人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年10月30日(水) はじめての相手

彼が私に執着してしまう理由がわかって、涙が出そうになった。

あの女、佐々木奎佐を絞め殺して、私も追って逝くか・・・とまで一瞬思ってが、自分を自分で殺める気か、それは自殺だ、私・・・とどこかちょっと冷静に突っ込んでみたりして。

何事も、「はじめて」って大切だと思う。だから、たった一度でも、そのたった一度が大切すぎて、なかなか忘れられないよね。下手すれば、一生忘れられないよね。

ごめんなさい。

「はじめての女」がこんなに不誠実な勝手な女で。

本当にごめんなさい。


2002年10月28日(月) 終わった恋だと思っていたのに

夏に燃え上がった恋も終わる、秋の終わり。

もう灰になっただろうなあと思っていたら、実はその下に実は火種がまだ隠れていたようで。火種は雨が降り落ち完全に消火する前に再び精力を持ち、燃え上がった。
そう、もはや恋とは言えぬ、執着にも近い強い想いの火種が。

浮気相手から数回来た「やり直せたら」の類のメールは、すべて無視していた。
そのうちに、メールがなくなり、これで今度こそもう、彼は私のことを忘れようと努力をはじめたのだろうと思った。

だけど、それは、違っていたようだ。

会えない時間が積もり重なるほど、私の『沈黙』という応答が続くほど、彼の中で炎は大きく燃え上がり。そして。恋から少しばかり遠いところへ想いは向かった。

『俺が奎佐以外の人とエッチしても何とも思わない?』と彼は一方的に問い掛けてきながら、最後には据え膳状態の他の女と寝ることよりも、反応なき私を選んだ。

「私の気持ちはもう、他の人に強く惹かれてしまった」と告げたというのに。


2002年10月26日(土) 失恋記念日

終わりなき恋慕。

恋には、両想いと片想いとがあって。私は生を受けてから、そのどちらも経験している。

ひたすらこちらから想うだけの一方通行の恋は、運のいいことに最近はなかった。だからといって、両想いが特別に素敵でいいことかというと、そうでもなくて。

最初から手に入らないなら入らないで分かっていながらも、それでも想い続けることの方が、本人にとって一番楽な道なのかもしれない。
手の内に入ったと一度確信してしまったら、その後、指の間からさらさらと相手の気持ちが落ちていったとしても、その事実は受け入れ難いものであろう。

好きになったことを後悔したくない。好かれたことを後悔したくない。

12年前の今日、私は初めて異性に『好き』と告白し、そして『気持ちを受けとめられない』と振られた。
そう、あれが、私の初めての恋だった。

今日はそんな、記念日。


2002年10月22日(火) エロチシズム・ミュージック【Eroticism Music】

エロチックでもエロティックでもエロティスズムでも、意味が同じならば何でもいいのだけれど。

ある特定の歌や曲を聴いていると、心の琴線に触れられるだけでなく、心の中の大事な部分までもをザラリと舐め上げられるような、そんな感覚を受けることがある。
そんなときは、強く激しく心をかき乱され、妖しく、苦しく、ざわめきざわめき・・・あちこちで感情の小爆発が起こる。
そして、それらのあまりに刺激的な感覚に、鳥肌が立ってしまうことも、泣いてしまうことも、落ち着かなくなることも、ある。

それは、旋律からだったり、声質からだったり、歌詞内容だったり、それらに関するものの複合からなるものだったり。
とにかく、何かひとつに引っかかったら、あとはもう、それにがんじがらめになるだけ。

昔から艶っぽい歌や曲が割と好きだった私は、思い出せる限りでもバービーボーイズに始まり、access、中谷美紀、Aska、Cocco、鬼束ちひろ、東京スカパラ、奥田民生・・・なんかの歌に感応した。

ちょっと昨晩、とある曲を聴いて色っぽい気分になり、自分の女性性を愛しく思ったりしたわけで。だから、愛しているよ、と女性らしいやわらかで甘い声で誰かに伝えたくなったりして。

だから、そういうわけなのさ。


2002年10月20日(日) 社会の窓

もう、『日常茶話』ネタなのか『人生事件』ネタなのか、その境界線は一体・・・

先日、いわゆる『社会の窓』を全開に午前中いっぱい仕事に励んでしまった私ですが、その日は乳幼児健診ということでエプロンをしていたので、誰にも見つからずに済みました。でも、トイレでパンツのボタンはずしてジッパーを下ろそうとしたら、手に金具が引っかからずにいきなり布が左右にベロンと開いてスリップの感触を感じたときには、どうしようかと・・・あっはっはっ。

ところで、どうして『社会の窓』って言うんですか?

その疑問は、広島ホームテレビのファスナー・ジッパー・チャック・の疑問にあった。
そうか・・・よりによって、NHKか・・・。

で、流行語なんて言われたもんだから思わず新語・流行語大賞なんか覗いてみたりしちゃったりして。
見ていると、「え、これも?」というものが入賞していて、結構楽しかった。きっと、今年の流行語にはアレも入るんだろうねえ・・・拉致被害者の、言葉。

そんなこんなで終わった、意味なし休日。

明日はじーじとばーばに健康教育日。


2002年10月19日(土) 結婚ってなんだろう?

疑心暗鬼の新婚生活。

人はそれなりに恋をする。だから、過去あっての、今の相手じゃないんだろうか。

私よりひとつ年上の知り合いである彼女Yは、通信大学のスクーリングで出会った相手と遠距離交際し、昨年、めでたく結婚した。
結婚する直前に彼の子を流産して身体を壊す等、つらいこともあったのだが、彼は彼女の実家の近くに転勤を希望し、新居を構えてくれるやさしい人だった。

Yは、彼と結婚する前に、昔の彼女の写真はすべて破棄してくれと言ってあった。彼は「わかった」と承諾しつつ、その写真を捨てていなかった。
そして、Yは彼の実家に行った際、彼の昔の彼女の写真を見てしまった。自分にとてもよく似た面影の彼女を。

人には好みのタイプというものがあり、同じような人に惹かれても仕方のないことだと思う。だけど、Yは心の迷路にはまり込んでしまった。

昔の彼女に中絶させたことがあったから、昔の彼女によく似た、子どもを宿した自分と結婚することにしたのではないか?

写真をとってあった彼を責め、Yは泣いた。かれはYに懸命に謝った。けれど、それ以来、彼とYの新婚生活は、Yにとっては心を開けないものとなってしまった。

子どもは欲しいけれど、子どもの面影に昔の彼女を思うのではないか?

目下、私の彼がYのメンタルを電子メールで支えている。重い話によろけそうになる彼を、私が支える。
チャットで知り合った私たちには、メールでしか彼女の支援をすることができない。だけど多分、もう、彼女はメールだけのやり取りでは立ち直れないほど、疲れてきている。我が職業的勘と経験が、そう警告している。

誰か、彼女の心の悲鳴に気付いて。


2002年10月17日(木) もしできていたとしても、それはすべて承知の上

それは、避妊失敗というか、避妊放棄というか。

彼と会う前々日、私はピルを丸1日以上飲み忘れた。ちゃんと飲んでいれば、0.1〜5%の避妊失敗率のピル。規則正しく飲めなかったとき、99.9%とうたわれているピルによる避妊効果など無に等しくなる。

『危ないのわかっててしたの。だから、できてても驚かんわ』

と、昨日になってメールを打ったら、彼の方が焦っていた。まあ、多分大丈夫だとは思うけど。

ピルをはじめて飲み始めた1週間や、飲み忘れがあって2錠いっぺんに飲んだときなどにはコンドーム等のほかの避妊法を用いなければ、妊娠の確率が高くなることは知っている。だけど、私はあえてそのことを黙って何の避妊法も併用せずに、彼とした。

愛ゆえのわがままなセックス。別に血迷ったわけではない。ただちょっと、思うところがあっただけ。ピルを飲んでいないときにも排卵のほとんどなかった己の身体を過信してみただけ。

だけど、佐々木(仮)家の正月が、血みどろの正月にならないことを祈ってみたりもして。


2002年10月15日(火) しあわせすぎた時間

現実世界に戻るには、時間がかかる。

別に、仮想空間に浸かっていたわけではないけれど、遠距離恋愛中の彼が傍にいるというのは非日常で。月に1度は会っているとはいえ、月に1度しか会えないとも言え。
昨年は1泊2日しか一緒にいられなかったのが、私が就職・ひとり暮らしを開始したことによりお金にも場所にも余裕ができて、短くても2泊3日、ハッピーマンデーのお陰で3泊4日に延びたのだけれど。

「コーヒー飲む?」と聞けば返事があって。
お湯が沸けるまでの間、ぺったりとくっついてキスできる相手がいる。

先週の金曜日に横浜で待ち合わせをしてから、昨晩、新横浜で別れるまでの間。それは、しあわせすぎる時間だった。

今回は、別れ際に泣くなんてことはしなかった。新幹線の改札口で泣いてる女を慰めている男を見てしまい、なんとなく気分を削がれたからだ。
よく考えたら、帰り際まで彼女の気を使わなければならない彼氏なんて、かわいそうだ。
だから、くちづけを何度も繰り返して、互いに背を向けた。


2002年10月14日(月) 佐々木(仮)家の人々 〜 娘を思う、父からの手紙

来年の春、2月か3月頃に母と妹と3人での海外旅行を計画していた私に、年度末は仕事が忙しくて旅行どころではないというので家に置いていく予定の父から、以下のような電子メールが届いた。



インドネシアのナイトクラブの爆弾テロは、アルカイダによるものと思われます。インドネシアには、アルカイダに近い団体が存在していることは、以前から伝えられていました。

先日の、イエメン共和国(サウジアラビアの南方)でのフランスタンカーの爆発も、アルカイダと関係の深い組織の犯行だったと、言われています。この段階で危険は予知すべきだったのではないと思います。結果論にはなりますが。

イラクに対する戦争が不可避の事態となっている今、事実上、戦争が始まりつつあるといえます。(少なくとも、アルカイダは、戦争をしています。)
アルカイダとイラクは考え方がかなり違いますが、敵の敵は味方と考えているのでしょう。

イラクとの戦争は当然日本からも、イージス艦を含む大規模な軍事支援となるので、日本人が標的となることは避けられないでしょう。

 したがって、もし海外旅行を考えているならば、当分の間、避けた方が良いと思います。
外務省の危険情報は遅すぎます。全く当てに出来ません。
 又、旅行社等も、情報収集能力が大変低く、全く当てに出来ません。

 というのも、昨年のアメリカの同時多発テロが起きる直前、アフガンで北部同盟の中心人物であるマスード指令官の突然の暗殺が伝えられた時、日本では何の反応も有りませんでした。

 お父さんですら、このニュースを新聞で読んだとき、おかしなことがあるもんだなあと、首を傾げたものです。
 何故なら、アフガンではアルカイダの力が強く、北部同盟は、封じ込められた状態にあったから自爆テロと言った犠牲を払う必要がなかったからです。

 9.11テロで疑問が融けたような気がしました。

 世界の危険予知は自分でやるしかありません。大きく世界情勢が動いている気がします。
海外旅行は慎重に。

     父より



世界情勢と政治のニュースは新聞では太い帯の文字しか見ない、テレビニュースでは聞き流すことの多い娘のことをよく知る、父のやさしいメール。
『イエメン共和国』の場所はあいつには分からないだろうと、わざわざ()で(サウジアラビアの南方)と教えてくれる父(本当に知りませんでした)。

だけど、なぜかメールの途中からフォントサイズが変わる、おかしなメール。どうしても強調したかったらしく随所でフォントカラーを変えてある、すてきなメール。

ありがとう、父。そして、おめでとう、父。
PCを購入してから2年目にして、ようやくフォントサイズとフォントカラーが自在に変えられるようになったんだね。
しかし、素人娘の私にどうやって世界の危険予知ができましょうか?
それならば、慎重に海外旅行に行くよりも、まだ安全な国内旅行を楽しく満喫した方がよいかもしれませんわな。

でも、それよりも、昨年あの米同時多発テロの起こった直後に海外旅行を考えていた、あの危険予知能力0のあなたの奥様にメールの内容をお伝えくださいませ。あの人のことだから、「今なら安いみたい」って行きかねませんので。

というわけで、我が海外旅行計画は一時保留。
しょんぼりがっくり。


2002年10月10日(木) 好きすぎて過敏反応

昨晩、少しばかり彼の言葉に過敏に反応してしまってすねたら、以来連絡が途絶えてしまった。

いつもならちょっとしたじゃれあいの冗談で済むものが済まなくなった。
何となくお互い精神的に参っていたのかもしれない。彼もここ連日残業だったし、私も業務に追われ続けていて息抜きが欲しい時期だった。
もう、売り言葉に買い言葉もいいところで。

好きだとか。
愛してるだとか。
大事だとか。
やさしくしたいだとか。

そんな言葉、熱くなった頭からすっ飛んでて、お互いに『もう、寝る。おやすみ』とメッセンジャーを落ちた。切れた画面がさみしくて、すぐにしょんぼりしてしまった。『別れる』なんて言葉はないけれど、不安になったりして。

寝る直前、『お互いにしょんぼりだね。だけど私は好きだもん。愛してるもん。おやすみなさい』と打ってやった。

だけど、朝起きても、返事はなし。一体どうなっているのでしょうか。
ああ?


2002年10月09日(水) Men who have sex with men

時々、親友の弟ではないかとドキッとしてしまうことがある。

今日の日記名の日本語訳は、「同性愛男性」。
実は私の親友の弟はゲイで、彼は大学時代にチャットで知り合った男の人と暮らし始めた。シゲル(仮)くん、当時20歳、現在22歳。
その男性と暮らし始めてからも、恋愛相手を同性に絞ったシゲルくんは不特定多数の相手と接触を求めた。その性交の中でB型肝炎に罹患し死にかけたこともあったが、どうにか一命を取り留めた。若かったし、きっと今も元気に生きているのだと思う。もしかしたら、大学は中退してしまったかもしれないけれど。

やはり、シゲルくんのことはかなりシークレット扱いだし、まあ、その親友自体とも最近連絡お互いにサボりがちということもあり、彼の消息についてはよく把握していない。
まあ、その親友というのが、高校時代に同じ男に二股かけられていた我が片割れであり、現在パスワード制のHPを開設していてその中で我がネットが出会いの16歳年の差遠距離恋愛について熱く熱く超批判的に語っているらしいカエ(仮)で、シゲルくんはその彼女の弟だ。
だから、ゲイだという人の日記を見ると、「もしや・・・」と思ってしまう。

出会い系サイトは、出会いにくかった人たちまでもを出会いやすくし。ある意味、とっても自由に出会えるようになった人たちもいるのだ。犯罪や事件も多いだろうが、ようやく自分の信じる道を進めるようになった人たちがいるのだ。そう、シゲルくんのように。
「もう、恋愛対象を男だけにしたよ」と笑った、シゲルくんのように。

だけど、その裏にはカエやその家族のように悲しみ傷ついてしまった人たちもいるのだけれど。

何がいいとも悪いともいえない。だけど。
嗜好云々は置いておいて、周囲に心配かけないように行動してしなければ、認められるかもしれないものも認められなくなってしまうと思う。

とりあえずは、健やかに、人を愛することを。


2002年10月08日(火) ようやく

ひとつの恋が、終わりを告げた。

出会ってから2年近く、ずっとずっと、友人以上恋人未満の微妙な関係を続けていたけれど、とうとう、私たちの縁は切れた。
その間、ずっと私が彼を好きだったのかといえばそういうこともなく、本命がいたりもしたわけで。彼も一時は彼女を作っていたが、結局は私の元に帰ってきてしまったという経緯もあり。

だけどこの夏、私たちのタイミングは合い、ひとつのハードルをいとも簡単に越えてしまった。そのハードルを越える前に、それなりの助走をつけていたので、本当にヒョッとまたいでしまった。
だけど。

彼にとってはよかったのかもしれないが、私には後悔だらけで。彼と寝たのは「恋愛」というよりも、「好奇心」の方が強かったことを、私は後々知った。

「もう待てない」と彼はメールを入れてきた。自然消滅を狙っていた私は、一ヶ月程沈黙していたのだが、このメールを期に、「もう待たないで」と送った。やり直したいといった風な返事はあったが、無視した。これで何かを送り返してしまったら、また元に戻ってしまうだろうから。

見たらメッセンジャーも削除されていたので、きっと携帯メールアドレスも私の住所もすべてが削除されたのだろう。私もそっと、削除してみた。もう、彼のメールアドレスも住所も、来年の手帳には写さない。

もう二度と、彼とは会わない。


2002年10月07日(月) 電子の樹海をさまよう人々

ネット上では、彼は沈黙を続けている。

昨日の続きになってしまうのだけれど、彼の会社の後輩の彼は、あのおかしな書き込みに対し、何の反応も見せていない。掲示板に全文出しっぱなしである。
彼のHPはここ最近活動しておらず、日記等は自己削除され、掲示板のみになっていた。だから、まあ見に行くのは彼と交友のあるものだけで。

書いた本人の方が、一番やきもきしていると思う。

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1日に100通近くのメールが携帯電話に届くようになったら、私なら耐えられない。この彼、今は別れようとしている彼女とまだ実際に会っていなかった頃、実は総勢3名の女性とメール交換をしていた。
またこの女性たち、『フリーター』を自称しているだけあって、時間だけは沢山あったらしい。そのお陰で、彼の携帯電話には3人が代わる代わるメールを入れていた。なんせ、彼がメールを返さなくても、その間3、4通同一人物から届くということで、なんかもう、病的に感じられてしまうのは私だけなんだろうか。

寂しい人が電子の世界でさまよってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。私だって、たった一通の彼とのメールのやり取りだけでも、繋がっていると思ってしまう。
だから、人恋しくて出会い系に登録してしまうのも、仕方がないといえば仕方がないのであろう。現実世界での出会いを作るより、待つよりは、よほどお手軽だ。登録したらその日に何十通、何百通とくる世界なのだから。
寂しい男女がうまく出会えればそれはそれでいいのだけれど、片方が下心ばかりだった場合、悲しい結果になる。

考えれば考えるほど、気分は樹海。


2002年10月06日(日) ひとり咲きの恋

そこまでされなきゃいけないことを、彼はしたんだろうか?

顔の見えない、ネットでの出会い。
言葉と言葉のやり取りだけで、人は誰かに好意を持たれたり、自ら恋に落ちたり。相手の自己申告した容姿を信じ、職業を信じ、家族構成を信じ、そして、「付き合う」ことになったり。
だけど別に、昨今、そんなの不思議じゃない。珍しくない。

でも、現実に会って、話が違うとか、この容姿じゃ中身云々の問題じゃない、ということも出てくるとは思う。やっぱり見た目というのは、大事だ。十人が十人「この人は好感持てる美人だ」と言い切れる人はあまりいないし、十人が十人「この人とは付き合いたくないほど細工が悪い」と言い切るような人はいないと思う。
それぞれ、やはり人にはそれなりの好みというものがあって、「タイプ」とは違う、「この人は容姿と中身をトータルしたらOK」っていう容姿と中身の好けるラインが必ずあるのだ。

だから、ネット上では激しく燃えた『会話での出会い』が、実際に会って、顔を合わせ声を聞き話を聞き、『現実ではだめだ』に変わるのは仕方がないのだ。1度だけ会って、だけどもうそういう理由で2度と会えない、会いたくない、という感情を持つことを、責めることはできない。
ネットで好意を持って『この人に会ってみたい!』と思うことと、エッチだけが目的で『会いたい』と思うのは、全然違う。後者ももちろん多いが、前者だって多いはずなのだ。これだけ、素人ユーザーが増えた今では。
エッチをするという下心だけを持っている人と出会うよりも、ある程度の『本気』を抱えた人との出会いの方が怖いと思う。相手に対する夢も、それなりに持っているし。

彼の会社の後輩(20代半ば)は、とあるバーチャルタウンで出会った女性(20代前半)と、先日実際に会った。大阪から山口まで、仕事を1日休んでまで会いに行った。
彼は、決して周辺で彼女を見つけられないような容姿の人でも、中身の人でもなかった。私も写真を見せてもらったが、なかなか格好よかった。携帯電話のメールのやりとりも何度かしたが、ノリがよくてよかった。彼情報によると、ここ2年程の間、何人か彼女がいたらしい。

だから、ネットで彼と出会って好意を持ち、実際に会って彼を手放したくないと思った彼女の気持ちは想像つく。
だけど、彼女のことを「そんなにかわいくありませんでした。実際の会話もいまいちでした」と言い切った彼が、彼女と連絡を取るのを止めようとしても、責める要素はない。
そう、初っ端から寝ていなければ。

彼は、「付き合う」云々の話の出る前に彼女と会って、交際するかどうかを決めようと思っていたらしい。なのに、そんな話が出る前に女に誘われるままに、寝た。彼女は処女だった。

同意の元だったんだからいいじゃない、と私なんかは思うのだけれど、彼女の場合はそうではなかった。彼女はきっと、彼を縛るために彼と寝たのだ。その目論見は外れた。彼は処女かどうかなんてこと、関係のない人だった。
後日、「特別には付き合わない」ということを告げた彼に対し、彼女は報復を考えた。同じバーチャルタウンなどで「彼はやり逃げするひとだ。乗り逃げする人だ」と涙ながらに言いふらし、とうとう彼のHPの掲示板におかしな男からの書き込みがあり、そして。

彼の携帯電話のメールアドレスと、電話番号の下4ケタと、住所の番地が、
『女を騙して逃げる奴のホムペ』『中途半端な事しまくってるみたいじゃねぇの?』
という言葉と共に曝された。

自分の浅はかさを棚に上げ、そんなことをした彼女のことが分からない。この掲示板書き込みの男が本当に第3者なのか、それとも彼女にネット上で惚れている男なのか、彼女自身なのかは私には分からない。

後輩の彼がしたことを、いいこととも悪いこととも言い切れない。性のあり方を考えさせられた例ではあるが、ネット上で個人情報が流されるほどのことを、彼ひとりが悪役をかぶるほどのことを、彼はしたんだろうか?

ひとり咲きした恋は、人を狂わせる。


2002年10月04日(金) 家族に祝福されぬ恋人たちに友人たちは

フミちゃん(仮名)とゼンゾウさん(仮名)は、互いの家族に一緒になることを許されぬ恋人同士。

フミちゃんもゼンゾウさんも結婚していたが、今は連れと死に別れて独身。それぞれのお子さんたちも成長し、結婚し、孫までいる。そして、ふたりとも息子夫婦と同居していて。
そう、フミちゃんとゼンゾウさんは、共に80歳を過ぎた高齢カップル。フミちゃんのほうがゼンゾウさんよりちょっとだけ年上だけれど、ふたりはとっても仲良し。
町内会の集まりの時にはいつも隣同士で座り、寝たきり・閉じこもり防止と称したお散歩には互いの顔を見に行く名目があるという、アツアツぶり。

ということを、フミちゃんとゼンゾウさんをよく知るヒサちゃん(仮名)から、血圧測定のとき、そっと聞いた。確かに、私が数回お呼ばれした某町内の高齢者の集会でも、ふたりはいつも隣同士で座っていた。

だけど、ふたりがどんなに一緒になりたくても、高齢者ふたりでは生活できないし、だからといって高齢人口の高いこの世の中で同じ施設に一緒に入れるとは限らないし、今更どちらかの家族と同居というわけにもいかないし、婚姻関係になったらフミちゃんは戦争未亡人として年金もらっているのにそれを打ち切られてしまうし、と様々な障害があるのだ。
しかも、彼らの家族としては、「微笑ましい」を通り越して、「いい年して恥ずかしい」という感情を持ってしまっている。

町内会老人グループの友人たちは、そんなふたりを温かく見守るやさしい人たち。様々な行事を民生委員さん等と考えながら、ふたりの逢瀬の回数を少しでも増やしてやろうと画策するやり手高齢者ども。

今日も、フミちゃんとゼンゾウさんは、「町内会のお年よりの集まり」という名の元でデートを重ねている。

お互いに高齢でちょっと痴呆気味でも、恋は何年経ってもできるものらしい。

死ぬ間際は、彼らは誰の姿を思い浮かべ、誰の名を呼ぶんだろう?


2002年10月03日(木) 楽しい発見

面白い課があるもんだ。

先日、職場で購入している『公衆衛生情報 2002.9』を見ていたら、和歌山県日高郡南部川村の保健師さんのいきいきとした活動・生活紹介が載っていた。私はその記事を見ながら、ふと、同ページ内の写真に視線を奪われた。
その写真には、紹介されている保健師さんとおじさんが写っていた。そして、そのおじさんの頭上には『うめ課』の札。

うめ課?

写真の内容を知らせる文章を見たら、『役場の「うめ課」。梅産業の振興をはじめ梅に関するあらゆる窓口になる』とあった。

すてきだ、『うめ課』。
漢字でもカタカナでもなく、ひらがなでかわいらしい印象を与えるところがいい。素直に梅一本に絞られた、余計なことをしない姿勢が表れているスマートなところがいい。自分のところの梅産業に命をかけている上、また自信もあり、とても力を入れているよという迫力あるところがなおいい。

私の勤める市には、素敵な名前の部署はなかった。実家の方にもなかった。
なので、他には何かないかと、『市町村』『〜課』両方あわせて検索。『〜』には、思いつきやすい、私の好きなくだものを入れてみた。

なし(梨)、もも(桃)、ぶどう、すいか、ようなし(洋梨)、いちご(苺)、みかん(蜜柑)、メロン、パイナップル。
検索結果0。

私が普段四季折々で食する果物の中で、唯一出たのは・・・『りんご』。
弘前市りんご課・・・ああ、青森県だよ、こりゃ。我が愛しの妹が現在生息している青森県。過去、私には住めそうにない、とまで言ってしまった青森県(妹の住む地域には絶対無理)。
しかも、よく調べてみたら、『青森県農林水産部りんご果樹課』なんてあったよ。県にまで・・・なかなかやるな、青森。だけど、『果樹』はいらないと思うよ。余計な飾りはわかりやすさ、伝わりやすさを阻害する。

まあ、うめでもりんごでも、そのまんまやん、と思うけど、なかなかこういう名前にするのは勇気が要ったのでは? 行政って、施設名以外だと、難しい名前、特に漢字でつけたがるからねえ。
もっと、ユーモアある名前で、親しみやすくしてはどうだろう。そうしたら、ぶつくさ苦情を言われることも減るかもしれない。「行政から俺たちに歩み寄ってくれている」と感じてもらえたら、行政に対する意識と見方も変化する・・・かもしれないかも。

そんなこんなで、些細なことで、楽しくなってみたりして。


2002年10月02日(水) 気になるCM

気になるCMを見つけた。

昨日、血圧について書いたからだろうか、とってもとっても気になって、ネット検索してもう一度見てしまった。あの健康食品等で有名なFANCLの発芽米のCM、このページだと一番上にあるCMを見ていただきたい。

『ダイエットに』とおねえちゃんのお腹が見えたあと、『体調維持に』という文句と共に、男性が血圧を測っている場面がある。
ここが問題なのだ。

男性が、自分自身にマンシェットを巻き、圧を加えているが・・・大事な聴診器がどこにもないのだ。
最近、自宅でも自身の血圧を気軽に測れる電子血圧計もあるが、CM見た限りではそういうものにも見えない。昔ながらの病院で見かける、あの水銀血圧計であるように見える。
あの血圧計は、聴診器を血管(動脈)に当てて血流の音を聞きとり、その人の血圧を知るものだ。まれに手首の脈を押さえて上の血圧だけを測ることもある。しかし、健康維持のために自分の体調を知るのであれば、上も下も必要であろう。

血圧測定は、マンシェットのしめつけを緩めることで、はじめてできるものだ。
上の血圧は音が聞こえ始めたとき、下の血圧はその音が聞こえなくなったときの数値を出している。高齢者でも、トクットクッ、といい音が聞こえるので、結構、血圧測定って好きだったりする。

そもそも、人の体内の音って、聞いていると楽しい。規則正しいことが多いし、お腹の音(グル音)なんて、「あ〜動いてる〜」って感じで好きだ。聴診器をお医者さんごっこに使っている人がいたら、エロばかりに走ってないで、ちょっと音でも聞いてみたらいかがだろうか。
そういえば、新生児訪問した先に、小児用聴診器がある家も時々あるなあ。

私も医療従事者だったことを実感した今日、台風一過。


2002年10月01日(火) 人よりちょっと高いくらい?

人生は奥が深い、というかなんというか。

昨日、とある町内会館でちょっぴり高齢の女性(78歳)の血圧を測ったところ、180/104mmhgだった。20年くらい前から高血圧症で、今もお薬を飲んでいるということだった。「今日はいつもより高めね。どうりで、ふらふらするはずだわ」と彼女は言った。

昨日、とある町内会館でちょっと高齢の女性(88歳)の血圧を測ったところ、私は聴診器を当てた我が耳を疑ってしまった。220/189? あわてて、「もう一回測りますね〜」と、もう一回マンシェット(腕に巻くところ)を巻きなおし、再度、圧を加えた。結果は、220/190mmhgだった。
「・・・血圧で病院かかってます?」「人よりちょっと高いくらいよ。50代の頃から、そこの、○○医院で」と、彼女は窓の外を指差した。
「血圧下げるお薬、飲んでいます?」「あれ飲むとふらふらするから、結構前から止めちゃった」と彼女は笑った。
あの、血圧高いと、ふらふらするんじゃないですか?

正常血圧は、収縮期血圧/拡張期血圧 = 上の血圧/下の血圧 = 140/90以下だ。年を重ねるごとに身体機能が落ちて若い頃よりはだんだん高めにはなっていくが、上が200mmhg以上、下が200mmhg近いなんて、いくらなんでもいきすぎだ。もともと器質的に高めの人だっているが、これじゃあ個人差の範囲、超えている。
それに、下の血圧が高いってことは、血管が丈夫な状態ではないってことなのだ。破れやすかったり詰まりやすかったり。それに、彼女は肥満でもなかった。

「ふらふらしないですか? 頭痛くないですか? 気持ち悪くはないですか?」と一般的高血圧症状を挙げても、「別に、大丈夫。なんともない」と笑う人生の先輩。
聞いたところ、脳出血にも脳梗塞にも大動脈瘤にも心筋梗塞にも狭心症にも腎硬化症にも眼底出血に罹患せず起こさずに生きてる、78歳より元気な88歳。
血圧が上も下も190以上あろうとも、そんなこと微塵も感じさせず、普通に会話して笑って歌歌って指体操して折り紙して大福食べてお茶を飲む、米寿。

あなたの血管は、あなたの身体は、一体どうなっているのか?

さすが米寿まで生きるだけあります。侮れません。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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