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JIROの独断的日記
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2006年09月05日(火) 「小泉改革」が成功して、景気が回復しているのではない(小泉政権経済政策検証第1弾)

◆バブルからバブル以降。

日本経済はバブルが80年代後半、90年代前半がバブル崩壊不況、4年間の5%成長と4年間の1%成長という時代を経験したが、

バブル崩壊後、景気が本格浮上するチャンスは現在を含めて何度かあった。


◆橋本政権で急降下。小渕政権で持ち直しかけ、森政権でまた急降下。

96年に株が2万2千円台を回復、このときは完全に回復しかかっていたのだが、96年6月消費税増税が決まり、

橋本政権下98年に株が1万2千円台まで暴落。橋本政権が、「逆噴射」をやってしまったのである。

98年から2000年にかけて、小渕政権が政策の大転換を行い、株価も2万円に回復。

このときが、2度目の日本経済浮上のチャンスだったのだが、森政権になって、超緊縮財政が始まった。


◆小泉政権誕生以降概要

翌2001年、小泉政権がスタートする。小泉政権はさらに緊縮財政を続けた。

2000年4月に20,800円だった株価は、2003年4月に、7,600円。丁度3年間で1万3千円という株価大暴落が起きた。

2003年は最大のポイントである。この年国がりそな銀行を救済した。ここから流れが変り株価が上昇し始めたのだが、それは、後述する。


◆小泉が首相になれたのは、亀井静香との政策協定のおかげだが、小泉側は一方的に破棄。

小泉政権発足当初の株価は14,500円ぐらい。
小泉首相が誕生するに当たっては、当時の亀井政調会長と小泉純一郎氏との間に「政策協定」があった。

これは、総裁選から亀井氏が降りる代わりに、亀井が小泉に提示した条件が2つあった。

ひとつは、景気対策の為に、亀井氏がまとめた「緊急経済対策」を必ず実行すること」、

もうひとつは、人事に関しては、亀井に相談する(亀井自信の処遇も含む)。

という内容だった。

これを条件に、亀井氏は総裁選本選挙を辞退したのであり、そのおかげで小泉君は首相になれたのである。



ところが、いざ小泉首相が誕生すると、小泉陣営は一方的に亀井氏との「協定」を破棄した。

人事の相談も無かったし、5月7日の所信表明演説以降、「緊急経済対策」の内容を次々に否定した。

これでは、亀井静香氏も怒るだろう。信義則の問題である。


◆「小泉改革」の当初の内容は「緊縮財政」と「不良債権処理」だったが、すぐに公約違反。

小泉首相の経済政策は明確に二つの項目が示されていた。それは、

国債は絶対に30兆円以上発行しない。(緊縮財政)。

企業の破綻処理を薦める(不良債権処理)

である。

2番目の政策は、つぶれそうな企業は、潰す。という意味であり、エコノミストの中には猛反対する声もあったが、

反対されると実行してしまう小泉首相は、現実に破綻処理を薦めた。その結果、何が起きたか?

所信表明演説を行った、2001年5月7日の日経平均株価は、14,529円。

2年後の4月28日が7,607円。丁度2年間で株価は半値に暴落したのである。

金融恐慌ギリギリのところであった。


◆りそな処理後、株が戻り始めたのは、「小泉改革」を止めたからだ。

りそな処理は極めて重要である。

かつて、アメリカも英国も、北欧も金融機関の処理には非常に苦しんだ。

金融処理の何が問題かというと、「金融システムを守る」ことと、「責任ある当事者」(金融機関経営者)に責任を問う、ことを両立させることが難しいのである。



単に金融システムを守るのであれば、銀行が潰れそうになったら公的資金を注入すればいい。

但し、それをやると金融機関は、「破綻しそうになったら、国が救済してくれる」と考えるようになるので、

また、不良債権を増やすような業務を行ってしまうのである。(金融機関経営者の倫理観の喪失という意味で、「モラル・ハザード」といいますね)


◆竹中金融相(当時)は、「潰れる銀行は潰す」と言った。

2002年8月竹中平蔵が金融担当大臣になった直後、ニューヨークタイムズのインタビューに答えて、

「銀行の破綻もありうる」と発言したため、日本の金融市場では金融恐慌の可能性が現実味を帯び、

それが、株価の下落を引き起こし、2003年4月の7000円台という目も当てられない状況を呼び込んだのである。


◆ところが、りそなを救済した。

2003年3月決算において、りそな銀行は国内営業を行うため、最低必要とされる自己資本比率4%を割り込み、本来破綻するところだった。

金融システムは巨大なネットワークであり、一つの銀行が潰れれば、他の銀行の資金繰りにも影響をあたえる。

つまり、次々に日本の銀行が潰れる金融恐慌というパニック状態に陥る。

小泉政権が当初の公約通り、「破綻処理をすすめ」ていたら、確実にそうなって、日本経済は無茶苦茶になり、小泉内閣総辞職を免れないところだったのである。

ところが、小泉政権は公約を放棄し、公的資金を投入してりそな銀行を救済した。そこから株価の急反発が始まる。


◆銀行の自己資本に組み込む、「繰り延べ税金資産」の意図的操作

この時問題となったのが、銀行の自己資本に繰り入れる繰り延べ税金資産(先に払った税金が、不良債権の処理状況によっては、還付される)であった。

竹中金融相のブレインの一人であった木村剛は、自己資本に計上する繰り延べ税金資産は最大1年分だといっていたが、

りそなは3年分の繰り延べ税金資産を自己資本に組み込むことにより破綻を免れたのである。

1年分しか繰り延べ税金資産を計上しなかったら、確実にりそな銀行は潰れていたのである。


◆国家的規模の株価操縦、インサイダー取引じゃないか。

皆、結果が良ければ良いじゃないか、と言っていたが、それほど単純ではない。

小泉内閣が発足し、竹中が金融相になってからあれほど強調していた、

「金融機関に自己責任原則を負わせる」という方針を放棄したことは厳然たる事実であり、それは明確に認識されなければならない。

つまり、小泉改革は失敗だったのだが、世間では良く理解されていない。

それをいいことに、小泉首相は今の景気を小泉改革の成果だとヌカすのだ。



金融市場はりそな救済の動きを見て、「ああ、結局国は銀行を潰さないのだ」と安心したのである。

それが、株価急反発のきっかけとなっている。8月18日に株価は一万円台まで戻す。

何度も書くが、2002年、竹中平蔵が金融相に就任したときには、「潰れる銀行は潰す」と明言したのである。

さらに、竹中は2003年2月、閣議の後の記者との懇談会で、「株価指数連動投信は絶対儲かる。私も買う」と発言して物議を醸した。

そして、りそな救済以前の株価暴落と、その後の急反発で一番利益をあげたのは、外資系ファンドなのである。



これは、よく考えると、国家による相場操縦、インサイダー取引、風説の流布に該当するといっていい。

だってそうでしょう。初めは「潰れそうな銀行を潰す」といって、株価を暴落させておきながら、

翌年りそなが破綻しそうになったら、公約を破って救済した結果、株価がもどったのだ。

その間多くの企業は倒産し、国民が苦しんだのに、政治家は株価連動投信で儲け、外資系ファンドにも儲けさせた。



証券取引等監視委員会がよく調べるべき事柄なのだ。


◆結論:小泉経済改革が破綻したから、景気が回復したのである。

今日の話はやや面倒なので、まとめると、以下の通り。

巷のアホのジャーナリズムは、「兎にも角にも、小泉政権下で景気が回復したじゃないか、これは改革の成果だ」と書く。

そうではない。改革と逆をやった結果、景気が回復したのだ。

前述したとおり、当初の経済政策の二本柱、「緊縮財政」と「不良債権の処理」を行った結果、株価は14000円台から、7000円台に暴落した。

この間、多くの企業が貸し剥がしに遭い、倒産し、毎年3万人を越える自殺者を出している。

2003年4月から株価が戻しているのは、竹中の持論「破綻すべき企業(銀行)は、市場から退出してもらう」という政策をかなぐり捨てて、りそなを救ったことが契機となったのだ。

かつ、2003年夏頃から、アメリカと中国の景気が回復したため輸出が増え、

2004年には、オリンピックのため、国内で家電の売上げが急増し(個人消費が急拡大した)たことが追い風になったのである。



今一度書くが、「結果良ければ全てよし」という考え方は誤っている。

景気が現在回復しているのは、小泉改革が失敗したからだ、という現実を良く認識するべきである。

小泉首相は運が良いだけである。因みにりそなを救えと入れ知恵したのはアメリカである。

そのおかげで小泉政権は5年も続いたのだ。

牛肉だろうが、イラクへの自衛隊派遣だろうが、小泉首相が何でもアメリカのいうことを唯々諾々と受け入れるのは、

2003年に大きな借りを作ってしまったからなのだ。

それにまつわる話などは、また、日を改めて書かせていただく。


2005年09月05日(月) 「竹中郵政民営化大臣に関する疑惑」を覚えていますか?(「小泉氏のターゲットはIQが低い層」本当にあるのですね。)
2003年09月05日(金) <米国務長官>イラクの「支配的な役割」は米が担う ←バカ。立場をわきまえろ、アメリカ。
2002年09月05日(木) 日本の衰亡

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