銀の鎧細工通信
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2007年04月30日(月) うつろ (坂高→近藤)




あの声を聞いたような気がした。







気のせいだと解っていた。







問えば、赦されない道かも知れず、それでも
赦すことを知らない。







 「晋助、祭ばぁ聞いたきにゃ、行くろ」
 軽くまどろんでいたとはいえ、見知った気配に声をかけられるまで気付かなかった。隻眼を瞬かせ、ぼんやりとしたままの目を眇めた。
 何処に潜伏しても、誰かしらに見つけられてしまうことに、不意に眉を顰める。姿を見せなければ連絡すら取り合わないのに、直ぐに見つけられてしまう。通い詰めた宿の様に突然現れ、まるで時間も場所も立ち位置も隔たっていないかのように気軽に誘いの声をかける。こんな時に高杉は(俺があの後、京に潜んでいた時、本当はこいつらは居場所を知っていたんじゃないか?)ということを思わずにはいられない。

知っていても、追いかけてはこなかったのか。
知らないまま、探そうとしなかったのか。

 どちらの者もいたであろうし、いずれにしても、それが痛みを伴う哀しい気遣いだったと解らないはずもなかった。探して追いかける気力も無かったかも知れない。精一杯己と向かい合った結論が、それぞれに違う道を歩ませた。思いのほどなど知らないまま、別離の結果だけが確かな事実。負けて、散り散りになった記憶は今も暗く重い。どこでどんな顔をして生きていても。
 「お前どこで聞きつけて来やがった」
 引き戸に寄りかかりながら腕組みをして笑っている長身に座布団を投げ付けながら問う。「実はな、おまんには発信機ば付けちゅう」と取って置きの話をするように笑うので、げんなりと肩を落とした。
 「阿呆。ヅラじゃあるめぇし、ストーキング趣味なんかねぇだろ」
 ああ、戻らせないで欲しい。
 顔を見れば、どうしても口をついてしまう名前、懐かしい名前たち。
 戻ることなど出来ないのに、口調や遣り取りだけは立ち返ってしまうのだ。あまりにも失いすぎて、本当には、どうしたってあの頃には戻れないのに。耳の後ろで黒い獣が唸りをあげる。
 負けたことや殺されたことを、丸ごと抱えて、かつてのような付き合い方をするなど高杉には耐えられない。いっそぎこちなくなれば良いのに、そうはならない者たちだったからこそ「あの人」の元に集えたし、その後を共に闘えた。その事実が奪われたものの大きさばかりに目を向かせる。先に進めているのかは解らない。前を見ているつもりだけなのかも知れない。どういうつもりなのか、と坂本に問うことも、出来ない。
 「あっはっはっは!そうじゃ、嘘っぱちじゃ。酒奢るぜよ」
 一升瓶を軽々と片手で振ってみせる。
ああ、どうしてこんなにも、何もかもが哀しいのだろう。
こんなにも、全てを、この世の全てを憎んで憎んで憎みきっているというのに。
 ちゃぽん
 水音より幾分か重い音が坂本の手のひらの中で揺れたって鳴った。突っ撥ねればいいような誘いを拒むことをしないのは、わざわざ探し当ててまで誘う腹積もりを覗き見たいからだ、と自分に云い聞かせて高杉はのそりと腰を上げる。ひとつ大きく隔たったのは、おそらく訊いても応えないことがそれぞれに生まれ、若しくは訊きもしないままのことを抱えあっていることだった。問えることなど、あまりに容易い。
 畦道をてくてくと歩きながら、他愛ない話をし、といっても坂本が話を振るのに時折高杉が揶揄を返す程度のことだったが。春の名残を感じさせる朧月がはるか空高くに浮かんでいる。虫の音に混ざって、遠くから祭の喧騒が耳に入ってくる。背後から子どもがきゃあきゃあと騒いで、2人を追い越して駆けて行った。それを見送りながら「おーお、童は元気じゃなあ」と坂本が呟けば、2人がもう子どもではないことを改めて感じる。高杉だとて自分が子どもだなんていう認識はないけれど、それでも小さな頃を共にした者と歩いていて覚える既視感と違和感の間で、自分たちが遠くへ来てしまったと思い知るのだった。
 たくさんの提灯が暖かい色を帯びて並び、その列にそって出店が賑わいを見せている。 人込みは好きではないが、祭の際は自分の風体がさして悪目立ちしないことは知っている。狂乱と興奮の様相も嫌いではない。
 「へえ、地元のしょぼい祭かと思えば案外盛況じゃねえか。お前、どこで知ったんだ?」
 イカ焼きの店にふらふらと吸い寄せられるように歩いていった坂本の後を追いながら問うと、湯気の立つイカを抱えながらビールのカップと割り箸を渡してきた。ごくごくと喉を鳴らして半量以上をあおってから「ぶはぁ」と大きく一息つき、「近藤じゃ。武州じゃきに、ここいらは」というので高杉は隻眼の視線が思わずかたくなるのを感じた。悟られないようにビールを干してイカに箸を突き刺す。
 「こん祭でオナゴひっかけゆうんが、ここいらの野郎の青春恒例行事なんじゃと。もっとも土方と沖田のせいで、喧嘩ばっかりになっとったちゅう話じゃが」
 からからと笑ったかと思えば、ほおばったイカに「あち、あちち」と苦しみ悶えだす。高杉はイカを飲み込んで、「そうかい」と応えた。しばらく会っていない。仕事の合間にフラと会いに来られない様に、江戸の中心から離れてきていた。
 会ってどうなる。どうにもならないだろう。
 考え事を邪魔されないように、イカに夢中な素振りで黙々と食べ続ければ、プラスチックのトレイを抱えたまま坂本は満足げにビールを呑んでいる。昔から「晋助は食べとるんがか、そがぁに骨と皮みたいに、背も伸びよらんし」などと云っていた。自分自身も成長期で、竹の子の様に成長しておきながら他人に「背が伸びていない」とは何事か、と今なら思う。思うだけで口にはしないけれど。
 どうにもならないではないか。
 銀時と桂はわざわざ会いには来ない。妖刀騒ぎの際に、あれだけ派手に遣り合って断絶を誇示すれば当たり前だった。それらを全く知らないわけでもないであろうのに、坂本がこうして無造作に会いに来ることは謎だ。もっと謎なのは、たかが鬼兵隊が壊滅する直前に出会っただけの縁で、将軍の妹までをも巻き込んで上で近藤が探してまで会いに来ることが高杉には不可解で仕方がない。不愉快な苛立ちは付き纏うのに、近藤とそよを突き放せないでいる。同情や憐み、庇護欲などではないところで、それぞれが自分自身の決意の下に全く違う立場のままで高杉と在ろうとしている。それは、銀時や桂にも感じることだった。馴れ合うわけでは決して無く、ともすれば殺し合いまでしても尚、それぞれの存在を無かったことにはしない。何もかもひっくるめた上で、綺麗事無しで互いが存在していることを願っている。願っている、祈るように。
 哀しいと思うのは、いっそ明確に憎み合い呪い合えないことだった。理解できないものを排除せず、共存することを願うなど偽善で欺瞞で自己満足だとしか思えない。そう云えば、「そうですね、独善的な自己満足です。私は、ずるいですから」とでも応えて悲痛な微笑を浮べるのかも知れない、あのお姫様は。もう一生会うことも無いであろう、将軍の妹。腹の中で黒い獣がのたうちまわる。内側から食い破られそうになるのを、高杉はじっと堪えた。
 あらかた半分を食べ、坂本の手をふさいでいる酒瓶を奪い取って手を空けさせる。「おら、半分喰え」「わしが買うたんじゃろ」「そうだったか」「そうじゃ、晋助そん酒開けてええぞ」「おう」
 その後は一升瓶を回し呑みしつつ、坂本が適時見繕ってくるたこ焼きだの、豚串などをツマミにして徘徊する。酒がまわればまわるほど喧騒は気にならなくなり、むしろ鼓膜を打つ漣の様に聴こえた。提灯の赤が滲み、幾重にもぼやけて重なって見えるのが美しい。夜が更けるほどに風は冷たくなってきたが、それすらも火照った頬には心地がよかった。同じ道を何度かたどり、端に来てはまた戻り、ふらふらと漂うように歩く。けれど、2人は人込みを難なく掻い潜って歩くのに慣れていた。
 (ああ、赤いな。燃えているようだ)
 ふと気がつけば横を歩いていた坂本の姿が見えなくなっており、高杉が構わずふらふらと歩いているうちに、いつの間にかまた横に戻ってきていた。今度はなにやら串焼きをたくさん持っており、何かと訊けば「モツじゃあ、一味たっぷり振ってなあ」と嬉しげに笑う。「いいな、焼酎欲しくなりそうだ」と高杉も機嫌よく笑う。
 外れにある静かな階段に腰を下ろし、モツの串を頬張りながら「モツの呼び方が〜わしは覚えられん!何がハツでどこがモツじゃあ」「はあ?モツはゾウモツのモツだろうが、総称だよそーしょー」などと酔いに任せた呂律の回らない会話を交わすうちに、坂本は「かわや、かわや・・・」とふらりと歩いていった。
 太鼓の音と、自分の血の流れる音が混ざり合って鼓膜から全身を揺らす。心地よい酩酊に浸りながら、高杉は人の気配や、それらのたてる音に耳を傾ける。
風が木の葉ずれを起こす音
しげみで鳴く虫
笑い声
怒号
子どもが玩具の楽器を鳴らす
 上半身はゆらりゆらりとよろめくのに、階段に下ろした腰から下は釘でも刺されたかのように重く動かない。ぼんやりとしながらも、緩んでしまった包帯をそのまま外し、高杉はなんとはなしに眼の傷を触った。
 天人との闘いで負った傷は、眼球にこそ届かなかったものの、壊死をおこした。眼球は腐って萎び、連日の高熱と、そこから壊死が広がると医師に云われて高杉は自分でその目を抉った。当然の如く綺麗にほじくりかえすことなど自分によってでは出来ず、正しくは膿んで神経が腐っていることで痛覚が弱いのを幸いと、自分で潰したに近い。瞼は引き攣れ癒着して歪み、醜い傷跡となって残っている。空洞にすらなりきれていない、高杉の虚ろ。ごちゃごちゃと視神経や眼球の残滓が、おそらく腐ったままこびりついているかのような。
 獣の遠吠えのような声が遠くから響く。眼窩の虚ろに響く声音だ。そうすると、決まって川の流れがよぎり、その流れの音すら聴こえてきそうになる。自分を信じてついてきた者たちの首が並ぶ、川。あんなにも死なせてしまって、死なれてしまって。
 「    ・・・」
 師の名前を音にして口に出すことができなくなって久しい。
 溺れそうな感情の波には慣れた。高杉はそれらを感じて振り回されながらも、どこかで醒めた自分の思考を意識している。きっと、自分がしてきた事を、「あの人」は咎めるだろう。
 赦しはしないだろう。それでも、高杉自身が赦すことを忘れたのだ。「あの人」や仲間たちを殺したものを。幕府や、天人や、自分自身や、曖昧な言葉でいうなら時流だとか、そういった全てのものを赦すということを忘れた。












『おい、あんた』

『そこのあんた、川ん中に座ってるあんただよ』





 あの声は、死にかけた俺を拾った時のあいつの声だ。
そうだ、あれも川だったんだ。川に晒された首、川で助けられた俺の命。俺の片目は川に捨てたんだった。
 仲間意識だと、人事とは思えないと云った。お前は失っていないくせに。俺を殺さず、生かした。戻れないのに、戻らないのに、生かした。殺さなかった。
 洞の中で唸り声が反響した。高杉の身体を押し包むように、まとわりついて抱くように、締め付けて殺すように、長い尾をした獣が取り巻く。
 戻れない。





(近藤、俺は今も、川の中に座り込んだままだよ)






 しんすけえ〜
 へらへらした声がしたので、振り向くと坂本が凍パイナップルの串を2本持って戻ってきていた。
 「おせえからもらしたかと思ってたぜ。お前手ぇ洗ってきたろうなー、それ!」





楽しければ笑う。
 
腹が立てば怒る。


ただし涙は忘れた。赦すことも。

きっと、俺の穴は、この目の様に一生埋まらない。
死ぬまで。
もしかしたら、この失くした目の中に獣は住み着いたのかも知れない。













END

久々に懐かしの近藤高杉初書き「遭難者」からひっぱりつつ。
これの設定のベースはかなり、これまでの私の近高そよからきています。


年度末での仕事に泣きながら追われ、新年度に対応すべく必死こいていたら随分間があいてしまいました。
4月末に今更戦国BASARA2をはじめ、大層はまっております。
やりこみすぎで筋肉痛はいわずもがな、腱鞘炎っぽくなっています。わはは



BGM:映画「赤目四十八瀧心中未遂」サントラ


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