銀の鎧細工通信
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2007年10月01日(月) 愚か (紅桜編の後、高杉を思う。エリヅラ・幾松桂)

怨み続けるのは大変だ。
憎み続けるのはくたびれる。
呪い続けるのはうんざりで。
壊し続けるのは、難しくて安易なこと。




 はあっ、と息をつけばほの白くなって闇に溶ける。どちらかと云えば冷え性な手のひらを擦り合わせた。
 「残暑から急に初冬になってしまったな」
 これまで馴染みのない髪の短さに、首元がすかすかと落ち着かずについ手をやる。すると自分の指の冷たさを知るのだった。
 『ラーメン食べたい』
 看板状のボードにさっと書かれた文字を見て桂は微笑した。「いいな。幾松殿のところへゆこうか」と両の袂に手を入れながらしずしずと歩く。急な冷え込みは、まだ治りきっていない傷をしくしくと痛ませた。
 (あいつも冷え性だった。俺よりも酷い。)
 きって吐いた啖呵程には、心の中は思い切れてはいない。今尚あの書を懐におさめていた男が、自分と全く相容れない志向性を持っていたとしても、位相の異なる想いを起点にしているわけではないと解っていた。
 寒い間は銀時と坂本を恨みがましく睨み、彼らの袷に冷たい手を突っ込んでは悪態を垂れることが頻繁だった。小さい頃の学び舎でも、焼け野が原の戦場でも。
 (あそこに、お前の真実は何もなかったのか?・・・そうではあるまい)
 回顧したところで、もう何が変わるわけでもないとも解っていた。
 気が付かずに溜息を吐いていたのか、エリザベスは桂がよろけない程度にぴとりと身体を寄せる。「寒いな」と苦笑して見せれば、ぽふ、と柔らかい手が桂の頭に一瞬置かれ、直ぐにするりと離れる。かすかに泣き出しそうに顔を歪める。泣けるほどの感傷にも浸れないので、一度の瞬きでそれは消えた。
 「あいつが、こういう暖かさを知らぬ筈がないんだ」
 ぽつりと口を開き始めた男を、大きくて白い生きものは黙って見つめた。もっとも、中の人が口をきくことはあまりない。
 「寒いからこそ、冷え性だからこそ、暖かさというのはよく解るものだ。・・・あいつだって、持っていなかったわけじゃない」
 暖かいと感じられるものを。
 「・・・俺は、幼い頃自分以外は皆莫迦だと思っていたことがある」
 すかさず『サイテー』と出されたボードに苦笑する。しんしんと深い夜気が喉と肺を冷たくした。濃紺の空のはるか遠くで月が白い。
 「小さな寺子屋だったが、何よりも師に恵まれた。その幸福を理解しないで真面目にやらない奴は愚かだと思ったよ」
 淡々とした口調で続ける。懐かしさも乾ききってしまった。大事なものとしては全く変わらないけれど、確かに時は過ぎていっている。遠く離れてしまった場所で、色褪せないままでも、ピカピカのままで抱えてもいられなかった。大事だからこそ、何度も何度も縋るように祈るように触れては手垢がつき、シワが寄り、破れ、血が飛んで、あまつさえラーメンをこぼす奴もいる。
 「あいつもそのようなタイプだった。真面目に頑張る奴で、馬は合わないが嫌いではなかった。今もかも知れん」
 『どっちが?』
 無表情のエリザベスのボードが問いかける。
 『自分以外は莫迦だと思っていること?それとも嫌いではないこと?』
 桂はぱちりと瞬きをする。
 「自分が実は莫迦だと、気付いていない者はもういないよ」
 あの戦で各々それなりに思い知らされたさ、と変わらずに淡々と応えた。 後悔がないわけではない。自嘲をこぼせば自らを不幸がっているようで、それもしたくない。銀時のように受け止めながら開き直ることは出来ないし、坂本のように前だけしか見ないことも出来ない。そもそもああいった豪快で大雑把な生き方は桂の性には合わないのだった。
 ・・・高杉のように、自分の足元の道や、自らの中に住まう獣しか見ないことも、出来ない。真面目で潔癖で、思いつめる性質で、高杉の方が柄が悪かったが根本ではよく似ていた。
 「もしも俺が、自分についてきた者たちを殺されていたら、俺がああなっていたのだろうか」
 『確かに莫迦だ』
 からかうようにボードを上下に揺すっては、『それは考えても仕方の無いこと』と続けた。
 「全くだな。くだらんことを云った」 
 夜は静かで深い。寝静まった町をてくてくと2人は歩く。
 赦せ、と桂は思わない。受け入れて欲しい、と思った。 
 何をどれだけ壊したとしても、あの人は帰りはしない。それくらいは高杉も解っているのだ。解っていて、それとは別に、赦せないから壊す。認められないから壊す。 
 認めなくていい。
 認める必要はない。
 ただ受け入れて欲しい。

 あの人のいないこの世界を、あの人なしで生きていくことを。
    
 (現に今までもお前は生き続けてきているじゃないか)
 
 (死人の振りをしながら復讐をするのは止せ)
 
 (ちゃんと、ちゃんとこの世に生き続けていく者として復讐をしろ)
 
 
 今、高杉の周りで生きている者を無視し、生きている高杉自身をも無視し、見ない振りのままで関係のない顔をしながら復讐だけをしようとする身勝手さに腹が立った。一人きりで生きているわけでもないくせに。関係のしがらみの中で生きている、ただの人間のくせに。人ならぬものの振りは止めろ、と。
 (なぜなら俺は、お前が人間だということを知っている)

 (知っているぞ、高杉)

 帰って来い、帰って来い。いきものたちの世界へ。
 暖かい血の巡る世界へ。
 お前の周りには、今もまた生者が集まってきているではないか。
 気付かない振りは止せ。
 もう、止せ。
 





 「いらっしゃい」
 戸を開けた途端、優しい明るさの店内と外気を遮断した建物の中のぬくもりに気持ちが緩む。こわばっていた肩の力がストンと抜け、「こんばんは」と返す表情がほぐれるのを桂は感じた。
 「! どうしたんだい、その頭」
 湯気の向こうで幾松がぎくりとした顔をして、直ぐにそれを消した。
 「ああ・・・これは、イメチェンだ」
 刃傷沙汰だと云えば、幾松が顔を曇らせるのは目に見えた。ばらばらと跳ねた毛先をつまんで応えてみせる。
 「・・・現場か何かのバイトに入ってたのかい?まあ、その方がさっぱりしてていいやね。ちったぁ爽やかに見えるよ」
 エリザベスが『みそ大盛りライス付き』と掲げたボードに「あいよ」と小気味良く返事をし、「あんたは?」と問いながら厨房に向きなおる。
 幾松はきっと全て見通している。紅桜のことや、あの刀工の兄妹のことは表立っていないにしろ、攘夷志士同士の大規模な内輪揉めの報道はなされていた。すまない、と謝りそうになるのを堪え、桂は心の中で彼女の背中にありがとうと云い直した。
 「では、しょうゆを普通盛りで半チャーハンを頼む」
 知らせずともいいことを、わざわざ伝えようとは思わない。嘘を吐いているわけではないし、云わないだけのこともある。
 (聡い幾松殿のことだ、どうせ察してしまうにしても)
 「そもそも何だって長髪だったんだい?」
 (知らずともいいことで、心配をかけようとは思わない)
 「小さい頃はまだ丁髷も普通だったしな。何となくそのままで・・・」
 (エゴと思い遣りは紙一重だな)
 ことこととカウンターに並べられたどんぶりを手にとり、隣りでエリザベスは勢いよく麺をすする。
 表の暖簾を下ろして戻った幾松は、冷蔵庫から瓶ビールを出しコップを3つ並べた。「こういきなり寒くなっちゃビールの出が悪くってさ。今日はもう店仕舞いだし、サービスね」と注いだコップを2人に差し出し、軽く持ち上げて見せた。
 「で?」
 礼を述べてからコップに口をつけた桂に、続きを促す。
 「・・・一時は女みたいだとからかわれて切ろうとも思ったのだが、」
 ぞぞ、と蕎麦の様にラーメンをすする。
 「恩師も長髪で、ああこれは切らずともいいではないかと」
 「ふうん・・・いい先生だったんだ」
 「とても」
 云いながら胸はずきりと痛んだ。あの人を奪った世界を赦すな、全て焼き尽くし壊してしまえ、そんな風に思うこともあった。こんな非道が、理不尽が、赦されていい筈がない。悔しさで握り締めた手のひらは裂け、噛み締めた唇は破れ、冷えた自分の手の中で血だけが熱かった。怒りに吠えた喉は潰れた。
 (でも、出来ない)
 (したくない)
 エリザベスが『ご馳走様。ちょっと一服』と店の外へ出て行った。アルミの灰皿を手渡してやった幾松が、食器を下げにカウンターの外に出てくる。どんぶりと皿をカウンターに置き、テーブルを拭きながら問うた。
 「その先生は、もうお亡くなりかい」
 好奇心ではなく、桂の顔にさした陰を見て取ったのだろう。静かな声だった。
 「だいぶ前に」
 「そっか」
 丸椅子をひとつ挟んだ隣に腰を下ろし、「割り切れないことが多いね」と云ってビールをまた注いだ。
 「でもビールが美味しい」
 そっと云って、そっと笑った。
 耐えられないと思うほどの苦しみ、哀しみ、絶望を見て尚、狂わずにいることは辛い。狂ってしまうことも、哀しい。いっそ狂ってしまえたら、と願う反面、そんな時ほど正気の自分を痛感してしまう。なぜ自分が生き残されたのだろうと思っても、誰も答えなど寄越してはくれない。自分の無力さが痛くて、もう全部要らないと投げ出したくなる時ほど、捨てられないものが重くなる。
 「どうせ辛いなら、」
 「投げ出して壊してしまう方が、後で哀しくなると俺は思ったんだ」
 
 「私はこの店投げ出して、逃げちゃおうかと思ったよ」
 「でも出来なかった」
 ふふ、と笑うので、桂もつられて笑った。エリザベスが『寒い!寒い!』とバタバタと店に戻ってきた。2人は笑顔のまま、それを迎えた。


 ここは暖かい。
 たぶん、あいつの周りだって暖かいんだろう。 




 こんな世界逃げ出して、壊しちまおうと思ったぜ
 でも出来なかった

 そう云って戻ってきたら、気持ち悪いな。と桂は思った。けれど諦めてもいない。 
 
  





END  

DVDで紅桜編を観ましてね。そしたら、馴れ合わない関係を描ける空知ってマジすげえな!!と感動しまして・・・。
「はじめのライバル今は友」路線が王道の少年漫画で、勿論そういう関係も好きだし、はじめ仲間で後に断裂だって嫌いじゃないです。でもそこに馴れ合いを持ち込まないって、なんと格好いいのだろうと思いました。改めて。
惰性や曖昧さとか、明確じゃない部分も抱え込んで生きる姿も描けるし、相容れないのに断ち切りきれない、見棄てきれない、そういう関係も描ける。いやもう、ホント作家として格好いいなあ。
「変わらないもの」と「変われないもの」と、「人は変われる」ってのが、結構原作の軸にあるような気がします。好きですなー。

今回は結構読む人によって解釈が変わるように抽象的に書いたつもりです。どっちがいいとか、ましてや正しいとかじゃないと思うので。
しかし私自身が、いかれた危険人物の振りして今を見ることが出来ない高杉を歯痒く思っているので、それは出てしまいました。いや高杉も自分だけが辛いとか思ってないでしょうが。かといって割り切っても居なそうで。なんか、ちゃんと生きて欲しいなー高杉。どっかちゃんと生きてない感じがします。あ、私は高杉好きですよ!!

個人的に、原作の中で一番ヘヴィなのはそよ姫だと思っています。これも序列じゃないけどさ。ヅラが云ってた、銀さんがこの世界を恨んでないのに・・・みたいなことの内容が気になりマックス。
 
ヅラの長髪は、松陽先生の真似だとふと思いました。


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