人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年09月30日(月) 薄れゆく愛情?

「放置プレイ」だなんて人聞き悪い。

先日、彼と電話していたら眠気が襲ってきたので、「そろそろねんねしてもいい?」と訊ねたら、『・・・ええけど。なんでお前はすぐ眠くなるんや?』と問われた。
確かに、金曜日は夜0時過ぎに寝たが、起きたのは土曜日朝10時過ぎ。平日の平均睡眠時間は6時間半くらいのものだから、それより3時間近く長く寝ている。だけど、0時を過ぎたら眠くなってしまった。眠くなってしまったものは仕方ない。
「なんでと言われても・・・」
幼い頃から睡眠だけはよくとる子で、学生時代もテスト前夜一睡もせずに勉学に励む『一夜漬け』なんてとんでもなかった私。一夜漬けは結局、一度もできなかった。
『一緒にいても、気付けば寝てるし。車でもバスでもそうやん。この間も乳触ってたら喜んでたのに、突然、眠いから寝かせろーって、低い声で言うなりすぐに寝入ってたし。お前、メールや電話じゃいくらでも相手するなんて言っておきながら、いざとなったら全然駄目やん』
「はあ」彼の言うこと正しいことだったので、反論のしようがございませんでした。

学生時代、あんまりにも規則正しく眠くなるので、自分は病気かと思ったこともあった。だって、なんでみんな夜通し遊べるんよ? 10代のころも私、オールナイトするときはいつも、2時くらいには店の片隅でみんなの荷物やコートと一緒に丸くなっていたり、カラオケではソファーで身体が傾き半目になって半分死んでたりしてた。夜は活発に活動できない。
だけど、「眠くなる」病気の代表的な症状に当てはまることはなかった。ナルコレプシーも睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndrome)も、それは1日中だったり昼間もだったりするもので、夜になると眠くなるわけではないし、他に日常生活に支障が出るようなこともない。単に私が健康的すぎるだけの話なのだ。

『同じ布団に入っているのに、できないまま寝るなんて虚しすぎるで。最初の頃と比べると、絶対愛情薄れとるわ。しかも、触れていい唯一の相手が手の届く距離にいるのに、できないんで? 触れば「眠い」って怒るし。これじゃ、放置プレイと一緒や』
「ほ・・・放置プレイ・・・?」
それは、エロ用語だよな? でも、こんなん辞書に乗っているわけないし・・・と私は眠い頭で考えてみた。

放置は「放って置くこと」。
「プレイ」は「play」で「芝居、遊び、ゲーム、賭け、作用、演奏」かな、私が思いつける限りでは。
ということは・・・
『遊び感覚で相手の様子を見ながら放って置いて後で存分に構う』
っていうのと、
『本当にそれをすることでより行為と悦楽が深まるかどうかはある種の賭け』
という風にも取れる・・・ような気もしてきたよ。そうだ、そうなんだ。やるじゃん、私!

しかし、その後の記憶がないのだ。しかも、一体どのように会話を終えて電話を切ったのか、後日思い起こそうとはしてみたが、正直なところ不明だった。

朝起きて、お前は幼稚園児か小学校低学年の子どもか?と自ら突っ込み落ち込む24歳。
生理前と最中なんて、もっとひどく眠くなる。

明日はどっちだ?


2002年09月29日(日) 東京タワーがピンク色に光るとき

そのことは2、3年前から知っているのだけれど、一度も見たことがない。

1年に1度、東京の観光名所のひとつである東京タワーが夜、ピンク色になる日がある。その愛称は『ピンクタワー』。今年は10月5日の土曜日。あと一週間くらいだ。(あれ、よく考えてみれば、その日は愛しき我が妹の誕生日だわ)

これは、これは乳がん早期発見啓蒙促進運動の一環で、欧米で「10月は乳がん月間」と決められており、それで10月にキャンペーンのひとつとしておこなわれるようだ。エスティーローダーのHPの乳がん啓蒙促進運動によると、アメリカ、イギリス、フランス、スイス、イタリア、オークランド、アラブ首長国連邦でも、何かしらの建物がライトアップされているようだ。

東京タワーは「あげぼの会」主催、エスティ ローダー協賛とのことである。
ちなみにピンク色は乳がん啓蒙のシンボルカラーなんだそうだ。ピンクリボンもあるようで。ピンクリボン、ほしいなあ。七宝焼きの、ないだろうか。(ちなみに私が今現在持っている七宝焼きのリボンはレッドリボン。これは、エイズ用。)

昔、まだ看護婦をしていた頃、病院で旦那さんの睾丸癌を奥さんが発見した、という話を聞いた。60代のご夫婦だったと思う。長年連れ添って、相手の身体の隅々まで知っていた伴侶が、本人より早く、今までとは違う感触から異常を発見したのだ。これは、そのときはある意味、アダルトなゴシップ的な話題提供として私の耳に入ってきたが、私には、とても感動的な話に思えた。
別に、セックスすることはいけないことではないし、ましてや夫婦なのだし、年いってもゆったりとした愛を育めるのはいいことだと思う。
旦那様が年を重ねるごとに変わりゆく奥さんの身体と精神を労わりながらの行為であれば、いいと思うのだ。
それにしても、私も彼の異常を発見できる女になりたいもんだ。

だから、男性も、一緒にいる女性の乳がんの早期発見の自己チェックにお付き合いくださってもいいのではないかと思う。一応、イラストつきの自己検診法が社会保険健康事業財団にあった。産婦人科でも冊子置いてあったりするから、それ見てやってみてもいいし。
なんせ、AVONの2002年9月15日の新聞広告には、『日本の女性でも12分にひとりの割合で乳がんと診断されている』とあった。怖いよね。で、AVONのHPを訪ねてみたら、女性のためにのページに世界女性健康基金を見つけた。みんな、いろいろやっているみたいだ。

東京タワーがピンクタワーになる日は、彼とはデートできない。ひとりで見に行くのもむなしく、かといって女友だちを誘う気にもならず。

今年もまた、実際を見られないまま終わりそうな予感がする。


2002年09月28日(土) 訪れていた秋に、私から歩み寄った午後

今日は、金木犀の花を探していた。

今週の頭頃だっだと思う。朝、駅に向かう道の途中、金木犀の香りが鼻先を掠めた。それから毎日毎日、金木犀の花の香りは空中を漂っていた。その香りを感じるのが、私の日課になりつつあった。

金木犀は少し強めの香りを放つ花で、よくトイレの芳香剤に使われている。だから、金木犀の香りを嗅ぐとトイレを連想する人が多い。実際、一軒家だとトイレのすぐ裏に金木犀を植えたりしている。
だけど、本物の金木犀は臭さを消すことを目的としている匂いの強い芳香剤とは違い、もっとやわらかでやさしい、甘い香りだ。

その香りが、どこから漂ってくるものなのか、朝の忙しい通勤途中にはわからなかった。帰りも帰りで疲れていて、スーパーの袋を下げた姿では、香りを頼りに樹木を探すのは無理だった。

午後になって、昨日から降り続いていた雨が上がった。外に出ると、雨上がりの、水気を多く含んだ空気の中、金木犀の花はふんわりと香っていた。匂いの強弱を頼りに、私は歩を進めた。
深く吸い込む空気は、とっても冷たかったけれど、ここのところささくれ立っていた気持ちを、落ち着かせてくれた。

でもよく考えてみれば、金木犀はあっちこっちの家にある、ポピュラーな樹木だ。この、私がいつもかいでいる香りも、ひとつの樹からのものとは限らない。
だから、金木犀探しの旅は、お散歩になった。

コスモス、百日紅、曼珠紗華、ブルー・レッド・ホワイトサルビア、ススキ。
秋の花が、あちこちに咲いていた。


2002年09月27日(金) 徒然なるままに 〜 恋しくて、秋

◆徐々にまた、それは花咲く過程のようであり◆ 7:38

同じ人に、何度も恋をする。

浮気もしたが、結局私は彼のことが好きで離れられなくて。2年前の11月から、ずっと好きで。そりゃ、同じ程度の『好き』でいられたわけではないけれど、『好き』と『大好き』と『愛してる』を何度も行き来しながらお付き合いしていて。

咲いた花が落ち、また花咲く頃を待つように、恋心も、何度も咲いて何度も散り。
私の花は、また昨日からつぼみがほころび始め、今日は満開のようだ。

あなたが好き。



◆愛しすぎてメールすら打てない◆ 19:37

文章が浮かばぬまま、携帯を持つ指先が震える。

なんでこんな、恋をしていたことに気付いた頃のように、彼のことばかりを想い、落ち着かぬ感情を持て余しはじめたのだろう? 時折息苦しいほど強い想いに支配され、自分では止められぬほど彼を求めてしまう。

それは、決して肉体だけを求めるのではなく、精神的なつながりがあると分かっていながらもまだ貪欲に彼の気持ちを感じたいと欲する感情で。

付き合っている相手なのに、今更ながらに緊張するほどの想いを抱き。

もうにっちもさっちも動けない。



◆なんで涙が溢れくるんだろう?◆ 20:58

悲しいとか、寂しいとか、会いたいとか、そういう感情を抱いている自覚はないのだけれど。

ただ、彼が愛しいと、彼の「すべて」に近いものが欲しいと、そう思ったら、ばたばたと眼から大粒の水滴が落ちた。自分でも驚いたのだけど、心の底から湧いて出た涙は早々止まらなくて。
大事にされていると、愛されていると、そんなこと、知ってる。身をもって、理解させられている。

だけど、突然吹き荒れた愛の嵐は、私を遠くへとさらい。とても遠くにさらわれて、あなたへ連絡できぬその間、メールの返事のない私のことを、あなたはとても心配していることは承知しているけれど。

ひとりでは容易に戻れぬ大波に、私、のまれてしまった。



◆揺れる視界で想いを込めて◆ 22:15

感情のままに打ち込んで、そして、送信ボタンを押した。

急に強い想いにかられて、いつぞやみたいに「今夜会いに行ってもいい?」ってくらいの気持ちになったこと。
この前会ったばかりじゃない、とか、もうすぐ会えるじゃない、とか、自分に言い聞かせようとしたのに、それでもなんか落ち着けなくてどうしようもなくなったこと。
身の内に沸き起こった激しい恋情に混乱してしまい、携帯でメール打とうにも、「おつかれさま」のひと言にさえ指が動かなかったこと。

なんで急に、こんなにあなたのこと好きだって感じたんだろう?
好きなんだと自覚した直後みたいに、なんか、あなたのことしか考えられなくなっちゃって。なんかもう、わけわかんない。

好きすぎて、愛しすぎて・・・感情という名の真綿に埋もれて、もう、うまく呼吸ができない。



◆花はやがて夜をむかえて◆ 23:59

モヤモヤと、胸に募る思いを抱え、ひとり考える雨の夜。

17分間、彼と電話で話しをしたら、ほんのり胸があたたかくなった。
今夜の電話はいつも以上にドキドキして、うまい言葉が見つからなくて、短いけれど沈黙を作り、切ない気持ちで溜息をついたりもした。
それはまるで、付き合い始めの頃のような状況で。だけど、あの頃のように相手の反応に不安を抱くようなことはなくて。

「そっちも雨降ってる?」『降ってるよ』
寒さ運ぶ降り落ちる雨の気候さえも、彼の地と一緒だと思うだけでしあわせで。

早朝から開花した花は、夜の帳にようやく気付き、静かに花びらを重ね合わせ始めた。


2002年09月26日(木) 彼の禁煙までの道のりは長く、果てしなく

「私はこれで会社を辞めました」のCMが世を風靡してから、どれくらいの月日が経ったんだろう?

「奎佐と付き合ったら、1年以内にタバコ辞めるわ」
って言ってから、どれくらい経ったことやら。彼の1年は、私の1年9ヶ月よりも長いようで、現在のところ1日あたりの本数が減っただけで、完全無煙になるには程遠そうだ。
まったくもってこの、大嘘つきのバカチンが。

佐々木(仮)家は誰もタバコを吸わない。父は昔吸っていたが、私が母の胎内に宿ったのを知って辞めたそうだ。喫煙家から無煙家になるまで、その間、0秒。これだけは、父の自慢らしい。というか、よほど子ども望んでいたんだろうなあ。
なのに、そんな父と比べると彼は意志弱く、未だ吸っている。まあ、私の胎内に子はいないが。でも、子どもみたいなもんである私が嫌がっているので、辞めたいとは思っているようだ。
3日くらいなら吸わなくてもいられるようになったらしいが、イライラしたりすると欲しくなるという。まったく、馬鹿言ってる。イライラしているときに吸ったりしたら、血管が収縮して血流悪くなってあちこちの酸素が少なくなって、頭の回転が悪くなってますますイライラするというのに。すっきりしたとか言うのは、まやかしだよ。

タバコを吸った彼とは、キスしない。抱きつきもしない。絶対に嫌だ。彼もそれを知っているから、無理強いしない。
だけど、私は会っている間は彼とキスしたいし、彼に抱きつきたい。だから、なお、辞めて欲しい。
先日の誕生日は、禁煙パイポと禁煙補助剤ニコレットでもプレゼントしてやればよかったか・・・。でも、彼の会社の後輩がニコレットを試したらしいが、「まずかった。あれじゃ、辞める云々の前にニコレット自体を辞めています」との感想だったという。ニコレット、CMはこれまた素敵な感じなのに・・・禁煙てやっぱり難しいね。禁煙教室なんて開いても、効果はいまいちなことがほとんどだし。

ところで、禁煙パイポの昔のCM「私はこれで・・・」の最後に、小指を立てて「コレで会社を辞めました」って言っているおじさまがいたのを覚えているだろうか?
それなりの年齢の人なら結構覚えているだろうし、私くらいの年齢でもかろうじてTVで見た記憶があるくらい昔。あのおじさま、うちの父の前職の同期なんだそう。先日、実家でアルバム見てたらあのおじさまが小指を立てて笑ってる写真(おじさまのサイン付)があって、「これ、なあに?」と父に聞いたことからそんな事実が発覚。
何年か前に家族旅行で行った先の旅館でばったり会ったことのある父の知り合いというそのおじさまは、実はあのCMで有名な素人おじさまだった。意外なところに有名人がいて、びっくり。おじさまも家族旅行の最中だったんよね。素はマイホームパパだった。

調べてみたところ、あのCMが流れていたのは、1985年だったらしい。今から17年前の話になる。私、8歳。彼、23歳・・・若かったんだなあ。

でさ、話は元に戻るけど、あなたの言う1年まで、あとどれくらいなの?


2002年09月25日(水) あばれ××と戦った夜

間違っても、ムスコじゃありません。こちらは『人生事件』ですので。

先週から引き続きちょっぴり体調不良なので、我が身を労わってあげなきゃと、昨日はスーパーで一生懸命野菜を選んで、『ほうとう』を作ってみた。
『ほうとう』の材料は冷凍庫の油揚げしかなかったので、その他は全部一括購入。袋が重くて持って帰るのに難儀した。
しかも、冷蔵庫の野菜室がいっぱいになった。入りきらないものまで出てきてしまった。だから、しばらく休日の外出予定もないのでおとなしく自炊しなければならないようだ。腐らせてしまうのはもったいない。

・・・もし、『ほうとう』を知らない人がいたら、どうしよう。食人生の大事なところを押さえられていないと、そっと耳打ちしようと思う。だって、『ほうとう』ってとてもおいしいもの。肌寒い季節にはぴったりの、食べただけでしあわせになれる料理だと私は思う。
『ほうとう』・・・それは、山梨の郷土料理のひとつ。

私が『ほうとう』と出会ったのは、以前住んでいた団地で母と親しくしていた近所の奥さんが山梨県出身者だったからだ。「いっぱい作ったから食べて」とおすそ分けされたのが最初だったと思う。
関西生まれ関西育ちのグルメから程遠い彼も知らなかった。昨年、彼と私ととある美女と静岡でプチオフ会をしたとき、美女に山梨県に連れて行かれて食べたのが最初だったという。そのときの彼への説明は「山梨の郷土料理で、具沢山の煮込み平うどんみたいなもん」。正しい説明だった、と今も思う。

『ほうとう』を作るにあたり、スーパーで乾麺『あばれほうとう』を月間お得品198円で購入した。
商品名『あばれほうとう』。発売元は(株)はくばく。
ここ10年ほど、生麺のほうとうもいくつか試したが、この乾麺である『あばれほうとう』に優るものはなかった。『あばれほうとう』は、ネーミングもインパクトあるが味も歯ごたえもよく、私にとって『ほうとう』の神様なのだ。これが現在の居住地の近くになかったら、私は山梨ではない実家の母に頼んで送ってもらうところだった。幸いにして、1番近くのスーパーにあってよかった。

ところで、『ほうとう』でネット検索してみたところ、由来と調理法は新田の庄の中の由来から調理方法が一番もっともらしかった。
あと、この『あばれほうとう』にだけ限る話題ならば、健全堕落の【鍋料理考】2001.11.29とかはくばくを応援し隊!なんかは、個人的には楽しく読めた。

水炊きやすき焼き、豚汁など、具沢山料理ってたくさんある。だけど、具沢山料理の中でも私のお気に入りはやはり『ほうとう』なのだ。うどんが好きな人だったら、まず大丈夫であろう。

『ほうとう』には何があっても、かぼちゃは忘れてはいけない。他に私が必ず入れるのは白菜、玉ねぎ、大根、にんじん、しめじ、長ねぎ、鶏肉、油揚げだ。実は私、じゃがいもとかたる芋とか里芋とかを汁物にするのは苦手で。だけど、同じ穀物でもかぼちゃとさつまいもは平気なんだよねえ。だから、私は『ほうとう』にはじゃがいもや里芋は入れないが、うちの母なんかは好きみたいでよく入れてるので、平気な人には栄養価のことも考えると入れることはとってもオススメ。

で、私の『ほうとう』調理法なのだが、『あばれほうとう』の袋に書いてある作り方は半分しか参考にしていない、おおざっぱなものだ。
とりあえず、湯の分量は書いてあるものより50ccくらい多めにして、鍋で湯が沸いたら適当に切った野菜を全部投げ入れ、野菜類がやわらかくなったら麺を入れ、麺がやわらかくなったら付属のスープを入れて、少し煮込んで出来上がり。
ただ、この作り方だと、かぼちゃの原型があまりなくなる。私はラーメンやうどんの汁は残すが、『ほうとう』だけは全部飲み干してしまうので、溶けたかぼちゃの甘味がおいしいので好きなのだ。溶けた穀類ほど嫌なものはないという人は、ご自分でかぼちゃや里芋の投入時間を調節するといいと思う。
ちなみの私の彼は長ねぎが苦手なので、彼がいるときはねぎ抜きだ。あと、まいたけは残念ながら佐々木(仮)では不評だった。

とにかく、分かってもらえたとは思うが、技術はいらない料理なのだ。要は、どれだけ具を入れるかだけで。
簡単で、消化もよく、身体も温まるし、栄養もあるという、1度にたくさん得ある素敵なお料理『ほうとう』。
どうぞあなたも、お試しあれ。


※なお、(株)はくばくから賄賂はもらっておりません。もらっているのは、しあわせです。


2002年09月24日(火) 書けない理由

理由って、どんな理由なんだろう?

母子健康手帳を交付する際、お母さん自身の名前はもちろんのこと、お父さんに当たる人の名前も書いてもらっている。
だけど、時々いるのだ。お父さんの欄が空欄の人が。

理由を尋ねると、大半の人が「まだ、籍入れてないんで苗字が違うんですが・・・」と答える。(『籍を入れる』という表現についてはここでは言及しないでおく。)
まったくもって、婚前妊娠が多い。妊娠しなければ結婚しない気だったんだろうか?そんなことを考えながらも、「それでも構わないから書いておいてくださいねー」と笑顔。そして、「いつ届けを出す予定なの?」等、さりげなく尋ねてみたりする。

でも、時々いる。

「理由があって書けないんです」

という人が。
この手の人に、若い妊婦はいない。若くても20代後半だ。手に職を持っている人が多く、社会的地位がある。それでも、名を明かせぬ相手の子を身ごもり。

「相手の人は、知っているの?」首を横に振られる。
「産休中、働かなくても大丈夫なだけの蓄えはあるの?」首を縦に振られる。

不倫の末の妊娠なのか、それとも相手に経済力・人柄等に欠如しているところがあるのか。
それはわからないけれど。

でも、堂々と不倫関係の相手の名を書いてくる人もたまにはいて。苗字が異なっていることにも臆せず、「相手の奥さんは今回の妊娠知っていますから」なんて、聞いてもいないのに言われたり。

男女の仲って、複雑すぎ。


2002年09月23日(月) トキごときに負けるなんて

『トキは目つきの悪い鳥でした・・・私も負けてはいられません』

というメールを、思わず彼に送ってしまうようなところへ行って来た。3連休を使って、ちょっと佐渡まで。

トキ「ミドリ」が平成7年4月に天に召されて以来、なんとなくトキの話題とは疎遠になっていた。絶滅の危機に瀕している動植物はたくさんあるわけで、特にトキと密な土地に住んでいたわけではなかったので、私にとってはあまり興味のない鳥であったからだろう。
だが今回、機会があって、初めて佐渡に渡った。なので、せっかくだからと定期観光バスに乗って、トキ保護センターに行ってみたのだ。
そこで、私はトキと初対面。

一時は本当に絶滅しかけていたようだが、中国から応援に来たトキたちに支えられ、センター内でぬくぬくとトキは増えていた。
だが、檻の中で過ごす彼らを見ると、なんだか動作は鈍いし、飛ぶ姿も重そうだった・・・昔は焼き鳥になり、人々の貴重な蛋白源とされていたという話を新潟県民から聞いてはいたが、捉えやすそうなのでそれも仕方がなかったのだと思う。それなりに図体でかいし、食べるところもたくさんあっただろう。
本当に、いくらセンター内育ちで敵から身を守る術をよく分かっていないとはいえ、あそこまでぼんやりしているのはどうかと思う。

で、そんなトキだが、何度も言うように、目つきがひどく悪かった。
『トキサブレ』『トキのたまご』・・・どっかで見たようなものが多かったが、それはきっと私の気のせいだ。とにかく、お菓子やぬいぐるみのイラストはかわいらしく描かれているトキが多いのだが、実際のあいつらの目つきといったら・・・
普段からつり目で、「怒るとさらにつり上がって怖さが増す」と彼が称する私が、「ま、負けてる?」と思ってしまうような顔だった、トキ。

『変なところで対抗意識燃やすなあ〜!』と彼にいさめられたが、何だかくやしいもんはくやしかった。でも、「負けてる?」と思った時点で、間違いなく勝敗は決まっていたのだ。

私はトキに負けた。


2002年09月20日(金) 神戸しあわせデート

観覧車でチュウしないカップルなんて嫌だ。

1年7ヶ月ぶりに、神戸に行った。神戸は私と彼の思い出の地だ。付き合うことになってから初めて行った場所なのだ。
だけど、初めて泊まったホテルは高級すぎたので、私には再びそのホテルに泊まる気にはなれず、ブティックホテルを所望したのだが。

彼の車で大阪から神戸に走り、モザイクに行った。モザイクは想像していたよりも広くて、きれいだった。
お昼ご飯はステーキ屋さん。自炊の多いひとり暮らしだと、ステーキなんてあまり食べない。だから、久々においしかった。顎の調子もよかったんで、彼とにこにこ笑いながら食べた。

で、その後ぶらぶらショッピング街を歩いていたところで、『観音屋』の看板を発見。
「あああああああ!」
と叫んだのは私。昔読んだ小説の中に、この『観音屋』の本店が出ていたのだ。チーズケーキのおいしいお店として、私の気になるお店のひとつだったのだが、神戸にまで食べに行く機会なんてないわ〜、とすっかり忘れていた。
「ここでおやつ」
とねだり、ふたりでチーズケーキを頼んだ。お店の中はカップルだらけだった。私たちは「あそこのカップルも年はなれてそう」とか「あれは中学生かなあ?」などと観察してみた。でも、やっぱり私たちが一番年の離れたカップルのようだった。

私はキューピーのお店でガーゼハンカチを、彼は皮細工の車用のキーホルダーを、購入してみたりした。人ごみであることをいいことにぺったりくっついてみたりもした。

夜は夜で、カップル券を買って観覧車に乗った。小さい観覧車だったけれど、ああだこうだと夜景を指差しながら楽しんだ。
観覧車のてっぺん辺りで、「チュウしよ」と私が彼に詰め寄った。「うん」と私たちはチュウをした。何度もした。で、顔の角度を変えたら・・・隣の観覧車の中が見えた。隣の観覧車でもチュウしていた。男の人とチュウしてる女の人と、やっぱり彼とチュウしている私の目が合った。
「・・・・・・・・・・・」
彼には観覧車を降りてから報告してみた。彼は「観覧車に乗ってしないカップルの方がおかしいやろ」と言った。

それから、ブティックホテルに向かったのだが、彼の運転の荒さに閉口した私と彼がケンカをして、危うく別れになりかねない事態に陥った。だけど、やはり彼が折れ、私たちのお付き合いは続行ということになった。

やっぱりおいしくて楽しかったな、神戸。


2002年09月19日(木) 大阪しあわせデート

彼がいて、楽しいものが見られて、おいしいものが食べられる。
それが私のしあわせ。

先週、初めて大阪・天王寺動物園に行った。私が通天閣に行きたいと言ったから、そのついでに寄ったのだ。
天王寺動物園はかなり楽しめた。園にいる動物は、ほぼ制覇したと思う。
動物園を見た後は公園でぶらぶらしたのだけれど、池や噴水があるため蚊が多くて、座って話すどころじゃなかったのでひたすらお散歩だった。

大阪で生まれ育って39年だった彼は、通天閣は生まれて初めて登ると言っていた。近くにあればあるほどわざわざ来ないという、典型的な例だ。私も東京生まれの東京育ちだが、東京タワーには昨年、彼と行ったのが初めてだった。
通天閣の周囲のビルには、通天閣を意識したものがいくつかあって、その看板を見るだけでも楽しかった。

お昼ご飯は『づぼらや』(私ずっと、『つぼらや』だと思ってた・・・)でふぐコロッケを食べた。お皿に3つ乗ってたんだけど、3つ目に箸を入れる頃にはちょっと飽きてきていた。だけど、ふぐサラダはおいしかった。

「お前はどこに行っても何食べてても幸せそうな顔してるなあ」と彼はしみじみ呟いた。
「一緒にいるだけで幸せなんだよ」と答えた私に、彼はうれしそうな顔を見せた。

そのあと、アミューズメントパークに行って、コインゲームをした。私はあまりゲームセンターに足を向けないし、彼も連れがいないとほとんど行かないということで、ふたりして新しいゲームにかなり悪戦苦闘しながらも楽しんでみた。

それから、道頓堀に行った。これまた私のリクエスト。道頓堀の『かに道楽』に行きたかったのだ。東京にだって『かに道楽』はあるが、やっぱり道頓堀のお店に行ってみたかった。道頓堀の周囲は、TVや雑誌で見るのと同じでうれしかった。

『かに道楽』で一番おいしかったのは、『焼きがに』。食の好みがあまり合わない彼と私が、ふたりして賞賛。甘くてむにゅっとしてて、とってもよかった。

で、『かに道楽』を出てからコンビニに入り、私たちはホテル街に消えてみた。

手はずっと繋いでいて、人気さえなくなればどちらからともなくキスをする。
大阪デートは、そんな感じだった。


2002年09月18日(水) 心の思いが声に出せない

声が出ない。

昨晩、彼の元からうちに帰ってきた。トータルすればデートは楽しかったけど、実際のところ、色々あって疲れた。
それにしても、やっぱり季節の変わり目の旅行っていかん。一昨日から喉の奥が痛むような・・・って思っていたら、やっぱり昨日からくしゃみと水鼻が止まらない。今朝なんて、喉が痛すぎて声が出せない。今日から仕事開始なのに・・・耳鼻咽喉科関係、弱すぎで悲しい。

でも、私の声が出ないことなんかより、大変なことがあった。
彼のお父さんは60代後半なのだけれど、7年位前に脳梗塞で倒れて、以来ちょっと右麻痺が身体に少し残る生活を送っていた。だけど、最近になって足腰が弱まり、とうとう一昨日には呂律が回らなくなってしまった。一昨日、彼の家に泊まりに行って発覚。
声が、ほとんど聞き取れないのだ。家族なら、長年一緒にいたので勘も働くし、それなりにどんな人柄だかわかっているので何を言っているかは大体分かるものだ。けれど、私のように赤の他人だと、簡単な会話しかできない。しかし、会話の細部は分からないけれど。
しかも、幸か不幸か、他人の言っていることは分かるのだ。お母さんの話によると、テレビ見て笑ったり、「これ?」と聞いて頷く程度の会話はすんなりできるという。

彼とお父さんは、あまり仲がいいとは言えない。端から見ていると、同族嫌悪に近いものがあるのかなあ、なんて思うのだけれど。
けれど、それは家族間の甘えみたいなものがある当たり方だ。だから、彼ははっきりと目に見えて弱っていく親の姿に、ショックを受けたようだった。
いつもは「あのしょーもないじじい」と称していたお父さんに、「あんなにしゃべるのが好きな奴がしゃべられないなんて、かわいそうだ」と言った。

その晩は、やけに思い出話が多かった。彼が知っている限りのお父さんの生い立ちを話してくれた。お父さんとの思い出を話してくれた。私は、彼の膝に自分の手を添えた。人を慰める術のひとつとして、アタッチメントの有効性は知っていたから。

「もう、先は長くないかもしれないなあ・・・」呟いた彼の目が、潤んでいた。だから私は、泣き出してしまった。
私が先に泣いたら、彼は泣けないかもしれないと思いながらも、私の涙腺の方はギブアップしてしまった。
「奎佐、俺の親父のことで泣かせてごめんなあ。ありがとな」
私は彼に、かえって気を使わせてしまった。

結局、次の日病院に行ったら、お父さんは入院することになった。とりあえず病院には彼のお母さんが一緒に行ってくれたので、彼とは1日一緒にいられたのだけど。

心に色んな思いが溜まっても、それを声に出して伝えることができない。
それって、とっても悲しくてさみしいこと。
伝えたいことを伝えたいときには、もうその相手がいなくなっていることもあって。

素直になるタイミングを逸してはダメと、本当は彼に伝えたいのだけれど。それを一番よく知っているのは、彼自身なのかもしれない。

私は自分の風邪を早く治して、彼の精神的フォローに回らなくてはならない。


2002年09月13日(金) 彼らは一体、何と出会ったんだろう?

鉄拳食らわすか頭突きするか、それが問題だ。

どう考えても『出会い系サイト』のせいで仕事が増えているので、自分の『出会い』までもを憎々しく思ってしまった・・・いかんいかん。心に余裕がないからだな、こんな風に考えてしまうのは。
でもまさか、巷で話題の『出会い系サイト』の諸問題が、己の仕事に直に影響してくるなんて考えてなかったよ。というか、よく考えれば影響大に決まってたのだけれど。

別に、エッチ目的で男女が出会ったっていいんですよ。性感染症広めたり、望まない妊娠とかケガしなければ、快楽に忠実に生きていたっていいんです。夏の火遊びだって、個人の権利ですよ、自由ですよ。そこに金銭のやり取りがあったってなんだって、私、他人事なんで本当にどうでもいいんです。
でもね、何にも考えずに性生活を営むって、超無責任なことなのよ。未成年同士だったら、結局は親に負担かかるだけ。セックスって失敗したときのリスクを考えると、大人の遊びといえますでしょう。性感染症、中絶、出産、育児。みんな金と人生かかるわな。

母16歳高校中退、父20歳会社員。
妊娠31週時、激しいセックスしたため早期破水。
救急車で病院に運ばれ、緊急帝王切開。
低体重出生児。

未婚の母22歳大学中退、相手の男20歳大学生。
学生生活中の妊娠発覚により、母動揺し、精神分裂病発症。
籍入れず、児の父なる男とは縁を切り、母児共に母方実家で暮らす予定。
出産間近。

この子どもをもうけた男女の出会いは、『出会い系サイト』なんだ。欲しくてもできない夫婦もいるというのに、どうよ、欲しくなかったのにできちゃったこのカップルたち。この母になった少女たちは、そろいにそろって私の担当地域の若者たちよ。
いや、もういいんだけどさ。
いいよ、いいよ、もういいよ。

母の自覚を持たせるための指導してこなけりゃならないし、自覚なくても子どもの面倒だけは見てもらわなくちゃならないし。なんせ、母が若いってことはその親も若いってことで、仕事している人が多いからねえ・・・あんまり手を期待できない。
それに、この先も同じこと繰り返しかねないから、家族計画・・・いや、性教育もしてこなくちゃいけない。

しかも、学校で教えるよりは少しは詳しい感じの性教育をしたって聞き入れられやしないんだから、具体的に例と見本と写真を出して見せながら、これでもかっていうような保健指導してきますよ。やりすぎる感があるくらいでいいんです。男の言いなりだったんだか、知識がなかったんだか、自分だけは大丈夫って自信があったのか、その辺はよくわからんこの少女たちには。

まあ、どの程度効き目があるのかは不明ですが。はっきり言って、何かのきっかけがないと人は開眼・改心・行動変容しないものですよ。いっくら周りがとやかく言ったって、自分の中の考えが変わらない限り無理。だけど、妊娠して出産しちゃっても、己の状況を知ることのできない人たちってなんなんかな・・・すでに、価値観の相違をどうにかしながら近づく術から考えなければならないのよね。

父となった少年たちは、私の管轄地域に住んでないんで、仕方ないですがそのまま野放しです。また同じようなことが起こるかもしれませんが、そういう奴を育てた環境と、それを正す道がないことを恨む方向で。・・・こんな奴ら放置しておいたら、他少女が妊娠したりして、他保健師がまた介入することになって、結局は同業者の仕事を増やすことになってしまうかもしれんが。

まったくもう、にっくき『出会い系サイト』。
私の仕事を減らすためには、まず手始めに、無節操に種を撒き散らす馬鹿男を捕まえ、ひとりひとり潰していくしかありません。そのために、私もそういう馬鹿男と出会うために『出会い系サイト』に登録しなけりゃなりませんな。

『当方、神奈川県に住む24歳、 医療系のお仕事しています♪ 彼とは遠距離恋愛中なんで、ちょっとココロもカラダも欲求不満気味なの☆だから、大人の付き合いのできる方を探していまーす♪(以下略)』

なんて感じの出会い系サイト登録者を見たら、みなさまお気をつけなすってね。待ち合わせた場所に、バットやバールを持った女性が現れちゃうかもしれないから。だからって、それが私とは限らないけれど。誤認逮捕だけは勘弁願いたい。

そんなこんなで、今晩より、チャットカテゴリ『出会い』で出会った1年9ヶ月越しのお付き合いになる我が彼氏に会ってきます。万が一、山中に埋められたら、それもそれで自己責任下の事故ということで。

いってまいります。


2002年09月12日(木) ある市民窓口戸籍係美人受付嬢の呟き

それは、昼下がりのことだった。

昨日は研修だったので、同期みんなと顔合わせだった。

「私、気になることがあるの」と彼女は言った。

某市職員で、スーツにハイヒールで街を颯爽と闊歩する、なかなかきれいなお姉さんな彼女は、私の同期。某市役所市民窓口受付嬢(戸籍係)。

「『宇多田ヒカル、入籍!』っていうのは、実は間違いなんよね」

「え?」と彼女を見返したのは、戸籍に関係のないお仕事についていた他課の私たち。

「私も勤めるまで知らなかったんだけど、『入籍』と結婚する『婚姻』て、全然別物なんだよ。だから、芸能人のスクープとか会見のマスコミの報道する『入籍』って、いつから始まったことだか知らないけど、正しくないんだ」

と、彼女は語りだした。

「結婚するときに出す届は『婚姻届』でね、決して『入籍届』ではないの。でも、『入籍』って言葉がないわけではなくてね、『入籍届』っていうのもちゃんとあるのよ。『入籍』は離婚して妻が夫の姓から抜けて、自分の戸籍を作ってね、子どもを夫のから妻のに入れ替えることで・・・」

私たちの質問が間々に入ったので、彼女の話はこの後少々長くなってしまったのだが、結論的には、

「夫婦が離婚するなどした場合、母が親権を取った場合、子どもを父の籍から母の籍に入れ直すこと = 入籍」
「男女が結婚した場合 = 婚姻」

と、いうことであった。
やだわ、じゃあ、ちょっとみんな、愛し合っている者同士の養子縁組ならまだしも、婚姻だと『入籍』じゃなかったつうことじゃないか。

で、世の中の人はどうなんじゃろと、何となく己らの無知さ加減がどの程度なのか気になって、お家に帰って懸命にネット検索してみたところ、やはり、同じことについて書いている★元市民課職員の危ない話★WOM道浦俊彦/とっておきの話のページがあった。
やっぱり勘違い、というか知らない人多かったんだなあ。よかった。

本当、マスコミで頻繁に『入籍』と使われているものだから、正しい用語なのかと思って使っていた。だけど、専門的にはまったく別物だったんだねえ。ひとつ賢くなったよ。
知っている人から見れば、おかしな使用法だったんだねえ。そりゃ、目にするたび、耳にするたび、気になるわな。「ちが〜う!」って突っ込んじゃいますわな。
だけど、こんだけ世で使われているってことは、『入籍』=『婚姻』って認められているってことなのかなあ。俗語、みたいなもの? 俗語かあ・・・

そんなわけで、これからは私は彼女らに習い、『入籍』は正しく使っていきたいと思う。だから、先日の日記の『入籍』という記述は、誤った使用例のひとつということで。
では。


2002年09月11日(水) 女性には大好評!・・・だけど

人生、『前向き』が大事なんよね。

4月にはロングだった髪を、7月、9月と私にしては珍しく間を置かずに切り、どこからどう見てもショートカットの女になった。
お陰で同期の男性陣の間では、まことしなやかに「佐々木奎佐、二股の果てに両方に失恋か?」といううわさも出ていたようだが、生憎、私、そんな理由じゃ髪は切らない。だって、私の髪の毛はあくまで私の髪の毛だもん。男のひとりやふたりの存在に左右されてたまるかい。
しかし、一体いつ頃から「失恋した女は髪を切る」なんて話が出始めたんだろう? いまどき、失恋くらいで「気分転換に」なんて髪の毛切るか? ・・・いや、でも失恋して手首切る人もいるわけだから、いたっておかしくないか。むう。

同期の女性陣にも、同僚のお姉さんたちにも、担当地区のお母さんたちにも、大好評な我が髪形。

「よく似合ってるよー」
「ボーイッシュでかわいいかわいい」
「ずいぶん切ったんですねえ。もったいないけど、よく似合ってますよ〜」
「短くなったら、髪のきれいな黒が際立つようになったね」

ありがとう、みなさま。どうも、ありがとう。
だけどね、私も一応、妙齢のオトメなんで、異性から誉められたいよ・・・。
髪切ってから私が聞いた唯一の異性のコメントって、「二股かけているようには見えない」だったし・・・でも、時として異性よりシビアな意見をくれる同性にあれだけ好評なら、いいのかな。だったら、

きっと男性陣は雰囲気がガラリと変わった私をまぶしく思って何も言えないのね!

そう思って強く生きていきていこうと思います。


2002年09月10日(火) 君だけに愛を

たったひとりの人に想いを捧げるというのは、とっても難しいことなのではないかと最近思う。他の人の日記を見ていても、ふたりの人にそれぞれ想いをぶつけている人が少なくなくて。
意志が弱いのは私だけじゃないと、変な安心感を得たりして。だけどそれは、間違った安心感だとは理解している。

ついこの間までは、私は唯一人を愛する恋愛をしていた。中学校時代も、高校時代も、大学時代も、いつも私はひとりの人だけを見ていた。他の人に見向きもしなかった。好意を告白されても、きっぱりはっきり断っていた。
なのに、どうしようもないほど好きになった、はじめて身体を捧げた相手と付き合っていながら、他の人のアプローチに応えてしまった。しかも、後悔すると初めから分かっていながら、身体を開いた。

私の身体は、好奇心と見えない快楽の扉に背を押され、近づいてはいけない淵に容易く落ちてしまった。だけど、気持ちは落ちなかった。心は傾ぐことなく、なのに身体は受け入れることができた。
気持ちがそれなりでも付き合えるなんて、身体はなんて簡単な構造をしているんだろう。性と言われればそれまでだが、快楽なんて特に感じなくても人はセックスできることを身をもって知り、我に返り、動物じみた自分の行動にひどく悲しくなった。理性なんかなければ、こんな気持ちにならずに済んだのに。
意を決して飛び込んだ先にあったものは、開放感ではなく、ただただ、苦い思いだけで。

快楽を感じていたら、罪悪感を感じなかったんだろうか? 楽しいだけの、いい思い出になっていたんだろうか?

愛は、あなただけに捧げているというのに。
それでもなお、彼と切れていない事実はあって。実際に会っていなくても、愛を囁き合うようなメールをやり取りしていなくても、これは私だけを見てくれているあなたに対する裏切り行為だと、私は感じている。
恋愛対象というよりも性の対象として私を見ているだろう彼にさえも、悪いことをしていると思っている。

誠実な自分に戻れるまで、もう少し自分と話し合いたいと思う。


2002年09月09日(月) 私の彼は犯罪者?

私の彼は犯罪者なんですか?

以前にも触れたような気がするが、彼の元嫁さんは7歳年下だった。元彼女は11歳年下だった。今回、私、15ときに16歳年下だ。
私も成人しているのに、一回り以上年齢が違うというだけで、彼は『犯罪者』呼ばわりされてしまう。私と彼が出会ったチャット内でも言われ、私の友人たちにも言われ、彼の同僚にまで言われた。何度かお会いしている彼のご両親だって、口にこそ出さなくても何か思っているかもしれない。
先週の土曜日、彼の人生の中で一番長い連れであるT氏と彼はふたりで飲みに行き、とうとう私とのことを告白したところ、やはり例外なく「犯罪やな」と言われたらしい。
その晩、私たちはメッセンジャーで会話したのだが、彼はかなり凹んでいた。かわいそうに。

「うらやましい」「よくやりやがったな、こいつ」等の羨望や嫉妬の気持ちが「犯罪」という言葉に結びついてしまうのだろうけど。
児童福祉法淫行、強姦、強制ワイセツ、買春、売春、恐喝、結婚詐欺、不倫。もろもろ罪はある。だけど、私たち、どれにも引っかかってないじゃん・・・。なのに、15歳年が離れているだけで「犯罪」。恋愛しているだけで「犯罪」になってしまうなんて、それこそおかしい。ハート泥棒? それこそ恋をしている人はみんなハート奪われてるよなあ。なんだっていうんだよ、もう。人聞き悪いったらありゃしない。

「俺まだなあ、時々、奎佐(仮名)がかわいそうになる」と彼は言う。「何で?」と尋ねると、「こんなおっさんのこと好きになって、一緒になろうっていうんやで? 一緒になったら大変なの分かってるのに」と答える。
誰かと付き合うのは、それなりのリスクを抱えるもんだと思う。年齢が近くても収入に不安のある人もいるし、病気持ちの人はいるし、浮気癖のある人もいるし、暴力的な人もいるし。私たちだって、たまたま年が離れてただけじゃないか。
そもそも、彼には私を好きだという気持ちも付き合う気持ちもなかったのに、私が一方的に惚れて、一生懸命アプローチして、今の状態があるのだ。相思相愛という。だから、彼の眼中にはなかった幼い私に目を向けさせたのは、私の努力なのだ。

でも彼だって、若いのと付き合っているからってメリットばかりじゃない。見た目を気にしちゃうし、いつどこにいかれちゃうかって不安を持ってるし、何より、こんなにずぼらな女だとは思っていなかったと思う。私、肩書きだけは立派で女の職業についているけど、己の身の回りのことになるとないがしろ傾向だもんなあ。あははははは。

だから、年が離れてるくらいじゃ、「犯罪」なんかじゃないと思うんだけど・・・


2002年09月08日(日) トイレットトレーニングの名残

私は、トイレに行くときには「おしっこ」「うんち」と必ず申告してしまいます。(神奈川県在住、24歳、女性)

トイレットトレーニングって、誰しもが通る道だ。そりゃ、幼少時から麻痺などの障害があればできないけれども、それは仕方がない。けれど、その以外の人は必ずトイレットトレーニングをしている。

始めるなら1歳半くらいからで、3歳前くらいに終わっていることが理想とされているトイレットトレーニング。
それより早く始めたって、子どもに「おしっこしたいと思ったら『おしっこ』とか『ちー』って言ってね?」って親の言葉がわかるかなあ。聡い子も中に入るかもしれないが、そんな、言葉を発することを憶えたばかりの頃に意味を十分理解することは無理であろう。
本格的にトレーニングを始めるまでは、根気強くオムツ替えるときに、「おしっこいっぱいでたね。気持ちよかったね。きれいきれいしようね」「きれいきれいしてきもちよくなったんね。さっぱりだね」と声かけしてにっこり笑ってあげるくらいのもんでよろしいよ。ひとりで立てるようになったからって、おまるに座らせたって、早々うまくいきませんて。ねえ?

そして、次のステップはオムツ内で排泄したことを自己申告できるように教えることだ。「おしっこかうんちでたら、教えてね?」と伝える。できたらほめる。これでもかってくらい、過剰に誉める。できなくてもしからない。(そうだ、この時期に余裕があるようだったら、排泄した時間を大体控えておくとよいかもしれない。次のステップで使えるので。)

で、それが申告できるようになったら「今度は出るかな、って思ったら教えてね?」と伝える。それと同時に、時間を見計らって子どもをおまるに座らせてあげるといい。おまるで排泄できたら「気持ちよかったね。上手にできたね!」とこれまた、すっきり爽快感をアピールしながら誉める。

これを親がゆったりした気分で続けていけば、憶えますよ、子どもは。だって、トイレットトレーニングって、刷り込みみたいなものだもの。毎日毎日やってれば、どうにかなる。だけど、あんまり親が熱心にやりすぎると、子どもがトイレを嫌がるのでご注意。何事もゆったりのったり広い心でどっしりと。・・・他人事だからの意見じゃないんだが。

でも、最近3歳過ぎてもオムツが取れていない子が多くなったと、そういう保育園・幼稚園関係者の声もある。思えば、最近のオムツはすごい進化しちゃってて、快適なんだよね。だから、オムツ内で排泄しちゃっても、気持ち悪さとか感じにくかったり、オムツかぶれもあまり起らなかったりするんだよね。
ふう。

で、私のことなんですが、私、家族内では必ず、行く前に「おしっこ」「うんち」と言い、出たら出たで「すっきりした」「いっぱい出た」と申告していた。最近じゃ、彼の前でも言っていた。・・・それに気付いたときの驚愕感といったら・・・仕事でトイレットトレーニングがうまく行かないって相談受けたときにアドバイスしていて気付いたんですわな。嗚呼。
というか、言い出したのが付き合い始めのまだ恥じらいある時期からだったんで、彼も最初はちょっとビックリしたらしいんですが、短期間でもそれだけの仲になったのかと思ってうれしくなったと・・・あんたバカよ。

私には、20年以上も前に終わっていたトイレットトレーニングの名残が、未だあったみたいで。今年で25歳になる女がこれでいいんかい・・・

刷り込みって恐ろしい。


2002年09月07日(土) 結婚したっていいじゃない

宇多田ヒカル、15歳年上の男性と入籍。

このニュースが流れたとき、私は某デパートの食堂にいた。食券を間違えて購入してしまい、食べようと思った煮魚定職でなく甘すぎるハヤシライスを食しているときだった。ニュース速報の「ピンコン☆ピンコン」という音がテレビから聞こえてきたので顔を上げたら、このニュース速報だった。そのときはただ、「宇多田ヒカル、結婚」しか分からなかったのだけれど。

年の差カップルって、入籍未入籍離婚を問わずだったらいっぱいいる。私がソラで思い出せる限りでは、安達祐実だって安室奈美恵だって吉川ひなのだって、みんな年の差カップルだ(った)。
だけど、若年入籍って、どうにもこうにも別れがち。長く続いている年の差カップルはまれだ、最近。
だけど、誰かを好きになる気持ちは自分でも止められないもの。

佐々木奎佐、15歳、ときに16歳年上の男性と入籍。

もうこれでもいいと思う・・・あれ? いいのか、自分?!
芸能活動をしている人の中にあれだけ年の離れた人と恋愛している人がいるってことは、その辺で日常生活を営んでいる人たちの中にもそういう人たちがいるってことだと思う。だって、芸能活動をしている人が、感覚的に特別だってことはないわけで。しかし。いいのだろうか。うーん。

ちょっと宇多田ヒカルのお相手の年齢と電撃入籍にびっくりして、昨夜から思考が狂い気味。



余談ですが、うちの彼が言ったんです。
「こうなると、あの入院・手術は、妊娠だったのかと思ってしまう」と。
私もそう言われてふと、子宮外妊娠とかを考えてしまいました。


2002年09月06日(金) 激昂した夫、泣き出した妻、ケンカの後は・・・

ガチャーンッ・・・と、ガラスの割れる音が闇の中、響き渡った。

昨晩22時前後、男の人の怒鳴り声がして、次いでガラスの割れる音、物を落とす音が聞こえた。あらあら、何事よ?と、すぐに耳を澄ましてしまった私。女の人の「やめてよ!」って悲鳴が上がった。
窓の外から聞こえる会話をよく聞いてみると、真下のお部屋のご夫婦が、けんかし始めたようだった。暑いので、私も窓を開け放しだったが、下のお宅も窓開放状態のようだった。
5月下旬から今のアパートに住んでいるが、私の知る限りでは下のご夫婦がけんかする場面は初めてのことで、私は窓の傍にいざり、そこで息を詰めてじっと座り込んだ。
このご夫婦はとっても若い。成人はしていそうだけれど、私とそんなに変わらない感じだ。そして、1歳に満たないお子さんがいる。それくらいしか知らない一家だったのだけれど。

怒鳴り声が聞こえたそのとき、私は鏡に向かって舌を出したりしていた。切ったばかりの髪形に慣れず、鏡を見て髪型の確認していたのだ。自分の世界に没頭していたのだ。だから、ガラスの割れる鋭い音にめちゃめちゃビックリして、かなら大きくビクッと身体を震わせてしまった。あやうく舌を噛んでしまうところだった。
ご夫婦間の赤ちゃんは、やはりその音に泣き始めた。私も乳児だったら、間違いなく泣いていただろうと思う。

最初は旦那さんが怒っていた。「お前が聞いてないから」とか言って怒っていた。ところが、このひと言から形勢逆転。奥さん、「『お前』って言わないでよ!!!」と猛反撃開始。まさに、逆切れか、って勢いで言葉が出る出る・・・。そのうちに、赤ちゃんの泣き声も旦那さんの声も聞こえなくなり、奥さんの声だけが聞こえ、それが次第に涙混じりの声になってきた。
「×ちゃん(旦那の名前らしい)のことが心配だから、言ってんじゃん・・・具合悪いのに仕事行って、結局悪化してんじゃん・・・私は止めたのに」
どうやら、旦那のことを気遣った妻心と、家庭を支えようとする夫心がすれ違ってしまった結果のけんかのよう。
それから、奥さんの声が嗚咽になった。旦那さんは泣き出した奥さんに何か声を変えているようだったが、その声は小さくて聞き取れなかった。
そのうち、窓の閉まる音がした。もう、何の音も聞こえなかった。

怒鳴り声から無音になるまで、約15分。
犬も食わない夫婦喧嘩はすぐに終結を迎え、なんだか消化不良に残された私は、早々に寝ることを選んだ。

なんでけんかの後すぐに窓を閉めたのかなんてこと、私、考えない。


2002年09月05日(木) 彼がいいと言うならいいか、と納得してしまう私

またもばっさり、髪を切ってみた。前回、彼がよかったと言ってくれた、肩口につくかつかないかくらいの長さが、2ヶ月足らずでずるずるまた伸びてきてしまったのだ。髪の毛って気付くと伸びてるもの。もう、楽に結べる長さになっててびっくりした。だから、「えいやっ」と切りに行ってみた。

でも、私は「えいやっ」て切るつもりでも、ショートカットにするつもりはなかった。前回と同じ髪切屋のスタイリストのお兄さまには、「昔、ショートカットにしたことあるんですが似合わなかったんで、ショートカット以外で」と、ちゃんとお伝えしてあった。今回はただ、「肩につかない程度に切ってください」って注文しただけだった。
なのに。
どっからどう見ても、ショートカット以外の名で呼べぬ頭になっていた。

ちょっとうたた寝してしまった私が悪いんでしょうか?
それともなんだ、耳が出てなきゃショートカットじゃないのか?

似合っているんだか似合っていないんだか、非常に微妙です。確かに、短大時代のショートカットよりは似合っている。だからって、「似合っている」とは言い切れない。自分がショートの自分に慣れていないせいなのか、それとも本当にあんまりお世辞にも似合っているとはいえないのか、その辺は分からないが、でもやっぱり・・・。

彼にメールで『髪切ったんだけど、誰でしょね、これは』と報告したところ、『そんなに変わったの? 感じはどーなんじゃろ。楽しみ〜。髪切って雰囲気変わった奎佐(仮名)とのHもまた楽し』と返ってきた。
『切ったばかりだからか、な〜んかしっくりせんが・・・前よりかなり短い。ショートカットって感じ』と伝えると、『どんな感じか想像しとこっと。いいなぁ ショートカット。どちらかといえばショートの方が好きかも』と返ってきた。ショートカットが好きだなんて初耳。私、彼と付き合いだしてからずっとロングだったのに。このひと言で、私はもう、すべてをよしとしてみた。

なんて現金なんだ、私・・・自分が気に入るか否かの前に、彼の好みかどうかが問題だなんて。
だけど、現物見て「やっぱ似合わんな」と言われたら、凹んでもう、立ち直れなさそうな気がするな。わはははは。


2002年09月04日(水) 感性過敏期の注意事項

心の琴線を激しく、時にやさしく撫で上げられて涙することがある。涙しやすくなる時期がある。

どうやら私、現在、『感性過敏期』のようで、本を読んでも音楽聴いても、感動してしまう。

普段なら、「ふん、ふん」と軽く読める文章ひとつひとつに、いちいち細かく反応し、胸が苦しくなるほど感情移入してしまう。
音楽だって、歌詞をよく聞いてしまうと、メロディーと共に詞が心に染み込んできて、気付けば涙があふれていたりする。

非常に感性が敏感で、物事に過剰反応しやすいこの時期を私は『感性過敏期』と名づけている。
今なら恋愛ものでも家族愛ものでも、何でも泣ける感じだ。新聞の片隅にある介護体験記みたいなものでも泣ける。
だけど、共感して涙するだけでなく、笑いのツボも開けっぴろげで刺されやすい。どうにも笑いが止まらないこともある。なのに、不思議と、怒りの感情はない。

『感性過敏期』は、時々訪れる。大体にして、心が弱っているときに多い。『自分の時間を取らなくちゃ』と、忙しい中でも、どうにかして気分転換の時間を取らないと自分がもたないことを理解したときになりやすいようだ。確かに今、私は仕事が忙しくて、休日も予定がぎっちりで余裕のない生活だ。
潤いを求めて本を読んだら笑いが止まらなくなり、音楽を聴いたら胸が詰まるほど気に入った曲がエンドレス状態。

そういえば、この時期、気をつけなければいけないことがある。それは、他者に好意をもちやすくなり、目をひきつけられやすいので、なるべく人に近づかないようしなければいけないのだ。同性ならいいが、異性だとちょっとややこしいことになる。いつもと違う好意的な面を見てしまったら、自分にだけやさしくされたら、前からあった好意感情を恋愛感情にまで近づけてしまう可能盛大なのだ。だから、私は好きな人にしか近づかない。だけど、好きな人は遠くにいる。
そんなわけで、『感性過敏期』が治まるまでしばらく、私は殿方には迂闊には近づかない、近づけない日々になる。

今日から、殿方避けまくるキャンペーンを実施。


2002年09月03日(火) ずれていたのは・・・

やっと納得したような。

「芸能人で言えば、パパイヤ鈴木やキャインの天野くんみたいな男性が好み」と言えば、周囲の友人たちには賛同を得られず、「おっさん小デブ(こでぶ:背の高さに関係なく、BMI値でいくとちょっと太めに入る人の名称。決して、ただのデブではない)好きな奎佐」と変わり者扱いされていた私。

「16歳も年上のバツイチのおっさんを好きになるなんて、お前本当、ずれとるわ。趣味悪いわ」と何度も、1年9ヶ月付き合っている彼に言われる私。

ここ最近の『日記才人』『ReadMe!Japan』のアクセスランキング上位の方にいる人の日記を読んでみても、面白いと思えないことが多い私。

・・・そうか、私の方が世間様からずれていたのか。


2002年09月02日(月) 佐々木(仮)家の人々 〜 もう心の中では悲鳴を上げない

どうにもこうにも・・・

母に、もう時効だろうと思って、言ってしまった。大学の都合上、東北に行ってしまった妹が夏休み帰省中、小・中学校の友人たちと遊びまわっていた話をしていた折、私のことを聞かれたからだ。

「私は小・中学生時代、いじめられっ子だったから、友人いないんよ」

母は私から言われて、私には小・中学校時代からの友人がいないという事実にはじめて気づいたようだった。

「知らなかった・・・あんた、そんなことひと言も言わないから」

「・・・多分、学校に行けないほどつらいと思ってなかったのかも」

母は、私がいじめられっ子だったことに気づかなかったことに、ひどくショックを受けてしまったようだった。本当は、時効だなんて思わず、言わなければよかったのかもしれない。私は、母を傷つけてしまったかもしれない。けれど、当時の私は親にそれを悟られまいと、必死に明るく振舞い、学校に元気に通っていたのだ。幼いなりに色々なことを考え、親に心配かけまいと頑張った私の努力は報われていた。

登校拒否・引きこもり者が増加している昨今を思うと、何故自分が学校に通っていたのか分からない。
話す相手もおらず、何か失敗すれば嘲笑され、揶揄られ、靴や教科書を隠されたり、学校で1日誰共言葉を交わすことがなかったり。
それでも私は、バカみたいに学校に通った。誰に言うこともなく、「こんな幼稚な行為に屈するものか」とひたすら耐え、涙をこらえていた。

小学校の頃、私は非常におとなしい子だったので、いじめやすかったようだ。女の子の割合の方が多かったが、男の子にも嫌がらせはされた。だけど私は、誰に言いつけることもなく、いじめられたまま過ごしていた。
担任の先生は6年間中4年間同じ先生だったので、2人の先生に学んだのだが、共に勉学に長け、先生の言うことをよく聞く優等生タイプの生徒をかわいがる人たちだった。私のように、足し算引き算・九九をクラスで一番最後に覚えたような人間にはほとんど目をかけない人たちだった。というか、気がついても、それを黙殺してしまう人たちだったように今は思う。

中学校は、地域の関係上、2つの小学校が統合された。私の出身の小学校の同級生は誰一人として私と話そうとはしなかったが、もうひとつの小学校出身者とはそれなりにうまくやれた、最初は。
中学時期というのは、異性に関心が向き始める時期である。そんな中、もうひとつの小学校出身者で、サッカー少年で、割りと女子に人気のあった男の子が、私のことをタイプの女の子と言った。それがまた、はじまりだった。
その男の子を好きだった女の子がいて、それが出身小学校のいじめっ子たちの中心的存在の子だったのだ。中学校では、女の子にだけ嫌がらせをされた。男の子たちには、それなりに好かれていた。それもまた、いじめを助長する原因となったのだとは思う。


もう、あれから10年経った。あのとき傷ついた痛みは、とうに忘れた。あのときのように、息することさえ苦しくて死にたくなることも、自分を卑下することも、己を殺して生きようとすることも、人が恐くて眠れなくなることもなくなった。
あの、いじめられた経験は、私に色々なことを教えてくれた。人の醜い部分を教えてくれた。いじめる張本人もどうかと思うが、それを黙ってみている第3者も、結局はいじめる側に荷担しているということを、身をもって知った。

傷つく痛みを知った私は、高校に入り、いじめっ子になることもなく、またいじめの対象になることもなく、私は今日まで付き合いを続けている友人たちと出会った。冬は、必ず春になるのだ。

だから、あなたも決してあきらめないで。


2002年09月01日(日) from ウォ〜タ〜ボ〜イズ to 想い出

懐かしき、青春時代。

昨晩、TVで映画『ウォーターボーイズ』を放映していた。男の子たちのシンクロナイズドスイミング物語。
私、青春☆ちょっぴりコメディーな邦画のあの独特のノリが好きで、そういうのによく似合う役者、竹中直人なんて非常にツボな役者なのだ。

あの、微妙に細っこい水着の似合わぬ、でもある意味現実的な男の子たち。わけわからん能天気な女教師(こういうタイプの女教師に出会ったことある)。かわいい顔して力強い想い人。最初は厳しい顔をしていたのに、生徒たちの前に進む姿に納得させられ、最後は理解ある大人になる教師。アフロヘアの男子生徒(某アフロ推進サイトを思い出し、少し遠い眼)。釣堀の魚を持ってきたはずのなのに、何故か水族館勤務のおっさん。わざわざ男と話すときには眼鏡を取る隣の女子高の生徒会長・副会長・書記のお嬢さんたち。
いやあ、楽しかった。

というか、それだけの感想ではない。『ウォ〜タ〜ボ〜イズ』を見てしまったお蔭で、私、高校時代の記憶を思い出してしまった。しかも、恋愛がらみで。

実は私、水辺の生き物。泳ぐの大好きなのだ。間近でだったら泳ぐ姿を見るのも好き。だから、フォームのきれいな人を見ると、目も心も奪われがちだ。バスケットや剣道じゃダメなのだ。泳ぐ姿に惚れるのだ。

高校1年次、私は同じクラスの水泳部員、S水くんを好きだった。苗字まで『水』に関するものだなんて、もうまさに『水辺の生き物』。
でも、今思うと、あれは恋じゃなかったかもしれない。憧憬だったのかもしれない。ただ、普段の生活の中でも彼を見てしまったは、『あんな風に泳ぐ人がどんな生活をしているのか知りたい』と思っていたからかもしれない。
S水くんはそのうちに、同じ水泳部員で同じ学年の私と同名の『奎佐(仮名)』さんと付き合い出した。その『奎佐』さんは、私の中学からの親友と同じクラスだった。だけど、それを知ってもほとんど心動かされなかった記憶がある。本当に好きだったら、もうどうしようもないほど心が荒れていたと思う。
だけど、それとなく周囲には「S水くん好きかな〜」と言っていたので、私の気持ちとは裏腹に、えらく同情されたのを覚えている。ほとんど何のアプローチもしなかったのだから、それもしょうがないことだけど。

竹中直人の思い出といえば、『朱に交わればしゅらしゅしゅしゅ』と奥山和由バージョンの『RAMPO』だ。これは、S水くんの次に好きになった人との思い出にも繋がる。
高校の放送委員会の先輩だったI原が竹中直人好きで、上記の『朱に・・・』の本を貸してくれたり、映画に誘ってくれたりした。
この人とはのちに付き合うことになったのだが、それはまた、別のお話ということで。

映画自体も笑えて面白かったというのに、もうまろやかになった、当時は微妙に切なくて甘かった想いを思い出し、なんだか気分がよくなってしまった。

『ウォ〜タ〜ボ〜イズ』・・・やられたなあ。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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