一度だけの人生に
ひろ



 美学

人生は生きることが全てだ。
ゆえに、どう生きたが大切と
思いがちだ。

若かりし頃ほど、今だ経験したことが
無いものへの憧れからか、やたら死を
美しいものだと思いがちで、また、それに
憧れるが、死は誰しもに訪れる現象であって、
いわば日常である。
私たちの身近には無数の死が溢れている。
ただ、実感としてないだけ。

毎年夏になると、誰かの川遊びでの
溺れを助けるために誰かが亡くなったという
話をニュースで耳にする。
他人のために無心で自分の命を投げ打つ。
なんて素晴らしい行いかと思う。
自分以外の誰かのために命を賭して、
そして亡くなった。

そんななかなかなし得ない美しい人生を遂げた人でも、
来年には、ごく身近な人以外からは忘れられてる。
そして、その年、同じように命をとした人の出来事も
その時、美しいと思われるだけで、次の瞬間には
忘れ去られている。

そんな彼らさえ、そんなものなのだ。
死にたい死にたいと考えて、
ただ、無為に死んだところで、
それがごく身近な人以外に、何の
影響を与えようか。誰も、屁とも思わないだろう

東京にきて、つくづく感じるが、
毎週のように「人身事故」で列車が遅延したり、
止まったりする。しかし、ローカルニュースでも
どこの誰が飛び込んで死んだのか報道されることすらない。
何の理由で、どうな背景で死んだのかなんて
知るよしもない。

命の軽さ。
いや、他人の命なんて、本来、つくづく軽いんよ。
そして、私の命も、私の期待に反して、つくづく軽いんよ。

だからこそ、生きているということに意味がある。
死ぬということの圧倒的な無意味さを前にすると、
ただ、生きているということも、無意味だけど、
無為に死ぬよりは、いくらかましだなんだと思う




2022年07月01日(金)
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