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JIROの独断的日記
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2004年08月17日(火) 「シドニーの後、倒立からやり直した」(塚原直也)

◆記事:体操男子団体、28年ぶり「金」

 

【アテネ=読売取材団】体操ニッポンが鮮やかに復活――。アテネ五輪は16日、体操の男子団体決勝が行われ、日本が最終種目の鉄棒で、ルーマニアとの0・063点差を逆転、金メダルを獲得した。

 日本男子体操団体の金メダルは1976年モントリオール大会以来28年ぶり。予選を1位で通過した日本は、この日の決勝、最初の種目のゆかが終わった段階で7位と出遅れ。その後は、安定した演技を披露し、7大会ぶりの五輪制覇を成し遂げた。


◆コメント:「シドニーの後、倒立からやり直した」  偉いなあ・・・。

 

体操の男子団体優勝のニュースを聞いて嬉しくないというのは、よほどひねくれた人か、うつ病を疑った方が良い人であり(うつ病になると、どんなに良い話を聞いても、嬉しくも楽しくもない)、大部分の日本人は日頃は感じない、「愛国心」の片鱗を感じたであろう。

 大部分の凡人から見れば、オリンピックに出場するというだけで、すでに十分尊敬に値する。自分の周囲の人々を見てもどんなスポーツ自慢の人でもせいぜい、「インターハイに出たことがある」ぐらいのものである。

 このように考えると、オリンピックに出場して、メダルを取る、しかも金メダルを取るということが、いかに気の遠くなるような偉業か、想像がつく。

 団体競技に出場したのは、米田功(よねだ・いさお)、冨田洋之(とみた・ひろゆき)、水鳥寿思(みずとり・ひさし)、塚原直也(つかはら・なおや)、鹿島丈博(かしま・たけひろ)、中野大輔(なかの・だいすけ)の諸氏であるが、正直に書くと私は今朝まで、塚原直也選手以外の名前は知らなかった。

 この組み合わせで特異なのは、塚原選手だけがオリンピック経験者で、しかも3回目だということだ。若い読者諸氏は塚原選手の父君の活躍を見たことが無いだろうが、こちらは何しろオリンピックを10回以上も見ているのである。「体操王国日本」の頃の塚原選手といえば神様みたいな存在だ。ひとりで金メダルを5個も取ったのだから、言語に絶する。

そのような偉大な父を持った、塚原直也選手の苦悩は、本人で無ければ分からないだろうが、素人でも、想像力を用いれば、十分に察することができる。前回のシドニー、その前のアトランタ。いずれも世間は、塚原直也選手の演技を見て、これがあの塚原の息子か、と容赦の無い言葉を浴びせかけた。

 彼は、それでも体操を止めなかった。それだけでも、私は、十分に彼を尊敬する。私はシドニーの演技を見ていて、彼は精神的に弱い(じゃ、私は、人前で体操の演技を見せられるのか?)のではないか、という、誠に無責任かつ非礼な事を考えていた。この場で謝罪する。



 

日本の体操が何故強くなったか、ロス五輪体操の金メダリスト森末慎二氏がテレビで述べていたが、要するに一言で言えば、「『基礎を重視する』という原点に戻った」ことにあるのだそうだ。日本が全然メダルを取れなっていくのに、ロシアが強くなっている。ロシアは一体どういう特殊な訓練を施しているのか、日本体操協会が見学に行った。すると彼らがやっていたのは、子供達に「基本に忠実に」という原則。手足を曲げない。身体は真っ直ぐ。鉄棒は前回り、後ろ回り、そして、倒立。これらを徹底的にたたき込む。基本が出来れば、大技は出来るようになる。

 何のことはない。以前、日本が実践していたことを、今度はロシアが実行していただけであった。

 塚原選手もそれをやった。シドニー五輪の後スランプに陥った塚原選手は、何と、「倒立」を見直したのだそうだ。体操の基本は倒立にあり。鉄棒の大車輪も、倒立したまま回転しているのであるから、まず、倒立がちゃんと出来ていないと、話にならない。オリンピックに2回も出場した選手といえども、基礎練習を怠ると、倒立がすこしずつゆがんでくる。真っ直ぐ(垂直)でなくなる。頭の位置がさがる。身体がねじれる。これを徹底的に直す。

 非常に簡単に聞こえるが既に幾多の大技を習得したと考えている人間が「倒立」に立ち戻るのには勇気が要る。しかし、遠回りのように見えて、それが、一番早道なのだろう。

 以前、Cry now. Play later."―今、泣いて、後で弾け。― イワン・ガラミアン=ヴァイオリン教師という話を書いた。

楽器の演奏は身体を使うことにおいて、スポーツと共通する点が多い。楽器の名人で基礎が出来ていない人というのはあり得ない。このイワン・ガラミアン(故人)という怖い先生のところに行くと、生徒によっては、それまでバリバリ難しい曲を弾いていたのに、「基礎からやり直しだ」といわれ、曲などは一切弾かせてもらえず、半年間、開放弦(左手で弦を押さえていない状態)を全音符で何回も、何回も弾く練習をさせられることがあるという。

 自分は上手いと思っていた生徒にとっては耐え難いストレスであろうが、ときにはこういう必要もあるのだ。


 

塚原選手の「倒立」と同じである。塚原選手の話は五輪の身体という、「声に出して読みたい日本語」の斉藤孝氏が、今回、オリンピックに出場している、6人の選手と一人ずつ対談している本に書いてあった逸話である。これを読んだ時に、何事も王道とか要領とかで片づけようとしても、結局「基礎」が全ての始まりなのだという、十分に言い尽くされているが、しかし、それを本当に理解している人は非常に少ない「真理」に触れた、と思った。


2003年08月17日(日) 「親父さんたちは弱虫なんかじゃないっ!」(「荒野の七人」のチャールズ・ブロンソン)

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