一度だけの人生に
ひろ



 a far-fetched argument 

ある芸能人が
この間若くして死んだけれども
その人の芸能プロダクションの
掲示板に書き込まれたある文章を読んで。


ネットの弊害と言うか・・・


雄弁術というものがある。
言葉を飾って、巧みな話し方で
(主に)内容のない話を、
まるで優れた真理について語っているかのように
聴衆に思わせる、そういう話術。

これを判断する能力が
自分に多少ついてきたと思えることは
大学に入って、形而上学を学んでの初めての
目に見える成果かも知れないと思った。

まぁ実際見てもらえば
早いのだけれども、その書き込みは
「1+1=2」と言うようなことをことさら
大仰に語っているのです。
言ってしまえば「人それぞれ」と
言うような当たり前のことを色々と
その芸能人の「死」と言うこととからめて、
さらにその死を嘆く人々をからめながら、
生死全体を語っているんですが・・・

あんまり専門的な話はどうでも良いんですが、
一般化の虚偽、文意曖昧の虚偽、論点変更の虚偽
このそれぞれが一見しただけでも
十分見て取れます。普通これだけそろえば
支離滅裂な文章だろうと思うでしょう?
支離滅裂です。(笑

こんなことを指摘することはどうでも良いんですが
それよりも、こんな頭の悪い文章でも、
なんとも薄気味悪く、いやらしい、
とてもイヤな印象を人に与えることが出来る
と言うことの方が自分の目に止まった。

じっさいその書き込みに対して
なんだかんだとレスがたくさんついていた。
いずれも感情的なレスがほとんだだった。
当たり前だけど・・・
もともとからして意味不明なんだからね・・・。


俺も最近、妙にお堅い文章に
なっているような気がするから、
なるべく難しい言葉を使わないように
したほうが良いなぁって思った。

まぁそれだけなんですけどね・・・。


2002年05月29日(水)



 walk out on somebody 

俺には嫌いな人がたくさんいる。
と言ってもそれほど友達が多い訳じゃないから、
人数的にはそんなに多くはないけどね・・・。
知り合いの中の三割かそれ以上の人は嫌い。

被害妄想的な考え方の
人間なのだから、当然と言えば当然なのだけれど。


でも「嫌い」って言っても、
直接相手に態度で示すことは全くない。
そりゃ
「嫌ってるってわかってもいい」ってくらいの
感じになることはあるけどね。

人の好き嫌いは
激しいのだけれど、
それでも優柔不断なのか、
あるいは恐怖感からなのか、
あるいは「優しさ」と言うものからなのか、
またはそれら全てなのか、分からないけれども
自分はなかなか人を「諦めようとしない」

この人は絶対自分とは合わないと
思っても、どにかしてその人の良い部分を
見ようと、と言うよりも探そうとする。
けっこう前にこの日記書いた
「無邪気な子」についてもそうだ。

友達が言うには
そう言う生き方、人間関係を
「関係を続けなければならない理由がない人」にも
適用して、続けていくのは
とても大変で、いつか破綻するらしい。

それは本当だと思う。

でも俺は人を
どうしても諦めきれない・・・
ちょっと良いところを見つけると
「お、いいとこあるじゃん」ってなって、
少し嬉しくなって、仲良くなろうとするんだけど、
それでまたいつものその人の
イヤな気質を見ると「やっぱこういう人なんだ」
ってなって「大ッ嫌い」になる。

だから俺の人への評価は
一部の人以外
(いや、程度の差はあれその人たちに対しても)
ちょっとしたことで揺れ動いて混乱している。

あの人には「こういう良いところがある」
でもあの人は「こういうイヤな人だ」
どれが本当のあの人なんだろう・・・?

こんな長く書いて、
結局何の話なんだというと、
実は「無邪気な子」の話の続きなのだ。
前回の話ですっかりその子のことに
見切りを付けたようなことを書いたけれども、
それからの日々の付き合いで、
やはり再び、俺の彼女への評価は混乱してしまっている。

彼女がああなのは
ちゃんとした理由があるからなんだってことが
おぼろげながら、分かってきて・・・
と言うのも彼女自身あっけらかんとしていて
俺なら絶対俺みたいなやつには話さないような話、その「理由」めいたことを時々話すからだ。
(彼女があっけらかんとしているのは
俺の見た印象ではワザとそう言う風に装っているのだと思う)

さっぱりわからなくなった。

その理由を含めて全体を考えると
彼女は(俺から見たら)不幸なのだ。

彼女はああしなければ、
自分を支えられないのだと思う。
いや、彼女を支えているのは単に「無邪気」な
風な生き方それ自体ではないけれど・・・。

言い方を変えると、
彼女はある「支え」のゆえに
(もちろんそれが全てではない)
そう言う生き方をせざるを得ないのだと思う。

彼女は追いつめられて
ある選択をした。その選択をした以上は
その道を、なにがどうあろうと、
開き直ってでも、進まなければならない。
そうしなければまた振り出しなのだから・・・。
彼女は振り出しに戻ることを怖れている。


「イヤな彼女」
「そうせざるを得ない彼女」


揺れる


2002年05月28日(火)



 the days gone by 

過ちが去ると書いて「過去」と書く。
言われてみるとそうだな・・・。

しかし、自分みたいな人間の心の中からは
そう簡単には過ちは去ってくれないものだ。

人それぞれ・・・「受け取り方一つ」

同じ出来事に対しての
全く違う惨めさ、全く違う喪失感
「生い立ち」「育ってきた環境」なんて
簡単に一言で言ってしまいたくないと
思うようなひどい差が人と人の間にはあると思う。
全く違った生き物だ・・・。

(自分を卑下して、馬鹿にするような言葉は、
最近特に自分の目に付いて
つい、書こうとしてしまうその時に、
「ちっ・・」と舌打ちしてしまうのだけれど
あえて書く。)
(この気持ちはプライドとは違うと思う、
自分自身の「いやらしさ」と言うような姿勢、思考に対する自分の軽蔑のようなものだと思う)
(なんてことを書くこともいやらしいね・・・。)

他人と話をしてこの点にいつも
気づかされて、自分と他人のほとんど
絶望的な差に言葉も無くなってしまう・・・。

恥辱、惨め、劣等・・・。
そうとしか、自分には結論が出ない。

一つ一つ思い返す。
とても生きていられないと言う思いに苛まれる。

眠れない夜に思い返す。
「ワッ」と叫びだしそうになる。

「自分にはダメなのだ」
「自分だからダメなのだ」
「自分ではこうなるのが当たり前なのだ」


でも、昔よりは
多少こういう意識も弱くなっていると思う。
でなかったらもっともっと、
自堕落だったろうと思う。
昔はもっといい加減だった・・・・。


ある言葉が思い浮かんで、
取りあえず過去についての俺の思考は止まる。


「人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして
行路を選んでいるものではないだろう。多くの場合、人は、いつのまにか、
違う野原を歩いてる。」


2002年05月27日(月)



 solitarily

「人を憂える、人の淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れている事じゃないかしら。」
『書簡―昭和二十一年』 太宰 治

本当に優しい人間になりたい。

2002年05月26日(日)



 feel envy 

朗らかさ
と言うべきものだと思う。

他人のそう言うものが
このごろ無性に羨ましく感じられる。

自分は他人と接するときは
どんなに楽しいときでも、
心から楽しむことが出来ない。
自分だって人間だから、楽しいときは
いつの間にかその楽しさに
夢中になっているものだけれど、
その楽しさの中でのほんの一瞬の他人の
表情の変化にドキッとして我に帰らさせられる。

イヤな気持ちにつつまれて
卑屈な心持ちに戻ってしまう。


友達に俺に最初にあったときの
印象を聞いてみると、たいていの人が
「もっと遊んでいる人だと思った」
と答える。
自分のもくろみは案外成功しているわけだ・・・。
俺は中身は本当に卑屈で暗いから、
外見はなんとか明るい風に作っている。
でもその中身の暗さが、
自分の顔には現れているような気がして、
見るたびに自分は
とてもイヤなのだけれど・・・。

昔のように
他人にあわせてテンションを
上げることが出来なくなって、
深く知りあえば知りあうほど、
自分の陰湿な部分が他人に見えていってしまう

つまらない男・・・

つまらない男・・・・


2002年05月25日(土)



 I wasted a good deal of time trying to decide between this, that, and the other. 

「自分は他人の目にはどう映っているのだろう」

考えを巡らしてみる。
考えれば考えるほど、わからなくなる。

他人の言葉を少しも
信用しないくせに、他人の言葉だけを
頼りに自己像をつくろうとしている。
自分を誉める他人の言葉を少しも
信じないくせに、自分を悪く言う他人の
言葉にいつもビクビクしながら生きている。

考えてみればこんなおかしな話はない。


自分を好きじゃない人は
他人を好きにはなれない。
昔は果たしてそうだろうかと思っていたけど、
すこしずつそうだということが分かってきた。
宗教は好きじゃないけど、
このことを考えるとき、キリストの
この言葉が思い浮かんでくる。
「己を愛するように汝の隣り人を愛しなさい」

「己を愛するように」
「己を愛するように」
「己を愛するように」


2002年05月24日(金)



 「memories」 the first volume 

注、これを読む前に22日の日記を読んでください

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自分が記憶している
最初の情景はなんとも不気味な感じだ。
多分二歳頃だろうと思うが、俺は薄暗い廊下で
おもちゃの車に乗って遊んでいる。
居間では家族が夕食を食べているのに
自分はなぜか一人で廊下で遊んでいる。
家族・・・と言っても、はっきりと
確認できる人は父親と母親の兄、つまり伯父の
二人だけであとの家族はいるにはいると
思うのだけれど、誰なのかはわからない。
なんとなく母親がいないのはわかる。
父親も伯父もニコリともせず、
夕食を食べているそんな場面である。
そして奇妙にその情景はまぶしく思い出される。

これはもしかしたら事実とは違う
記憶かもしれないが、気づいたときから
「もっとも古い記憶」というとこの場面が
いつも浮かんでくる。

自分の家族は自分が六歳になる時まで
母方の祖父と伯父が住む家の母屋で暮らしていた。
母方の祖母は麻酔の医療事故でほぼ寝たきりに
なっていて介護施設にその時は預けられていた。

祖父は俺が
二歳から三歳になるころに肺ガンで死んだ。
この祖父は俺と一つ違いの姉を溺愛し、
蝶よ花よと可愛がったらしい。その逆に
俺に対してはひどく冷たくあたったらしく、
とにかくそのえこひいきは凄かったらしい。
「こんなやつはろくなものにならない」と
いつも言われていたらしく、さすがの両親も
俺を多少哀れに思っていたらしい。
しかし、俺にはあいにくこの祖父の記憶は
わずかしか残っていない。
だからほとんど両親の話で知ったことである。
確かにうちには3歳くらいの姉と祖父が
二人で笑顔で写っている写真が多くあるが
俺と祖父が写っている写真は全くない。

しかし、祖父についての記憶も
多少あるにはある。このころになると
両親の「躾」もどんどん厳しくなり、
怒鳴り声をあげることもたびたびとなった。
そう言うときはたいてい姉弟二人そろって、
怒られることが多かったが、
(なぜかこの頃の俺と姉は連帯責任のような
形になって片方が何かすると大抵もう片方も
ついでに怒られるようになっていた)
もちろん片方だけが怒られることもあった。
そう言うとき姉の泣き声を聞くと祖父は
両親を叱って、止めるように言い聞かせたもの
だったが、俺の時は逆に「泣き声がうるさい」と
俺が怒られた記憶がある。

祖父はまもなく肺ガンで入院した。
入院中の世話は母がやっていた。
ちょうど姉が保育園に入った頃だったので
姉よりも俺の方が母親に連れられて
病院に行くことが多くなった。
俺は実感として記憶していないが
毎日のように見舞いについてくる俺に
祖父はずいぶん優しくなったらしい。
俺がはっきり憶えているのは、病院から
帰るとき病室の窓から身を乗り出して
車に向かって、
笑顔で大きく手を振っている祖父の姿だった。
その姿を見て俺はとても嬉しくて
一生懸命手を振り返したのを憶えている。

それからどれくらい後なのかはわからないが、
祖父は死んだ。

祖父の遺体は見た記憶がない。
姉が「じいちゃん、じいちゃん」と言って
激しく泣いていたのを憶えている。

葬式の記憶は全くない。
次の場面は火葬場である。
俺は父方の祖父の家に預けられることに
なってしばらく家族と離ればなれになるのだが
その、預けられる場面が火葬場だった。

姉は祖父が
大変溺愛していたこともあって、預けずに
俺だけが預けられることになったので
火葬場と周りの人々の異様な雰囲気もあって、
おそらく自分は捨てられるのだと思ったのだろう。
その時の泣き叫びようはもの凄かったと
両親は話しているし、俺も激しく泣き叫んだのを
憶えている。


the second volumeへ


2002年05月23日(木)



 「memories」 a preface 

フロイト・ユング
なんて心理学者は今時の学生は
あんまり読んだりしない。

うちの大学の学生だけかもしれないけど・・・。

しかし俺はおもしろいと思う。

フロイトの理論と直接的に
関係があるのかといわれれば
関係ないのだろうけど、なぜかそれが「動機」で、
今回から複数回に分けて
自分の記憶、つまりこれまでの人生での
出来事を
あますところなくここに書こうと思う。

とくになんらかの意図があるわけじゃない

「ああ、そう」程度に読んでほしいと
思っています。自分の中では隠したい部分、
思い出したくない部分も多く
あるのですが、隠したいことほど
誰かに暴露したくなる・・・。

そんなアホな人間の性癖が
俺の中にもあるということらしいです。

ただ、誰かが知っている。
それだけで、自己満足でも
多少陰鬱な自分の
心持ちが変わるのではないかと思って・・・。


これから毎回この「memories」だけを
書くわけではありません。
なるべく書くようにしようと思いますが、
細部まで、正直に、正確に
書こうと思うので、気力OR時間のないとき、
あるいは弱っているときは書きません。
そんな状態で適当に書くのは
自分にとって何の意味もない
と思うからです。

なのでそう言うときは
今まで通りのような日記を書きます。

ただ単に出来事だけを記述するのではなく
自分のその時感じた想いや感情も
詳しく書こうと思っています。


2002年05月22日(水)



 a false show of power 

気取るということはあさましい虚勢である

「一人じゃない喜び」
という言葉があるが、
生まれてこの方、そう言う喜びを
感じたことがない。
誰かと一緒にいても自分は一人
そう言う感覚が自分の中では強い。
もし、誰かと一緒にいて
一人じゃないって感じられる
人間を挙げろと言われたら、
姉弟くらいだろうか・・・。

姉弟はずいぶんと良くやっている。
姉は俺と年齢が一つしか違わないけど、
しっかりしているし、俺は尊敬している。
弟は勉強は自分よりできないかもしれないけど、
あれはあれで俺よりずっと立派だ。
そりゃ二人とも色々と悩んだり、
迷ったりと言うことはあるだろうけど、
それでも毎日の生活に正直に、そして
その生活を楽しむことが出来ているようだ。

兄弟の中で、俺だけが虚勢と見栄と体裁ばかり
繕って、実際は何の中身も取り柄もないし、
毎日の生活を楽しめてもいない。
いたずらに
自分を卑下しようとしているわけではない。
本当にそう思うのだ。
確かに卑屈なのかもしれないけれども、
こんなに卑屈なのも俺だけだ。
この間実家に帰ったとき、
弟に言われた。
「兄貴は見た目ばかり気にしている」
その時はただ単に、言葉通りに
外見の話だったのだけれど、
俺はドキッとした。

少しずつ、姉弟にも虚勢を
はるようになったような気がする。

虚勢と体裁、見栄は
信用、信頼って言う言葉と呼応する。
特に意識しなくても、人との関わりにおいて
一線を画そうとしているし、画している。
俺は他人を信頼していない。
誰も信用していない。

そんな俺が
「一人じゃない喜び」が欲しいと
願っているのは買ってもない宝くじが
あたって欲しいと願うようなものだと言うことは
分かっている。
ポカンと口をあけて待っていれば、
上から落ちてくるものじゃないってことは
分かってる。

勇気を出して一歩踏み出せばいい
自分に自信を持って。

簡単に言わないでよ・・・


2002年05月21日(火)



 force a smile 

よく笑う・・・。

あれは本当の笑顔じゃない
ってことは、俺にはわかる。
なぜならあれは俺の笑い方によく似ているから。

あれはごまかしの笑い。
シリアスなことをシリアスな感じに
受け取られないようにするための笑顔。
否定されたくないことを
否定されないようにするための逃げの笑顔。
自分の真意や本音を、内容はともかくも
ぼかして、曖昧にするための笑顔。

もちろん愛想笑いとは違う

愛想笑いは自分の為にするものじゃない。
でもあの笑顔は純粋に100%自分のためのものだ

俺は他人のあの笑顔を見ると
困惑し、不安になる。

どうしたらいいのか分からない。
真意がつかめない。
簡単なことでも簡単ではないような気がする。
そう言うとき
俺はたいていしどろもどろなことを言ってしまう。


男ならまだ良い。
むしろ男なら扱いやすい方だ。
しかし女の場合は本当に困る。
恐ろしい、不気味な気分になる。

ここまで書いて思ったが
俺は男というものをそれほど恐怖していない。
恐れるに足らないという感じである。
俺は人は人でも特に男を
全く信用しないからだと思う。
信頼していない人間には裏切られることはないし、
傷つけられることはそうない。
それに男というものは
(俺が男だから感じるのかも知れないが)
基本的な部分では共通していることが多く、
それもすごく単純だと思う。
とにかく扱いやすい。

しかし、女。
俺がすぐ女を信用するのかと言えば
そんなことは全然、少しもない。
女性との関わりと言うのは俺にとっては
全くの綱渡りである。
道化に依らなければ
その場その場での、おっかなびっくりの
対応しかできない。
なにやら女性の、特に会話には
男のそれとは違う妙なニュアンスと言うような
ものが含まれているらしい。
加えてさらにその逆に、なんの他意もないのに
男は他意がなければとても出来ない
ような会話を平気でしたりする。
だから自分には男性よりも女性の方が
ずっと不思議で、扱いにくく、
そして恐ろしい存在なのです。

大ッ嫌いなゆえに恐くない。

信頼・信用・愛の対象になりうるゆえの恐ろしさ。


もしかしたらそれがおもしろさというものかも
しれないけど、そんな余裕が今の俺にはない


2002年05月20日(月)



 nihilism

自分で意図して
というわけではないが、
勉強すればするほど、
ニヒリスティックになっていく。

全てぶちこわした後で
人間の感じることの出来ること
つまり人間の底辺、底流。
そう言った部分にまでたどり着けば
本当に共感、共通認識というところが
見つかるのではないかと・・・
思っている。

しかし、
今のところ自分に見えてくるものは
エゴイズムがばかりだ。
個人のエゴイズム。家庭のエゴイズム。
社会のエゴイズム。宗教のエゴイズム。

ならばエゴイズムから始めよう。

というのはどうも人には
簡単に受け入れてもらえないらしい。
しかしどう考えても
エゴイズムは否定できないはずだ。
ごまかしてはいけない。
ごまかせば歪む。
ごまかせば、そのうちにごまかしたことを忘れる。

虚偽、偽装、体裁
すべて棄てて、本当の、あるがままの現実を
見なければいけないのではないだろうか。


確かに人間はエゴイズムだけではない
すばらしいものをその精神の中に持ち合わせている
でも、自分にはあくまで主はエゴイズムだと
思われるのです。
それがいつのまにやら、
考えが逆転してしまって
そのせいで人々は気まずい思いに苛まれ、
加害者意識とでも言うような感覚に
襲われているのではないでしょうか?

その気まずさが、現実とのズレが
内罰的な方へと傾きのある人には
「生きる意味」「自虐」「自殺」という方向
外罰的な人へは
酒、麻薬、刹那的快楽、暴力の方向へと
向かわせるのではないでしょうか。
いずれにしてもその「現代の思想」と
現実とのズレが自分達に「不適応感」を
もたらしているのだと思うのです。


というような想像を最近よくします。
どだい俺には啓蒙なんてことは興味がない。


2002年05月16日(木)



 another person’s affairs 

思い起こすこと

中学校三年の時に
うちで飼っていた犬がいなくなった。
柴犬で、子犬の時はとっても小さくて
痩せてたから「プチ」って名前になった。

プチは俺が生まれたときに
うちにやってきて、俺と同い歳だった。
うちの家族は犬好きで常に何らかの犬を飼って
いたが、引っ越し、出産等々
手放さなければいけなくなることが多く、
結局ずっと家族と一緒だったのは
プチだけだった。
特に俺には生まれたときから
ずっとそばにいる家族の一人だった

プチは14歳の時に脳内出血を
起こして左半身麻痺のような状態になった。
家族の誰もがもう死んでしまうだろうと
思っていたが、その後多少元気になって
ヨタヨタと歩きまわり、家族に愛想をふっていた。

そして十五歳になった年の
ある朝。いなくなった。
それまでにも度々いなくなることはあった。
たいてい散歩から帰ってきたときにチェーンを
しっかりつないでいなかったことが原因で、
そう言うときはチェーンをジャラジャラ
引きずりながら一人でいつもの散歩コースを
まわって必ず自分から帰ってきた。

しかしその時はチェーンと首輪は残っていた。
そして帰ってこなかった。

犬の首輪なんてそうそう簡単に
はずれる物じゃない。

家族のみんなは、
プチは自分がもうすぐ死ぬのが
分かって、自分の死んだ姿を家族が見て
悲しむことがないように自分から姿を消したのだ。
どこかへ一人で死にに行ったのだ。
と言って、泣いていた。

しかし唯一人、家族の中で
泣いたり、嘆いたりしない奴がいた。
家族は「お前はなんて冷たい奴だ」と
そいつを非難し、軽蔑した。

それは俺だった。


その時に
俺は自分がそう言う風になって
いることに初めて気が付いた。
何か悲しいこと、ショックなことがあると、途端に
そのことに全く
リアリティを感じなくなってしまう。

「これは悲しいことだ」「悲しむべきことだ」
と言うことはわかっている。
だから「どうして悲しまないんだ」って
自分に対していらだちすら感じる。
「どうもピンとこない」そう言う感じ。

そのことが自分でもおかしいと思っていたから
その後、プチのいなくなった犬小屋や
プチの首輪やチェーンを眺めてなんとか
「泣こう」とした。悲しもうとした。

しかし、無理矢理泣こうとするのも変だし
自分で自分に白々しい感じがする
からすぐにやめた。


それ以来
ずっとそんな感じだ。

むしろ悲しいこと・ショックなことが
起こりそうな時の不安の方が大きい。

いざ起こってみると
自分には全く関係のないことのように感じられる。
「しらじらしい感じ」と言っても良いかもしれない


2002年05月14日(火)



 read all over again 

この日記を最初から
読み返してみると、とても
精神系の人間の日記には見えない。

「死にたい」という言葉は
二回か三回くらいしか使っていない。
これは自分でも意外だった。
もっと何度も言ってるかと思った。
まぁ少しでも「死にたい」って思ったときは
学校に来てないわけで、
日記を更新するときはそれほど強く思ってない
ことが多いからだけど・・・。

日記の前半部分は
なぜか関西弁チックなのに気づいた人も
いると思います。
うちの大学は関西方面の人がほとんどで
東、北日本の人はあまりいないから、
まわりの人が全員関西弁という状況でして・・・
だから関西弁に毒されつつあったというか、
頭に浮かぶ言葉がみんな関西弁だったので
そのまま打ち込んでいました。
しかし、明らかに「変換しづらい!」
最初はそれでも使ったたんだけど、
いい加減ウザくなってやめました。

もともと東日本の人間だし・・・。


ちょっとおもしろい話を載せます。
太宰治「女類」より

「女のひとたちは、どうだか知りませんが、男というものは、女からへんにまじめに一言でもお世辞を言われると、僕のようなぶざいくな男でも、にわかにムラムラ自信が出て来て、そうしてその揚句《あげく》、男はその女のひとに見っともないくらい図々《ずうずう》しく振舞い、そうして男も女も、みじめな身の上になってしまうというのが、世間によく見掛ける悲劇の経緯のように思われます。女のひとは、めったに男にお世辞なんか言うべきものでは無いかも知れませんね。」


だよなぁ


2002年05月13日(月)



 impatience

焦ってる・・・!!

ゆっくり
慣らしていこうかと
(慣れるかどうかはわかんないけど)
思っても、はっきり言って時間がない・・・
追いつめられてる・・・追いつめてる・・・。

いやな癖・・・考え・・・。
本当はただの諦念なのだろうけれど
あの、一種のアホらしい感じを禁じ得ない・・・。


今年で一人暮らし四年目です。
わかんないけど、四年間も誰もいない部屋と
偽装、虚偽の人間関係だけの生活なら、
おかしくなるのも不思議じゃないような・・・。
人恋しくなるのも普通のような・・・。


ぎこちない・・・。
居場所がない・・・。
やはり身の程知らず


2002年05月10日(金)



 overreaching vanity 

「おめでたい」と言うことは
人生で最大の恥辱。


「恥」
この言葉に自分はいつも
ビクビクして、何をするにも
余計な気ばかり使って、結局何もなしえずに
終わる。
自分自身そのものすら、
何か恥ずかしく、劣等であって
人の目に触れることがとても苦しい。
そんな感覚を憶える。

一日一日の生活に
真剣に向き合うこと。

そのような心がけが
自分の、自分の心の中での居場所を
なくしてしまったような感じです。

「道化」
それを自分から敢えて取り去ってみたら
自分は何をどうしたらいいのか、
何をどう言ったらいいのか、
あるいはどうしたいのか、
何を言いたいのか、
何も分からなくなった。

「評価」
今までの自分は、やはり
これは本当の自分じゃない。
これは本当に言いたいことじゃない。
これは本当にやりたいことじゃない。
って思ってたから
他人が自分をどういう風に見てるか、
良ければ良かったで、それはそれで良いけど
悪くても、逆にこれは本当の自分じゃないからって
思うから乗り越えられた部分があった。

正直に、素直に・・・。
そうしようと思った時から・・・。
素の、本当の自分を評価される恐ろしさ
本当の自分を見られることの恐ろしさ
本当の自分を出すことの恐ろしさ

「閉塞感」
行きづまった感じ。
どの選択肢もダメな気がする。
一挙手一投足、言葉、表情、考え、
全てがダメ。後悔の対象。恥ずべきこと。

思い返すと、全部失敗
重苦しくのしかかる。


「他人」
どうもわからない
まるでわからない。
人と、他人と関わるときの不安は
ないのだろうか?
自分にはそれこそが人間の最大の不安であって
それが常に解決されていれば、
あらゆる他の不安も消えていくように思われるの
だけれども・・・。

残忍、残酷、非道
などと言っても全然、誇張でも
気障でもないくらいの本性。

それに触れたことはないのだろうか?
見たことはないのだろうか?

自分を疑ったことがないのだろうか?

まさか・・・。
でもわからない。

他人、不可解な他人、秘密だらけの他人

とにかく道化を装わなければ自分は
オドオド、ビクビクとせずにはいられないのです。



2002年05月09日(木)



 get into trouble 

ここに書いても仕方のない内容でした。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
内容は秘密メモに書きます。


ヒミツの交換日記(相互リンクの人のみ表示)
やばいぃ〜
今日大学の友達のHPをのぞいたら
その友達がこの日記を使いはじめたみたい・・・。

その友達には
前にパソコンの使い方を教えた際に
うっかり差出人が「ひろお」ってなってる
メールを送ってしまって、
HNばれちゃってるんだよねぇ

もしこの日記を読まれたら
どうしよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜
住んでるところは当然一緒な訳だから
「ご近所さん」から発見される
確率はないとは言えない。
うちのコースにとけ込んでいる人だし、

マジでイヤだ・・・
つーか・・・・
マジで読まれたら殺意を抱くかもしれん・・・

でもこの日記はやめたくないよぉ〜〜
どうしよぉ〜

あ、HPへのリンクを外しました



2002年05月03日(金)
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