一度だけの人生に
ひろ



 劣った子

みんな、何が楽しくて生きているのだろうと言う
疑問は、とても素朴で単純で、つまらないもの
なのかもしれないけれど、だからこそ
一番強く意識されて、一番強く迫ってくる。

「私、そんな、苦労に耐えて、
我慢してまで生きていきたくありません」
自分の思いをドラマの中の中学生が
言ったときに僕はドキッとした。
ドラマの中でも、その言葉に答えは返ってこなかった。


なんら誇ることの出来ない生活を
選んで生きていくことに、覚悟を決めたと
思っていたけれども、プライドを克服することは
至難のわざだ。
「いずれにしても、衆に優れてあらねばならぬ」
と言うような気持ちを、はっきりと
持っているわけではない。
ただ、その教育を受けたことと、
期待を受けたことと、重圧を感じていることは本当だ。

言葉も、期待ももはや無いのに、
重圧だけが残っている。独りよがりの重圧。

何が「衆に優れる」だろうか。
僕は、とうの昔から、衆に劣っているのだ。
いや、最初から、少なくとも、優れてなどいなかった。

それが分かっていても、ひどく劣った子、
ひどく劣った人間だと言うことを本当の意味で
自覚することは、耐え難く恐ろしいこと。



2003年08月28日(木)



 夜明け前のちょっと前

また間が開いてしまいましたね。
長期休暇の帰省時以外でこんなに開いたのは
もしかしたら初めてかもしれません。

もしかしたら、
どなたかに要らない心配を
おかけしたかもしれません。
だとしたら申し訳ありません。

引きこもってました。
一ヶ月近く、食料買出しと
煙草がなくなったとき以外は
外に出ませんでした。
特に理由はありません。
言ってしまえば、
外に出たくなかったわけでも
ありません。
外に出る理由がなかったから
外にでなかったというのが
実際のところです。

目覚めて、
煙草を吸いながら、
ぼんやりと壁を見ていたら
なぜか、泣けてきました。
そんな日もありました。

目覚めて、
アパートで一人、酒を飲んで
一人で酔っ払って、もどして、
意識を失うようにまた眠った。
そんな日もありました。

親父から電話があった。
「大変だけれども、
そんなに難しく考えることはない」
そう言われて、
かえって苦しくなった。
「気にしなくてもいいよ」と言われると、
かえって気にしてしまい、
「難しく考えるな」と言われると
かえって難しく考えてしまうこの性格。

食料の買出し中に、
偶然、友人に会って、
「飲もうか」「そうだな、飲もう」で
飲みにいく。更に友人二人を呼び出して、
夕方6時から明け方4時まで、
男四人で、
焼き鳥屋−カクテルバー−ファミリー居酒屋
と三軒、はしごして
これでもかというくらい飲む。
フラフラの男4人、
明け方の、車道の真ん中を
大笑いしながら歩いて帰った。
あの夜は、とても楽しかった。

高校時代の友人から
電話が来た。僕より一足先に
社会に出た彼女は、
もう身分的にはもちろんのことだが、
人間的にも、すでに「学生」では無かった。
いやな気がした。
「苦労人」にはなりたくない。
でも、どうせなるのなら、
早くなってしまいたい。

3月だったか、あるいは4月だったかも
しれないけれど、それくらいにした
最後のリストカットの傷跡が
8月も半ばにきたと言うのに、
まだ全然、目立っている。
確かに、いつもより深く切ってしまって、
縫わなきゃやばいのかな・・とか思いながら
まぁいいやと思って、普段どおりに
処置しておいたものなのだけれど・・・。
これはさすがに・・・
今度こそ親につっこまれるかもしれません。

明後日くらいに帰省します。



2003年08月11日(月)
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