一度だけの人生に
ひろ



 独りになれる力

ちょっと久しいですね。
例によって、特に何かに忙しかったわけ
でもなく、ただぼんやりと
引きこもっていたら、
間が空いてしまいました。

この間、
後輩の女の子から
ほぼ告白に近いものを受けました。
全く予期していませんでした。
正直、タイプではなかったし、
話をしていても、僕は「ああ、合わないな」
っと感じる子でしたので、
告白に「近い」と言う今の状況の
うちから「その気はないです。」
と言うようなことを伝えました。
いつもの如く、
また数日間、うじうじと
悩んだりしたのですが、
そこをあんまり書くと偽善者ぽいから
止めておきます。っとか書くことが
もっと偽善者ぽかったり・・・。

今回を含めると、
今年に入って、計三回、
女の子から告白されているわけです。
そう考えると、
もてているとは言えないけれど、
もてていないとも言えなくなって
くるような気がします。
だから、って言うと調子に乗っているみたいに
聞こえるかもしれないけれど、
あんまり今までみたいに、
周りに「自分は全然もてないんだよ」とは
言わないようにしなきゃいけないと
思ったりします。
なんか失礼な気がするから。

友達の友達が住むアパートで
この間、自殺者が出たそうです。
その彼と大家が腐乱死体の第一発見者。
その自殺者はうちの学生だったそうです。
女性。駆けつけた彼女の母親は、
娘の死体を見て、
大声で笑っていたらしいです・・・。
可哀想な母娘・・・。


自分の持っている可能性が
自分自身を追い詰めることだって
世の中にはあると思うのだけれど・・・。


2003年07月16日(水)



 つれづれ

「先輩って女性的ですよね」
って後輩の女の子に言われました。
彼女の、そして一般の人の「女性的」と
言う言葉がどんな意味か
明確に理解しているわけでもないけれど、
そう言われて、
ああ、確かにそう言うことに
なるのかもしれないなぁと思い、
苦笑してしまいました。

23歳。
なかなかぼんやりとも
してられない歳のような気がします。
それでも、とにかく、
自立して生活をしていれば、
別にぼんやりとしていても
悪いことじゃないとも思うのですが、
何かしなければ、何かを目指さなければ
と言う強迫観念のようなものが
僕の中にはあって、複雑です。
ぼんやりと暮らしていくことが
嫌いなわけじゃないのだけれど・・・。

僕は、人を誉めないと言われました。
そう言われて、確かにそうだと思いました。
僕はあまり・・滅多に人を誉めません。
それはなぜかと言うと、
僕自身が、人に誉められても、
あまり喜べないからです。
人に誉められて、素直に喜ぶことが
あまり出来ないのです。
劣等感が強いからと言ってしまえば
それまでなのですが・・・。

戯れに
「一生で一度で良いから
女にもててみたいなぁ」と言ったら、
「え?先輩ってもてないんですか?」
と訊かれた。
こう言うやりとりは
今まで、一度や二度ではない。
最初の頃はなんとなく嬉しくなったり
していたのだけれど、
最近はどうも・・・なんか嫌。
その原因をその子と色々と
話してみたところ
第一に鈍感。第二に上記のように
人をあまり誉めない。
第三にあまりしゃべらないと言われました。
第一、第二はともかく
第三の理由は自分としては意外でした。
自分では、いつも精一杯
明るく努めているのに、
それはまだ足りないようです。
まぁ確かに引っ込み思案なところは
どうしても隠し切れないし、
テンションは
あまり高くならない方だけれど・・・。


今日の痛い一言

「ひろおさんって、
【地球に優しい】と同じ感じで
【女性に優しい】ですよね」

意味が良く分からないけれど、
なんとなくニュアンスが読み取れて、
しかもなんか痛い。



2003年07月06日(日)



 変人

太宰の随筆に
「私は変人にあらず」
と言う文章がある。

【変人】
普通の人とは大分違い、頑固(ガンコ)な所が有る人。

自分は変人ですと言う人は
変人だろうか。
自分は狂っていますという人は
狂人だろうか。
と言う疑問はあるけれど、
僕の場合は、
何とかして「普通」になりたいと思い、
そう思うあまり、変人になってしまったとか
そんな風に思えたり・・・。

「普通の人」ってどんな人だろう



2003年07月05日(土)



 此処

大学浪人時代、
僕は「ただ、生きていくこと」の容易さを知った。

それまで僕は、
お金を稼いで、生活していくと言うことは
どんなに大変なことなのだろうと
不安にかられ、恐れ、戦いていた。
しかし、なんてことは無かった。
僕一人、生きていこうと思えば、
ぜいたくをしなければ、いや、
少しくらいのぜいたくをしたって、
生きていけないことは無い。
僕は、僕一人をなら、
十分養える力があると言うことを知った。
正直に言って、拍子抜けだった。

しかし、僕の生活は、
そのことを知ったときから急に荒廃した。
僕一人生きていくことは容易い。
そのことを知って、ますます何かの為に
生きていきたくなった。
とにかく、「やりたいこと」が欲しかった。
ぼんやりと「ただ、生きていく」ことが
怖くて嫌だった。

ぼんやりと生きて、十年後、二十年後に
突然やりたいことが出来て、
取り返しのつかない事になるのも嫌だったし、
何よりもその「ぼんやり」が一番苦痛だった。
「生きるために生きていく」のが嫌だった。

太宰の言葉で言えば、
「飯を食うために生きる」のが嫌だった。

それから今まで、結局は
ぼんやりと生きてきたことになる。
このまま一生、「ぼんやり」と生きていくことに
なるのかと思うとゾッとする。



2003年07月01日(火)
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