外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
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2009年10月28日(水) 10月28日は、絶対に忘れることができない日なんです。

◆今日は、私事です。悪しからず。

今日は完全に個人的なことです。

日付が変わってしまったが、10月28日は、私には絶対忘れられない日です。

16年前の今日、私は脳出血で寝たきりになった父を兄に託して、英国駐在の為、

成田空港からヒースロー行きの全日空機に乗りました。

恥ずかしながら、私はそれまで、日本を出国したことがありませんでした。

海外駐在の内示が出て、アワを食ってパスポートを作ったのです。

初めての国際線が、「転勤の為」という人は少ないのではないかと思います。

海外駐在は、普通、亭主が先に単身渡航し、現地で住居を探し、クルマを買い、

準備が整ってから、家族を呼び寄せるのです。


私の会社は、海外赴任者に迎えは来ません。12時間のフライトの後、ヒースローで入国審査を受け、

タクシーで、当面の住居。短期滞在型アパートに向かうのです。


英語は、僭越ながら、以前書きましたが、英会話の教科書を500回音読し、

存在すら知らなかったTOEICで800点以上取れていたので、会社の上司は大丈夫だろうと言ってくれていました。

これは、幸いそのとおりでした。


◆初日から出社。

東京-ロンドンは、約12時間。正午ちょっと前に成田を離陸し、ロンドンについたのは、現地時間では夕方4時頃ですが、

私の体内時計は既に夜中の12時です。疲れました。アパートに着いて会社に電話したら、

今日は良いから明日から来なさい。

と言ってくれると思ったら、人使いが荒い会社で「今日、これから、来い」といいます。

地下鉄の路線など、まだ右も左も分かりません。会社の所在地だけはわかりますから、

ロンドン名物のタクシー、ブラックキャブに行き先を見せてから会社に着きました。

エライ人に一通り挨拶したら、開放して貰えるだろうと思ったら、

私とと交替で帰国する前任者が、これからお客さんの接待ディナーがあるから一緒に来い、

といいます。仕方がない、行きましたよ。しかし、体内時計は明け方の4時頃です。猛烈な睡魔に襲われ、

席上、うたた寝してしまいましたが、前任者が相手に事情を話してくれたので、問題にはならなかった。

イギリス人の接待相手、つまりお客さんが気の毒がってくれていたそうです。


◆明治生まれで、単身渡米した祖父の命日でもあるのです。

学生時代勉強は大抵嫌いでしたが、何故か英語だけは得意でした。

私の祖父は福島県出身ですが、19歳の時に、単身渡米し、今やイチローですっかり有名になったシアトルの

通信社に雇って貰い、10年間、ジャーナリズムの勉強をしたのです。無論それまでに必死で英語の勉強は

していたけれども、あちらでは、差別を経験したり、苦労があったらしいですが、明治生まれの日本人は強い。

少々のことでは、志を曲げません。祖父は10年後帰国して、最終的には某新聞の主筆になりました。

戦前のことです。祖父は私が生まれる前に他界したのですが、私の英語好きは祖父のDNAを引き継いだものではないか、

と海外赴任など決まる前から、ずっと思っていました。

祖父の命日である10月28日に私が海外へ飛んだというのも何かの因果ではないか、と思います。


◆親の死に目には遭えませんでした。

当時、世の中にインターネットは既に存在していたようですが、今のように一般には普及していなかった。

そもそも当時、海外赴任にPCを持っていった人間などいないと思います。

私は、最近、今流行りのTwitterに結構ハマっていますが、先日、スペインに留学してんだか、遊んでんだか

分からない女の子(と言っても、OLを辞めてからですからそこそこの年齢のはずです)が、

私、インターネットが無かったら、絶対に海外に住むことなんて考えなかったと思う。

と書いていました。知らない人だから何も言わなかったけど、一瞬カッとなりました。
甘い!

と、思いました。PCを持って行くのは構いませんが、海外に住んで毎日、ネットで日本人と話していたら、

それがもし、語学習得目的の渡航ならば、こういう人は永久に上達しないでしょう。

時代が変わったのだから、で片付けて良いものか?と思います。


但し、駐在員の奧さんは別。旦那は会社で日本人と話せるけど、奧さんは必ずしも希望して海外に来たわけではない。

語学だって人には誰にも得手不得手がある。折角海外赴任したのだから、英語力を磨くべきだ、というのは、

駐在員の奧さんに対しては、「大きなお世話」です。海外駐在員夫人の自殺って、日本では知られていないけれど、

驚くほど多いのですよ。だから、今は奧さん達がネットで日本の人と日本語で話せるのは、非常なメリットなんです。


話が逸れましたが、私らの頃は不自由でした。日本の家族や友人と連絡を取りたかったら、時差を考慮して、

国際電話(料金がバカ高いので、長時間は、話せません)を利用するか、エアメール(紙に手書きの文字通り「手紙」です)

でやりとりするしかなかった。私は闘病中の父が、私の事を心配していることが、あまりにも明らかだったので、

色々辛いこともありましたが、「全て順調だ。心配ない。楽しくやっている」と認め、父が可愛がっていた私の息子の写真などを

添えて、せっせと手紙を書きました。後で聴いたら、親父はその写真を病室の壁に所狭しと貼って、いつまでも眺めていたそうです。

父は私の渡航2年後、1995年10月一旦危篤になりました。

私は一時帰国して、病院のICUに一週間簡易ベッドで泊まり込みました。最早、話すこともできません。

しかし、容態に変化がないので、仕方なくロンドンに戻りました。その3ヶ月後、1996年1月、容態悪化の知らせを受けました。

ロンドンの自宅から直接、父が入院している病院に電話したら、
○○○○さんは、さきほど、死亡退院なさいました。

と告げられました。覚悟はしていたけど辛かったです。


◆辛いことも多かったけれど、今でも懐かしいのです。

ロンドンでの駐在員生活では、色々と大変なこともありました。

細かいことにガミガミと五月蠅い上司。私が所属したチームは12人ですが日本人は私だけ。

現地採用のイギリス人職員には、外面は良いけど、内心、日本人をバカにしたくて仕方がない、

という奴が必ずいるのです。差別というのは、受けてみると、どれほど理不尽なものかよく分かります。


家を借りる契約も、中古車を買うのも、買い物も、夏休みの旅行でヨーロッパ各地のホテルを予約するのも、

歯医者に診て貰うのも、当然ながら全て英語です。家内は、全然英語を身につけようとしないので、

仕事中にプライベートな用事(例えば、カーペットクリーニン業者に連絡が取れない、とか)で、

私に電話してきたこともある。



しかし、4年間ヨーロッパ(英国人は英国は、グレート・ブリテンであり、ヨーロッパではない、と思っていますが)に

住めたことは、本当に有難いことです。あんなことがなければ、生来怠惰な性格の私は、一生パスポートを作ることが

無かったかも知れない。モーツァルトの生家をザルツブルクで見たり、ヴェニスのゴンドラに乗ったり、スイスで目の前に

マッターホルンを見るツェルマットに行くことも無かっただろうし、バルセロナでサグラダ・ファミリアを見ることもなかったと思います。

ロンドンにいたお陰で、安永徹さんがコンマス席に座る、アバド=ベルリン・フィルや、小澤征爾=ウィーン・フィルを聴くことが

できた。今でも、辛かったことより、そういう楽しかったこと(楽しかった時間の方がずっと短かったのに)ばかりを

思い出し、Googleストリートビューで、帰国直前まで住んでいた、ウィンブルドン・パーク・ロードの家を見ると、

殆ど「ホーム・シック」になります。私は海外の方が性に合っているのか、何とも言えません。


ロンドンにいたときの方が苛酷な環境だったけれど、母国に戻ったらうつ病になってしまった。

それからはずっとツイていませんが、ロンドンで暮らすことができたのは人生の宝です。

10月28日は、その楽しい日々が始まった日、ということになる。だから、忘れられません。

何だか、自慢話になってしまいました。不愉快になられた方がいらっしゃったら申し訳ない。

ただ、今の私は十分不幸です。何しろ10年もうつ病なんです。もう将来はない。

リストラされ、野垂れ死にするかも知れません。

だから、今日だけは、楽しかった日々を文字にすることを、お許し頂きたい。

最後まで、駄文にお付き合い頂き、有難うございました。

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2008年10月28日(火) 私事で恐縮ですが、10月28日は忘れがたい日なのです。
2007年10月28日(日) 「青空文庫、6500作品入りDVD-ROMを図書館に寄贈」←青空文庫は無料(タダ)が当たり前、と思うべきではない。
2006年10月28日(土) 「カール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)」(DVD)30年ぶりですね。ベーム先生。お久しぶりです。
2005年10月28日(金) 「日本音コン:ホルン本選会、大野雄太さんが1位」←プロが毎コン受けるのは立派ですよ。
2004年10月28日(木) 「新潟県中越地震、Fujisan.co.jp、イーバンクと goo も支援」←カードで簡単に寄付ができます。
2003年10月28日(火) 自民党の二枚舌「小泉改革宣言」と「解説・自民党重点施策
2002年10月28日(月) 「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」(ゲーテ)

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