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JIROの独断的日記
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2009年01月03日(土) 年末・年始の「年越し派遣村」ニュース所感。本来、行政の仕事であり、ボランティアに頼る事じゃないだろう。

◆記事1:<生活支援>「年越し派遣村」東京・日比谷公園に開設(12月31日20時52分配信 毎日新聞)

仕事と住居を失った非正規社員らを支援する「年越し派遣村」が31日、東京都千代田区の日比谷公園内に開設された。

派遣切りにあった100人以上の失業者らが各地から次々と集まり、年末年始を公園内で過ごす。360人を突破したボランティアらが

5日までの開村期間中に1日3回の食事提供や労働相談を行い、宿泊場所も用意している。

 労働組合や市民グループで作る実行委員会によると、31日の入村者は129人。山口県で職を失った人や、

所持金がなくなり、日比谷まで数時間歩いて来た失業者もいた。一部は年明けに生活保護の申請を行う予定という。

 「野垂れ死ぬかもしれないと思ったこともあるが、これでどうにか年を越せる。赤の他人にここまでやってもらえるとは」。

群馬県の自動車関連工場の派遣契約を10月末に打ち切られ、11月中旬に寮を退去させられた男性(41)は、

午前中のうちに入村し、少し安心したような笑顔を見せた。

 男性は、さいたま市や都内のネットカフェを転々とした後、公園で野宿しながら1日カップラーメン一杯で飢えをしのいできたが、

所持金は数千円にまで減っていた。ようやく年明けまでの居場所が見つかり「来年は仕事を見つけ、お世話になった人に恩返しをしたい」と語った。

 開村式で、NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」事務局長で村長を務める湯浅誠さんは

「年末、年始の命を支える活動を通じ、労働者派遣法を中心とする『働かせ方』のおかしさを訴えていきたい」とあいさつした。

カンパやボランティアなどの問い合わせは派遣村の臨時電話(090・3499・5244)へ。


記事2:厚労省講堂を宿泊用に開放=派遣村に300人超−元小学校も・東京(1月2日18時35分配信 時事通信)

派遣契約の打ち切りで寮を追われるなどし、支援を求めて日比谷公園(東京都千代田区)の「年越し派遣村」に集まった元派遣社員らについて、

厚生労働省は2日夜、庁舎内の講堂を宿泊用に開放した。派遣村を訪れた人々は同日、300人を超え、

テント不足など収容能力を超えたため、主催者側が宿泊場所の確保を要請していた。

開放されたのは、日比谷公園前にある同省2階の講堂(約820平方メートル)とトイレで、同日から5日午前9時までの予定。

出入り口を常時開放し、暖房も用意。派遣村の実行委員会によると、240〜250人程度が講堂に移り、約10人が体調不良を訴えたという。

一方、隣接する中央区は5日朝9時から1週間をめどに、かつて小学校だった多目的施設2カ所を開放することを決めた。

それぞれの体育館に最大で80人ずつ計160人が宿泊できる。

派遣村は約20団体による実行委が先月31日に開設。1日夜は公園内に約50張りのテントを用意し宿泊場所を提供したが、

2日午後6時までに304人が集まり、宿泊希望者は274人に上った。実行委は同省ロビーなどの提供を大村秀章厚労副大臣に文書で要請。

大村副大臣は2日夕、舛添要一厚労相が了承したことを明らかにした上で、「緊急避難的に講堂を使ってもらうことにした」と述べた。


◆記事3:<年越し派遣村>厚労省講堂は5日まで 寝場所の不安、再び(1月3日21時6分配信 毎日新聞)

仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するため東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」の入村者は3日、

大半が厚労省の講堂で朝を迎えた。テントより暖かく、泊まった人はホッとした表情を見せたが、

講堂の利用期限は仕事始めの5日午前9時。その後の宿泊場所は保証されておらず、不安の声が高まっている。

派遣村実行委員会は3日も、改めて住居の確保などを厚労省に求めた。


記事4:内閣総理大臣年頭所感(首相官邸ホームページ)

新年あけましておめでとうございます。

今年は、平成二十一年。今上陛下、御即位二十年であります。国民とともに、心からお祝い申し上げたいと存じます。

この二十年間、日本は、平和と繁栄を続けてまいりました。バブル崩壊、金融危機など、

いくつかの困難にも見舞われましたが、国民の力によって、見事に乗り越えてきました。

しかし、アメリカ発の百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機が生じています。日本だけが、この「つなみ」から逃れることはできません。

しかし、適切な対応をすることにより、被害を最小に抑えることはできます。



国民の皆さんの、景気や生活に対する不安。これを取り除くため、政府は、全力を尽くします。

そして、世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です。

振り返れば、日本人は、これまでも、自らの選択と努力によって、日本という国を保守し、変化させながら、発展させてきました。

近代に入ってからも、二度の大きな危機に直面しながら、そのたびに、新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてきました。

百四十年前。明治の先人たちは、戊辰戦争という内戦の中で、新年を迎えました。

しかし、殖産興業を推し進め、欧米列強に屈することなく、肩を並べるまでになりました。

次に、六十年前。昭和の先人たちは、戦争によってすべてを失い、占領下の新年を迎えました。

しかし、その後の革新的な努力によって、世界第二位の経済大国をつくりあげました。

「日本」は、「日本人」は、その底力に、もっと自信を持っていい。

これまでと同様に、日本という国は、ピンチをチャンスに変える。困難を必ず乗り越えることができると、私は信じています。

私が目指す日本は、「活力」ある日本。「安心」して暮らせる日本です。日本は、これからも、強く明るい国であらねばなりません。

五十年後、百年後の日本が、そして世界が、どうなっているか。未来を予測することは、困難です。

しかし、未来を創るのは、私たち自身です。日本や世界が「どうなるか」ではなく、私たち自身が「どうするか」です。

受け身では、だめです。望むべき未来を切り拓く。そのために、行動を起こさなければなりません。

私は、決して逃げません。国民の皆さんと共に、着実に歩みを進めていきます。

新年にあたり、あらためて、国民の皆さんのご理解とご支援を、お願い申し上げます。

本年が、皆さんお一人お一人にとって、すばらしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げる次第です。

平成二十一年一月一日

内閣総理大臣 麻生太郎

(注:大文字は引用者による)


◆コメント:企業経営者の責任。

ニュースではもっぱら、「切られた」「派遣社員」の困窮ぶりに焦点を当てている。

しかし、各企業には当然経営者がいて、

不況下とは言えども、従業員を解雇せねばならないほど、業績を悪化させたことの最終責任は経営者にある。

派遣社員ほか、非正規雇用労働者を中心にリストラを断行した各企業の社長はこの年末年始、どのような顔をしているのか、

見てみたいものだ。恐らく、露頭に迷った人にことなど、もはや念頭にないのだろうが、

本来まず、責任を取らねばならないのは、経営者である。

経営者に「露頭に迷え」とまでは言わないが、これらの企業経営者は、年末ボーナスを返上したのだろうか?

まず、自分が懐を痛めるのが順序ではなかろうか。


◆伊藤忠商事が経営危機に陥ったとき、当時の丹羽宇一朗社長は1年半無給で働き、電車通勤した。

1999年、日本有数の大企業、大商社伊藤忠商事が経営危機に陥った。

当時、社長に就任した丹羽宇一朗(にわ・ういちろう)氏は、まず、全社員に会社の財務状態のひどさを発表した。

社内放送を通じて「この会社には4000億円もの焦げ付きがあることが分かった。それを、一括処理する。」と言った。

それまで、不動産投資の焦げ付きなどにより、相当の不良資産があることを、社員の多くはうすうす知っていたが、

「4000億円」は、当時の伊藤忠商事の経常利益10年分である。状況が理解出来る社員は顔面蒼白となった。

伊藤忠商事は、破綻しても不思議ではなかったのである。

丹羽社長は、この4,000億円を、一括償却する、と発表した。つまり、この4,000億円はまるまる失ったと考えるのである。

ものすごい決断であった。


丹羽社長のすごいところは、それだけのことをするからには、経営者である自分がまず、責任を取る、といい、

「自分の給与は全額返上する」

と宣言し、本当に実行したことである。つまり、タダで働いたのだる。これは1年半に及んだ。

さらに、社長専用車による自宅と会社との送迎も止め、ヒラの社員と同様、電車通勤をした。

電車通勤は、経営が回復した後も「その方が健康に良いから」といって、続けた。

経営責任者に「タダで働く」といわれたら、やはり、社員は「社長の決意は並ではない」ことを感じ取り、

本気で働かざるを得ない。


今回の「派遣切り」関連報道は、「切られた労働者の惨めさ」ばかりを追っているが、これは不十分である。

切った側。つまり経営者たちは、自分の懐を痛めているのかどうか知りたい。

今回の不況の究極の原因はアメリカの金融政策の失敗にあるが、各企業の業績に対して、経営者の経営責任が、

それを理由に消えることはないから、である。


◆国(行政府)の責任

日本国憲法第65条によれば、

行政権は内閣に属する。

のであるが、同72条によれば、
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

責任を負っている。

記事4に載せた、内閣総理大臣の年頭所感によれば、日本政府は、
国民の皆さんの、景気や生活に対する不安。これを取り除くため、政府は、全力を尽くします。

とのことだが、職と住む場所を失った、非正規雇用労働者の為に、日比谷公園で「派遣村」を解説したのは、民間のボランティア団体であった。
「国民の皆さんの生活に対する不安を取り除くために、政府が全力を尽くしている」

とは、認められない。

記事2のとおり、厚労省は昨夜、講堂を開放したそうだ。正月休み期間中に役所が動いた、

といって、これを褒めている人がいるが、とんでもない。遅すぎるのである。

食うものが無ければ、餓死するし、この寒い時期(東京は氷点下にはならないが)屋外で寝たら、凍死するのは自明である。

生命の問題なのであり、日本国憲法が第25条第1項で定めるように、
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

のである。「派遣切り」の話は毎日メディアが大々的に報じていたのだから、霞ヶ関のヤクニンが、

職と住居を失った労働者が既に発生していることは、当然認識していたはずだ、今まで動かないのが怠慢だったのである。

しかも、記事3で報じられている通り、厚労省の講堂は5日の午前9時に出ていかなければならない、という。

12月26日、中央官庁の仕事納めの日(というのが如何にもドジだが)財務省は、

国家公務員宿舎を活用した離職者への緊急的支援についてを発表した。

財務省管理下にある官舎を失業者に賃貸する(この「賃貸する」というのが如何にもセコいが)というのであるが、仕事納めの日に発表したから、

実際に手続きをチンタラ開始するのは仕事始めの5日だろう。

財務省以外の役所でも空いている官舎はあるはずで、当面、これを利用させればよいし、

溜池山王に建てた衆議院議員宿舎(超豪華マンションに国会議員は家賃9万で入居している)は空室だかけなのだから、

これも開放する。これぐらいのことは、この100年に一度の緊急時なのだから、

首相は、役人に正月休み返上で、年末年始に手続きを進めさせるべきだったのである。
国民の皆さんの、景気や生活に対する不安。これを取り除くため、政府は、全力を尽くします。

と言っても、所詮、他人事(ひとごと)なのだろう。

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2007年01月03日(水) 「北極の氷、2040年には無くなる可能性」←シロクマより深刻な問題。/マルチェルロ・オーボエ協奏曲を色々な楽器で。
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2005年01月03日(月) 「アジア南部で感染症発生のおそれ」 サマワよりも津波被災地に「給水」してくれ。
2004年01月03日(土) 「謙譲の美徳」
2003年01月03日(金) 「アメリカを査察する計画」に登録した。

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