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JIROの独断的日記
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2006年08月17日(木) 「全国紙、論説委員はバカばかり。」8月16日付の社説を読んで。

◆問題:何故、内閣総理大臣は、靖国神社を参拝してはいけないのか。

日本の世論やマスコミは内閣総理大臣の靖国参拝を外交問題つまり、「他国からどう見られているか」という観点から論じ、

又は靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから問題なのだ、という主張、

さらには、戦争で命を落とした英霊に敬意を払って何が悪い。

という論旨に大別出来る。こういうのを英語で、

“You keep missing the point.”(お前、ピンぼけなんだよ)

という。

これから述べることは、以前にも何度も論じた内容である。しかし、毎日、私のサイトを初めて訪れてくださる方がいらっしゃる。

いつも読んで下さる方からは、「耳にタコができた」と言われそうだが、

私の経験では、人々は他人の文章をさほどよく読んでいない。ましてや、覚えていないものだ。

自分の考えを他人の記憶に残すためには、愚直の一念で、繰り返し自分の思想を綴るしかない。

“Repetition is all."(繰り返すことが全てだ)。


◆答え:日本国憲法に違反しているからである。

内閣は行政府である。

第六十五条  行政権は、内閣に属する。

そして、内閣総理大臣は勿論行政府の構成員である。
第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

つまり、内閣総理大臣は「国の機関」なのです。そして、日本国憲法は、国及びその機関の宗教的活動を禁止している。
第二十条第三項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

さらに、日本国憲法は、公務員(内閣総理大臣は国会議員であり、国会議員は公務員です)は憲法を守らなければ行けない、と定めている。
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

問題となるのは、内閣総理大臣の靖国神社参拝が「宗教的活動」か否かである。。宗教的活動ならば、憲法違反である。では、憲法に違反しているのかどうかは、誰が判断するのか。裁判所である。
第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

これは、法律、命令、処分(行為、ということです)が憲法に違反しているかどうかを「最終的に」判断するのが最高裁判所だ、という意味であり、

地方裁判所、高等裁判所(まとめて「下級審」といいます)も違憲審査権を持っている(最高裁大法廷の昭和25年2月1日の判例がある)。



これまでに、「内閣総理大臣の靖国参拝は憲法に違反している」という判断を示した判例は何度かあるが、

小泉純一郎氏が首相になった後にも、二度、違憲判決が出ている。最初は、福岡地方裁判所

そして、もう一度、昨年9月30日大阪高等裁判所が下した判決である。

判決主文に違憲だとか、合憲だとか書いていないのは、わが国の法律制度では、ある行為が合憲か違憲かを直接判断する「憲法裁判」がなく、

「付随的違憲審査制」という制度を採用しているからだ。

それに関しては、昨年、私が大阪高裁の判決に関して、「傍論で違憲」というのがわかりにくいみたいですね。という一文で説明しているのでご参照頂きたい。


◆裁判所が違憲だと言っているのに、合憲だと主張し、参拝を続ける総理大臣。

小泉純一郎という人物は本当に基礎学力のないひとで、裁判所が二度も「内閣総理大臣の靖国参拝は違憲である」と言っているのに、

特に昨年、9月30日大阪高裁判決後、小泉首相は「何故違憲なのか分からない、分からない」と繰り返した。

裁判の判決は文書化され、何度でも読むことが出来る。それをせずに司法の意図を理解しようとしないのは、首相として怠慢である。

そして、小泉首相は判決文を読まないまま、靖国参拝を続けた。言語道断である。

裁判所が「クロ」と判断した行為を、内閣総理大臣が「シロといったらシロなんだ」と駄々をこねたら、「シロ」になってしまうのか?

何のために、裁判所は存在するのか。この国は司法権の独立は確保されていないのか。

「三権分立」はフランスのモンテスキューが1748年に書いた「法の精神」という本で提唱された概念だが、

小泉首相は260年も前の思想が、いまだに理解出来ないと見える。


◆全国紙の社説は驚くべきことに「靖国参拝の違憲性」に言及しない。

小泉首相が靖国神社を参拝した翌日、つまり、8月16日の朝日、読売、毎日、日経、産経の社説を読んでみた

(因みに新聞コラム社説リンクは大変便利だ。

全国紙は勿論、日本中の地方紙の社説、コラム(天声人語、余録、春秋の類)へリンクされている)。



朝日、読売、日経は全然、違憲判決に触れていない。毎日がかろうじて言及しいる。

朝日は、「15日は韓国にとって植民地支配から解放された記念日であり、中国にも歴史的な日である。そこに、彼らが「感情を傷つけないでほしい」と中止を望む靖国参拝をぶつけた。 」

読売は、「A級戦犯をどう見るか」

日経は、参拝反対だが、その理由が

(1)A級戦犯合祀に違和感を抱く遺族、国民が少なくない

(2)首相の靖国参拝は日本がかつての戦争のけじめをあいまいにした印象を与え、外交上得策でない――からである。」ときた。何故、「憲法」が出てこないのか?

産経はバカだから、批判する気にもならない。


◆地方紙の論説(委員)の方が優れている。

地方紙の社説の方が「違憲性」にはっきり言及している。

例えば、中国新聞。首相の記者会見への反論を書いている。以下、抜粋。

【中国新聞社説抜粋】

三つ目に「憲法一九条、二〇条をよく読んでいただきたい。思想・良心の自由を犯してはいけない。心の問題でしょ」。

一九条にいう思想・良心の自由は、個人の内面を権力から守るためにある。首相という権力の頂上に立つ人に、これを持ち出されても鼻白むばかりだ。

二〇条は信教の自由とともに政教分離を掲げている。それに照らしての違憲判決には口をぬぐう。条文のつまみ食いではないか。


我が意を得たり。中国新聞だけではない。北海道新聞も、きちんと違憲判決に言及している。
【北海道新聞社説抜粋】

首相が三つ目に挙げたのは憲法との関係だ。

首相は、靖国を参拝することは憲法が保障する「思想、良心の自由」だと強弁したが、ここでも大きな勘違いをしている。

憲法のこの規定は国家権力から個人の権利を守るためのもので、国家権力を持つ首相が何でも自由にできるということを定めているわけではない。

憲法をいうなら、首相が守るべきは政教分離規定だ。靖国参拝は違憲だとする司法判断も出ている。少なくとも違憲か合憲かをめぐって議論がある行為は、慎まなければならない。


全くもって正論である。もう一紙。神戸新聞
【神戸新聞社説抜粋】

首相や与党の一部には、外国に干渉されたくないとの声がある。だが、これは国内問題としても重い。実際、靖国参拝は違憲とする二件の司法判断も下されている。

ところが、「思想、良心の自由」「心の問題」を主張する首相が、政教分離が問われても「分からない」などと言葉を濁し、ここでも粗雑な説明ぶりは変わらない。

そう。これこそ、新聞の論説である。


◆結論:論説は論理的たるべし。

「A級戦犯をどう考えるか」、とか、「アジア諸国の人々の気持ち」を根拠にして首相の靖国参拝を論ずるのは情緒的な評価であり、

無意味だとは言わないが、論説として何より必要な、論理性・公平性・客観性に欠ける。



首相の靖国参拝に関しては、最高法規、憲法を基準に考察すれば、くどくど書く必要は無いのだ。


  • 「国及び国の機関は宗教的活動をしてはならない」、と憲法に定められている。

  • 公務員には憲法遵守義務がある。

  • 違憲性を判断するのは司法(裁判所)である。

  • その司法が「小泉首相の靖国参拝は違憲だ」、と二回も判断を下している。

  • 首相はこれを無視している。

  • 三権分立を守らないのなら、近代国家とは言えない。


たったこれだけのことだ。

全国紙の論説(委員)はバカばかり。地方紙の論説(委員)を見習うべきだ。


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