銀の鎧細工通信
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2006年10月16日(月) |
花冠 (銀時・沖田 ミツバの死と周囲の者) |
電話があった。「たぶんしばらく帰らねーけど、心配すんな、そのうち帰っから」とだけ云って切れた。 嫌な気分がした、電話の向こうで聞こえたアナウンス。「・・・さん、5番診察室へお入りください」、それは病院内の公衆電話だ、と思った。 こうして待つだけで、ただ立ち尽くす恐怖を、知らない者は知らないのだ。 雨ばかりの故郷での気色が甦る、かなしい爪痕が胸の傷に沁み込んでくる。
「いやアル!マミーがんばって、きっともうすぐパピー帰ってくるネ!だから、だから」 私を置いていかないで、病床に臥して長い母親には云える筈も無かった。兄は帰って来ないだろう、帰って来ないでくれた方がいい。けれど父は。 いつもいて欲しいときにいない、それでも待たずにはいられなかった。取り残された不安に、更に独りぼっちになるかもしれない恐怖が加わり、雨音に神楽の悲鳴は掻き消える。音も無く雨音に削られて崩れていく命、叫びは誰にも届かない。 流れていく雨に、母親がさらわれてしまう!! 誰かを呪わずにはいられなかった。重くたちこめる黒い雲を睨んでも睨んでも父親は帰らず、母は1人死んだ。 神楽は1人故郷を離れた。もう無人の城砦に、用など無い。朽ちて落ちた花、記憶の海に全てが沈んでもう手は届かない。船は出て行く。繋いだ手は力なく落ちた、足もとは崩れて踏み外した。 「まさか、この私があのウスラーより先に逝くとはね・・・佳人薄命?って、やつかしら・・・?ねぇ神楽・・・」 暖かく思い出の海の中で心地よく揺れている、家族の面影も、もう自分を引き止める何にもならなかった。 雨音を聞きながら、自分がここを離れたら、誰が父に愛した女の死を伝えるだろう?私の行く先を誰が教えられるだろう?そう思っても、出航のベルが鳴って、多くの想いが白骨化していくようだった。
「銀ちゃん・・・」
誰かが、死ぬ。耳にこびりついた雨音の残響が甦り、神楽はうずくまる。
何を訊いても「知らないアル、でも電話はあったヨ。だから生きてるアル」としか神楽は答えなかった。銀時はしばらく帰って来ていない。 久しぶりに帰宅した銀時は、目の下にクマをつくり、あちこちに擦り傷とアザ、服はまた裂けて汚れている。その中に病院の臭いが混じっていた。それと、焼香の、におい。 忘れられないにおいだった。 そのにおいとともに、姉と2人の日々ははじまったのだ。「嘘の笑い」と散々幼馴染に云われたのは、まだ記憶に新しい。 姉はいつも笑っていた。主をなくして砂に埋もれていくような道場で、2人過ごした。金こそ無く、無力な自分たちを苛む出来事はたてつづいた、それでも全てを崩れさせるわけにはいかなかった。 新八は母の死を覚えていない。その分だけ父を愛したし、父も姉弟を可愛がった、慈しんだ。妙の辛さなど、知っていた。だからこそ固く繋いだ手を、けして離さないと思い続けてきたのだ。 白い仏花に埋もれていく父、泣き笑いをした姉。 暖かな思い出に満ちた家を、道場を、砂に晒され風化していくままになどできない。それでも、ただ立ち尽くしてしがみついて、静まり返っていく道場はいつも寂しかった。 胸の中の何かが、崩壊寸前で身をよじって叫びをあげていたのは知っていた。だからこそ強く信じた。 姉上の手を離さない。
「銀さん・・・」
誰かが、死んだ。焼香と仏花のにおいが甦り、新八は何も云えずに立ち尽くす。
誰が、死んだ?
銀時は何も云わない。
どんな足掻きも、もう追いつきはしない。
柔らかな花に包まれて、姉の棺は燃やされた。煙が細く、高くのぼってゆく。
ひどく静かに思えた、大きな仕事が終った後の様に。自分は何にも出来なかったくせに、戦い暮れた後のような。何もしていないのに、 何もできなかったというのに!! むしろ戦いを終えたのは姉ではないのだろうか? 手のかかる弟を抱えて1人で生き続け、病を押して自分をそっちのけで愛し、想い続けた。けして振り返らない背中を見つめ続け、叶わないと知った上で尚無事を祈り、愛し続けた。 自分は、自分たちは、姉に全てを押し付けて背負い込ませて生きてきた。そこに葛藤や苦痛が無かったわけではない、けれどもう何もかもが手遅れなのだ。この胸に咲いていた、一輪だけの大切な花は散ってしまった。最期まで瞼を開けて自分を柔らかに見つめ、微笑み、愛し、想い、その手は最期まで暖かかった。 どれだけ泣いてもまだ涙は出てくる。際限が無い。掻き分けても掻き分けてもこぼれ落ちて、両手を埋めてしまう砂のように。 ああ!ああ!この口に、喉に、肺に、心臓に血管に眼球に耳に腕に足に!もう何も宿らない、命の無い砂ばかりが詰まっているようだ!! 姉は苦痛から解放された。身を蝕む病魔と、心を痛めつける全ての、自分をはじめとする想う者から。 だのに、その自分は何を返せたというのだ。 何も返せていない、何もしてやれなかった、できたかもしれないのに、しようとも思ったのに。 思っただけだった!願っただけだった!何もできやしなかったくせに!! 砂の涙が息を止める、胸を塞ぐ。それでもこの心臓は動いている。 吐き気に襲われて沖田は1人、待合室からころがるように飛び出てきていた。 空気を求めて、外まで駆けていけば、潅木に突っ込み、吐くものなど何も無いというのに吐いては、黄色い胃液を溢した。 ゼィゼィと不規則に乱れた呼吸のまま、生垣からふらりと出て来て、そのまま前のめりに芝生に倒れこむ。頬をすりむいたようで、ひりひりとした痛みがはしったが、それが何だというのだろう。 俺は失敗した・・・! 姉上は俺の歩みを許してくれたのに、その俺が姉上の足を許さないことになったんだ。姉上の道を壊した。 どうして、どうして俺を許してくれたの、どうして! あの時俺が、この選択肢を斬り捨てて、あなたを選んだら、何かが変わっただろうか。 姉上を選んだら、変わったというのか? 叫んだつもりだった、けれど声はかすれて喉にひっかかり、奇妙な呼吸の漏れる音が響いた。 肘を付いて上体を起こし、焼き場を見上げればたなびく煙が目に入る。瞬間、目を見開いてはまた突っ伏して吐く。今度こそ唾液しか出ない。はらわたが千切れるようで沖田は芋虫の様に身をくねらせた、丸まって吐けないまま嘔吐感だけが治まらない。 涙と鼻水と反吐にまみれながらのたうちまわり、愛しい面影がよぎって消える。 叫んでも叫んでも足りない、吐いても吐いても追いつかない、狂っても狂ってもどうにもならない。もう何にもならない。
自分の選んだ道は、自分にとっては正しかった。そう強く信じていた。
自分から、結んだ手を切り離してしまっていたなんて、思っていなかった。
失くすまで、思い知らされ、なのに応えてくれる者がいなくなるまで。
静まり返る広い火葬場に人気は無い。 内輪の者は、待合室にいるはずだった、姉が骨になって出てくるのを・・・! 芝生に黒い濡れたしみができる。臓物ごと吐き散らかせられればいいものを。 もう沖田が何をしようとも、土方が何をしようとも、あの日々を呼び戻すベルにはならない。 穏やかな日々は返らない。 花がそっと咲きほころんだような姉は帰らない。 愛された自分は帰らない。 選んだ道を歩む自分を祝福してくれた姉は帰らない。 固く繋いだ手は返らない。 許されたままの自分が取り残され立ち尽くす、愛する人が砂に埋もれていく、消えていく、滅びてゆく。焼かれて灰になって、自分を許せないままの沖田を残して。 これが報いか。 これでは足りない。 こんなものでは足りない。 自分の苦しみは、こんなのでは、全然。 何のために自分の足はある?何のために自分の腕はある?何のためにこの頭はある?何のためにこの眼はある?何のためにこの耳はある?何のためにこの喉はある? こんな景色を見るためか! こんな世界を生きていくためか! 獣の様に咆えても、届かない。 ふきだした涙で景色が滲む。 それを拭い、沖田は目を上げる、立ち上がる。炎に呑み込まれて包まれている姉を見ては吐き、煙のにおいを感じてはうずくまってしまいそうになる足と膝を踏ん張り、耳を塞ぎそうな手を押し留め、吐いてはよろけ、よろけては真っ直ぐ立とうとし、喉が潰れかけて声がでなくなっても叫び続け、刻み付ける。 これが報いだ。 こんなものを見るために、今俺は、まだ俺は生きている。 他の選択肢を斬り捨てて、あなたを残して進んだ俺は、最期まで瞼を見開いて、滅びゆく瞬間を看取るために、まだ、こうして生きている。
―愛しい人よ 君に出会えた喜びに 花咲かせた 穏やかなわたしはもう いない―
END
インスパイア・引用:天野月子「花冠」
はからずもなんですが、近藤の哀しみ編と土方の哀しみ編みたいなのが続いたので、ああじゃあ沖田でも書かなきゃな、と思いました。 そうしたら弔いシリーズとなりました。 沖田を誰と絡めて書くか悩んだまま書き始めました。陸奥でも妙でも神楽でも、これまでの2人の話には女性を出していなかったので、この3人が候補でしたが、一番苦しい人間と対峙させるのに女性を出すのは、私の嫌いな「女性=母性=赦し」みたいな構図になってしまうと悩みました。 考えてみれば、銀魂には大切な人を亡くしたキャラクターが多いんですよね。家族関係がヘヴィ。殺しあってたり死なれていたり、孤児になっていたり、そもそも家族が不明だったり。勿論、大切な人というのは親族ばかりではないです、全然。高杉を筆頭に攘夷組は皆そうですし。 結局、それぞれの一人語りになりました。
あの話での苦しみの深さを思うと、私の言葉が足りないです。こんなもんじゃないだろう、とままならない、描き出せないことが苦しかったです。 それくらい原作が辛かったのだと、改めて痛感しています。
拍手メッセージお返事
10月12日19時のあなた様 あの後の彼らが補完されるようだなんて、光栄どころか恐れ入ります・・・。自分でも予想以上にこたえていたようで。 そういう時ほどね、おいしく物を食べられるのがまた辛いんですよね。拙い料理描写を美味しそうと云っていただけて本当に嬉しいです。 おお!!これまでのジャンルでも、Cocco好きさんには出会っていたのですが、天野月子好きさんは珍しく、内輪以外で天野月子好きさんに5ネンジャーシリーズを読んでいただけてたんですね!わたしこそ小躍りです。 そうか聾・・・と思ってムーンチャイを聴きなおしていたら、あら・・・?花冠って・・・と思って書いたのがコレです。 お陰さまで、安産でした。よきインスパイアをいただけまして、本当にありがとうございます。 しかし聾は本当に史実妄想の近藤処刑後の土方ですね・・・! 銀魂では、原作以外の死にネタが書きたくなくって、書けそうにも無いですが心惹かれてしまいました。苦笑。うう、でもあれは土方が辛すぎる・・・。 励みになり、またひとつ生むこともできまして、心よりお礼申し上げます。 あなた様に読んでいただけたこと、うれしくありがたく思います。
そうえば、mixiはじめました。 ここを読んでくださっている方と交流がとりたくて。苦笑。 普通にこの名前でいますので、よかったらお気軽にお声かけてください。
何がよかったって、皆のヒーローになんかなれない、って解ってるところだった。 なのに、皆に必要とされる太陽のような人を支えきることのできる、たった一人だけではありたいと、追い詰まった眼をしているところ。
満ち欠けのできない月のような男。 いつだって無理ばかりしている。無理しかしていない。 いつだって白く鋭く細く、光っている。ぎりぎりまで身を削ったところで。 新月になったら、死んでしまうとでも思っているかのように。か細く鋭く佇んでいる。 その眼にはいつだって太陽しか映っていない。太陽を追いかけて、満ちもせず欠けもせず、同じようにあれるように、その周りをぐるぐると回っている。 そのはたから見れば無様で悲惨な道を、引き返すことも、立ち止まることも、留まることも押し返すこともできないまま、とてつもなく不安定なバランスのままで足を止めようとはしない。 新月、そう、太陽を見失ったら生きてはいけないという風に、必死で。 そんな風に、滞るためらいを抱えたままで歩いていこうとしたら、きっと辛いだけなのに。 痛みに耐えるだけの癖に、逃げる道もわからなくなっているようだ。 それとも、もう太陽を離れては何も上手くはできない自分を知っているからか。 動き続ける月を、こちらが止まって眺める気持ちで。 そう、側にいて見失わないようにしているのは自分も同じだった。 何処に続くのか判らない道を進むことに、寄り添っている。 見失ったら、きっと後悔するから。
土方さん 山崎がそう云う時は、組織に関わることではなく、個人的にものを云う時だけだった。そういう使い分けをしては、土方をギクリとさせる。 あの晩にも、アフロ頭のくせに必死で云い募っていた。駄目押しの「土方さん」という呼称が、土方を参らせることを知っていて、そう呼ぶのだ。 吸殻を山のようにしながら、黙々と報告書の作成をしている。事務的に打ち込む内容に心は動かされない。もっとも、ミツバの名前は出てこない。 近藤は水臭いと云って個人行動を叱りつけたが、組の内部に関してはさほど案じてはいなかった。むしろ関係が露見して、沖田個人のみならず組を疎ましく思っている幕府上層部の天人をほくそえませることを怖れた。 (薄情、ね・・・) 感情を認識したら、その波に呑みこまれてしまう。意識して何も感じないように、乱されることのないように過ごしている。それは思ったよりも難しいことではなかった。多くの者が禁句として、あの一件に関することに触れないからだ。 黙々と押し黙り、もくもくと煙だけを吐き出す。腹だって減るし、眠くだってなる。惚れた女が死んだって、残酷に土方の身体は生きていることを継続している。 それこそが、薄情だ。 生理現象こそ薄情だ。 「・・・っく、ぐ、う・・・」 薄情以外のなんだというのだ。考えまいとして、事実考えなくても夜更けの自室で1人になれば、勝手に涙がでてくる。 自分自身に対して思い遣りってものを持てないモンかね、と溢れ出る嗚咽を片手で塞ぎ、じっと俯いて堪える。こんなのは堪らない。こんなんでは、全くたまったもんじゃない。どうして俺の意思とは裏腹にしか、俺の身体は動かない?うめきを押し殺してうずくまる。 呼吸のたびに嗚咽がもれそうになるので、息を殺すために呼吸が浅くなる。酸欠で頭が痛みはじめ、耳鳴りがする。 深呼吸を繰り返し、暴力的な波が去った頃合を見計らい、土方はそっと部屋から滑り出た。ひたひたと裸足で歩く廊下は、季節の深まりを感じさせるように冷えている。誰が死のうが、季節だって止まりはしない。ただ何もかもを包んだまま流れてゆく。
台所で氷を砕き、ケースに入れてトングをさす。マドラーも付けてロックグラスを用意する。ただの、ロックで何かを呑むためのセットだ。これが案外に便利だと気付いたのは何でだったか、思い出せない。 沢山の氷は、はじめは酒のために使い、しばらくしたら手ぬぐいを氷水に浸して瞼に当てる。そうすれば翌日に腫れ上がった瞼を晒さないで済むのだ。これが最近の日課。 「副長」 声をかけるのと同時に、殺していた気配を解放する。こういうところは本当に性質が悪いと思いつつ、それが山崎の仕事であった。 「驚かせるなよ」と静かに土方が云えば、「驚いてないくせに」と応えた。それは事実だった。心の機微が、ひとつのことに囚われすぎているせいで、何かを感じるのがいつもよりワンテンポ遅いのだった。驚くほどの心の余裕も気力も無いようだ。 「どうした、こんな時間に」 更に氷を砕いて作る。多いほどいい。俯きながら、土方は自分の声の静かさにこそ、少し驚いた。こんな風に喋れるのか、と思った。 「明日の飯の仕込み具合を見に」 大きな鍋を開けると、膨大な量のミートソースがよく煮込まれた状態で寝かされていた。少し舐めてみて「うん、いい調子」と呟いた。 「朝っぱらからスパゲティはごめんだぞ」 「朝は茸ご飯です、こっちは昼飯。俺、昼から仕事で出ちゃうんで、パスタゆでるくらいなら誰でもできるから作っておこうと思って」 マメなのか何なのか、本人は「これだけの量を作るのは、もうストレス解消になりますから」などと云うのだが、並大抵のことではない。 冷蔵庫からビールの缶を出すと、ぷし、と小気味良い音を立てて開けた。 「毎晩呑んでますね、何か腹に入れてます?自分用にツマミ作りますけど、食いますか」 ごくごくと呑んでから、それはもう完璧なまでに何事も無い風に云った。装いすら感じさせない。土方は有能な仲間をありがたくも、恐ろしく感じる。 「ああ、いいのか」 いいですよ、1人分も2人分も変わらないですから、笑いながらてきぱきと動き出す。見ていて気持ちがいいほどに。 「じゃあ、待ってる間呑んでてください」缶ビールと冷えたグラスまで出されてしまった。土方は氷を山盛りにしたバケツを冷凍庫に収め、台所にある簡易なテーブルセットに腰を下ろした。部屋に戻ったら、きっとまた勝手に涙が溢れてくるのだ。だったら人といた方が押さえが効くと思った。 秋茄子秋茄子、と歌いながらへたを取って輪切りにする。ミートソースをおたまで掬って深めの皿に並べた茄子にかけ、とろけるチーズを乗せた後に、ひとつの皿の方には過剰にマヨネーズをかけた。かけまくった。 (そっちが俺のか) くるくると動く手際のよさを、ぼんやりと眺めているのは満更でもない。オーヴンレンジに入れて「こんなもんかなー」などと云いながらタイマーをセットした。すると勢いよく振り返ったので、グラスを持った手がびくりと跳ねた。 「すんません、ビール用に作っちまった。副長何呑む予定だったんですか」 自分自身の身体が、自分の想いを裏切る。 今泣きたくなどないのに、危うく決壊しそうになった涙腺を土方は呪う。 (何でいきなり、くそ) 「いや・・・部屋にある焼酎」 心の中で罵る言葉を吐きつつ、変な間を作らないようにと答えだけは発した。 「うわぁ、そりゃ滅茶苦茶な組み合わせになっちまった、ビールならまだありますんで」 何にも気がつかなかった振りをして、またすいません、と山崎は云った。 「かまわねぇよ、そんな上等な嗜みはねぇから」ぽつりと云う、その静かさ。 (こんな調子じゃ、こっちまでおかしくなっちまう) 他人のペースに巻き込まれないことが何より肝心な仕事だ。表面上は流されて振り回されている振りをしても、内心は自分のペースを守りきらなければ、何かを探るなんてできやしないのだから。 まだ冷たいビールを呑みながら、漂ってくるチーズの匂い。ちろりと土方を盗み見る。 やつれたのは、近藤も沖田も同様だ。 それぞれが、それぞれを見張るようにしてちゃんと食べているか、食事の時間にぴりぴりしている。負けず嫌いどもとお人好しなので、気を遣わせまいとガツガツ食事は摂っている。それでも憔悴の色が隠せないのだ。 (沖田隊長の不眠症はもともとにしても、局長が日頃起きない時間に厠に行っていたりする・・・この人は、もともと遅くまで仕事をして灯りをつけたまま寝てるなんてことがあるから、何ともいえないけど・・・) それでも朝になれば、意地のように起き上がってくる。大切な人を泣かせてまでも選んだ道を、ひたすらに突き進まなければ誰をも報われなくなってしまうことを、知っている。 傷の舐めあいなんて、そんな真似を自分に許せる筈もない3人。 電子音が鳴った。 手ぬぐいで皿をつかみ出し、小ぶりの鍋敷きの上に乗せた。「うーんと、スプーンでいいかな」カチ、コトリ。「どうぞ」 「ありがとう、いただきます」 稽古の時の様に、綺麗な型で礼をした。 日頃は高圧的な態度ばかりが目に付くが、真面目な人間なのだ。いつだって食事の前後には手を合わせていることを山崎は知っている。 はふはふ、とアツアツの茄子のチーズ焼きをつつきながら、冷たいビールがぐいぐい進む。ここのところ呑んでいる酒は、はなから酒を味わおうと思っていないせいで、酩酊する水のようなものだった。 「うめぇな」 味というものを感じて、ふっと頬をほころばせた。 弱っている人間には、暖かくて旨い物を食べさせるのが効く。旨いと思えたなら、それだけでいいのだ。どうせ、どんなに悲しくたって、絶望していたって、生きていく以上は食べなければならないのだから。山崎も薄く笑んで「光栄です」と深々と頭を下げた。 「あち」と云ってはビールをもうグラスに注がないままじかに呑む土方を眺めつつ、 (きっとこの人自身、局長がいなかったら自分の場所も解らなくなっちまうんだろうな・・・ミツバさん、本当に貴女は辛党ですね、こんなしょっぺー男に惚れちゃうなんて、さ) いなくなった女に話しかけてみる。 土方の缶が軽くなっているのを見て、冷蔵庫から自分の分と2缶出した。 「土方さん」 ぎょっとした表情で顔を上げるのが痛々しい。 何を怯えているんだ、この男は? 缶を差し出しながら、 「もう今夜はビールにしちゃってください」 と云って、屈託の一切無い笑顔を見せた。 「・・・す、・・・何でもねぇ、そうするよ」 唇は「すまんな」と云いかけた。 そうだ、云わなくていい。 あんたが謝ることなんて何も無い。 どうせ冷凍庫にしまった氷の山は、明日の夜にまた出番があるだろう。 身体は想いを裏切り、想いは身体を裏切る。 双方が双方に嘘もつく。 苦く泡立ったビールが喉を通って滑り落ちた。
土方さん、
よそ見したり、目を離して、あんたを見失うのはね、 俺はごめんなんですよ。
あんたを見ていたい。
行方知れずになったって、
こうして見てたって、
悲しいのに変わりはないですから。
END
「よかったら、ちょっと付き合ってくれねーかな」 電話口の声が、気持ちが悪いほど静かだった。そもそも、いつもなら突然宿に押しかけてきて高杉が逃げられないようにするというのに、わざわざ電話で訊いてくるなどということ自体が初めてではないか、と高杉は思った。 「きもちわりぃな、なんだよ」 怪訝な声に動揺が混じってしまったか、と嫌な気持ちになった。電話の向こうでは「じゃあ、宿行かせてもらうからよ」と、密やかに近藤が呟いた。沈み込んで消え入りそうな声であった。
とんとんとん 無意識のうちに耳をそばだてていた。その足音は、いつもならどかどかどか、だ。 調子が狂う、何だっていうんだ煩わしい。こんなのは知らない、と苛立ちのままに舌打ちをすれば、襖が遠慮がちに開けられる。「おう」とぎこちなく笑った顔に高杉は思い切り眉を顰めた。 眼は真っ赤なくせに、眼の下には塗ったようなクマが出来ている。憔悴丸出しの顔に、力ない仕草。「何があった?」などと訊くまでもない、何かがあった。 その単純な解りやすさに、幾らか腹立たしさを覚えながらも、あまりの様子にそんな悪態を吐くことすら憚られる。じりじりと嫌な気分がせり上がってきた。こんな風に気を遣うことなど、忘れたのだから。捨て去ったのだから。 「車、借りてきた。組の車じゃねえから、ちょっと出ねーか。酒も買ってある、俺は呑まねぇよ・・・」 ひとつひとつの言葉を選んで口にするのもやっと、という風にゆっくりと離した。事実、胸が重くて重くて、声を発するのもやっとだった。俺ですらこんなんなんだから、あいつらなんか、もっと・・・だよな。そう思うと無理にでも強張った顔が笑いを形作る。 「海、行こうぜ」 普段は「俺がいない間に何かあったら大変だ」、の一点張りで、この街を離れようとはしない男が決して近くはない海に行こうだなどと、気味が悪くて仕方がない。訊くまでもない「何か」のせいだと解ってはいても、そんなもの高杉は訊きたくもないし、何も云いたくもなければ何もできない。気まずい、面倒臭い、そう思いながらも突き放せないのは、近藤の思う壺のようでまた癪だった。本人にはそんなつもりがないからこそ、尚更だ。気乗りしないながらも、突っ撥ねる事も出来ず、黙って刀を取って立ち上がる。 「いきなり付き合わせて悪いな」 掠れた声で、また微笑を浮べながら礼なぞ述べる。目を伏せて「別に」とだけ応えた。
近藤は道々、他愛ないことについてぽつぽつと話した。今通り過ぎた看板が変だった、だの向こうに酒蔵があるって知ってたか、だの。高杉は山のような酒を抱えて後部座席でひたすら呑みながら、同じくぽつぽつと短い返事をした。しない時もあった。 近藤は、こんな普段からは考え付かないことをして、気を引きたいなどとは思っていない。ただ、自分がしたいことをしているだけなのだ。過分にお節介で強引なところはあるものの、大抵それは他人のことを考えてのことであり、自分のためにだけすることに関しては済まなそうにして、邪心もない。癪に触りつつも、この単純な男のことだ、高杉はそれくらいは解ったので特に気は遣わないことに決めた。柄でもないし、そんなことこの男は望んでもいないのだ。何かあったらしい、でもそれは俺には関係ないし、こいつもそのことで俺にどうこうして欲しいなんて考えてない、それだけだ。
「お」 酒瓶から口を離して洩らした。打ち寄せる波。海なんて見るのはどれくらいぶりだろう。空からではなく、こんなに近くで。だいぶ酒の回った頭で思い出そうとしてみるが、よくは思い出せなかった。何しろ山の方が近い場所に住んでいたのだ。地元は海にも近かったが、小さい頃に離れてしまっているのだからそれも覚えてはいない。 (辰馬は、よく海の話してたな・・・) もう、坂本にも随分会ってはいない。たまに江戸に出入りしているらしいことは聞いていた。近藤とよくつるんでいるとも。 「いい天気だなぁ」 そう声をかけられた瞬間、何かが頭をよぎった。何かを思い出しかけたが、頭の中がぼうぼうとして、酩酊の心地よさに、それは掻き消えてしまった。 「そうだな」 ぼんやりと応えてみたものの、思い出しかけた何かの記憶は、妙にあたたかく、切なく胸に残った。 (・・・なんだ?) 適当な場所で止めるぞ、と云って人気のない道の端に車をつけて、2人は浜辺へ降りていった。一本くらい酒じゃねえだろ、と缶ビールをすすめたが、近藤は「いや、いいよ。お前呑め」と力なく笑って辞した。 「ま、おまわりだしな、一応」 と云いながら高杉は一升瓶を傾ける。 「そうそ、俺ァ酒が入るとタガが緩んじまうしな」 どっかりと腰を下ろし、ぼんやりと水平線に目をやる。あいつらが、泣きっぱなしなのに、俺まで泣くわけにいかねぇだろう。 総悟は実際に子どもだが、病院で以来は子どものように泣きはしない。けれど時々ふらりと姿を消すのは、あれは泣きに行っている。サボりならあいつは絶対に見つかる場所に行く、探しても見つからないのは、泣いている証拠だ。・・・トシも、トシが、毎晩水割りセットを持って部屋に帰るのは、ありゃ呑むためじゃねぇ。呑んでるかも知れないが、そんなに強くはないんだ。きっと氷で瞼を冷やしている、でなけりゃ腫れちまって仕方がないんだろう。でなけりゃあんなに、眼の怪我の治りが悪いはずがない。泣いて擦って冷やしたりしてっから、いつまでも眼の怪我が治らねぇんだ。 知り合いが、1人死んだってこんなに辛いんだ、あいつは・・・土方が眼帯をしているのを思い出して、高杉のことを考える。 ふと辺りを見回すと姿がない、慌てて立ち上がると海辺で足を浸して突っ立っている。 ガキみてぇ、と吹きだすと「晋助!風邪引くぞー」と声をかけた。人気のない秋の海とはいえ、大声で御尋ね者の苗字を叫ぶのは気が引けた。何より本人の機嫌が悪くなる。ならばあんなに目立つ風体をしなければいいのに、挙句下の名前を呼ぶなだのと怒るし。強張った表情から少し力が抜けるのを感じた。
「晋助!風邪引くぞー」 振り返れば、逆光で、その向こうにある雲が光って、その淵が輝いている。淡く、やさしげに。穏やかに、ああまるで穏やかに呼びかけられるおおらかな声。あ、と思った。思い出した。 遠足だと云って海に連れて来てくれたのだ、あの人が。ほとんどが海を見るのは初めてというガキばかりで、わらわらと秋の冷たい海辺に群がっては騒ぎ、一人外れた所でいつまでも足を浸している高杉に、そう、同じ言葉をかけたのは、あの人だ。 あの頃、それが気恥ずかしくて、振り返った顔をまた海に戻していたら、さくさくと足音をたてて近付いて来たのが分かった。「いい天気だなぁ」、そしてそう云ったのだ。 記憶違いかも知れない。何しろ俺は酔っている。先生と、近藤みたいなゴリラを一緒にするなんてとんでもない酔い方だ。 そう思いながら、また海の方へ顔を向けた。 さく、さく、さく 幻聴かと思った。ああ、記憶違いではないらしい。こういう感じだった。 けれど、振り返ったら、そこにいる男は俯いて泣いていた。嗚咽を堪えて、声を立てないようにして。肩が震えている。俯いて、だらりと体の横に垂らした拳だけきつく握り締めて、鼻をすすって泣いていた。 泣いていた。 子どものように泣いていた。
END
ミツバさんの死後、沖田と土方がボロボロでしょうので、近藤さんはしっかりしなくちゃと思っていたんじゃなかろうか。でなきゃミツバさんが安心して眠ってられねえ、とかって。 2人の辛さを思うと、泣けないような人な気がして。
拍手メッセージお返事 ★9月29日、23時「果てる光」へのお言葉をくださったあなた様。 抽象的な言葉だったのですが、堪えて堪えて壊れそうな感じを受け取っていただけて、本当に嬉しいです。 こちらこそ、力強く真っ直ぐなメッセージ、胸に来ました。 すごい言葉の力だと思いました。 私の方こそお礼を云いたいです。有難うございます。メッセージ、とても染みました。書いていてよかったと思いました。
★10月4日、22時「爪遊び」と「カナリア」へのお言葉をくださったあなた様 光栄です。何しろ予想以上にエクソシスト自体が少なかった上に、本当に女性が少ない世界なんだなぁ、とその後本編で判明し、ああ女性陣の安らぎって・・・と思っていたもので。微笑ましいと思っていただけて、うれしかったです。シビアな戦争の世界のようですから、そこで頑張っている女性尾の姿を描きたかったのでした。 そしてまた近高というマニアックカップリングを読んで下さっているのが・・・光栄です。微苦笑。 そしてまた書いてるって云う・・・。ありがとうございました!
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