人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年08月31日(土) 私の仕事、感情の落込、彼の存在

彼の存在に感謝感激雨霰。

ほう、『あられ』は『霰』と書くんだね。はじめて知った。

さて、職業上知り得た他人の人生の、そのやるせなさに凹んで鬱々とした昨日。
食事をしようにも、胸が詰まって食欲が起きず作る気にも買う気にも食べに行く気にもなれず、水分を摂ろうにも、これまた用意するのが億劫だった。アルコールでも流し込もうかとも思ったが、蕁麻疹は身体にまだ健在していらっしゃったので、体温上がればかゆくなるし、悪化する可能性も高いので諦めた。

だけど、仕事の帰り際、「気分転換しなきゃ明日からがまた苦しくなる」と思い、とりあえず駅前の本屋に寄った。活字を追う気にはなれず、まんがコーナーで立ち止まる。
そこの本屋はまんが本にビニール袋を書けていないという珍しいところだ。だから、書店の方には申し訳ないが、そんなにお金もないので立ち読みしてみた。2冊読んだところで、もう感情がいっぱいいっぱいになってしまい、家に帰ることにした。

本屋から家までの道、携帯電話とにらめっこし、何度も彼に電話しようとして自分を押さえた。金曜の夜は同僚と焼肉屋と言っていたのを覚えていたからだ。楽しく飲んでいるときに電話かけたらダメ、と私は自分に言い聞かせ、『今夜、電話してもいい?』とだけメール送信した。しばらくしてからの彼の返信は、『電話してもいーけど、どうしたんやぁ?』だった。私は安心して、メールを閉じたが、その直後、いつもは電話するなんて言わない私なので、心配かけてしまったかもしれないと反省した。

暗い家、炊飯ジャーの中で炊かれたご飯が私を待っていた。お弁当用に朝炊いたものの残りだ。1食分、軽くあった。
冷蔵庫に入れて明日食べるというのもひとつの手だったが、お腹満たさないと身体に悪いと思い、チャーハンを作ることにした。おじやも考えたのだが、野菜を切るのが面倒だった。
一番好きなチャーハンは、長ねぎと焼き豚(又はベーコン)、卵だ。ほうれん草入りも好きだったりする。でも、ほうれん草のストックはなく、長ねぎのみじん切りと焼き豚のみじん切りは冷凍庫にパックで入れていたのでそれを使うことにした。
チャーハンを作り、麦茶と共に食した。味はあまり感じられなかった。それに、かなしみや閉塞感よりも疲労が強く感じられ、感情鈍磨傾向に陥っていることに気づく。そして、それと共に、感覚器の能力までもが低下していることを知った。

気もそぞろに食事を終え、PCを立ち上げる。メール見るなり、また沈んでしまった。奎佐名義でない hotmail に知人たちメールアドレスで同じ内容の重いメールが大量に入っていたからだ。ウィルスメールかなあ・・・嗚呼。すぐさまチャットで知り合った沖縄のちーちゃんに携帯でメール。聞くと、私と彼女の周囲の人はみんな被害に遭っていた。この出来事で、益々凹んでしまった。『new game』と言われても、そんなゲームいやですわな。

9時過ぎ、『帰ったで』という彼のメールをもらい、私は電話をかけた。
「あのね、ごめんね。愚痴になっちゃうんだけど」
と、挨拶もそこそこにその日にあった出来事を、整理できないままに話しだす。彼は『うん、うん』と聞いてくれた。途中泣きだしても、嫌な雰囲気をかもし出すことなく、彼は『奎佐、ゆっくりでいいから。ちゃんと聞いてるから』と何度も繰り返した。

思いつく限りすべてを話し終え、気持ちが急に浮上した。身の内が軽くなったことを感じ、今度は反対に彼が心配になってしまった。もしかしたら、話の内容が内容だっただけに、落ちこませてしまったかもしれない。
「ごめん。気分よく飲んで帰ってきて、この仕打ち」
あわてて謝ると、
『奎佐、全然愚痴とか言わんから、聞けて嬉しかったけど』
と言われてしまった。
『奎佐、あのなあ、何度も言ってるけど、何の為に俺いるんや? 俺はおまえの何なんや?』
「・・・彼氏」
『そやろ? 彼氏がな、彼女がそういうとき、支えてやらんでどうするん? その為にいるんだろが』

彼が自分の側にいると思っただけで落ちつく私がいる。彼がいて、彼と出会えて、私、よかった。

私を好いてくれて、本当にありがとう。

なのに私は、あなたを大事に出来なくて、ごめんなさい。


2002年08月30日(金) それはとても、切なくて、やるせなくて

たまに、救いのないケースばかりと対応して、行き詰まりを感じながら、一日を重く終える日がある。どう振り返ってみても、いいことがひとつもなかった日がある。

今は未だ自分の中で消化できていないのでここでは詳しくは書けないが、『同情』してしまうケースにだって、しょっちゅう出会う。

生んだ子3人ともに重い障害があり、身内からその障害は母のせいだと責められてやっきになって誰の手も借りずに子育てして倒れそうな母とか。
ひらがなは読めるけれど漢字になると分からなくて育児書も読めず、「子どもは好きだ」といいながらもネグレクトな母とか。
出会い系サイトで出会った学生同士に子どもができ、妊娠に気付いた時機が遅くておろせなくて、だけど結婚できないからすぐに里子に出す男女や。

私の仕事の中で、『同情』してはいけないケースはたくさんある。だけど、『同情』という感情は、自分の内で自然に湧き上がるものであり、出てくるものは止められない。だからその代わりに、それをどのように放出していくかが問題になるのだと思う。うまくコントロールすることが必要であるのだと思う。

うれしいこともたくさんある。言葉の発達の遅かった子があるときを境に急に話始めたり、首据わりも一人歩きも遅かった子が走れるようになったこととか。「話を聞いてもらえてすっきりした」っていう寝たきりの方の介護者のこととか。
だけど、つらいことも結構多くて。

人生には色々なことがある。他人の人生を垣間見ることは、時にゴシップ的要素もあるが、大抵はつらくて悲しいことが多い。だけど、そのつらさや悲しみを乗り越え、力強く輝いているときもある。生きているということは、つらいことばかりにぶち当たっているのではなく、いいこともあるということなのだから。人には、先生再生能力はあるのだから。

今日は、何かひとつでもうれしいことがありますように。



※「切なくて」と「やるせなくて」は意味がダブってるけど目をつぶってくだされ


2002年08月29日(木) 今すぐにその場に跪き、平伏して、謝罪してよ

怒っていませんて、本当に。

最初、蚊に刺されのだと思った。だから、何故にこんな露出してない肩甲骨付近を・・・と思いながらも、鏡見ながら手を伸ばしてキンカンを塗っておいた。
次に気付いたのは、左腿の真中よりも付け根近くにぽちっと赤くなっているところだった。いつもパンツなのに、またどうしてこんなところを・・・と思いながらも、風呂上りにやられたのかも・・・とまたもキンカンをつけておいた。
と、そのうちに腹、ふくらはぎ、太腿の後にも痒みを感じた。見ると、ぷくっと赤く膨れていた。

悪い虫か・・・?

人間の男の悪い虫なら数匹いるが、小さな跡を残す虫はいない。人の肌を強く吸わないから。そもそも、血を吸う虫って卵産む関係上、メスが多いんではなかったっけ?
いやいや、そんなことよりも、この、強烈な痒みの方が問題だ。蚊でもブヨではないことは確かだった。ブヨだったら、もっと倍に腫れて大変なことになっている。しかも、微妙に痛みがあるはずだ。刺された経験からそう断言できた。

じゃあ、なんだ? ダニとかか?

確かに、最近じゃ畳じゃなくてカーペットの部屋に寝ている。夜間、風通しがいいので。
そりゃ、毎日は掃除機かけてない。でも、ダニってこんなに痒くなるものなんか?

普通にじっとしていても痒いのに、飲食したり、お風呂入ったりするたび、痒みに悩まされる。体温上がると、炎症起こしているところはだめですな。疼く。
昔、陣内孝則が出ていた「カユミ〜〜〜」と叫ぶドラマ仕立ての虫刺され用塗り薬のCMがあったなあ、なんてことを思い出す余裕はあったが、痒いものは痒くて、気になって。痒みが治まることなんて、一日の中でほとんどなかった。
で、なんかおかしいなあってようやく気付いた。そして、急に思い出したのだ。以前も同じようなことがあったことを。

・・・思い出すのが遅いよ、自分。

ちょっと、お馬鹿な自分を呪ってみました。
確かあの時は、『サバ』でした。だから、体調不良の時には光り物なお魚さんは避けておりました。ここ数日は光り物なんて食べていません。ですが、ええ、ええ、これはもう、蕁麻疹ですな。かゆっ。
そんなに前のものに反応するわけがないのです。一体今週の頭、私、何を食していたんでしょう?
・・・思い出せません。先週の記憶とごっちゃになり、何をいつ食べたのか不明です。しまったよ。

おとなしく昨日は仕事を有給使って1時間早退し、皮膚科・内科両方診療している医院に。上着脱いでズボン脱いで発赤部分を見せて触られ、「原因食物なんて、めったに見つからないもんだよ。とりあえず、これね」とおじいちゃん先生にサクサク説明された。錠剤は、「服用すると、眠くなっちゃうけど」と言われたのでお断りし、塗り薬だけ処方してもらった。

もっと早く気付いていれば、こんなに痒みに悩まされることもなかったのに。
そもそも、アレルギー起こしそうなもの食べなきゃよかったのに。この、食いしん坊! というか、最近物珍しいものなんて食してない。ということは、いつもは当たらないものに当たってしまうほど、身体、疲れてたのかな。

けれど、どんなに自分を責めても、もう罰は十分受けていると言えて。
もっと賢くなりたいものですな。
嗚呼、痒い・・・。


2002年08月28日(水) 我がネット事件簿

Webサイトで色々発見してブルーになったり喜んだりする昨今。

ところで、「あなたな〜らどうする〜?」


1.何らかのサイトをやっていることは知らされていたが、そのサイト内の管理人日記に自分のことを書いたと言われながらもURLは教えてもらえなかった、大親友が営んでいるサイトを、リンクにリンクを重ねているうちに偶然見つけてしまったとき。

2.そのHNは自分の本名のもじりで、以前学校の部活動(文芸同好会)でのPNとして使われていたときに抗議したのにもかかわらず、未だネット上でも使われており、氏名・名前共に誰が聞いても自分がそのサイト経営者のような印象を受けるものだったとき。

3.そのサイトが、管理人に必要項目(しかも結構面倒くさい内容)を書いたメール書いてパスワード請求をしないと見られないものだったとき。しかも、根性悪なことに、『メールの内容によっては審査で落とすことがあります』というようなことが書かれていたとき。


・・・全部当てはまっているので、素性を隠して頑張って奴にメールを書くことにいたします。

カエ(仮名)、あんた、日記に私の何書いてんの? つうか、パスワード制で、何のサイト経営してるの?

パスワードが来るのが、とっても楽しみです。


2002年08月27日(火) 佐々木(仮)家の人々 〜 母語録

今回だけは母に謝る。ごめんなさい。

うちの母は、勝手に言葉を作ってしまうことがある。

例)『羊畑』・・・羊が群れているところを指す。他に「やぎ畑」など、応用可。

今すぐには思い出せないので、思い出したら随時足していくことにする。とにかく、聞いたことがないような、独特の言い回しをする。個性的でよろしいと思う。意味もそれなりになんとなくわかるものが多いし。

私も母も大の子ども好き。特に赤ちゃんには視線を奪われるタイプだ。赤ちゃん、いわゆる乳幼児は『よだれかけ』をしている。その『よだれかけ』を、うちの母は『あぶちゃん』と呼ぶ。
『あぶちゃん』・・・そんな言葉は母の口から以外聴いたことがなかった。だからまた、母の造語かと思ったのだ。
しかし、この、『よだれかけ』の別名で、私は母に謝らなければならない。というか、父も妹も母に謝罪しなければならない。
「そんな言葉聞いたことないから、多分お母さんが勝手に作って使っていただけだと思うけど・・・なんでよりによって『あぶちゃん』なの???」
と先日、3人で笑ってしまったからだ。

けれど、『よだれかけ』を『あぶちゃん』と呼ぶ地方がちゃんとあった。ネットで調べたら、あった。あるHPへのタレコミがあっていれば名古屋だった。
しかも、色んなHPで『うちはよだれかけのことをあぶちゃんと呼んでいますが、一般的な呼び方なんでしょうか?』みたいなこと書いていたので、みんな自信なく使っているような呼び名のようだった・・・何故だ。でも、残念なことに、先日の『ナースシャーク』同様、由来が見つからなかった。

でも、名古屋?

母よ、あなた自身も東京出身だし、親類にも名古屋出身者がいないのに、何故『あぶちゃん』を知っているのだ? どこで聞いて憶えてきたのだ?

まあ、細かいことはいいね。これからあなたにメールをして謝罪するつもりだけれど、あなたの勝ち誇ったようなうれしそうな声が耳元ではっきりと聞こえるよ。幻聴だよ。
ああ、謝るよ。謝るさ。謝りゃいいんだろ。今回はこっちが悪かったよ。

本当に、ごめんなしゃい。


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<追記>

19時過ぎ、仕事から帰って来たはいいけど、なんか疲れたんで夕飯作るのやめて、枝豆と鳥のから揚げでAsahi本生飲みながらネット検索。
そして、『あぶちゃん』の由来を、攝津製油株式会社のHP内の歴史館の中で見つけた。
・・・もしかしたら、地方とかは関係ないかもしれない? 油売り歩いてる人の前垂れの呼び名が赤ちゃんのよだれかけ『あぶちゃん』の名前の由来だなんて。


ところで、母には朝、

『何故母さんが「あぶちゃん」という呼び名を知っていたのかは分かりませんが、名古屋地方でよだれかけを「あぶちゃん」と言うそうよ・・・××(母の名)語録なんて言ってごめんね(はあと)』

とメールしたところ、速攻で返事が返ってきた。

『どういたしまして(渦巻き・台風マーク)』

・・・なんか、ちょっと返事までずれているようです、さすが我が母。まったく、あなたのそんなところが大好きだ。


2002年08月26日(月) 彼にすねられて

昨晩、彼にすねられしまった。

一方的にすねられただけなので、仲違いとかケンカとは違う。会話していたメッセンジャーは切られたが、別れようと言ったわけでもないし。
ただ、睦言の中で、私が彼をからかっていたら、「おまえは俺の愛情を分かってない!」と彼がすねて、お互いひとり登録のAOLメッセンジャーから落ちただけの話なのだ。あまりにすばやい行動だったので、じゃんけんちゃんゲームなどを暢気にやりながらの片手間メッセだった私にはその場で「ごめんね」と謝るだけの時間的余裕がなかった。
msnメッセンジャーを立ち上げなおすと彼はいたので、「なーんだ、いるじゃん」と生存確認だけして、私は何もせずにそのまま放っておいた。それが23時頃だったような気がする。で、23時40分頃、『おやすみなさい』というメールを打って寝ようと思った。ら、すぐにメールの返事がきてしまった。

『でも 俺は 奎佐(仮名)のことを愛してるんじゃ〜〜信じろ〜〜 おやすみ』
そんなん知ってるって。
『そんなこと知ってるやい。ばかばか』
打ち返し、再度お布団に横になる。またメールが来た。
『だったら俺のこと信じとけ』
『うん』
寝ようと思ったら、今度は電話がきてしまった。寝させない気かこんにゃろう、な〜んて。


Web日記書きで恋人がいる人の日記に時々、『別れました』という文を見かけることがある。で、1日2日経たないうちに『より戻りました』となる。大抵そう。でも、現実がそうなんだから仕方がないのであろう。
『日記才人』や『Readme!Japan』なんかの日記コメント見ていると、お腹一杯なくらいそういうパターンを歩んでいる人たちがいる。確かに、付き合っているうちに『もう別れる!』『おまえなんか知らん!』となることもあるが、お互いの気持ちが落ち着くと、『ごめんね』となる。それを繰り返しながら付き合い、本当に『好き』という気持ちが死んでしまった頃に別れる。そういうもんなんじゃろな。
だから、Web日記でそういうこと書かれて心配しても、心配損のような気がしている今日この頃。
この前も『別れました』の日記コメントを見かけ、明日にはヨリが戻っているだろうと思ったら、1日経たないうちに付き合い続行のコメントに変身していたので、笑ってしまった。そんなもんだ。
Web日記って、自分と彼との関係を知っている友だちに電話して何かを報告することと同じ感じだ。「もう聞いてよーあいつったらさ〜」っていうのと。
会える友だちだったら、「あーもうまた言ってやがる。本当に別れてから報告してよ。こっちの心配損じゃない」と言えるが、見知らぬWeb日記書きさんには言えない。
だからまあ、とりあえず、私はここで宣言しよう。彼ともし『別れよう』と言って1ヶ月以上音信不通になったら、『別れました』と言うことを。
いや、重ねて言っておきますが、まだそんな話にはなってないですよ?

そんなこんなで、よい週明け。


2002年08月25日(日) 佐々木(仮)家の人々 〜 看護婦鮫について

新宿鮫ではありません。

本日、妹と母と3人でしながわ水族館へ行って来た。
午前中に実家帰省中の我が妹に、『この前、火の粉が飛んでくるほどの近くで見られる花火大会に行ってさ〜すごかったんだよ。で、いつ青森帰るの?』とメールしたところ、『来週の金曜日夜行バスで』と返って来たので、『今日暇?』『暇だよ』というわけで、午後待ち合わせで遊びに行くことになった。
そして、街中ぶらぶらするだけも何だから、しながわ水族館に行くことになった。

しながわ水族館には、トンネル水槽というものがある。魚が泳ぐ水槽の下を通るトンネルだ。視界180℃お魚が見られる、ステキなトンネル。
そのトンネルのある水槽内に、いたのです。すてきなお名前の方が。

「看護婦鮫?」

私が看護師免許(当時看護婦免許)所持者で、看護婦経験1年だったのもあったのかもしれません。私も、母も、妹も、その名を見て、即座に『看護婦鮫』と日本語訳。
ナースシャーク。

「違うとは思うけど」

思いながらも、

「ほら、鮫だから、喰いついたら2枚歯で獲物から離れないでしょ? 男日照りな(一部の)看護婦は、出会った将来有望そうな医者、患者、合コン相手を鮫のようにがっちりと・・・」

がっちりと・・・そうだね、がっちりと。なんとなく、そこでみんな納得。

その後、渋谷に行ってマークシティの寿司の美登利に行って、超特選にぎりを私のおごりで堪能し、それぞれの家に戻った。

お家帰ってからネットで調べたところ、探し方がへたくそなのか、あいにく名前の由来は見つからず。
ただ、性格はおとなしい鮫で、国外の南の島でダイビングすると出会えるらしいということだけは分かった。そうか、おとなしいのか。
で、『ナース』を辞書ひいたところ、『看護婦・乳母』とあったので、『乳母鮫』・・・。日本語訳しろなんて、誰も言ってませんね、はい。

でも、佐々木家ではもう、ナースシャークの愛称は『看護婦鮫』に決定。
意味は上記の通り、がっちりと。


2002年08月24日(土) 何でこんな切ない気持ちにならなければいけないんだろう

母子健康手帳を手渡しながら、悲しくて泣きたくなった。

婚外性交渉が罪になり、判決が死刑になるという法がある。イスラム法(シャリア)だ。婚外性交くらいで、なにも死刑にまでするようなことではないと思うが、様々な経緯からそういった判決をその法ではすることになったのであろう。ナイジェリアで今、ひとりの女性が死刑判決を受けているらしい。このことは新聞の片隅の記事で読んだだけなので、法成立の文化についての詳しいことは分からなかったが、そういう国もあることだけは理解した。

他国と比べても文化が違うから仕方がないってことはわかっている。また、世界中で婚外性交で死刑実行していたら、大部分の人が生命を失われるだろうってことも分かっている。
だけど、私が職場で出会った人たちを思い出すと気持ちが乱れ、何もかもがどうしていいのだかわからくなるときがある。

「結婚はしてないけど、母子手帳ってもらえるんですかー?」
「はい、今ご用意しますね。そちらのテーブルで、こちらの紙の太枠内をご記入してください」
母子健康手帳を交付する場合、うちでは本人の氏名・相手の氏名・住所・電話番号・職業・妊娠判定してもらった病院名・妊娠週数などを書いてもらう。
彼女のを見ると、本人と相手の苗字が異なっていた。
「婚約中かしら?」
「いいえー。もしかしたらするかもしれないけど、まだわかんないんですよー」
妊娠8週の10代の学生さんに明るく言われ、溜め息を押し殺す。
「彼には妊娠のことは?」
「言いましたよー。喜んでましたー」
「あなたのご両親は妊娠について知ってるの?」
「それなんですよねー。まだ言ってないの。でも親に言ったら絶対おろせって言われちゃうからなあ・・・」
「・・・彼は、例え結婚しなかったとしても、一緒に育ててくれるのかな?」
「お金ない人だから無理だと思うんですよねー。赤ちゃん喜んでくれたし、私の身体の心配もしてくれてたけど。でも、堕ろすことになるかもしれないから、この手帳も要らなくなっちゃうかもなあ」
「・・・」

それも、ひとりやふたりではなくて。

不幸な人を増やすのは嫌。子どものうちに殺されたりすることも、心身傷ついたまま大人になることも、とても悲しいことだから。
人工妊娠中絶もよほどの理由がなきゃ嫌。母体も傷つくし、種の保存の面から不自然な行為だから。

『おめでた』なんて言われる妊娠なのに、何で切ない気持ちにならなければいけないんだろう。
幸せそうな相手のことを祝福し、笑顔で心の底から「おめでとうございます」と言えない母子健康手帳交付が、今一番つらい。


2002年08月23日(金) 久々の、アクセス数の怪

驚き桃の木。

昨日も飲み会だった。焼き鳥屋。
日付が変わるギリギリの時間に帰宅し、どれくらいの人が日記見にきてくれたのかな〜ってCGIBOYのアクセス解析みたら普通だったんだけど、ReadME!のランキング見たら、目が白黒してしまった。ちょい待ってくださいませ。で、エンピツの方の解析見たら・・・あるURLをクリック。・・・すぐに寝るはずだったのに。
理由は、うちとは比べ物にならんアクセス数のサイトで我が日記の感想書かれていたからだった。嗚呼、びっくり。

色々な人に見てもらいたいと思っているので、このサイトへのリンクは自由です。今までもちょこちょこ他サイトで紹介されたけど、こんなにアクセス数の多いサイトでリンクされたのは初めてのことで。いつもの倍の数のアクセスに私、びびりました。さすがに快感は感じられなかった。

というわけで、やっぱりアクセス数に踊らされちゃいかんのですよ。「最近、見にきて人が少なくなっちゃったからどうにかしなくちゃ」なんてエロ話したり脱いだって意味がないかと。目新しければ最初はそれなりに人は訪れるし、それなりにツボにはまればまた来てくれるし。それに、アクセス数が急に増えたりするのは、こういうリンクによるものであることもあるわけで。
アクセス数なんて、しょせん目安でしかない。解析でもカウンターでも、正しい来訪数のカウントはされにくいし。

目新しさやリンクによる一時のアクセス数に歓喜してその後一憂するよりも、アクセス解析で再来者数見たほうが、人生なんぼか楽しいような気がする。私の意見だけど。

また最近、いつも見にきてくださる方が増えてきて、私、うれしいです。しあわせです。
ありがとう。


2002年08月22日(木) ケンカして夜の公園でシクシク泣いてみたり

前々から言ってあったというのに。

「奎佐はチャットやメッセで、そんなこと普通は隠すやろって思うことまで平気で話しているから、本当のことしか言わない子やなとは思ってはいたけどさ」

そう、私は真っ正直な女。例え、虚言かなあ?って思うようなことが多い場所でも、自分を偽らない女。
だからさ、ちゃんと言ってあったわけじゃん? なのに、なんで私が怒られにゃあかんの。お陰で逆切れ。

私の部屋は乱雑。でも、足の踏み場がないわけじゃない。それに、食べ残しや汚れた食器が部屋にあるわけではなく、本やら化粧品やらビデオやらが、要するに物が出しっぱなしになっている。別に、収納スペースがないわけではないので、「しまう」という行為がちょっとばっか脳から失われているようだ。困ったもんです。
でも、台所とおトイレとお風呂だけはきれいにしてある。それだけは、彼に誉められてしまった。そう、きれいじゃないと使いにくいところだけは『努力』を総動員して頑張っているのだ。だから、お部屋のことになると手が回らない。ついでに頭も回らない。

彼はA型。私はB型。
血液型ばかりのせいにするわけではないけれど、合ってないわ、うちら。
先週、ひと月ぶりのデートだったというのに、5泊6日の初日から私の部屋の未整理未整頓のせいで大喧嘩。
そもそも、先々週仕事が忙しくて疲れてて、片付けどころの騒ぎじゃなかったのだ。お弁当だって作れなかったし、朝夕の食事だって外食で済ませなきゃいけないくらいだったのだ。そんな私に、元気なときでも気が向かない限り片付けしないのに、彼が来るからってきれいにしておけるものか。

「そんなに嫌ならもう来なけりゃいいじゃん!!!」

いつもなら、「もっときれいにしとけ」だの「出したら片付けろ」と言われたら、「あなたやってよ」と言い返す私だったが、今回はぶっちぎれた。

「じゃあ、今から帰るわっ」

遅い夕飯時のことで、時刻は20時過ぎ。私の手作り夕飯もそのまま残し、彼は荷物をまとめ始めた。
お互い、意地っ張りだし頑固なのは重々承知。だから、ここですぐに謝ることなんてできない。
だから。

私は頭を冷やすべく、本当はルール違反なんだけど、次の日の収集のペットボトルと缶ゴミを出しにいくことにした。鍵も財布も携帯電話も持たず、サンダル姿で。

ゴミ置き場の裏手に、小さな公園がある。私はそこのベンチに座った。夜風は未だ生暖かく、星はひとつも見えない、くもった日だった。
彼は探しに来るのだろうか? 私が帰らなかったら、彼は今夜中には帰らないだろうな、とか思いながら。
こんな、おかしな真似したくなかったのに結果的にはバカな行動に出ている自分を笑う反面、彼はもう何もかもが嫌になってしまったのじゃないか、ととっても不安だった。

だいぶ経ってからだったけれども、彼は迎えにきてくれた。私は思わず泣いてしまった。

人と比べれば家には物が少ないのに、片づけができないのは幼少の頃から。今更直らないよ、と告げても、彼は「努力の跡が見れればいいよ」と言った。
努力?
・・・

「ただな、奎佐。どうしても耐えられないことあるんや」「なあに?」
泣き腫らした目で見つめ返すと、廊下のポールにかけておいた洗濯ものの一部を指差された。
「俺がいる間のものは干しておいてもいい。が、その前のものはちゃんととって置け」

ランジェリーのかけっ放しは何よりダメなんだそう。以後、それだけはしまうようにしようと思いました。


2002年08月21日(水) 書物における年の差カップルとか

己のルーツをちょっとだけ浅めに探ってみた。

『ガラスの仮面』が私の初めて買ったまんが本。しかも、なんか知らんが5巻から。真澄氏のマヤへの恋情に悩む姿がとってもツボだった。
その後、色々物色して買いつつ、今にいたる。『キス』『先生!』とか。女が年上バージョンだったら、『いとしのエリー』『めぞん一刻』『サイコメトラーEIJI』『オトナになる方法』とか。最近のマイブームだったら、『スイッチ』かな。

何の話しかというと、まんがだけでなく、世の書物には結構、1歳2歳どころじゃない年の差カップルというのがあります。うちも現実に結構な年の差カップルなんですが、そういうまんがが巷にあふれているってことは、そういうカップルって結構いるのではないかと・・・でも、憧れはするけれども諸問題より付き合わない、ってそんなもんかな。
15離れてますって言ったら、うちのお父さん、どうなさるのかしら。何て言うかしら。一回りくらいいいじゃん(でもうちは一回り以上だ)・・・とは思うけれど、将来のことを考えると暗くなるのは事実。両親の介護と彼の介護かと思うと、先行きは明るくない。いや、本当、光は見えない感じ。

まんがとか小説読んでると、いいないいないいな、って思うことたくさんある。多分、恋愛の苦しい場面でも、それなりにきれいな部分だけだからなんだろうな。付き合い初めとか、新婚場面なんかで終わるから。

嗚呼。

今日、職場に介護保険申請に来た70代後半のおじいちゃんがきた。
おじいちゃんには14歳年下の奥さんがいるんだけど、その奥さんが脳出血で麻痺ある身体になっちゃって、おじいちゃんひとりでは世話できないということだった。だから、介護保険でヘルパーさんに来てもらったり、介護ベッドを導入したいとの希望だった。
結婚した若き日は、おじいちゃんも若い嫁もらえて幸せだったんだと思う。自分の老後は安泰と思ったかもしれない。けれど、実際には妻に倒れられてしまった。
でも、おじいちゃんは妻の世話をするのはを嫌なことと捉えていなかった。大事な相手を見るのは当たり前のことだと分かっているようだった。

連れの介護を厭わない人が己の相手であるのは、幸せなこと。
そんな人が、年齢なんかに関係なく幸せになれるんだと思った今日。

書物の世界にはない現実を見、感動すると同時に己を省みて大分反省。
私は彼とこの先、どうしたいんだろう? 私を欲しいという彼と、どうなりたいんだろう?

夜風が冷たくて、感情を刺激して、なんだか涙が出てきました。


2002年08月20日(火) 焼肉屋から中華料理店に移動して

昨晩、同期男女5人で焼肉食いに行ってきた。

肉の質もいいけど、芸能人も行くとかで有名な焼肉屋。平日でも店前の駐車場がいっぱいになるくらいのお店。
だけど、台風がかすってて暴風雨になっているときは空いているだろうということで、そのお店から何があってもどうにかこうにか帰れる範囲の人だけ集まった。私なんか、家から歩いて7〜8分と一番近い人間だった。いや、そんなわけだから私、焼肉食べに行こうって言い出したんだけど。

案の定お店は空いていて、18〜19時半くらいの間、私たち5人しかしか客はいなかった。店員は3名。その後、雨脚が弱まった頃に2組来た。それまで貸しきり状態。店員もやる気なさげだった。

男3に女2だったから、飲むよりも食べる方が大事な私は色々たくさん食べられて幸せだった。ちょっと飲んで肉食べて、ちょっと飲んで石焼ビビンバ食べて、もう入らないっていうくらいお腹いっぱいになった頃、Nちゃんが飲みすぎて疲れたと言って帰っていった。送りがてら、お店替。今度は中華料理店。
先週彼といったばかりのお店だったけれど、そんなに食べられそうもなかったので文句も言わずについていった。

男連中はアルコールで、私はクリームソーダで乾杯。お腹いっぱいと言いつつ、鉄鍋餃子を頼んでおいしく食べてしまった。
みんな20代、2次会はやはり恋愛系の話になる。男連中はふたりは完全にフリーで、ひとりは「彼女まではいかないけれど、いいのがいるだろう?」って感じだった。だから、恋人持ちは私だけ。私は彼がいることを隠していないし、聞かれれば答えるタイプ。
だから、出会いは何処でと聞かれることになる。
どう、答えたもんかな・・・チャットで知り合ったともなんか言えんし・・・と私が考えた末に出した答えは、

「旅行先で私がナンパしたの」

メールで口説いたのは私だ。チャットで出会うことは、旅行先での出会いみたいなもんじゃないだろうか。違うだろうか。でも、私にはチャットなんて言葉、口にできなかった。

彼の何処が一番いい?なんて聞かれて、「やめてといったらやめてくれるところ」なんて言ったもんだから、何となく私の持病、子宮内膜症の話にもなった。申し訳ないが『意外』にも、彼らはえらく神妙な顔で聞いていた。前の彼女がすごい性交痛あったけどそれかな、なんて話も出て、もしそういう理由があって痛いって言ったり、したくないというのであれば納得して自分を抑えられるのに、なんて言っていた。ただ痛いって言われても、断る手段の言葉かと思ってしまうなんて言われたり。ちゃんと内膜症がなくても痛いことがあるってことはお伝えしたけど。

なんか色々と、実りある飲み会だった。


2002年08月19日(月) 目撃者

何でかな、何でかな、何であの人がいいのかな。

お盆の間、彼と八景島シーパラダイスに行った。そして、その帰りの電車で彼の腰部から背中に手を回してずっと背中を愛撫してたんだけど、それ、同期の男の子に目撃されていた。
同期に気付いたのは、その彼が降りる駅1個手前。一体いつからばれていたのか分からんが、目が合うなりにやりと笑われた。チューリップ型帽子かぶっていたけど、私だってわかったみたいだった。
あああああ。

遠距離恋愛で普段近くにいない分、彼といる時間はいつもできないことをしようと、街中でも触りたい放題くっつきたい放題なのだ。例え、知り合いに目撃されようとも構わない、という勢いだったのだが、いざ目撃されると気恥ずかしさが先に立つ。

こんな、目撃される恥ずかしさは、すっかりさっぱり忘れていた。
だけど、誰に見られようとも、遠距離恋愛を続けている限りは私は彼にくっついて離れられないであろう。
やっぱり私は彼が好きだから。


2002年08月18日(日) 青春の影

彼とお揃いの指輪を買った。

お付き合いを始めてから1年と8ヶ月。私たちはその間ずっとずっと、『好き』という気持ちを温めてきた。
その結果としてこのお盆に、婚約でも婚姻でもないが、ペアリングを買った。

実は千円単位以上のものを買ってもらうのは初めてのことで、私は何となくビクビクとしながら彼に買ってもらった。
今まで彼に私専用として買ってもらったものは、800円くらいのヘアブラシだったから、それと比べると万単位になってしまった今回の買い物はかなり高額だった。
自分の誕生日にも「物は要らない。あなたの時間が欲しい」と物でのプレゼントを断った私だが、この前からどうしてもお揃いの指輪が欲しくなってしまったので、買ってもらうことになった。
本当は、彼の分だけは買いたかったのだが、年上男性としての沽券にかかわるということで、甘えなければいけなくなってしまった。
だから、値段だけは押さえ気味に、選ぶのを頑張ってみた。

K14のWGのお揃いの指輪
彼のはシンプルに、私のは0.05カラットのダイヤ入りで。

私たちは店員に、指輪が2つ並ぶ、開けると『寿』と書かれた赤い指輪ケースを手渡され、「1週間ほど着けていただいて今一度サイズの確認をして、サイズ直しをした後で指輪の内側に日付、またはイニシャルなどをお入れするようにいたします」と説明された。
「はい」と神妙に頷いた私に、店員は「奥様の指輪は少し緩いのようなので、落とさぬよう気をつけてくださいね」と言った。
確かに10号の指輪は、私の左手の薬指でくるくると軽く回る感じだった。
しかし今度は『奥様』と称されてびっくりしてしまい、返事はつい、気の抜けた「はあ」になってしまった。

彼の年齢を重ねた容姿からしたら、もう結婚していておかしくないのだろう。私だって、24歳なのでそれなりの容姿だ。2人でいたら、年は離れていても夫婦に見えるのだろう。

店員の言葉に触発されたのか、ふたりきりの家の中で指輪のはめっこをしていたら、彼に小さな声で「奎佐の両親に挨拶に行きたいんやけど」と言われた。
「いつ?」聞いた私に、彼は「今年中か来年か」と言った。
「私、2〜3年働いてからじゃないと嫌だよ」「分かっとる。でも、挨拶だけは」
彼の緊張が伝わり、私の心臓が早鐘を打ち始める。
「うん・・・じゃあ、ぼちぼち、それとなくお父さんに話しておく・・・会うのは、来年の春くらいをめどに」自他共に認めるファザコン娘で、「お父さんみたいな人と結婚したい」と幼少の頃から言い続け、だけどそんな父と似ても似つかぬ人を好きになったことを父にどう話せばいいのか思いつけぬまま、私は頷いた。
そんな私に、彼が言葉を重ねた。

「会うって考えただけでもめっちゃ緊張するけど、奎佐が欲しいんや」

どうしようもないほど歓喜する心のどこかで、戸惑い未来に不安を覚える自分がいた。


2002年08月13日(火) 逃げ水のような恋愛

逃げ水に逃げられ、傷心。

ちょっと前、ちーちゃんのバージンブレイクに激怒した覚えがある。
ちーちゃんというのは、チャットで出会ってメッセ・メール友だちになって、オフして友だちになって、今は電話・メール友だちになった沖縄の女性である。学年で言うと、私より一つ下。
ちーちゃんはネット恋愛を繰り返しては、怒って泣いてと忙しい人だ。24時間の大半、ネットの世界で生きていると言ってもいいくらい。

ネット恋愛というのは、立ち上げがほぼ毎日であるかどうかにかかっているような気がする。メールやチャットやメッセで、いつもいつも返事の返ってくる相手。そんな自分と対話してくれる相手を見つけると、人は恋に落ちてしまうのかもしれない。ちなみに、恋人はネット内で、恋の相談に乗ってくれる相手もネット内で、という人も少なくない。
ちーちゃんは自称でも他称でも現実的に暇な人で、頻繁に誰かとメールし、毎晩のようにメッセンジャーを立ち上げてメッセしながらチャットをしている、ネットでの出会い中毒だ。打ち込みも早いので、大抵の相手とは会話もテンポよく進む。だから、その世界ではやたらめったらもてる。やはり、打ち込みが早い方がネットの世界では会話しやすいようだ。

ネットのちーちゃんはとっても魅力的な女性で男性陣が惚れてしまうのもわかるだが、実際の現実のちーちゃんは、おおよそ美人ともかわいいとも普通とも言いがたい容姿である。ネット以外の場所では誰かに告白されたことはないと堂々と言う。だから、ネットの世界でもてだして、彼女の人生はずいぶんと変わってしまったのだと思う。
ちーちゃんは己の足かせだったバージンを喪失させるために、身体目当てとはっきり分かっているメル友を使った。しかも、しょっぱなから避妊なしでするという、無謀なことをしてくれた。挙句、「奎佐、どうすんべー?」と電話してきたんだから世話ない。しょうがないので、早急に産婦人科に行かせ、モーニングアフターピルを処方してもらい、服薬させた。まったく、世話のかかる友人だ。しかもそのメル友とは、それ一回きりで終わったという。当たり前だ。しかし、互いにヤリ捨てという感じなので、どっちもどっちである。

私と出会って1年と10ヶ月程になるちーちゃんは今、顔も見たことのない年下のオトコノコとお付き合いしているらしい。もうすでに、彼女がネット生活を始めてから何人目だか分からない。私と出会った頃は岐阜の男に始まって、大阪、神奈川、鹿児島・・・でまた大坂だったっけ? いや、また鹿児島だったかもしれん。もう、くっついたり離れたりよりが戻ったり別れたり昔の恋が復活したりと忙しいもんで、時々しか話を聞いていないこっちは全然把握しきれていない現状。当事者だって、ちゃんとわかっているのかどうか、謎だ。

ネット恋愛を否定はしない。私の今の出会いもネットだったから。
会えなくても、心の支えができて心が落ち着いて、生活が充実すればいいと思う。だけど、会ったことのない人に対する恋愛感情でやきもきして、強く強く想い過ぎて、眠れなくなったり安定がなくなるまでにはならないほうがいいと思う。
会話の内容から相手に理想を追い求め、会わないうちに妄想はどんどん膨らんでいく。そして、実際に会って激怒したり鬱状態になったり、『本当の相手』が見えなくなってしまったり。
感情コントロールは難しいけれど、どうぞ、自分の意識をしっかり持って。そうしないと、最後に泣くのは自分。

そして私は、泣くことの許されない、ひどい女。人の気持ちを弄んでいる状態。こんな人間もいるのだから、要注意なのだ。

遠くに見えるうちは潤い、あそこに行けば絶対に幸せになれると信じて、近づくと、実はそれは幻だったと知らされる。
それは、顔の見えない恋愛だけに当てはまることでないけれど、ネット恋愛でより起こりやすい現象ではないかと。


2002年08月12日(月) 私を好きになった先生

先生、お元気ですか?

昨晩、寝る前布団の上で今までに自分が好きになった人、自分を好きになった人を思い出していた。
私は決して美人でもかわいいわけでもないけれど、それなりに社交的なので、付き合ってくれと言ったこともあるし、付き合って欲しいと言われたこともあるし、お付き合いしたこともある。
私を好いてくれた人の中で、一番どう対応したらよいのか分からなかったのは、高校時代に私に惚れてくだすった化学教師だ。
彼は当時30歳目前の独身者で、私は17歳の小娘だった。彼とは放送委員会と生徒会で、顧問と委員の関係だった。話の分かる先生だったので、割と仲のいい方だった。
そんな彼が、いつしか私に惚れたらしい。私だけが暢気にそれに気付かず、彼が足しげく私のいる場所に出没する訳を知った周囲に、娯楽を与えていた。我が親友のカエはそれを知っていながら、皆のため、鈍な私には黙っていた。
彼は食べ物好きな私におやつを「差し入れ」と称して持ってきてくれたり、委員会のあった日は、学校から駅まで一緒に帰ったりした。そんな関係だった。
結局、私と彼はくっつくことはなかったのだけれど。

「佐々ちゃん、俺ね、家を買ったんだけれど」
そんな話をされたのは、確か制服が半そでだった時期だったと思った。
「へー、じゃあ、あとはお嫁さんですねえ」
「佐々ちゃん、真面目な話、うちにこない?」
私、絶句。その頃の私は純情だった女子高生だったので、先生の言葉をうまくかわせず、泣きそうな顔で彼を見返してしまったと思う。
彼はそれを冗談にできるくらい、大人だった。
今頃、彼は結婚して嫁さんがいてお子さんがいるんだろうか。幸せな家庭を築いているんだろうか。少なくとも、私と一緒にいるよりはずっと幸せな人生歩んでいると思うのだけれど。

あの頃の私の純情は、何処へ行ってしまったんだろう?
なんだかとっても世知辛い、昨今。


2002年08月11日(日) 夏の嵐

もしかしたら、無意識に『無反応』『無感動』を装うことで、精神の安定を図ろうとしているのかもしれない。

あれは夢だったわけではない。現実の出来事。
決して無理強いされたわけでも、かどわかされたわけでも、誘ったわけでもない。忘れたわけでも、忘れたいわけでもない。なかったことにしようと思ったことはない。
だけど、『未だ』なのか、今は後悔はしていないようで、自責の念さえもない。

家に帰り、PCを開いて、いつもは見ないMSNの星座占いなんかを開けてみた。
そして、8月のやぎ座の月運コメントを見て、しばし物思いに耽ってしまった。
『今月のあなたは、好奇心が旺盛です。いつものやり方をちょっと変えて、いろんなやり方を試してみたい、そんな気持ちに駆られる時。ささやかな知的冒険でも、大切にしましょう。あなたの周辺が、しだいに活気づいてくるはずです。たとえば、遊び心をもって街に出てみましょう。ふとしたきっかけで、美味しいピザの店を見つけたり、素敵なファッションアイテムに出会えたり。とっておきの書物を手に入れたり。空想は、膨らむばかりですね。恋愛運は、わがままを言ってはだめ。お相手にだって、都合があります。』

自然の流れ、いや、すべては前々から少しずつ、時間は繋がる方向に向かっていたのだと思う。
今回のことは、己の意識と相手の意図が互いの流れを操作していると分かっていながら、単に『そのとき』がきたときに、何もせずに流されただけなのだ。
流れを食い止める時間も頭もあったというのに、暑さを言い訳にゆっくり深く考えることを放棄し、少しばかり自棄の気持ちと好奇心が、衝動的に私を走らせた。

無理に均衡を保とうと『あれは大したことじゃない』と己を謀ろうとすれば、正常範囲に繋ぎとめていた精神はいつからかどこからかほころび始め、内外から腐敗し始める。

だけどきっともう、私の腐敗は始まっている。


2002年08月10日(土) 独白

それはとても、あっけないもので。

今はまだ、『罪悪感』だとか『後ろめたさ』だとかの感情に苛まれることはなく、ごくごく冷静な頭がある。
けれどこの先、何の拍子に、私は『罪の意識』を感じ、どうやってその感情を処理していくのか、それとも処理できないまま精神が蝕まれ病んで行くのか、現段階では見当もつかない。その時が来るのが、ひどく恐い。
今後も、何があっても、決して正の感情を持たなくても負の感情も持たなかったら、それはそれで楽な人生なのかもしれない。だけど、そうだとしたら、私は自分自身を信じられなくなる。自分のことが分からなくなる。

このことは、誰に謝ることも、懺悔することもできない。本当なら、後悔することすら許されない。
半分は自分から進んで火の中に飛び込んだようなものなのだ。何が起こるか分かっていて行ったのだ。自分の責任下において起こったことなのだ。

私の中の倫理のひとつが、昨晩崩壊した。


2002年08月09日(金) 個性的な友人たち

ちょっとおかしいところがあるくらいの人のほうが、味があって好きだ。

『普通』という言葉でくくりたい友人など、私にはいない。というか、くくれない。みんなそれぞれ、一箇所でもこだわり部分があって、個性的で、一緒にいて楽しい。
「あの子にはこうこうこういうところがあって、面白い」っていう評価が、私の中では最大級の誉めだ。

だから、例え2年前にチャットで出会って意気投合して沖縄でオフして以来メールか電話で付き合っているちーちゃん(24歳・女性)が、年中ネット恋愛で『付き合いだした』『横恋慕された』『別れた』を繰り返しいても、それも個性と・・・個性と思いたい。


2002年08月08日(木) 危険な情事


情事
が付くからって、必ずしもエロじゃないということで。



妹のアパートの前のアパートの住人はWebサイト経営者。
もっと言うと、その人は我が妹の同級生。彼女はその人とはほとんど話しをしたことはないそうだけれど。



妹が自分の大学名で検索かけてネットサーフィンしていたら、たまたまぶち当たったんだそうですわ、その人のHPに。
まあ、一応HNでは書かれていたらしいのですが、サイトに乗っていた日々の時間割やテストの時間割などから面が割れたよう。でも特に本人、身分をひた隠すつもりもない、ようなことを日記にも書いていたそうなので、近しい人にばれてもいいということなんでしょう。

しかし、その人の部屋と妹の部屋がアパートの構造上、とっても近くて、その人の部屋に人がくると声が聞こえるんだそう。ということは、彼女の部屋に誰かがきたときもその人に聞こえているということなんですが。
だから、日記のネタになった会話を彼女は生で聞いていたり、ネタになった相手が誰なのかが特定できているという次第で。
妹は、その人の部屋の電気が夜遅くまでついていると日記の更新でもしているのかしら、と思ってしまうと言っていましたわ。

面白い偶然ですが、怖いですね、こういうこともあるんですね。
私の日記だって、いつどこで知り合いに見られるか分かりません。友人ネタもポツポツあるんで、バレたら私の命はないに等しくなるかもしれません。私は間違っても身内にバレたくありません。
妹にも、親友にも、恋人にも内緒の日記サイト。どうぞ、書いている限りはばれませんように。

だけど、妹にこの話聞いて、改めてWeb世界が怖くなりました。
身分がバレたら困るのに、書く楽しさ、読んで何かを感じてもらう楽しさに負けてサイトを続けてしまう。なんて危ない遊びなんだろう。

人生とってもスリリング。


2002年08月07日(水) 『ちょっと不安になったので、メールを書いてみた』と彼は言った

『PCの方にメール送ったけど見た? 見てなかったらまた見といてちょ〜だい』

という彼のメールが携帯メールに入った途端、『別れ話』という語が頭をよぎった。
あの人はそんな大事なことをメールでは言わない人だと、そもそも文面のノリから推測してみろよ、とあとから思っても、そのときの私の感覚器すべては、ぎゅうと怯えの感情につかまれた。



遠距離の敵って言うのは寂しさやろなぁ。
なかなか会えないもんねぇ。

初めて会った時の別れ際に奎佐(仮名)が言ったやん「今日会えなかったら付き合わなかった」って

なんとなく意味わかるもんなぁ。

今はどうにか約束の日に会ってるけど、会えない日も出てくるかもしれないし・・・
そうなったら、奎佐はまた別れようとか思うんじゃないかなぁって、ちょっと不安。

それでなくても月に1度ぐらいしか会えないしね。
段々慣れてくるって言うんならいいんやけど・・・奎佐は日々寂しさが増してるように思う。

付き合い始めた時は別れ際もそれほど寂しい顔しなかったけど、最近は別れ際泣きそうな顔するからなぁ。

でも、我慢して付き合っていつかは一緒に住みたいよ。
何時でも触れる所に奎佐を置いておきたいわ。

でも、不安は何時でも付きまとうよな。
奎佐も不安があるやろうし、寂しいやろうけど、頑張ってよ (*⌒3⌒*)ちゅ〜




私は、彼と付き合うまでも、付き合い始めてからも、年の差、遠距離、彼のバツイチ歴、職種等、さまざまな不安材料に悩み、惑った。いや、今でもそうだ。
彼と、一度は肌を合わせた女性と直接対峙して彼を強奪したが、それでもなお、私は彼との付き合いをどうすべきなのか分からず、何度も幼子のように駄々をこねた。彼にそのすべてを正直に吐露し、心決めるまで待ってくれと、無茶苦茶なことを何度も告げた。
それでも彼は、私を待っていてくれた。

時に辛辣で人を平気で傷つけ、都合の悪いことは口にせず、自分勝手な私。
あなたはよほど寛容なのか、見る目がないのか、盲目的に私を愛してしまったのか。
どちらにしろ、その選択が正しかったのか、それは誰にも分からない。

でも、私もあなたを愛しているのだと思う。多分。


2002年08月06日(火) ちょっと聞いてみただけだったの

いやね、最初は必要事項だから、聞いてみただけだったんですけれども。

乳幼児健診の予診時、「何時をお子さんの寝る時間の目安にしていますかー、何時頃起きますかー?」って尋ねます。
早寝早起きリズムって子どもには、大人以上に大事なんでわざわざ聞くですよ。
この職17年の先輩保健師によると、最近はカラオケやらゲームセンターやらショッピングやらで、結構夜遅くまで親と出歩いている児が多くなっているんだそう。あら、ビックリ。
だけどね、成長ホルモン分泌パターンから見て、あんまりお子さんを遅くまで起こしておくのはいかんのですよ。
寝る子は育つって言うのは、嘘じゃない言葉なんですよ。

先月、3歳半健診がございました。いや、毎月行っているんですが、とりあえず先月の3歳半健診で。
そこで出会った20代後半の2児のお母さんが、「子どもは0時過ぎに寝る感じかなあ」って言いました。
「お母さん自身は何時頃?」と尋ねた私に、「2〜3時頃かなあ。起きるのは子どもと一緒で、お昼くらい」と言いました。
2〜3時・・・いくらなんでも遅すぎます。子どもを寝かしつけるまでに目が冴えてしまったとしても、おかしな時間です。挙句、起床がお昼頃だなんて、大問題です。
「旦那さんとの時間を設けてるの?」とさらに質問を重ねた私に、お母さんは言いました。

「いえ、チャットにはまってて」

チャット・・・それは、私もPCを買ったばかりだった2年前の、秋口から冬にかけての約4ヶ月間はまった遊び。ちなみに、私は現HNとは異なったHNでMSNチャットの、よりによって『出会い系』にはびこっていた。『出会い系サイト』での事件が多発している昨今ならば『出会い系』のチャットルームなんか行かなかったが、当時はそれほど事件は明るみになっていなかったので、無知な私は『出会い系』のみでチャットをしていた。
まあ、それはそうと、幼子のいる母がチャットで夜更かし、お陰で朝起きられずにブランチ状態って・・・。食事も1日3食が望ましいんだけど・・・。

「お母さんあのね、」と子どもの成長発達には睡眠時間と食事が重要だってこと、とつとつと説明したんですのよ。お母さん自身はもうともかくとして(その生活がそのうち健康を害する恐れがあるとしても、大人の趣味を取り上げようとしたって、本人にそれをやめようという気がないだけ無駄)、お子さんだけは規則正しい生活リズムに乗せてあげてくださいって。
だけど、チャットのはまった幼子の母は言いました。「・・・自信ないです」って。そりゃそうかもしれないけどさ・・・少しはやってみてくだされよ。

分かってる。子どもの為に自分の人生犠牲にしろだなんて言わない。けどけど、子どもを産んだら、最低限のことを子どもにしてあげて欲しい。

それは、切なる願い。


2002年08月05日(月) 人の価値観はそれぞれだけど、ネットに命かけてる人生って、どうよ?

先日実家に帰ったら、父に「最近の某巨大掲示板は大衆化現象して面白くない。もしかしたら、以前からの人たちは別掲示板に流れているのかもしれない」と言われ、ビックリ仰天した私。
お父様、あそこをずっとウォッチしてらっしゃったんですか? 私、知りませんでした。

というわけで、巨大掲示板を見に行ってみました。普段は個人ページの小さな掲示板なども見るだけで疲れてしまうので、「巨大」掲示板など激しく首を横に振って敬遠する私ですが、父にそんなことを言われて気になってしまったのです。
そして、私も日記書きなので、日記Webに関するところを開いてみたところ・・・まあ、色々思うところはあったのですが、一番は「やはり女性は怖い」という感想で。
私以前、女性Onlyの無料HPを借りて日記を書いていたのですが、女だけしかいない世界が怖くてやめてしまいました。だって、書き手も女、読み手もほとんど女、アクセスランキングも女、って、本当に女の園だったので(いや、園というより、巣窟か?)、「世の中には男と女って2種類の生き物がいるんだよー!!!」とそこを飛び出したんですわな。

無料日記サイトのエンピツでもランキングをやっています。投票ランキング。でもね、やっぱりそこでも熾烈な戦いがあったようなのですよ。アダルト系で、女性同士、時にその彼氏を交えての。
それをまた、ウォッチしている人たちがいて、最近あっちのランキングでもこっちのランキングでも見かけないなあ、って思っていた日記の閉鎖理由なんかがおぼろげながら、というか私の納得いく形で掲示されていたので、少しだけ集中して見てみました。
日記才人でも最近更新報告見ないなあってところも、某掲示板にリンク張られて過去日記削除したりしたよう。
白熱した戦いをしているHP同士では、なんだログが何者かによって消された消されてないで揉め合っていたり、掲示板を荒らす行為をしたり、HP閉鎖とか日記削除なんかをしていたみたいで。
まあ、色々、事件があるところではあるのだなあ、って思いました。全部を信じる気にはなりませんが、それなりに娯楽性はありました。

それに前に投票ボタンに画像があって、それを押してあまりのお粗末さにがっくり、ってこと書いたんですが、掲示板を頼りによくよく色んなアダルト系日記見てみると、多いんですね、画像つきボタン。ボタン押せば画像、もしくはオチが見られる、ついでに投票されるという。それがランキングに反映される。ヌード画像はあたりまえ、モザイクかかっててもカップルでチューしてる写真とか。モザイクかけんな!ってなあ、もう。
まあ、個人の自由といえど、毎日画像を変えるのは大変ですね。よく時間がありますね。うらやましいです。まあ、そういう毎日変えられるだけの時間と根性のある人は、ランキングにも大変ご執心なんだろうな、と想像した私。私にゃ無理ですわ、日記を書くことを楽しむだけで精一杯な毎日。掲示板も然り。だけど、そのランキングに24時間の大半を縛られている人もいるのだろうと容易に想像できて、なんだか遠い目になってしまいました。
自己日記中毒状態。そこから抜け出るのは難しいでしょうな。Web技術がそれなりにあって、自分の容姿とかにも自信があってって、そういう人が感情的にはまりがちのような。日記読んでいると、HPのアクセス数ごときで人生崩壊しちゃっているような人もいて、とっても心配。

自分の日記とランキング順位を維持するために、純粋な『楽しみ』感を失い、内容が過激化し、それでももっともっとと己の感覚と時間と何か大事なものを削っていく。

だからね、ネットに命かけてる人生って、どうよ?


2002年08月04日(日) ボディ・イメージが変えられない

ボディ・イメージって、生きていく上でとっても大事。

辞書でひくと、なんか難しい説明なんですが、私が今日使うのは、「自分の体型をどのように認識しているか」という簡単な意味。
『ボディ・イメージ』という言葉を私が最初に聞いたのは、看護学生時代。肥満とか過食・拒食症の人が、自分の今の体型を認識できていないことが多いという話の時だった。

ボディ・イメージがそれなりに正しい形で自己認識されていないと、困ったことが起こりがちだ。自分が健康的な体型であるのか、それとも太っているのか、それとも痩せているのか、それらを分かっていなければ、より健康的な身体作りをしようとする意力が湧かない。さらに太れば肥満体型、糖尿病や高脂血症などを引き起こされたり、さらに痩せればるいそう体型、栄養失調状態になる。
服のサイズが変わっても、食べる量が変わっても、ボディ・イメージの変化がなされていなければ、自分の体型がどこに位置しているのか自分では分からないのだ。
「ああ、ちょっと太ったかな」「ああ、ちょっと痩せたかな」だけで自分の中で終わってしまうのだ。
本来は、それじゃいかん。

太目から肥満体になったのに、「ズボンにゆとりがまだあるから」なんて言って暴飲暴食を重ねる輩は、己のBMIを計算しなおせと頭はたきたくなる。
ダイエットをして痩せたのに、「まだまだ太っている」とボディ・イメージの書き換えが出来なくてダイエットを続けたりするのは言語道断。

なんてちょっときつめに言っていたのが、ちょっと前までの私。
実は私、2000年の秋から比べて7kgほど体重が落ちていて、さらに細かく言うと、昨年から2kg体重減少しているのです。すでにBMI値は・・・嗚呼。
しかし、私、この自分の今いる状態を数値的には認識していても、未だよく分かっていない部分もあって。
先日遊びにきた短大時代の友人ふたりに、「あんた、痩せたね・・・っつーか、痩せすぎ?」と言われて、まだボディ・イメージの変容ができていないことに気づいた。
洋服買いに行っても、「私には細いわ」と最初から少し大きめサイズを試着してしまったり、「脂っこいものは太るから」と準ダイエット料理を作ってしまったりと、よく考えたら、「あんた自分見てみろ!やせて益々格好悪いわ!」と自分で突っ込みまくりの日々だったことに。

ダメだ、こりゃ。
今までの認識を改めるだなんて、難しすぎると実感。
でもこれも、また保健師として役立てようと目論んでいる。
けど、自分のボディ・イメージを修正できない限り、それもまた計画倒れのような・・・嗚呼。


2002年08月03日(土) 青森の観光地とりんごジュースとコンビニと

同じ青森市内でも、暑いところと涼しいところがあった。

さっそくの観光は、どうしようもなく暑い三内丸山遺跡で縄文時代を堪能するところからはじめた。
次いで、半そでじゃ寒いくらいの奥入瀬渓流に沿ってドライブしたり、小道を歩いたり、そば食べたり。
最後のシメは、濃霧でやっぱりこれまた寒かった十和田周囲をドライブして、湖畔をお散歩して、乙女の象の前で写真を撮ったり。
暑さ寒さを両方味わい、心身ちょっとグルグル目を回してしまった。

・・・ねぶた祭りは開催中にも関わらず、昼間のドライブ疲れで行くのを中止し、青森放送で中継を見て終わりにしてしまった。
せっかくのお祭りに、近くにいながら行かない私たち家族って一体・・・

しかし、今回の旅は行き当たりばったり旅だったので、何の下調べもなかったので、行き先も当日決定、食事も適当。だから、青森の食をあまり堪能できないまま帰ることになりそうな感じ。
りんごジュースは買ったけど、正直、東京で買うのとあんまり変わらなかったような・・・その辺で買わずに、ちゃんと有名どころを押さえれば良かったのかなあ。難しい。



ところで、関東、特に東京に住んでいると、ショッピングモールやコンビニが結構遅くまで、下手すると24時間開いているので、コンビニでさえも8時に閉まってしまう青森には住めそうにない。
別に、夜中にコンビニをいつも利用するというわけではないけれど、開いているのと開いていないのじゃ、気持ち的に全然違う。落ち着かない。なんか不安になる。
本来、生体リズムから考えれば、夜中に活動するのはおかしいのだ。客の少ない夜中にわざわざ生体リズムを崩してまで開く理由はないような気がするのだ。
だけど、東京では開いていないと「駄目コンビニ」の烙印を押されてしまう。

よく考えれば、おかしな世の中。


2002年08月02日(金) ビバ、青森!

東北地方は、涼しいですね。

今、家族で青森におります。父・母・妹。
私は夏期休暇を昨日から2日間いただいて、土日と合体させて4日間の旅です。しかも車での旅です。東京の実家から青森まで、約750km。ほとんどを私の運転で走りました。しかし、早朝に出て夕方につくという、長旅。

ビバ、青森!
私にとって、日本国内今まで行った中で1番の北。岩手を抜かして1番北になった青森。
妹以外は厳しい関東にずっといたので、気温20℃台なんて、天国です。どうりで、クーラーも扇風機も部屋にないはずです。要らないからないんですねえ。
避暑地とはいわれていない青森だけど、私には十分避暑地気分です。涼しいし、おいしいし。

魚介も、神奈川とは異なる種類のもので、さっそくお寿司食べたけど、おいしかったなあ。歯ごたえたっぷりの白身魚がとってもおいしかった。

今日は青森観光。またも自家用車で回る。楽しみ。食べ物と観光を楽しんで参ります。
では。


2002年08月01日(木) 乳幼児健診の風景 〜 うちの子は試されている

勝負じゃないんだって、コレは。

3〜4ヶ月健診と1歳半健診と3歳半健診と、市町村によって少々ばらつきがあっても、大体その年齢で乳幼児健診を行っている。
市に住民票のあるお子さんのいるお家に、案内を出し、受けに来てもらう。

ところで、健診て、別にお子さんを査定する為の場ではありませんよ?

健康に、順調に育っているかを診る為のものです。
首が据わっているのか、物が動くとそれを目で追うか、手合わせできるのか、あやすと笑うかとか。
積み木がうまく積めるか、「ママ」「パパ」「ブーブー」とか言葉が出ているか、「これナイナイしてきて」って指示に従えるかとか。
「お名前なあに?」って自己紹介してもらったり、「自動車どれかな?」って絵カード指差してもらったり、「これは何色?」って答えてもらったり、ジャンプできるか見たりするとか。
全部全部、発達の状態を見ているものであって、「この子は優れている」とかそういうことを見ているのではありません。

でもさ、親としては、気になるようですね。
だけど、健診の為に、近所のお母さん方の情報網で何するか聞いて、絵カードや色カード、積み木の練習してくるのはどうかと。
あのね、もし何らかの『障害』があったら、早めに対処すれば小学校に上がるまでに発達を促すこともできるんだよ。
だからね、子がかわいいのであれば、こちらの目を欺こうとしたりしないで。発する単語数を嘘言ったり、おすわりできないのに出来ると言ったり。

悪いようにはしません。わたしたちを信じて。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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