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2014年07月25日(金) アギーレに期待しない

サッカー日本代表監督にメキシコ人のアギーレが就任する。8月に来日し、9月に予定されている国際親善試合(ウルグアイ戦/5日、ベネズエラ戦/9日)の指揮をとるという。

それに先立ち、日本代表(日本サッカー協会=JFA)はアディダス社との大型のスポンサー契約に合意している。また、このたびの親善試合も日本代表のメーンスポンサーであるキリン社の冠大会。かくして日本代表は、2018年ロシアW杯の開催に向けて、いつか来た道を歩みだす。

◎アギーレ・ジャパンは短命?

筆者の直観を申し述べれば、アギーレ・ジャパンは短命に終わりそうな気がする。なぜならば、アギーレが日本代表取り巻くマーケティング的状況を理解することはあり得ないと思うからだ。おそらく、彼は純粋なサッカーの指揮官であって、大手広告代理店とJFAが共管する日本代表に嫌気がさし、早々に指揮を放棄すると思う。逆に言えば、アギーレが監督を続けている状況とは、日本代表がブラジル大会と同じ状況にあることを意味する。ものわかりがよくなったアギーレとは、自身のサッカー哲学から外れ、代理店主導のカネまみれの日本代表のあり方と妥協している状況をいう。アギーレ一人に、JFAと代理店を黙らせる力はないだろう。

◎キリン杯のために「海外組」が犠牲に

さて、欧州のトップリーグの2014−15シーズンの開始日をみると、イタリアが8月31日、イングランドが16日、ドイツが22日になっている。前出のキリン社の冠大会は、欧州各国リーグの開幕直後に組まれている。日本代表の「海外組」がこの時期に欧州から日本に帰ってきて親善試合をすることで、彼らのコンディションを上向かせる要素は見いだせない。

キリン杯がFIFAの公認の大会だったとしても、「海外組」が日本に戻ることは、クラブにとっても選手にとっても、きわめて大きなマイナス行動となる。選手とクラブの間における拘束に係る契約の詳細を知らないが、なによりも、「海外組」にとって重要なのは、所属チームのレギュラーポジションを獲得すること、試合に出場することだ。開幕直後にチームを離れることのマイナスは計り知れない。

◎レギュラーこそが代表の条件

ブラジル大会惨敗の敗因の一つに、代表の主力選手が試合に出ていないことが挙げられている。いくら練習でフィジカルを上げても、公式戦では通用しない。代表強化の最善策の一つとして、個々の選手が、所属チームでリーグ戦という公式試合において、勝利に貢献すること、真剣勝負の経験を積むこと。これらのことがらは、W杯惨敗によって、すべて確認済み事項だったではないか。

日本のプロ野球には、「ブルペン・エース」という言い方がある。ドラフト上位で指名され、期待された投手。練習では素晴らしい投球をするものの、いざ試合に出ると制球を乱したりして勝てない。そうこうしていくうちに、チャンスが与えられなくなり、球界から去っていく。才能があっても、試合で発揮できなければ、プロではやっていけない。つまり試合で結果を残すことがプロスポーツ選手の最低限の存在証明なのだ。資格、過去の実績、ネームバリューやマスメディアの露出度ではない。

日本の海外組は「ブルペン・エース」と同じようなものだ。彼らはJリーグで活躍し、海外クラブと契約に至る。しかし、海外クラブでは試合に出られないまま、「海外組」という「資格」において日本代表入りする。しかし、公式試合で鍛えられていない精神と肉体は、W杯という真剣勝負では通用しない。むしろ、日本のJリーグでレギュラーをはっている選手に劣る。前者がブラジルにおける本田、香川、長谷部、長友、吉田であり、後者が大久保、山口、青山だった。

◎「海外組」の数少ないレギュラーでありながらブラジルに行けなかった2選手

「海外組」でレギュラーでありながら、W杯の代表選手に選ばれなかった事例もある。ブラジル大会日本代表に残れなかったハーフナーマイクは、W杯後、オランダ一部からスペイン1部のコルドバに移籍した。彼はオランダ1部フィテッセに所属し、2年連続で10得点以上を記録した。オランダで実績を残しているハーフナーが代表から漏れ、イングランドやイタリアで1〜2点しかとっていない「海外組」が、なぜ代表に選ばれたのか。

もう1人は、細貝萌だ。彼はドイツ1部ヘルタベルリンに所属し、13−14シーズンに33試合に出場している。その一方、日本代表キャプテンの長谷部は同じくニュルンベルグでわずか14試合の出場にとどまっている。しかもシーズン後半は故障であった。どちらが、ドイツ1部で活躍していたかは、その成績こそが物語っている。

筆者は、ブラジルW杯開催直前の代表選考発表の日から、繰り返し、ハーフナーと細貝が選に漏れたことに疑問を呈してきた。ザッケローニが代表監督を退いた今、その理由を技術委員長(現専務理事)に明らかにしてもらいたいものだ。

◎アギーレが監督職を全うできる条件

さて、アギーレである。アギーレがJFAと広告代理店の横槍を退け、普通の代表強化に取り組むチャンスが皆無というわけではない。わずかではあるが、アギーレが代表監督の職を全うできる条件を挙げておく。

その第一は、日本惨敗の主因を日本のサッカージャーナリズムが真剣に取り上げ、その是正に向けたキャンペーンを行うことだ。つまり、日本国民が、日本代表のこれまでのあり方に疑問を呈すること。そうなれば、アイドル的な代表人気をつくりあげてきた広告代理店が、これまでとってきた日本代表に係るマーケティング戦略を後退させる可能性もないとは言えない。

そうなれば、国際親善試合に対する価値相対化も現実化する。親善試合に勝ってもそれが実力測定には当たらないという認識の一般化だ。親善試合とは、いわばボクシングの公開スパーリングのようなものだ、ということが国民レベルで理解が進めば、国民の関心のあり方が変わる。相手は練習不足かつ体重コントロールもしていない。交代枠は6人だから、ヘッドギア着用と同じだ。勝った、負けた、の話ではない。代表とは名ばかりの中身が知れれば、国民は不当表示だとJFAを糾弾するだろう。チケット代を返せと。

第二には、日本代表がブラジルで惨敗した結果、代表選手のタレント価値が低下したことだ。「海外組」に対する期待度、好感度は下落した。つまり、彼らをCMタレントとして起用する意味がなくなってきた。代表選手の媒体露出は低下し、JFA(広告代理店)も代表選手起用について、監督を束縛しなくなる。もちろん、キリン社及びアディダス社の影響は残るだろうが、ブラジル大会前ほどではないだろう。代表監督は代表選手の選出及び起用における自己裁量権はザッケローニのときよりも拡大する。

◎“アギーレ”は代表祭りが始まるぞ、の大号令

しかし、こう書きながらも、アギーレ日本代表監督就任の媒体の取り扱いを見る限り、筆者が挙げてきた条件とやらも怪しくなる。一部メディア(ネット及び活字媒体)には総括なしの監督選びを非難する見出しも散見するが、TVがまるで駄目だ。“アギーレ”は、これから4年間、代表祭りが始まるぞ、の大号令に聞こえる。結論から言えば、9月のキリン杯までに外国ブランドの代表監督を就任させることが、(スポンサー様のため、広告代理店のために)JFAにくだされた大命令なのだ。4年後のロシア大会に期待できない。



2014年07月18日(金) 日本代表の見えない問題点

◎協会担当者は責任をとってまず辞任すべき

W杯終了後の日本代表を取り巻く問題の第一は、日本サッカー協会がブラジル大会惨敗の責任をとろうとしないことだ。もちろんまだ検証の段階だという言い訳はとおる。そう簡単に敗北の原因究明はできません、という主張もありだろう。しかし、負けたことは事実なのだから、協会として、敗退が決定した時点で代表強化の職にあった者は辞任すべきだ。いきなりトップというわけにはいかないだろうから、まずは技術委員長が辞めるべきだ。

南アフリカ大会終了後からW杯ブラジル大会に至るまでの4年間、技術委員長が日本代表を実質上マネジメントしてきた。その具体的一歩が代表監督選びであり、ザッケローニの招聘であった。ザッケローニの代表監督招聘は結果的には失敗だった(失敗の詳細については後述する)。

◎誤った強化策を反省せよ

次に問われるべきは、大会に臨む前までの強化策であり、その失敗の構造改革なしでは先に進めない。なかで重要なのが、日本代表が日本国内で海外代表チームと行う親善試合(=強化試合、練習試合)のあり方だ。

親善試合はTV視聴率が高く、また、種々のメディアの注目度が高いため、広告代理店にとってドル箱のイベント(マーケティング上の)になっている。そのため、海外の代表と銘打って、調整不足の海外代表チームが強行日程で試合をするケースが軒並みだった。日本と欧州等のサッカー日程の違いから、有力選手が集まらないケースも少なくなかった。それでも試合開催前は国歌が演奏され、大使等が観戦に訪れ、代表戦の体裁だけが整えられる。

それだけではない。代表戦というだけで盛り上がる日本の脳天気「代表サポーター」が多数集まり、公式戦さながらの応援をしてくれる。

メディアもやってくる「海外代表」の実態を報道しない。有力選手が不在でもそのことを報じない。

玉石混交の「代表」選手で構成された代表チームが日本にやってきて、日本代表と試合をするだけで、サッカー協会には巨額のカネが集まり、代理店にとっては価値の高いイベント(コンテンツ)として高く売れる。TV局は高視聴率が取れ、印刷媒体も売れる。日本代表の国内親善試合は、概ね日本の勝利で終わり、スタジアム、あるいはTVの前の「代表サポーター」が満足する。

協会、代理店、メディア、「サポーター」の4者にとってウイン・ウインの国際親善試合だが、もちろん日本代表チームの強化には結びつかない。加えて、欧州から日本に帰国する日本代表の「海外組」も長距離移動でコンディションを壊しクラブでのレギュラー争いに負ける要因となる。つまり、カネもうけにはなるが、代表強化には何の益もないのが「国際親善試合」の実態なのだ。こんなことは、サッカーを知る者にはだれでも承知のことだが、カネの力には勝てない。このビジネスモデルを協会が諦めなければ、代表強化は無理だ。なぜ、海外組がたかが親善試合に呼ばれるのか、そのことは後述する。

◎メディアに巣食う“太鼓持ち”(解説者)を一掃せよ

サッカー解説者と称していったい何人の“太鼓持ち”コメンテーターがTV出演したことか。中継中に大声で叫ぶだけの応援団的コメンテーターの方が多数派だ。根拠のない対戦予想が花盛りで、「3−0」で日本勝利が定番化している。うち幾人かはサッカー解説をする者もいるものの、いずれ日本サッカー協会等から「お声」がかかる身だから、日本代表を批判する者は極めて少数派となる。

例外はセルジオ越後ただ一人。彼は日本サッカーに対して実にクールな立場を堅持し続けている例外的存在だ。セルジオ越後がいまの立場を堅持できるのは、サッカー協会やJリーグに取り込まれる可能性を自ら否定しているからだろう。セルジオ越後を除いたコメンテーターは就職がかかっているのだ。

この状況を換言すると、日本には専門職としてのサッカーコメンテーターは、セルジオ越後以外存在しないということ。もちろん、サッカーを専門的に扱うメディアもない。前出のとおり、代表サッカーを支配しているのは大手代理店である。メディアは代理店に隷属しているから、代理店が(コンテンツとして)大切にしている日本代表を貶めるような記事・報道を控える。

だれからも、どこからも批判の矢が飛んでこないのが、日本代表という存在なのだ。代表は大手広告代理店のメディア支配に守られている。この体制を脱して、日本代表を自由に批判し、その問題点糺すようなメディア環境(サッカージャーナリズム)が日本に醸成できれば、日本代表のあり方は、そう長い時間を要さず、変えていけるかもしれない。

ブラジル大会前、“太鼓持ち”の多くは、日本代表がグループリーグを悠遊突破し、ベスト8に入ると予想していた。景気づけのつもりなのか本心なのか保身なのか・・・代表というお座敷を盛り上げるのが彼らの仕事なのだからそれはそれで仕方がないとはいえ、根拠のない楽観論にはウンザリ。彼らを一掃することも、代表強化の周縁的事業の一つとなる。

◎大手広告代理店による日本代表支配

その実態について確実な取材していないので、以下の記述は推定にすぎない。だが、そう考えた方が自然だと思うので書いておく。その根拠は以下の3点だ。

(1)日本代表試合が広告代理店にとって有力なコンテンツになった
(2)その結果、無益な海外チームとの親善試合が国内で興行目的のイベントとして仕掛けられた
(3)メディアも大手代理店の意向をうけ、代表批判を控えてきた
(4)W杯はその総集編とも呼ぶべきビッグイベント

◎代理店が代表選手選考、戦術へ介入しだした

広告代理店が代表選手の選考や戦術に影響を及ぼすとしたら、どうだろうか。そんなことは不可能だと考えるか、いやそんなの常識だよ、と考えるか。前者のようなナイーブ(ウブ)な観点の「代表論」は、筆者にとって魅力がない。つまり、前者の立場のカテゴリーの代表論は、多くのメディアの代表論で言い尽くされているからだ。

今回のW杯の日本代表、とりわけ試合に出場した選手たちの顔ぶれは、CMキャラクターとしてメディアに露出した顔ぶれとシンクロしている。実力がある選手だから海外に移籍し、メディアの話題となり、そのことを価値としてCMに起用されるというのが自然の流れだ。だれもがそう考える。

ところで、W杯ブラジル大会のMVPがメッシ(アルゼンチン)だったことは、だれもが疑問をもった。メッシが大活躍した記憶がないからだ。しかし、彼がアディダスの契約選手だったとわかれば、驚かない。

日本代表の背番号10はアディダスとの契約選手で受け継がれている。例外は2002年:トルシエが代表から外した中村俊輔のケース。もちろん現在の背番号10の香川真司もアディダス契約選手。

本大会に臨む前の香川真司はどうだったのか。イングランドで試合に出られず、日本代表試合でも活躍していない。香川真司に代わる人材はいなかったのか?こうしたメーカー等とスポーツ選手との密接な関係は、日本代表にも認められる。

余談だが、筆者は圧力に屈せず中村俊輔を代表から外したトルシエをその一点で評価している。

本田圭佑はW杯開催前後、NTTドコモ(携帯電話)、オリンパス(カメラ)、ミンティア(菓子)、キリン(ビール)、ユニクロ(衣料品)、マクドナルド(外食)、TBC(エステ)、コカコーラ(飲料)、ベンツ(自動車)等々のTVCMに出演している。ほかにも、スポーツメーカー、腕時計、サングラス等のメーカーとの専属契約もあるという。こうしたCM契約と出演は広告代理店の主たる業務である。

その本田圭佑だが、彼は本業のサッカーでは調子が上がっていなかった。おそらく選手としてのピークも下り坂にさしかかったのではないか。ACミランでも点がとれない。フィジカルもおかしい。それでも本田圭佑は日本代表の中心選手として君臨し続けた。

日本代表監督のザッケローニは、香川真司と本田圭佑を攻撃の中心としたチームづくりをしてきた。しかしながら、彼らの調子が上向かないことが現実となった時、それに代わる人材と戦術に切り替えるチームづくりを怠った。

たとえば、本田圭佑を経由しないセンターフォワード(CF)を基点とする攻撃スタイルを模索する道筋もあった。CF候補としては、豊田陽平、ハーフナーマイク、佐藤寿人、川又堅碁がいた。ザッケローニは代表選考において、彼らを排除した。その背後に代理店と結託した日本サッカー協会(技術委員長)がいたことは想像に難くない。また、本田圭佑が彼らを個人的に排除したとも言われている。ザッケローニは、トルシエが中村俊輔を切ったような強硬的選考を回避した。

そのザッケローニだが、W杯グループリーグの試合のリードされた終盤、CBの吉田麻也をパワープレーで前線に張り付かせたのだから、日本代表の選手選考の矛盾を公にしたようなものだ。このことをとっても、代表選手選考において、ザッケローニに圧力が加わったことは想像に難くない。

長谷部誠にも同じことがいえる。彼もキリンレモン(飲料)、ニベア(化粧品)、ボルビック(飲料)、アテッサ(時計)、日本ユニセフ協会等のTVCMに出演しており、書籍の刊行もある。ドイツではレギュラーもおぼつかなく、しかも故障あがりでありながら、彼が実力以上に評価されたのは、キャプテンシーというよりも広告代理店にとって重要だったからではないか。その影響で代表選考から漏れたのが、細貝萌だ。彼はドイツでレギュラーであり、実力では長谷部誠を大きく上回りながら、日本代表に残れなかった。

大手広告代理店が海外組をCMキャラクターとして企業に売り込み契約をし、その見返りとして、日本代表試合に出場させてメディア露出を保証する。そんな仕組みで日本代表ビジネスが成り立っているとしたら、日本代表はサッカーをする前に負けている。CM出演が実力に優先するような代表サッカーの構造を改革しなければ、日本は強くなれない。

◎ロシア大会に向けて何をなすべきか

(一)海外ブランド漁りはやめたらどうか

ザッケローニというイタリア高級ブランドに手を出して失敗した日本サッカー協会は、W杯敗北の検証も終わらないうちに、こんどはメキシコブランドに触手を伸ばしているという。メキシコのサッカー事情を知らない筆者だが、体格は日本人と同程度で小柄ながらW杯ではつねにベスト16以上をキープしているという。海外移籍が盛んでなく、メキシコ国内リーグで活躍する選手を主体とした代表チームづくりが特徴だという。

(二)ロシア大会は国内組が主力か

W杯で不調だった日本代表だから、海外移籍は前の4年間より盛んではなくなる傾向になろう。W杯終了後に海外移籍が決まった代表選手は柿谷曜一郎だけ。欧州サッカーにおける来季(14−15シーズン)、本田圭佑(イタリア)、香川真司(イングランド)のリーグ戦出場機会はさらに減少するだろう。二人とも海外遠征メンバーとして残るのが精いっぱいではないか。

ドイツは世界王者となったため、優秀な海外選手の流入も増えそうだ。当然、清武弘嗣、大迫勇也、乾貴士、岡崎慎司、酒井高徳、酒井宏樹、長谷部誠、原口元気、細貝萌らのレギュラーへの道は険しい。海外組でほぼレギュラーがとれそうなのは、内田篤人(ドイツ)と長友佑都(イタリア)しかいないのではないか。

(三)日本代表の暗部に目を向けなければ強くはなれない

そんななか、国内リーグ選手を中心とした日本代表づくりという状況を迫られるのならば、メキシコの目を向けることも悪くない。だが、メキシコ代表には、大手広告代理店が介入するような環境は絶無だろう。外形的サッカー情報でメキシコサッカーとその監督に適格性が見いだせたとしても、日本代表の暗部と深部に向けて構造改革がなされなければ、どこのだれが監督になっても変化は期待できない。代理店の圧力を排除できるような人物ならば、国籍、サッカー観はあまり関係ないような気もする。そう感じるほど、日本の代表サッカーは腐っているということだ。



2014年07月15日(火) We will play our own brand of football.

サッカーW杯ブラジル大会がドイツの優勝をもって終了した。北中南米開催のW杯で欧州勢が優勝したのはドイツが初めてのこと。しかも、セミファイナルでブラジルを、ファイナルでアルゼンチンを退けての栄冠であるから価値が高い。

◎ドイツの強さは総合力

ドイツ優勝の要因はいくつかあろう。才能のある若手がまさに旬の勢いで本大会に臨んだこと。GKの鉄壁の守備。高い組織力と規律、そしてフィジカルの強さ。戦術の巧みさ、選手層の厚さ等々・・・列挙すればきりがない。いわゆる総合力が勝り、攻守のバランスがとれていたことだろう。


◎日本の“実力”は、出場国中下から数えて1〜2番目

本大会の総括はすでにスポーツメディアでなされていて、それに付け加えるものはない。ただ、はっきりしたのは、日本の実力のなさ。日本の力は、本大会出場国(32か国)中、下から数えて一番目か二番目という事実。もちろんこれは結果論を含んでの評価だが。

世界サッカーの進化のスピードは、日本が思う以上に早かった。前回南アフリカ大会終了からの4年間、日本はその変化についていけなかった。日本サッカーの関係者が、本田圭佑がまき散らした毒素に染まり、謙虚さを失い、自信過剰になり天狗になっていた。この事実を真摯に受け止めなければならない。

◎日本の話題は日本人サポーターのゴミ拾いだけ

思えば、開幕戦のブラジル−クロアチア戦は、日本人の主審が裁いた。さっそうと登場した日本人主審だったが、ブラジルのFWのダイブに騙されてPK判定をしてしまい、世界中から非難を受けた。

グループリーグ(GL)C組の日本は1分け2敗の勝ち点1で同組最下位に沈み、日本代表は早々と日本に帰国した。

本大会における日本がらみの話題と言えば、日本人サポーターのゴミ拾いという寂しいもの。選手も審判もだめで、ゴミ拾いの日本人が称賛されるという珍現象だけが開催国メディアの注目を集めた。

◎日本サッカーのガラパゴス化

日本人の主審がブラジル選手のダイブに簡単に騙されたのは、日本人主審のミスという次元の問題ではない。日本人の審判団が仕事をするJリーグに問題の根源がある。つまり、Jリーグのガラパゴス化である。日本のトップカテゴリーであるJリーグは、世界サッカーの潮流とは無関係に、独自の進化を遂げている。主審の判定基準で言えば、接触プレーに著しく厳しい。タックルで倒されれば(ボールに向かったものでも)、倒れた側に必ずファウルが与えられる。正当なショルダーチャージでも(選手が倒れれば)、倒された側にファウルが与えられる。

激しい当たりにはすぐイエローが出され、選手は退場を恐れて激しいプレーを控えるようになる。そればかりではない。日本のサッカー風土がお嬢様サッカー風のパス主体の試合を好むところから、激しいチャージを行う選手は、審判、ファン、メディア、選手間で嫌われる。その結果、Jリーグの選手は球際の競り合いに極端に弱い。この現象は、JリーグクラブがACLで勝てなくなったことで実証されている。

お嬢様サッカーはアマチュアの少年サッカー、中高大の学校クラブ活動でじっくりと醸成される。お嬢様サッカーは、プロのクラブのユースチームでも、指導者が同じような指導方法なので、是正されない。フィジカルの強さよりも、ボール捌きが器用で上手な選手がレギュラーになり、おとなしく闘争心のない試合を10代で繰り返す。

◎強いフィジカル、闘争心をもった代表選手が必要

本大会に日本代表に選ばれた選手をみると、似たようなタイプの選手ばかり。これはザッケローニが選んだのか広告代理店が選んだのか定かではないが、戦い方の幅を感じさせない選手ばかり。そしてその共通点は、みなフィジカルが弱いこと。

サッカーは格闘技的要素もあるが、相手を倒すことにフィジカル強化の目的があるわけではない。拙コラムで何度も繰り返すように、(相手との)競り合い、走りあい、ボールの奪い合い――に必要なフィジカルを身につければいいのであって、筋肉をつけて大きくなればいいというものではない。大型化が必要なのはゴールキーパー(GK)とセンターバック(CB)。この2つのポジションは、身長が高いほうが有利だが、それ以外のポジションは必ずしも大型であればいいというわけではない。

フィジカルの強さを実効性の高いものとするのは、強い精神力・闘争心である。本大会において世界の代表選手は、その点ではるかに日本を凌いでいた。日本代表選手は、精神力・闘争心で世界に引けを取っていた。今後の日本代表の強化ポイントは、フィジカル強化、精神力・闘争心の鍛錬となろう。簡潔に言えば、W杯という舞台は戦いの場であるということだ。「自分たちのサッカー」をなんて寝言を言っていたのでは勝てないということだ。

◎We will play our own brand of football.

このことは拙コラムですでに書いたことだけれど、「自分たちのサッカーをする」という言い回しは、We will play our own brand of football.の日本語訳であって、この言い回しは外国人選手・監督等が試合前のインタビュー等に答えるときの常套句の一つにすぎない。この言い方に深い意味はない。日本人選手の間では「がんばります」が意味をもたない常套句の一つとして定着していたし、「最善を尽くします」と言うのもあった。だが近年、これらの常套句が陳腐化してきたので、気の利いた言い方の一つとして、「自分たちのサッカーをするだけ」が流行りだした。

しかし、いかにもばかげているのは、この空疎な常套句が、日本のサッカーの方向性を決定してしまったことだ。日本は攻撃的サッカーで勝たなければいけないと。このカラクリについては、すでに拙コラムで繰り返し書いてきた。

本大会を見ると、強豪国は相手次第で多様な戦略・戦術・選手起用を試行してきたことがわかる。そして、最後には、もっとも攻守のバランスのとれたチーム(ドイツ)が勝ち残った。勝負事というのは、そういうものだ。サッカーに「勝利の方程式」があるわけではない。いまの日本人のサッカーの実力で「自分たちのサッカー」で相手に勝ち切れるほど、世界は甘くない。相手によって、やり方はいろいろある。W杯においてなによりも大切なのは、監督・選手が、勝ち抜くために必要な選択を重ね、それを実行することにある。

守りを蔑ろにしたチームは上には行けない。筆者が今大会もっとも印象に残ったチームは、日本と同じC組で退場者を出しながら日本と引分け、最終戦、コートジボワールを追加時間のPKで破りGLを突破した、ギリシャである。伝統の力を思い知らされた。



2014年07月11日(金) 守備の重要性を再認識――W杯準決勝2試合

「サッカーは非論理的」なのだろうか。スポーツ評論のすべては結果論。スポーツが試合前に論理的に結果が判明していたならば、それを見る価値はない。スポーツは現在進行にのみ意味と価値のあるドラマ。だから、ブラジルの大敗を予想した者がいないのは当然。筆者は本大会の優勝者をブラジルと予想した。戦力的には難のあるチームだったが、ホームの利があると信じたから。

●ドイツ戦大敗の主因は

エース、ネイマールの欠場、守備の要、Tシウバのサスペンションによって、ブラジルが苦戦するであろうことは、予想できた。それでも1−7のスコアは想定外だった。

拙コラムで書いたことではあるが、こういう大会では、大差の試合が起こらないわけではない。本大会グループリーグ(GL)において、前回王者のスペインがオランダに1−5で大敗しているし、わが日本もコロンビアに1−4で惨敗している。前者は精密機械(スペイン)の歯車が狂い、制御不能に陥ったためだ。後者はGL敗退寸前に追い詰められた日本が、ノーガードで前に出たためだ。それでも、スペイン、日本ともに7失点はしていない。そればかりではない。ドイツに大敗したのがブラジルでなければ、たとえばアジアの日本とか韓国だったら、さほど話題にもならなかっただろう。W杯史上まれな大差の敗北の当事者が王国ブラジルだったことが衝撃だった。

ブラジルが大敗したこの試合、ドイツの良いところはいくつか指摘されている。先取点のスクリーンプレーは各メディアがとりあげているように、実に頭脳的で見事なものだった。だが、ドイツの良さだけで、大量7点が上げられるとは思えない。やはり、ブラジルに自壊現象が生じた、と考えるべきだろう。

●コロンビア戦の“削りあい”がすべて

ブラジル大敗の要因は、ベスト4をかけた南米対決、コロンビア戦にあった。ブラジルは2−0でコロンビアに勝ったが、試合内容は褒められたものではなかった。この試合のファウル数は54(ブラジル31、コロンビア23)あり、イエローはともに2枚である。ブラジルに出されたそのうちの1枚が、前出したとおりTシウバに出された。一方のベスト4をかけたドイツ−フラン戦のファウル数は33(ドイツ15、フランス18)、イエロー2(ドイツ2、フランス0)であった。多くも少なくもない数字である。ファウルやイエローは審判の主観に負うが、それでもブラジル−コロンビア戦におけるブラジルのファウル数は異常数値である。

自らが仕掛けた削りあいでブラジルはコロンビアには勝ったものの、その代償は、ブラジルに重くのしかかることとなった。ネイマールがコロンビアDFのハード・ブリッツを受けて骨折し、以降出場不能となった。その背景として、この試合の主審がファウルに寛容であり、多少の“削りあい”を容認したからだ。そのなかで、両チームの選手にハードな接触プレーが誘発された。やられたらやりかえせ、主審の笛の範囲の接触はOKなのだからと。そして、守備の要のキャプテンTシウバは、通算2枚目のイエローをもらい、準決勝に出場できなくなってしまった。この試合は、南米サッカーの光と影の象徴である。彼らの悪しき伝統“削りあい”という影の部分が、開催国ブラジルを覆った。

●セルフ・コントロールに失敗したブラジルの選手たち

そればかりではない。GLから決勝トーナメント(T)を通じて、ブラジル選手の異常な興奮ぶりが目に付いた。PK戦勝利による涙、コロンビア戦におけるファウルの多発などなど、開催国のプレッシャーに自制(セルフ・コントロール)がきかなくなる寸前まで追い詰められた感があった。

ブラジルの選手の精神状態は、引っ張られすぎて切れる寸前のゴムのようなものだったのではないか。そしてドイツ戦である。試合開始早々、どちらかといえば、ブラジル選手のは興奮状態が、プレーにプラスに働いて、優勢を確保した。よく言われる、「試合の入り方としては悪くなかった」というやつだ。

ところが、セットプレー(前半11分)でドイツに先制点を奪われたところで、ブラジルの選手たちの精神状態は、興奮状態から不安もしくは焦りへと変わったのではないのか。

そして前半23分の失点により、彼らの緊張、不安、焦りは一挙に、しかも重層的に高まり、ゴムは切れた。つまり、瓦解した(29分までの6分間で4失点)。

結果論として、ブラジル大敗の分析は合理的に説明がつく。サッカーは、けして非論理的ではない。しかし、ブラジルが序盤で先制点を上げていたら、ブラジル選手の興奮度は勝利へのエネルギーに変換していたかもしれない。その結果、大敗したのがドイツだったかもしれない。どちらに転ぶかは、神のみぞ知るところなのだ。

●南米サッカーの秘められた力=堅守

ブラジル大敗の翌日行われたオランダ−アルゼンチン戦は、前日とは実に対照的な試合となった。両チームともに昨日の試合の衝撃を引きずって試合に臨んだようだ。この試合を支配した心理状態を一言で言えば、“恐怖”であろう。

両チームとも過度な攻撃性を抑制し守備的になった。アルゼンチンはオランダのリアクション・サッカーを警戒し中盤を省略、オランダの3バックの両側のスペースにロングボールを供給する作戦に出た。中盤からの攻撃はメッシ一人にお任せ。そのメッシに対して、オランダは最大3人で守った。

オランダも得意のリアクション・サッカーを封じられ、しかも、頼みのロッベンがサイドのスペースに走りこまないため、チャンスがつくれなかった。

ちなみに、この試合のファウル数は25(オランダ15、アルゼンチン10)、イエローは3(オランダ2、アルゼンチン1)である。前出のブラジル−コロンビア戦と比べれば、ファウル数は半分以下。いかに接触プレーが少なかったかがわかる。“削りあい”を回避し、ケガ及び先制点を恐れた。

アルゼンチンの守備の要ハビエル・マスチェラーノの好プレーも特筆されるべきであろう。この選手、身長はそう高くないが、粘り強さ、スタミナ、走力、判断力、ポジショニングに優れていて、オランダの決定機をことごとくつぶした。体格に恵まれない日本人が模範としたい選手の一人だ。

両チームがリスク回避のマネジメントを優先したとはいえ、南米の堅守がフィジカルのオランダを止めた試合だと言える。メッシばかりに目を奪われがちなアルゼンチンだが、南米の堅守のDNAの良さが発揮された。ブラジル−ドイツ戦とは異なる、緊張感のあるいい試合だった。

●決勝戦はドイツ有利だが、筆者はアルゼンチンに勝ってほしい

条件からすれば、決勝戦(日本時間・14日早朝)におけるドイツ有利は動かない。準決勝はブラジルに90分の楽勝。しかも休養日は、対するアルゼンチンより1日多い中4日。ブラジル相手の大勝は選手に自信を与えたはずだ。アルゼンチンはオランダと延長戦(120分)を戦っての中3日。これは苦しい。

それでも、アルゼンチンに希望があるのは、メッシが元気でいることだ。いまのところ故障、ケガの情報はないし、コンディションも悪くなさそうだ。守備の要のマスチェラーノも健在だ。

準決勝のときのブラジルは、攻撃の要(ネイマール)及び守備の要(Tシウバ)を欠いてドイツに敗れたが、アルゼンチンはどちらも試合に出場できる。オランダを封じたアルゼンチンの守備が崩壊しなければ、僅差の勝利が期待できる。もちろん、決勝点はメッシの信じられないプレーによる得点というわけだ。

筆者は、アルゼンチンに優勝してもらいたい。なぜならば、W杯の歴史を振りかえると、30年ウルグアイ大会=ウルグアイ優勝、50年ブラジル大会=ウルグアイ優勝、62年チリ大会=ブラジル優勝、70年メキシコ大会=ブラジル優勝、78年アルゼンチン大会=アルゼンチン優勝、86年メキシコ大会=アルゼンチン優勝、94年アメリカ大会=ブラジル優勝と、北中南米開催のW杯では、南米勢が優勝しているのである。この地勢的サイクルからすれば、今回ブラジル開催の優勝は、アルゼンチンということになる。南米開催で欧州(ドイツ)が優勝することはあり得ない。ここでドイツが優勝すれば、サッカーの覇権は欧州ということになってしまう。そんな事態だけはなんとしても避けなければならない。がんばれ、アルゼンチン!



2014年07月06日(日) 自分たちのサッカー

南米選手の堅い守備のDNAが、W杯という晴れ舞台で呼び起こされた。勝つために何をするのか、ベスト4をかけてブラジルに挑んで負けたコロンビアだが、彼らが「自分たちのサッカー」をしたことだけは間違いない。

南米対決となったブラジル―コロンビア戦は壮絶だった。その前に行われた欧州対決、ドイツ―フランス戦が規則に基づく競技であるならば、南米対決は規則に基づく戦闘のように思えた。

展開は序盤で先制点を上げたブラジルが優位。だが試合内容は点差とは関係ない。両チームの個々の選手同士がせめぎ合う、潰し合いだった。とりわけ、両チームの10番、ブラジルのネイマールとコロンビアのロドリゲスに対するブリッツは厳しかった。

この試合を裁く主審が競り合いに寛容で、イエローカードをなかなか出さない。Jリーグの審判だったら、イエローが何枚だされたかわからない。だが、両チームがこの試合の主審の笛を基準として争った代償は、勝ったブラジルにとって、大きなものだった。ブラジルのエース・ネイマールがコロンビアの選手の後ろからのチャージを受けて背骨を骨折し、試合に出られなくなってしまったのだ。

ネイマールが受けたバックチャージは、TV映像(のビデオ)を見る限り、それほどのものに見えなかった。打ち所が悪かったのだろうか。もちろん、チャージしたコロンビアの選手にイエローは出ていない。プロレス技のフライングニーバット、空中飛び膝蹴りのような格好だった。ビデオで見る限り、バックチャージだからイエローの対象だろうが。

南米サッカーの守備は厳しい。南米は攻撃陣に多彩な技を繰り出すタレントが豊富だから、守備陣も自然と厳しくならざるを得ないのだろう。やらっれっぱなしだったら、選手を続けられなくなる。守備の選手が生き残るには、きわめて厳しい環境のようだ。

こんな試合を見せられると、日本代表の試合ぶりのおとなしさが際立ってしまう。日本選手はサッカーは上手なのだろうが、生き延びるためのサッカーをした経験はないのではないか。海外組といっても、海外クラブをクビになっても、Jリーグに戻ってスターでいられる。J1がだめならJ2・・・引退すれば解説者、コメンテーター、タレント・・・と生き延びられる。日本代表に選ばれ、W杯に出ればそれで安泰なのだ。


「自分たちのサッカー」なんて言ってられるのは、余裕のある証拠。勝つためなら何でもする――それがサッカーの基本だろう。



2014年07月04日(金) 世界との差――サッカーW杯

●世界の代表は闘争心が旺盛

GLから決勝トーナメント(T)における出場国のサッカーを見ていて感じるのは、日本代表のそれとの違い。パス、クロスおよび選手の走りにおけるスピードの違い、競り合いの強さの違い、高さの違い、持続力の違い・・・いわゆるフィジカルの違いだ。そして忘れてはならないのが、日本以外のチーム(選手)の集中力の高さ。勝とうとする意思の強さは、代表選手のプライドの高さに直結している。一言でいえば闘争心の違いだ。

終盤になると足を痙攣させる選手も目に付く。味方、敵を問わず、動けなくなった選手の脚を伸ばしてあげるシーンは、おなじみの光景になっている。日本が戦ったGL3試合において、脚が痙攣するまで走った日本の選手はいたのだろうか。管見の限りだが、見かけなかった。脚を痙攣するほど走らなかったのか、鍛錬しているので痙攣しないのか、筆者は前者だと感じている。

●「リアクション・サッカー」

世界のサッカーのトレンドは明らかに、フィジカル重視。攻守の切り替えの速さ、裏に飛び出す速さ、ゴールに向かう速さ、いわゆる走力(スピード及び持続力)は、現代サッカーの必要絶対条件の一つになっている。もちろん、パス、クロスも速い。速いパスをうまくトラップする技術も必要だし、クロスに合わせられる身体的強さ、反応・判断力も求められている。

攻守の切り替えが速いということは、カウンター攻撃が主流だと換言できる。GLでパスサッカーのスペインを粉砕したオランダの監督が、自らのサッカーを「リアクション・サッカー」と臆面もなく表現した。その「リアクション・サッカー」は、Jリーグではネガティブな古い戦法だと言われていて、そこからの脱却、すなわち、自分たちが仕掛けるサッカーを目指していたから皮肉なものだ。

●日本代表となる条件はフィジカルの強さ

ボールを奪ったならば、それを一気に相手ゴールまで運ぶ。この一連の動作を書くことは簡単だけれど、それを90分間続けることは極めて難しい。相当な持続力も必要とされる。これらを総じて「リアクション・サッカー」と呼び、それを可能にする基盤が選手のフィジカルの強さということになる。

日本代表がこのトレンドに乗ることは必要なのだろうか。もちろん、このトレンドに乗らなければ日本は世界で勝てない。今後、日本のサッカー選手が日本代表となる条件の第一は、強いフィジカルをもっていることとなる。

●CBの重要性

「リアクション・サッカー」の説明としては、ここまでは半面にすぎない。残りの半面は、守りの強さである。もちろんその要となるのは、センターバック(CB)だ。CBで重要な要素は、第一に「高さ」ということになろう。例外もある。16強に入ったチリだ。チリは先発全員が身長180cm以下という特異なチームだった。そんなチームがないわけではないが、日本のフィジカルエリートの平均身長に鑑みて、180〜190cm台のCBを育成することはそれほど難しくない。むしろ、チリのようなDFをつくることの方が困難だろう。Jリーグならば、神戸の岩波拓也が代表クラスのCBになる可能性を秘めている。

●ボランチの弱体化が日本の敗因の一つ

守備において重要なのがボランチだ。ボランチでチーム力は決まると言っても言い過ぎでない。もちろん、ボランチにも強いフィジカルが求められる。

日本がブラジルで惨敗した要因の一つがボランチの選手の代表選考にあった。ザッケローニが日本代表を率いてから、W杯予選、親善試合を重ねるうち、人材が豊富といわれる日本の中盤に変化が起きていた。長谷部(キャプテン)・遠藤で鉄壁だと思われていたこのポジションに、コンフェデ大会あたりから綻びが生じていたのだ。

長谷部のケガと遠藤の衰えが痛かった。ザックジャパンは「本田のチーム」だと言われるが、全体から見れば、「長谷部のチーム」である。その長谷部が長期離脱し、本番にはいちおう間に合ったが、GL3試合にフル出場してチームを牽引するまでのフィジカルの回復は無理だった。遠藤の場合も、予選終了後、急激に衰えを見せ始めた。そこで若手の山口、青山を起用して親善試合に臨んだが、完成するに至らなかった。ボランチのポジションにおける筆者の序列は、ナンバー1に細貝萌、2位山口、3位青山であったが、ザッケローニは細貝を評価しなかった。

●本田と心中せざるをなかったザッケローニ

ザッケローニは日本代表監督に就任して以来、パス回しを基本にした「攻撃サッカー」を戦い方のコンセプトにしたが、それは本田を中心にしたチームという意味である。長友、香川がいる左サイドを基点にして、中央の本田が決定的な仕事をするというイメージだろう。そのような攻撃の組立には、ボランチの遠藤の攻撃的センスが不可欠だった。つまり、本田と遠藤は有機的関係なのだ。

この本田中心のイメージは、第一に前線のセンターフォワード(CF)にボールを集めるポストプレーの可能性を排除した。2014W杯に向けて、日本代表におけるワントップの候補者としては、前田、大久保、豊田、ハーフナー、佐藤寿、川端らが挙がって当然だったが、ハーフナーの場合は本田が意図的に代表選考を妨害したとの情報も流れている。

そのため、日本のワントップは柿谷、大迫、大久保に落ち着いたが、3選手とも似たようなタイプで、ポストプレーに迫力を感じない。しかも、大久保の代表選出は、W杯開催の直前だった。ザッケローニは本大会直前、本田の調子が上がらないことに焦り、急遽、大久保を代表に選んだのだと思う。その大久保は本番のコートジボワール戦、ギリシャ戦においてトップではなく、サイドで使われた。

本田のイメージは、サイドでできた基点に自分が積極的に絡み、▽自分が得点を上げること(この形は、初戦のコートジボワール戦で実現している。)、▽決定力のある右サイドの岡崎に決定的パスもしくはクロスを上げること、▽相手ファールを誘って自分がフリーキックを決めること――の3パターンだった。いずれのシーンも自分をビッグクラブに引き上げる原動力となる。本田の上昇志向(=利己心)にチームが利用される形だ。

一方、世界のサッカートレンドは、日本のW杯前最後の親善試合ザンビア戦の勝ち越し得点シーンにあった。そのシーンは、ボランチ(青山)からトップ(大久保)への最速パスで得点を上げたもの。ザッケローニはそのことにおそらく、気付いていた。気付いていながら、青山のようにFWに速いパスを供給できるセンスをもったボランチを攻撃の基点にするようなサッカーを構築することができなかった。時間がなかったのだ。

ザッケローニは、日本代表のサッカーの欠陥を承知していたと思う。たぶん、コンフェデ杯のころには、これではだめだと感じていたと思う。だが、いまさら遠藤〜本田に象徴される「攻撃サッカー」を更新する時間のないことも承知していた。ザッケローニは本田の回復を信じ、彼との心中を決意した。

●日本はコートジボワール、ギリシャには勝てた

結果論でなく、日本が入ったC組はコロンビアが群を抜いていて、残りの日本、ギリシャ、コートジボワールの力は拮抗していた。しかもコートジボワール戦、ギリシャ戦は日本に有利な形で試合が展開していた。コートジボワール戦では先制できたし、ギリシャ戦では相手に退場者が出るという幸運に恵まれた。

●勝利に執着できなかった日本イレブンの精神的弱さ

そればかりではない、この2チームはチームづくりとしては古風で、コートジボアールには組織力が欠如し、ギリシャには攻撃に係る戦力と戦術が不足していた。つまり、ベスト8に残ったチームが持つ速さ、規律、組織力、破壊力が欠如していた。それでも日本が勝てなかったのは、日本選手に闘争心とフィジカルが欠けていたからだ。脚が痙攣するほど、走らなかったからだ。勝負に対する執着心、攻撃性、集中力が不足していたからだ。チームのために献身するという意識が希薄だったからだ。

本田がコンフェデ杯ころから、「個の力」を重視した発言をしだしたころから、日本代表のサッカーは何かを失った。サッカーは個人の上昇志向の道具ではない。自分を高く売るために代表を利用しようという魂胆が見え隠れすれば、チームは弱体化する。

結論として言えば、これからの日本サッカーを背負うことができる人材に必須の条件は、「個」よりも「チーム」の勝利のために献身する精神をもった者の出現ということに尽きる。個人の夢を第一義にする利己的存在ではなく、チームへの献身を第一義とする精神性を発揮できる存在ということになる。ビッグクラブへの道は、その結果として自ずとついてくるものだ。

そのような人材を育成するためには、日本代表として、興行的親善試合を減らし、勝負にこだわった試合をできる限り多くセットし、勝つための訓練を積み重ねるしかない。


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