銀の鎧細工通信
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2009年03月26日(木) 笑ウ娘  (近高そよ:続き物7話目)

  
 願ったものは、あなたの幸せ。 


 







 新しい将軍の政策は慈愛に満ち溢れたものではなかった。何かに駆り立てられるように次々と外交政策ばかりを打ち立てた。
 大店と天人との貿易協定の無効化、組合による独占の撤廃、国内生産に重きを置いた企業・商店・農家への助成制度、富める者へもそうでない者にも等しく商売をするように強いた。
 堺辺りの大店はこぞって異を唱えたが、それはパフォーマンスのようなものであった。もとより自治の要素が強い「天下の台所」は、幕府の動向になど左右されない基盤を確立している。
 自由競争の市場が開ければ開けるほど、流通量の面では国内の商品が強い。輸送をターミナルに依存している外来企業では、国内での棚卸業・小売業の協力を得なければ利益を上げるだけの商品を店頭に確保することが困難である。
 今回の制度改革は、それを口実に店頭から外来製品を切り縮めることを可能とするものであった。輸送費や関税によってかかるコストが負担であると云ってしまえばいい。
 これまでの癒着関係にあぐらをかいていた企業は利益額を一気に落とし、堅実な商いを行っていた者へはさほど痛手がない。それが内実だ。
 ただそれも一過性のもので、時が経つほどその国内総生産を高める機能は形骸化してゆくであろうことは予想できた。いわば属国による経済面での抵抗に、天人が黙っているはずがない。
 しかし新将軍は天人たちによる【植民地支配】の方針転換がなされるのを待ちはしなかった。自身が布いた現状の国内経済の転換を材料とした取引を持ちかけたのだ。

 「ですから、今の江戸には数多の星からのお客様がいらっしゃいます。一国一国とそれぞれ貿易協定を結ぶなど、手間ばかりかかって双方の利益を生まぬもの。この際、諸外国との経済上の外交基準を一律に改めたいと思うのです。そこからどのようなお付き合いをさせていただくかは皆々様の腕の見せ所・・・ですわね?」
 おっとりと微笑んでそよは小首を傾げた。ざわ、と様々な天人たちが口々に発する言葉は漣のようである。その響きはそよの耳には意味を成さない。胸を打つものは何もない。
 (何を今更・・・・・・あなたがたも、私も)
 ぱちりと瞬くその目の、暗い色に誰も気が付きはしない。
 江戸に滞在する天人たちの間には派閥がある。それは一番に江戸城への武力開放を行った戌威星が発言権を握ろうとすること、そしてそれを快く思わない他の諸星、といった一例からも自明である。
 そよが云い出したものは、それらのしがらみを取っ払い、いちから外交関係をやり直せという要求であった。勿論新規参入の星々にとっては願ってもない巻き返しのチャンスであり、既得権の恩恵に浴する星々にとってみればそれは面倒な申し出でしかない。
 各星によって見解は分裂し、もとより統一意見が出るわけもないために天導衆も口出しをしかねる政策であった。何より将軍の、そよの真意が定かではない。もっとも如何な狙いがある故であろうとも、たかが小娘の云うことなど後で幾らでも操作できると確信していることも、静観の理由の一つではある。
 何度も何度も会議の場を設け、結局その新たな協定を却下するだけの説得力を持つ意見も出ずに、それはターミナルでの締結を待つ運びとなった。
 国民からは、これでまた天人たちが我先にと争って自分たちを食いものにしようと躍起になるだけではないかとの非難の声も、当然の如く噴出した。


 

 かつてない政策の転換期に際し、真選組は多忙を極めていた、かと云えばそうでもない。天人との協定に攘夷志士たちが騒ぎ立てるかと思えば、意外にも警戒していたほどではなかったのである。むしろ非武装の市民たちによる抗議の声やデモが爆発したことへの出動の方がメインであったほどだ。
 「薄気味悪いほど静かじゃねぇか」
 土方が不満そうに鼻を鳴らすと、不満そうですねぃと声が返る。
 「何云ってやがる。結構なことだ」
 アンタって人は一にも二にも喧嘩喧嘩で困ったモンだぜぃ、沖田が喉の奥でくつくつと笑いながら揶揄する。
 (そうとも結構なことだ。政策如何なんぞ関係ねえ。
  
  このままで済む筈がない。

  連中が動くとすれば協定締結のその日、だ)
 
 ぞわりと背筋が震え、血が沸き立つような感覚に土方の口角が吊り上がる。色の抜け落ちたように真っ白な顔色をして、目ばかりぎらぎらと輝かせて笑う姿に、沖田が重ねてわざとらしい溜息を吐いてみせた。
 一個人として名を上げたいと思うわけではない。手柄を得たいわけでもない。土方はただ己のためにだけ戦う。その中は「近藤さんのために戦うことが即ち俺自身の目的だ」という意識に塗り込められている。土方はそれを疑問には思わない。喧嘩喧嘩で沸き立つ血潮が、巧妙にして完膚なきまでに勝つことが、近藤のためになるというのなら、それだけが今の土方の願いだった。

 いずれにせよ、それぞれの思惑を巻き込みながら、その日はやって来る。
 鬼が出るか蛇が出るか、誰が黙り誰が騒ぎ立てるのか。個々人の願いも考えも、動き出してしまった奔流に今はまだ押し流されるに任せている。



 鮮やかな青空がただ広がっている。何の変哲もない、いつもの江戸の朝の空の色。そよは長らくの側仕えの女房に遠方での用事を云い付けた。
 出先で、「知って」しまったら、彼女が城に戻ってくることは予想できた。それも自分の身を案じて城へと駆け戻ってくるのだ。必要ないと云いたかった、構わず逃げろと云いたかった。それができず、またしないと決めたのは自身であるというのに、そよの胸中には後ろ暗い哀しみがべったりとこびりついて離れない。
 (今更、こんな自己満足で免罪されるはずも無いというのに・・・)
 哀しければ哀しいほどに、そよは笑った。自らの感傷を、運命を、行いを、無数に笑った。笑い続けた。そうして気がついたのだ。
 (私の望みとあなたの願いに、思わぬ共通項があったものね)
 
 一体何がどこから罪となったのか。
 悪いのは一体誰だったのか。
 どこかで道を誤ったと糾弾されるなら、それはどこから改めればいいものなのか。
 どうすれば赦されるのか。
 罰とは何であるのか。
 どうすれば良かったのか。
 誰も泣かずに済む術は何なのか。 
 (全ての人を救うことなど叶わないのなら、
  あの人の願いは何なのか、私の願いは       )


 そよは盛装の裾をすべらせて無人の自室を後にした。おそらく此処に戻ることはもうないと思った上で、一度も振り返りはしなかった。
 眩い陽射しが目を焼く。度を越した不安が押し寄せると、いっそ人の心は凪ぐものだと初めて知る。
 (打てるだけの手は総て打った)
 
 (後は、総ての人々を、天人を、あの人を、騙しとおすだけ)

 (天導衆も春雨も様子見を決め込んでいる。
  ふふ、私がどういうつもりなのかと薄笑いで眺めていればいいわ)



 (私の真意なぞ、私だけが解っておれば良い。)









 
 「・・・・・・」 
 城内の謁見の間にだらしなく座っているその男は、そよが襖を開けて前へ進み出ると隻眼でぎろりと睨み付けた。
 「ご足労願いまして、恐縮です」
 そよはまた笑う。
 (私の心情なぞ、解られなくて良い。そう、あなたにも)
 「渦中の姫君にお招きいただいたとあっちゃあ、わざわざお断りする理由もねえさ」
 目の前に腰を下ろすのを目線で追いながら高杉も笑う。声音は不審なほど穏やかだが、浮べる笑みは悪辣だ。そよは高杉の声を随分久しぶりに聴いた、と場違いな感慨にまた笑む。こんなにも、手を伸ばせばすぐに届くほどの距離に在ることも。物理的な距離が、実際の隔たりを埋めえるものではないと改めて思い知る。
 (本当に久しぶりに、こうして顔を合わせるけれど、やはり私たちの間の何もかもは隔たったまま。埋まるべくもない)
 その、断絶。
 どうしようもない。
 「あなたも。その渦中に更に火を投じようとお考えなのではありませんか?」
 ちくりと湧き起こる感傷を押し留め、そよは言葉を紡ぐ。時間がない。感傷に浸っている暇など自分にはもう、ない。
 「思い上がるなよ。お前らが何をやろうと俺には関係ない」
 高杉はそこで思い立ったように一呼吸置くと、「まあ、どうせ上げる花火ならドデカい派手なヤツにしてやらんでもない」と怜悧な笑いを浮べて云った。
 「同感です。けれど、手出しは無用です。あなたには、もう何も手出しはさせません」
 殊更きっぱりと、そよは云い放った。それが切実な願いを込めたメッセージだとは、当然高杉は知らない。
 「それこそお前が口を出すことじゃねえなぁ」
 目を細める高杉を無視し、そよは静かに言葉を続ける。
 「高杉さんは勘違いをなさっています」
  
 「私たちが日向を歩いているとお思いですか。
  そんなことはどうでもよいのかしら?いいえ、
  あなたはそういう風に思いたいだけでしょう。
  自分だけがこの世の闇を歩いているみたいな顔をして・・・」
 高杉が壮絶な笑みを浮べると、その瞬間に鯉口を切った。刃がそよの首筋に触れる。そよは瞬き一つしない。身じろぎもしない。
 (私は、私たちは、こうして笑いを張り付かせて、そうして何も本当のことを語らない。本当のことなんて、誰にも知られないでいいと思っているから。
  でもあなたは自分も知りたくないから、きっと笑ってる。
  笑っていれば、自分自身も誤魔化せるつもりだとでもいうの?
  私は、私は違う。
  あなたとは、違う)
 「それはあなたの身勝手だわ!
  そんなことは知らない!
  私たちを呪えばそれで簡単よね、あなたには憎むのものがあっていい。
  でも私はどうなるの、そんなもの、
  自分を呪うしかないのよ!」
 そよは首に触れる重たい刃の感触に頓着せず一息に絶叫した。喉を張り裂けよと云わんばかりの、悲痛で悲愴な絶叫。そうして一呼吸つくと、きっと顔を上げて云い放った。
 それは将軍家の血に相応しい傲慢さで、有無を云わせぬ類のものだ。
 「あなたには、やらせない。
  あなたなんかには壊させない。
  私がやるわ。
  私がこの国を壊す」
 云い終わるや否やの瞬間、歪んだ高杉の首筋に細い細い針が刺さる。目を見開き、しまったという顔を浮べ、ずしゃりと体がくず折れた。
 暗闇から全蔵が姿を見せ、同様に音もなく現れた数名の忍に指示を出している。
 その間、そよはじっと高杉を見下ろしていた。そうして数人に抱えられてゆくのを見届けると、じっと戸框に目線を向けた。
 (ばかね。
  あんな言葉で隙を見せたりして。
  けれど私はああ云えばこの人が動揺すると解っていた。解っていてその言葉を選んだ。)
 (それだけではない。今のは、私の、)

 「・・・ばかだわ、誰も彼も皆」
 全蔵がそっと顔を窺うと、涙声だというのにそよは泣いてはいなかった。
 泣いてはいないというのに、声と表情だけが無惨なほど歪んでいた。もう笑いも浮べていない。

 「なかったことにも、見なかった振りもできないというのに」
  
 そよの呼吸はわなないた。語尾が震えた。そうして大きく息を吐くと、そよは両手で顔を覆い、天井を見上げた。
 「全蔵さん」
 そのままの姿勢で、くぐもった声を出す。もう震えてもいない。
 「はい」
 「予定通り、あの人を閉じ込めておいて下さい。あなたにお願いする最後の仕事は・・・」
 そよは何かに思い巡らせているようだった。全蔵は黙ってその傍らに立っている。
 「条約の締結後、彼を解放してください」
 「御意」
 ぱっと身を翻すと、そよはそのまま部屋を出て行こうとした。全蔵がそのか細い背中を引き止める。
 「最後ってどういうことですか」
 そよは振り向かない。
 「私がしようとしていることはお話しましたね」
 「はい」
 「私が無事である可能性は低い。だからです」
 襖を開けて姿を消す際に、「あなたがいてくださって、本当に良かった。ありがとう」と低い声で云った。そよは俯かない。
 

















 あなたが幸せに生きていくことを願っていた。
 


 
 何が幸せかなど、わからないのに。







 
 



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お久しぶりですー鉄火です。
月一連載化しています。拍手があるので、読んでくださっている方がいらっしゃるのは一応確かなよ・・・うで・・・す。
ありがたいやら申し訳ないやら。
たぶんあと1回か2回で終わります、この話。
前振りというか、条約関係のものが前半に多くてすみません。飛ばして読んでいただいてもたぶんあまり問題ないです(はじめに書いておけ)。
こういう部分をもちもち考えているから更新がまた遅くなるっていうね、花粉でとろけた脳でなくとも無理だってのに何を一体。


BGMはタイトルからお察しいただけるやも。「悪ノ娘」です。あと「リグレットメッセージ」も。最近ボカロづいています。


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