さで怒鳴る。 「制圧しろ!」 緊急時の布陣などには幾つかの決まりごともあるにはあるのだが、実際にそうした場に出くわすと、『切れ者』『真選組の頭脳』と名高い当人が真っ先に敵に突っ込んでいってしまうため、あまり用を成したことがない。かつて柳生に『泥臭い田舎剣法』と揶揄されたこともあるが、事実ゲリラ的で乱戦に強い喧嘩の様相を土方は好んだ。『効率的なのは好きだが、整然とお行儀よくやるにゃあこの街は複雑すぎる』。艶然と笑みを浮べた面を山崎は思い浮かべる。 そんな中、無線が拾ったどこかの大使館前の音は喧騒に掻き消えた。 「ちょっとちょっと、なぁに莫迦騒ぎしやがって。困るのよねえ、こんなに暴れられちゃあ。そんなにお暇ならうちの店へいらっしゃぁあああああああああい!!!」 城下ではあちらこちらで大使館付近を中心に天人との小競り合いが始まっていた。 「今、この時をもって抑えられなかったら、あの時の二の舞になる。・・・行くぞ!」 背後で応!と威勢良く湧き起こった声に、隊士が振り向いて目をむく。ぶわりと羽のように長い黒髪が舞ったかと思うと、もう真横に滑り込んできている。 「かっ、桂!?」 「ここは俺たちに任せてもらおう。他の隊の応援なりへと行くがいい」 「だっ・・・しっ、しかし」 桂の周りで狼狽しきっている数人をぼこぼこと殴りつけると、珍妙な白い生きものが『そんなことを云ってる場合なのか、今は』と書かれたボードをひょいと掲げた。 「へーえ、思ってもない援軍のお出ましだぃ」 黒く影がさしたかと思うと、桂の頭上から声が降ってきた。重たい剣戟の音がしたかと思うと、既に影は数歩飛び退り「おい、他所行くぞ」と走り出していた。「次は捕まえてやらぁ、かぁ〜〜つらぁ〜〜」とドップラーな捨て台詞を聞きつつ、桂は薄く笑った。 (今はその時ではない?否、今こそが、その時だ) 今度こそ負けはしない。もう何をも失うつもりはない。
「さて、お聞かせ願おうか」 ずらりと三の郭の奥に勢ぞろいした大使に加え、状況を知って駆けつけてきた一部の王族を眺め、そよは満足げに微笑んだ。 「まあこれは皆さまお揃いで・・・間に合って良かったですわ」 周囲へほぼ影響を与えることなくターミナルを沈めてみせた少女を、天人たちは底冷えのする思いで見るようになっていた。魔女か化け物か、莫迦莫迦しいトリックが何かあったに違いない、移動の車中で口々に取り交わされた。ただひとつ確かなことは、トリックにしろ技術にしろ、あの場の誰も、そう天導衆さえもおそらくは、あのようなことが可能だと知らなかったのだ。哀れな傀儡と侮りすぎていたのではないのか。飼い殺されたからといって、犬の牙が勝手に折れるわけなどないのに。老いて牙を抜き去ったと思った男の、その娘がまさかこんな形で牙をむくとは。 「実はお話しすることは特になくって」 おっとりと口火を切ったそよに対し、もう誰も迂闊に罵声を投げ付けることができない。ぐっと固唾を呑む。 「既に公表している通りですから。準備会にお招きした方たちのことも・・・皆様が知る必要は、ありませんわね」 今度こそ本当の地震か、と思うような重い振動が部屋を軋ませた。 「!?」 「なんだ!?この揺れは」 「今度は一体何なのだ!」 「訂正します」 そよが呟く声は動揺のざわめきの中で禍々しく響いた。すかざず天導衆のひとりが口を開いた。 「一体何事だ」 「ターミナルが墓標なのではない。ここがお墓です。私とあなた方、すべての」 そよが口角を吊り上げる。するりと持ち上げた手から、ぽとりと小さなリモコンが滑り落ちた。スイッチは、ひとつ。絵に描いたような自爆装置。 「正気か!城まで潰すとは」 「残すわけにはいかないの。全部、壊してしまわなければ」 嘘だった。 総て壊さなければならないのに、そよにはそれができなかった。
「茂茂様お早く!」 既にいつでも飛び立てる状態のヘリに、引き摺られるようにして先の将軍が促される。 「離せ!離さぬか!そよは何をする気だ。そよと話をさせろ、あいつはどうなる!」 激しく抵抗しながら、これまで家臣の誰も聞いたことのないような荒々しい声で喚きたてる。 「お言付けを預かってございます」 「何?」 「勝手ばかりをごめんなさい。水戸の叔父様にお話はしてあります。逃げて、新しい世界を見届けてください。将軍としてではなく、どうかただのひとりの人間として」 古くから仕える老臣が、深い皺のひとつと見まごう程に目を細めて訥々と呟いた。そして項垂れる。 本当は、彼も生かすわけにはいかなかった。将軍になるために生まれ、将軍になるために生きて育ってきた。彼の存在はあってはならなかった。残してはいけなかった。 兄は他の生き方を知らない。将軍として在ること以外の生きる道を。それでも。 「ふざけるな、私にだけ生きよと申すか!いいからそよのところへ連れてゆけ!」 「茂茂様、今が引き時。なぁ〜に兄妹喧嘩ならあとでやればいい。死なせやしないさ。ほれ、うちの莫迦がアホ面下げて走って来た」 ヘリの巻き上げる粉塵越しに見下ろすと、黒い人影が疾駆して城に駆け込もうとしている。 「死なせやしない」 松平が繰り返した。ゆるゆると顔を上げて松平の目を見た。その隙を突いて、老臣が2人をヘリに突き飛ばすように押し込んだ。一息に舞い上がるヘリ、既に足元の揺れは真っ直ぐに立っていられないほどのものになっていた。爆発音があちらこちらから聞こえてくる。 「待て、お前は・・・!」 叫んだ茂茂の声はエンジン音と爆発にかき消され、彼には届かなかっただろう。そよと茂茂の父の代から仕えてきた老翁は、ひどい揺れの中だというのに美しい姿勢で深く深く頭を下げた。その姿が遠ざかっていこうとする。 生まれ育った城が崩れていこうとしている。妹が、何も告げぬままひとりで死んでいこうとしている。 「っ何故だ・・・っ!!」 茂茂はわけのわからないままこみ上げてきた涙声を振り絞り、身を乗り出す。 「おぉっと、そんなに顔だしちゃあ危ねぇなあ」 ぐいと襟を後ろに引っ張ると、そのまま黒いコートをばさりと翻して松平がヘリから飛び降りた。 「松平!!」 ずだん!と重い音をたて、足から脳天へと付き抜ける痺れをやりすごす。松平が動こうとしない老臣を抱えるように引き摺っていくのが、爆風に吹き上げられ城から離れる茂茂の目に写って消えた。
慌てふためき、逃げ惑う大使たちをそよは静かに見つめていた。城内で迷わなければ余裕で逃げ延びられるだろう。もし本当にここで何人か死んだとしても、代わりが来ることなら解っている。彼らの誰が死のうが、生きようがもうどうでもいいことなのだ。自分がここで死んだところで、もう。 そよはそれを哀しいとは思わなかった。 (知ってたわ。私じゃなくても良かったし、誰だって良かったってことくらい) そんな肩書きに縛られてきたことを、ただ憎んだ。あまりに、重すぎた。音がどんどんと遠ざかり、かたく閉じた瞼の裏側の闇は深く、濃くなっていった。 (もう、いい。これで終わりだ) 絶望とは、こんなにも静かなものなのか。自分は何を恐れていたのか。そよは己を心の中で嘲笑う。 その時。 「御免」 不意に耳元で声がしたかと思うと、ひょいと身を担ぎ上げられた。悲鳴を上げる間もなくそれは廊下へと躍り出ていた。 「!?・・・全蔵さん!どうして!」 「俺は仕事はキッチリこなすタチなんだ」 「あの人は、高杉さんは!」 私のことなどいいのに、とそよが呻いた。全蔵の背を掴む指が小刻みに震えている。 「全蔵さん、ねえ!お願いです!私はいいから、あの人を助けて!」 全蔵は応えないまま炎上しだした廊下を駆ける。 「高杉さんを死なせないで!!」 そよが血を吐くような悲鳴を上げる。その時全蔵の耳はある足音を捉えた。方向転換をし、来た道を戻ってゆく。背中から「お願い、あの人を死なせないで」と、か細い声が繰り返す。 「そこだ!」 声を張り上げると、そよを担いでいない方の腕がしなるようにしてクナイを放った。廊下の向こうを駆け去ろうとしていた近藤の鼻面近くにがつんと突き刺さる。 「うおっとお!!!」 その声にそよが身を捩った。決して来て欲しくなかった人、決して来てはいけなかった人、それなのに、誰よりも駆けて来て欲しかった人。 「近藤さん!」 「そよ様!」 全蔵はそよを肩から下ろそうとはしなかった。けれど話しやすいようにと身体を傾ける。 「近藤さん、お願い。あの人を助けに行って! きっと真っ暗な中で死にそうになってるわ。 早くあの人を自由にしてあげて」 次の廓の西端なの・・・、声が歪んだ。 「わかった!」 「どちみち下っていかねえと俺もどうしようもない、通路くらいは作ってやる。ブチ抜くぞ!」 忍者ってのは一体どれだけの物を持ち歩いているのか、と近藤は咄嗟にいぶかった。今度は手榴弾か何かを投げたらしい。壁に穴が空き、外が見えた。どちらにしても燃えさかってはいたが、倒壊の危険性が減るだけ速く進めるだろう。近藤はそよの髪を撫でると「先に行ってます」と呟いて走り去る。城は唸りを上げて燃え、みるみるうちに崩れていく。爆発音はまだ鳴り止まない。 がらがらと音を立てて崩れていく城で視界を満たし、そよは煙に咳き込む。すべて壊してしまおうと思ったのは自分だ。もう全部、全部全部終わりにしたかった。それには必ず誰かを、大切に想う人たちを巻き込むことも解っていた。自分ひとりで総て成しえると、思いあがれるわけもない。 それでもできることなら誰をも巻き込みたくはなかった。それがどれだけ後に苦しみを残す結果になろうとも、蚊帳の外に追いやって、そうして決着だけ付けてしまいたかった。その後のことを彼らに託そう。 それは信頼にこじつけた甘えだったのかも知れない。彼らなら、その後を生きて、生きてどうにか切り抜けていってくれるだろうと思った、願った。とにかく死なせたくない、そればかりがそよを突き動かす総てだった。 (解ってる、私の願望だ・・・!自分が逃げ出したいだけのくせに・・・) そよは涙を流さない。煙に滲む涙は目の奥でみるみる冷えた。
「高杉!!っ、あんたは?ああ、そうか、あんたもお庭番か。ここはもういい、俺に任せてくれ。ああ、お宅の長は脱出中だ」 遠くから知っている声が聞こえる気がする。居てもおかしくはない、それなのに高杉は(何故、お前がいる)と咄嗟に強く激しく思った。 (こんな時に、こんなところに、何しにきやがった) 幻聴ならいいと思った。同時に、そんな幻聴を聴くような自分に反吐が出る。幻聴であればいいという期待を他所に、その声の主は姿を現した。重く痺れる舌を、弱々しく打つ。 「高杉!」 牢の鍵を開け、その鍵を投げ捨てながら見慣れた影が飛び込んでくる。既に煙を吸いすぎた身体は、その視界と意識をおぼろに追いやろうとしている。 (なんで、いる・・・なにしにきやが・・・った) 暗く霞んでいく高杉の視界の中、真っ直ぐに手が伸ばされた。自分の身体を抱き起こす、その腕を高杉は呪った。 (もう、いい。ここで、終わらせろ)
目を覚ましたら、酷い揺れを感じた。おぶわれている、そして走り抜けている。片方の眼球をめぐらした周囲は炎の渦の中だ。不意に、かつて守れなかった人の名が口をつきそうになった。それを堪えると、高杉は「おい・・・」とだけ呟いた。その声の弱さが忌々しい。 「お前たちは面白いな。云ってることもやってることも、願ってることも全然違うのに、たまにこんな風になるってのがさ」 高杉をおぶった近藤が笑う。走っているためのとは違う揺れが高杉の身体に伝わった。 耳を澄ますと、途切れ途切れに聞こえてくる無線。近藤の襟に付けられた機械からあちこちの怒号が届いている。 そしてその声はどんどん増えていった。断続的に。 桂の声がした。銀時がいる、坂本までいる。真選組がいる。お庭番衆がいる。西郷がいる。 誰も彼も仲間でもなんでもないのに、同じようにただ莫迦のように喚き、ひた走っている。 あの時減ってゆくばかりだった仲間、今増えてゆく仲間じゃない奴等。 (やめろ。もう、いい。何をしてやがる・・・) 一度かたく目を瞑ると、高杉はそれを見開いて絶叫した。 「俺のことなんざ放っておけ!!今更なんだってんだ!」 あの時、あの人をむざむざ死に追いやった世界が、今自分を生かそうとしている。これ以上無いというほどに高杉の中で憎悪が湧き起こった。激情の強さに涙が出そうになるほどに。 あの人はもう居ないのに、あの人を殺したくせに奪ったくせに、そうして俺から鬼兵隊を奪い、あいつらを、 (違う。違う違う違う、あいつらを殺したのは、この、俺だ・・・!) 「おろせ!もううんざりだ!!」 「うるせえ!知らねーよお前のことなんか、俺は俺のしたいようにさせてもらう。 皆てめーで選んで、てめーで決めてんだ!」 近藤の背中を、握り締めた拳で叩いた。どうしてこんなにも、何もかもがままならない。そうだ。自分で選び、自分で決めたのだ、皆。そんなことは知っている、判っている。それでも罪悪感は消えない。自分の無力感も。こみ上げる憎悪も。少しもなくならなかった。
高杉さんはただ復讐がしたいんじゃなく、それしかないと復讐によって生きている。 赦されないことが必要で、そのために死ぬことも生きることもできない。 赦さなくても、生きていくことはできるのに。それも良しとはできない。 選ぶべきだ。復讐を遂げて死ぬか、復讐を続けながら生きるのか。 でも誰を殺しても何を壊しても復讐は終わらない。 勿論幕府は赦せないだろう、天人だって憎い。だけど何より、あなたは自分自身を赦せない。 自分だって復讐の対象だ。死ねもしない。 何をしても、終わらないあなたの復讐。 何をしても、終わらない。 (私の絶望はただ深く静かだ。それなのに、あなたの絶望は、こんなにも、痛い。 解ってる。私の自己満足だわ・・・!それでも、あなたに、)
(あなたが悪いんじゃない。誰もあなたをうらんでない、そう云いたいじゃない・・・!)
城下では、変事の報せを受けた春雨がここぞとばかりに破壊でもって国を呑みこもうとしていた。自滅の途を辿るならば面白い、手伝ってやろうと云わんばかりに。砲門を市街に向け、その殺戮の戸を開こうと押し迫る。 「華陀様!春雨の艦隊が江戸上空に接近!住民は避難していますが、各大使館周辺では武装警察、攘夷志士入り乱れての混戦状態です!」 「面白い。この博打、わしも賭けてみとうなった。行け。奴らの手足、封じてしまえ。宇宙海賊ごときの意のままになる孔雀姫ではないと思い知らせてやるがよい」 「はっ」 スクリーンで無骨な戦艦を眺めつつ、孔雀姫は怖気をふるうほどの艶めかしい笑みを唇に乗せた。 「この賭場、無粋な輩どもに荒らさせるでない。ふふ・・・賭け賃は命とな・・・またとない大一番よ。さあ、思う様足掻くがよい」 白銀に輝く戦艦がかぶき町上空に浮かび上がり、春雨の艦と対峙する。 「江戸の人間に組する天人が出るとはね・・・時代も変わったってモンだ」 それを見上げ、白い褌を返り血に染めた屈強な男がぽつりと呟く。その時かすかに浮べた笑みに誰も気が付きはしない。
すいません字数制限越えました。分けます。
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