一度だけの人生に
ひろ



 be discouraged 

嬉しいことがあると、
その後に妙に落ち込むことが多い
自分です。

楽しいことがあると、
その楽しいことが終わった後のことを
考えて、憂鬱になる自分です。

ただ、失うことが怖い。


自分は誰にも受け入れてもらえない
って自分で思っているから、
人に誉められても、喜べないし、
「本当の自分を知ったら、
嫌いになるに決まってるいる」って感じになる。
でも本当の自分なんて、どんなか俺は知らない。

人に蔑まれたり、馬鹿にされたりすれば、
「ああ、自分なんだからしょうがない」って思う。
それで本当に割り切れたら、
良いんだけれど・・・やっぱ辛い。


人を信じたい
自分を信じたい


ただ、失うことだけが怖い


2002年06月30日(日)



 a day in the life 

ひがなぼんやりしていても、
どうしようもないから、本を読む。

本が好きなのか?
と問われれば好きなんだろう。

主に戦後、昭和前半の小説。

自分は個々の小説家を
あくまで個々として感じることが
好きだったし、それが小説を読むときの
本当だと思っていた。

中原中也、井伏鱒二、太宰治、坂口安吾

最近これら作家の
横のつながりについて、
いくつか本を読んでいる。
昔から読んでいたのに、横のつながりを
全く知ろうとしなかったのは自分でも、
おかしな事のように思われるけれども・・・。

やはり、今の自分は太宰が一番良い。


あとはぼんやり、空を見ている。
時々無心になれるような気がする。
ハァと溜息一つして、我に返る。







人に素直に甘えることができない、甘ったれ


2002年06月29日(土)



 sink back

か細く「些細、些細」と呟いて・・・

その言葉の次に来るのは、
「自分にはこれが当たり前」

「どうしてこんな思いまでして
生きていかなきゃならないのかなぁ」

「とても生きていけない」

「死んだ方が良い」

そこまで来て、また「些細、些細」と呟く。

繰り返し、繰り返し

次の日も生きてる


だんだん落ちていく

落ちるたびに、少しずつ欠けていく

2002年06月28日(金)



 pride

自虐的とか、内罰的とか、
劣等感も、全部自尊心、自愛心から
来ていると思うと、すこしイヤになるね。
きっとそうなんだろうな・・・。

自分が嫌いなのは
自分が可愛いからなんだよねぇ。
なんでも悪い方へ考えるのは、
自分を守るためだろうし・・・。

でも決して作為的な訳じゃないから
そこも微妙なところ・・・。

どこで、だれに教わったものでもなく、
いつ、なぜかも分からないうちに、
自分が他の誰よりも
可愛くなっちゃってるんだから・・・。


「人を喜ばせることが、自分の幸せだった。」
なんてね。
こんなことは考えたこともないけれど、
でもなんとなくこれに似ていて、
全く違う考えを持っていた。
「人を喜ばせることが、自分の生き方だった。」
いや、
「人を喜ばせることが、
自分が生きてても良い条件だった」
の方が分かりやすいか・・・。

とにかく、人を、誰かを喜ばせていれば良い。
喜ばせるのが無理だったら、
せめて、人の迷惑にさえならなければ良い。

それが自分の処世術だったし、
存在理由でもあった。

これからは、
自分を喜ばせなきゃならない。
って言うよりもそれが本来の人の姿なんだね。
どうせいつまでも続くものじゃなかったんだ。

でも何が楽しいか
何が嬉しいか
何を求めているのか
自分でもよく分からない。

いまだに「誰かの役に立ちたい」
「誰かを喜ばせたい」と言う思いに強くかられる。
不安で、恐ろしくて、自分で自分を追いつめる。


フワフワ浮いている
何をどうしたら良いのか
何をどうしたいのか全然分からない。

2002年06月27日(木)



 equality

自分は田舎の出身なので、
上下関係というか、そう言うものに
子どもの頃から慣らされて生きてきました。
ほとんどは親父の躾のせいなんですけどね。

だから年上とか年下とか
目上目下ってことには
今の人と比べたら、かなりこだわります。
こだわるって言うよりも、
気にさわるって言う方が正しいかも知れない。

例えば、
自分と同い年のやつが
後輩からタメ口をきかれていた場合、
例えそいつが自分に対しては
敬語であったとしても、なんとなくむかつきます。
自分が「〜先生」と呼んでいるのに、
後輩が「〜」と呼び捨てにしていると
むかつきます。

こうして文章にしてみると
自分でも些細なことのように思えてきますが・・。

だから、浪人上がりの自分は
年齢的には一つ下のやつと友達で
同い年のやつは先輩って事になって、
大学に入って始めの頃は、今までとの
ギャップに困惑していたのですが・・・。

学年的に一個下(年齢的に2個下)
の女の子らと良く話すようになって、
かなりうち解けては来たんですが、
最近、なぜかその子らが自分にタメ口を
使うようになって来ているのが気にかかります。
そう言う同学年(つまり年齢が一つ下)の
友達との会話になれてしまっていて、
そのことも後で思い起こすまで気が
つかないくらいだったんですが・・・。

別に良いと思っているんですが、
(自分的にはこう思えるようになったことは
考えてみると、大きな進歩です)
そう言う彼女らの感覚がわからないなっと・・。
自分はそう言うことはとても出来ないからね。


2002年06月26日(水)



 honor

自分が前から太宰治に傾倒していることは
分かるだろうけど・・・。

自分が好きな言葉、
集めて二枚の紙にまとめて
友人に見せてみたりしました。

何を期待していたわけでもないけれど・・・。

ある友人がニヤニヤしながら
それを読んでいて、突然、
「お、俺はこの言葉をお前に送りたいね。」
と言いました。
その言葉は

「一番いい人として、
ひっそり命がけで生きていて下さい」

自分にこの言葉をかけることが、
的を得ているのか得ていないのか、わからない。

嬉しいやら、悲しいやら、
俺はただニヤニヤしていました。



2002年06月25日(火)



 give a clear solution to 

「死にたがりは死ななきゃ治らないからなぁ」

その言葉を聞いたとき
自分はかなり愕然とした。
ある程度は、信用できる奴かな
と思っていた友達だっただけに・・・。

「そんな気持ち、分かりたくもない」

自分には珍しいことに、
無性に、露骨に怒りが沸いてきた。
自分の話ではなかったのだけれど、
自分もそう言う気持ちを抱いて生きている
人間なだけに、これは自分に対する
彼の言葉なのだと受け取った。

「普通の人間の反応なんてこんなもんだよ」

そうじゃないって思ってる
部分が自分の中にあったから、
多くの人間って本当は
もっと優しいものだって思ってたから、
ショックだった。


確かに自分の
他人への反応と言うのは
過剰・・・異常って言えるくらいだと、
自分でも思ってる。
良いことも、悪いことも他人任せ、
他人に左右されてるって分かってる。
でもそう言うことに対して
無関心、あるいは嘲ることが、
「普通の人間」なのだとは思えないし、
そうなのだとしたら、とても暗澹な思いがする。

「割り切る」のが大人
って何処かで聞いたような気がする。
自分は友達から度々、
「それは割り切れ」と忠告される。

人のことを、自分のことのように
感じてしまって、異常にストレスを
感じてしまう自分には、確かに、
必要かもしれないと思うことがある。
必要だと思うけれども、
それで自分が「普通の人」や「大人」に
なるのだとしたら、
あんまり進んで、
「割り切る」気にもなれない。

2002年06月24日(月)



 a cold attitude 

三日も学校に来ないでいると
本当に何をしていたんだろうかと思う
くらい一週間が早い。

二日に一日は演習室に
深夜に訪れて明け方まで、
ろくに頭にも残らないのだけれど、
哲学の本を読んでいたりします。

人間の本当の、生の姿
人生とか世界とか世間とか
ありのままのものは哲学の本には
書かれていない。
その真実を描いているのは文学だ。

と、ある人が言っていた。
多分、十中八九本当だと思います。


自分は哲学を学んで哲学の
(自分にとっての)くだらなさを知った。
哲学はあくまでも底辺の底辺。
何がわかっても、俺らはそのずっと
上の部分で変わらず生きていかなければならない。

そんなことなんで分からなかったのか、
それとも自分で、自分に対して
分からない振りをしていたのか・・・・。




2002年06月23日(日)



 a flower 

ぽかんと花を眺めながら、
人間も、本当によいところがある、と思った。
花の美しさを見つけたのは人間だし、
花を愛するのも人間だもの。

太宰治『女生徒』

2002年06月22日(土)



 reason for existing 

なぜ生きていなければいけないのか、その問に悩んでいるうちは、私たち、朝の光を見ることができませぬ。そうして、私たちを苦しめているのは、 ただ、この問ひとつに尽きているようでございます。

(太宰 治)


2002年06月21日(金)



 a rose 

永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のすっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のすっと奥の方

情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方


ブルーハーツ 「情熱の薔薇」


2002年06月19日(水)



 scornful

人って、知らない人の不幸は
嘲り笑うことができるんだよね。

自分も多分、今までの人生の中で
そう言うことをしたことがあったかも知れない。
もしあったら、どんなお詫びをしたって
追い付かない。

自分は今まで、
死にたいと思うことはあっても、
人を殺したいと思ったことはほとんどない。
生きていく方が絶対大変なんだ。

「死ぬ勇気があるなら、
相手を殺せばいいじゃないか」
と言う言葉をイジメなんかの
論議の場面、テレビかどうかは分からないけれど、
どっかで聞いた様な気がする。
こんなこという奴は本当に頭が悪いと思う。

殺人者として惨めに生きていくことが、
本人にとってどれだけの価値があるだろうか?

そんな重荷を背負って、
生きて行くくらいなら・・・・。


俺のことを知って、
それで、そのことを嘲笑する人がいたら、
俺は必ず死にます。



2002年06月18日(火)



 distance

「君って、人を心の中で馬鹿にしてるよね」
無邪気な子に言われました。

そう見えるんだ・・・。

「人を羨ましがっているよね」
って言ってくれたら、良いのに・・・。
その真実、言い当ててくれたら、
死ぬほど嬉しかったのに・・・。

どうせ自分には手に入らないのなら、
最初からそんなもの要らない。
って思ってるから、他人には
「馬鹿にしてる」って見えるんだね。

手に入れても、その中に
自分が、いるって事が恐ろしいんだよ。



2002年06月17日(月)



 any time 

「memories」の続きを近い内に書きます。


リスカの傷跡。
この季節になるといつも
自分ではとても気になるのだけれど、
今夏はなんとなく、まぁばれてもいいかな
って感じで、すでに半袖で
なんの小細工も無しに生活しています。

一部、友人たちは
すでに傷跡に気づいたようです。

演習の時間で
自分が取り上げるテーマが
「人は何故生きていくのか」とか
「幸福とは何か」とか
そんな感じのものばかりなので、
だいたい自分が多少なりともそう言うことに
迷ってるんだなぁ〜ってことは
みんなにも多分伝わってるだろうと思う。

それが教授たちには
「若い内は良くあることだ」と
一歩、高みから見られている風なのが
イヤだ。もちろん直接そんなことを
言われるわけではないけど・・・。


素直になるのは、難しい。
どこまで他人に預けられるのか、
どこまで他人に近づけるのか、
距離を測りながら、少しずつ・・・。
途中で精神的に参ってしまう。
振り出し。

最近、しばらくお酒を飲んでいないから、
リスカもしばらくしていない。


偽善
俺にはどうもよく分からない。
偽善者でない人間があるだろうか。
同じこと、偽悪
よく分からない。
偽悪者でない人間があるだろうか。

お互い様

お互い様


2002年06月16日(日)



 bashful

前にも書いたと思うけれども、
自分はなぜか普通の男どもよりも
恋愛経験が少ない(と思う)のに、
やたら女性から恋愛相談をされる。

ついこの間なんだけれど、
後輩の女の子の恋愛相談にのった。

思うに、自分に酔う
と言うことは人の目から見ると、
ひどくみっともないことだ。

みんな可哀想だと
人から思われたいんだなぁやっぱり・・・。
み〜んなそうなんだなぁ

あるいは、ある程度は
自分に酔ってないと、恋愛ってできないのかなぁ
そうかもしれない・・・。

でもわからない。


報われない想い。
一途な自分。
けなげな自分。
悩んでいる自分。
そんな自分が好きなんだね

まぁそんな話だったんです。


2002年06月12日(水)



 put a damper 

人間関係において、
自分が一番怖れていることは、
もちろんその人に嫌われることです。

と言うよりは、誰か個人に嫌われる
ことではなくて、ある共同体、例えば
クラス、学年、仲間内、ゼミ、専攻といったものの
なかで自分だけ疎まれると言うことを
とても怖れていると言った方が正しい。

それは自分の究極的に怖れている事態で
あるけれど、それにつながるのではないかと
思われるような出来事、あるいはそれを
思わせるような出来事、
全てが自分には
それこそ窒息するくらいに恐ろしい。

例えば今日の出来事。
珍しく、うちの演習室に
女の子が三、四人で授業後
(放課後とでも言うべき時間)に
話をしていた。
自分はそう言う状況には十分に
注意しているつもりだけれど、
何気なく、演習室に入ってしまった。
その瞬間、楽しそうだった会話が
ピタッと止まり、皆がいっせいにこちらを見る。

たったそれだけの出来事が
その時の自分にはとても悲しく、
恐ろしいことになる。

その女の子たちと二、三、会話をして
その場を離れた。

何事もなく、あるべくもなく、
そして彼女らは(きっと)何の他意もなく・・・。

つまり、自分には
自分、自分という存在のせいで
その場の雰囲気が一気に興ざめてしまったと言う
そう言う感じが、とても恐ろしいのです。

もっと具体的な分かりやすい例を
挙げると、例えば宴会の場で、
フッともらした、つまらない冗談のせいで
その場のみんなが一気に白けてしまった
そんなことです。

だから自分は
今日のような当然、入ってもかまわない
ような状況でも、入るのをいつまでも
ためらって、入り口でウロウロとタバコを
吸っているようなときもあるくらいです。


自分がこんな人間になった
原因は分かっています。



2002年06月11日(火)



 consideration

人の顔色をうかがうのは
自分の卑しい性癖であるけれど、
もちろん自分で、好きで行っているわけじゃない。

基本的には男女に関係なく、
自分は人の顔色をうかがう。

入学の時から一緒に
いることの多かった男友達にも
いまだにその顔色をうかがっている。
ご機嫌を取るような真似はあまりしないけれど、
人と接する時にドキッとしてしまうことが
多くて、それがあとでもイヤな
気分を引き起こして、一日が終わっても
陰鬱な気分から抜け出せない。

もちろんみんなだって人の顔色を
見ているところが多かれ少なかれあるだろうから、
お互い様ということになるのかも知れないけど、
自分のそれのように、誰かが、自分の顔色を
うかがっているとは思えないし、
そうだとしたら、自分は申し訳ないと思う。
あと、大学生活で
残された時間は少ないのだから、
いまさらどうなっても良いんじゃないか?
好きにしても良いんじゃないか?
と言う考えがよぎることが多くなったけれども
そう言う風にも、割り切れないのが、
また、やっかいな部分だ。
とにかく自分には、おめでたいかも知れないこと、
傲慢かもしれないことがどうしてもできない。

分不相応なことをしていると、
人に思われることがとても耐えられないのだ。
「調子に乗っている」
「思い上がっている」
「身の程知らず」
そう言う言葉が何よりも恐ろしい。
そう思われているかも
知れないと言うことが恐ろしい。


2002年06月06日(木)



 the present 

3日の日記に書いた出来事から、
自分の生活が何か変わったかと言えば
特に変わっちゃいない。
ただ前よりも精神的な重圧と言うか、
閉塞感と言うようなものがだいぶ軽減された。

自分にしては珍しい感覚。
前に書いたいわゆる自分の悪い「期待」が
彼女に対して何も湧き起こってこない。
ただ思うことは感謝だけ。少し気分がいい。

でも、まだまだ自分の
ストレス耐性は弱い。と自分で言うのは
情けないけれど、そう思う。

人にしてみれば、
なんて事無いことなのに、
自分はその、毎日の生活の些細な
出来事に、ひどく落ち込み憂鬱になる。
自分は自分が思っている以上に、毎日の生活に
期待しすぎているのかも知れない。

その期待のせいで、
楽しいことも、嬉しいことも、
それほど良いことだと思えなくなっている。
そんな気もする。


今の自分にとっては
精一杯のこと、それが自分でも本当に
ショボイ事だと分かっていても、
人にそれを指摘されると、
ひどく惨めな気分になってしまって、
溜まらなくなる。

自分にはとても恐ろしくて、
行うにはすごく勇気がいることを、
他の人が当たり前のように
こなしていってしまう。

いい加減だったころは、
自分も簡単に、何も考えないで、
やれていたことが、いまはできない。

少しずつでも進めたら良い・・・


でも早く、早く進みたい・・・・。


2002年06月05日(水)



 looks

ときどき、
自分は女性から
容姿を誉められるのだけれど、
そう言われるたびに、その時はさすがに
嬉しくなるけど、後になってとても憂鬱になる。
本当です。冗談じゃない。自慢であるわけもない。

人は自分の容姿を自分で評価することは
難しいと思う。

たいていの男は女性を容姿で判断する。
何だかんだ言っても、男はみんなそうだ。
もちろん人によって、程度の差はあると思うけど。
だから、男にとって、女性の容姿の善し悪しは
その女性の『魅力』と言うものの
大きな部分を占めていると思う。

ちなみに自分の場合もそう言うところがある。
昔ほどではなくなったけれど。

男は滅多にあからさまに女性の容姿を
誉めるようなことはしない。
明らかな下心がある時くらいのもの。

男の感性で女性の行動、言動を判断すると、
ほとんどろくな結果にならない。

そう言う点、男から見たら、
女性は詐欺師だ。


正直に言おう、
もってまわったけれども、
つまり、恋がしたいって話なのだ。
前回の日記を読んだ後にこれを読むと、
失恋でもしたのか?と思われるかもしれないけど、
別にそんなわけじゃない。

人は恋と革命のために生まれてきた

って言うのは太宰の言葉だ。
革命は分からないけれど、恋はそうかもしれない。
自分の考えでは、中学生には中学生の、
高校生には高校生の、大学生には大学生の、
社会人には社会人の、各々その時にしかできない、
恋愛というものがあるんじゃないかしらと思う。
そのうち一つを経験しないで過ぎてしまうのは
とってももったいないんじゃないかなと思う。
別にどれがどれより良いってものじゃないけど・・

しかし、自分は大学に入ってから、
明らかに人間に対して、以前より臆病になった。
女性というものに対しても、
ずっと不可解、不思議と思うことが多くなったし、
顔色をうかがわなくてはいられなくなった。

女性からしてみれば、
男なんて随分と
単純で扱いやすいものじゃないかしらと強く思う。

人の恋愛相談をされることが、
なぜか、自分は多い。
しかも、ほとんど女友達からの。
(男は基本的に恋愛相談なんて事はしないと思う)
話を聞いていると、男の意図はすごく
分かりやすい。何を考えているのか、あるいは
何も考えていないのか、すぐわかるものだ。

しかし、そんな風に単純でなければ、
男は恋愛なんてとてもやりきれないんじゃないか
と思う。

自分はもっと単純に、軽薄に、バカになりたい。
その方が絶対楽で、しかも得だと思う。


2002年06月04日(火)



 light

一人で戦わなければならない俺の現実。

疲労、悲しみ、苦しさ、不安、恐怖、
全て自分で背負い、自分一人で耐えること。

そう思ってた・・・。

いや、今もそれに立ち向かわなければ
ならないのは俺一人だ。

でも俺は初めて、赤の他人の
俺に対する「気遣い」じゃない、
本当の「優しさ」に触れることが出来ました。

唯一俺のリスカのことを知っている人
その人に両親のことについての自分の苦悩を
ほとんど全部と言って良いくらい話しました。

ごめんなさい
俺は俺の重荷をあなたに一時持ってもらいました。
ありがとう
俺の重荷を一時、共に背負ってくれて。

俺は努めて明るく話しました。
どうか許して下さい。

あなたは俺の話を涙を流しながら、
俺の手を握り、ただ頷き、聞いてくれました。
俺は頑張って泣かないようにしました。
どうか許して下さい。

それは俺の精一杯の
強がりであり、精一杯の力であり、
そしてあなたへの俺の精一杯の配慮でした。


帰り道
「ここで泣いたら、それは自分のための涙だ」
何故か分からないけれど、そう強く思いました。
「自分の為になんて死んでも泣いてやるもんか」と
思った途端、
涙がボロボロこぼれてきてしまいました。

あなたの優しさを俺は決して忘れません。


俺はほんの少し、でも確実に前に進むことが出来た
そう確信しています。断言します。

ありがとう


2002年06月03日(月)
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