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JIROの独断的日記
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2006年02月10日(金) 受験シーズンの最中。受験生は大変ですな。少し気が楽になる話。

◆頑張れとは云いません。

 

 受験生に今更頑張れとは云わない。 頑張ったに決まっているからね。ご苦労様。

 貴方が一生懸命に勉強したのならば、人生のどこかで必ず報われます。



 話が早速逸れるけれど、今は合格発表をインターネットで見ることが出来るのだよね。

 それだけでも、気が楽じゃないですか。 

 昔は、学校に見に行くしか無かったのだからね。 あの、合格発表を見に行くときは嫌だったねえ。

 そして残酷だよね。



 合格した奴は遠慮無く狂喜している。

 そのすぐ脇で不合格の人がしょんぼりしている。
 残酷な風景だとおもいましたね。

 だから、ネットで発表を見られるのは実に羨ましい。


◆「縁起」を担がないでいいからね。私は日本受験史上最も縁起の悪い受験番号を割り当てられた。

 

 背景となる事実を先に書くと、私は、現役のときには、全滅でした。

 一浪した後に東京の某大学の法学部法律学科に、何とか入りました。



 このごろの子は、云われなくても「縁起をかつぐ」などということはないのだろうか?

 昔は、受験の前に「落ちる」とか「滑る」とか云うのはタブーだ、なんて云われていました。

 私はそれは全く気にしなかった。全然下らないと思った。



 ただ、一浪して、つまり、2回目の受験で、某大学・某学部の受験番号を見たときはさすがに驚いた。

 一浪でしょ?今度失敗したら「二浪」でしょ?

 その受験番号は「26464」(二浪しろよ)だったのです!!

 天地神明に誓って云うが、これは事実なのです。 私は、感動しました。

 「この世に、これ以上縁起の悪い受験番号があるだろうか?」

 そのうえ、名前が「JIRO」でしょ?漢字で書くと「にろう」と読めるわけです。

 まあ、縁起の悪さの頂点を極めましたね。



 けれども、初めに書いた通り、結果的に私は受かりましたよ。二浪はしませんでした。

 このときから、私は、一切の「縁起の悪いこと」を気にしなくなりました。


◆仮に浪人することになっても、経済的には親に負担をかけるが、大変勉強になります。

 

 何しろ現役のときには、いまから思い出すと恥ずかしいほど、勉強の仕方が分かっていなかった。

 ところが、予備校(代ゼミ)の講師は教え方が上手いわけです。

 「へー、俺でも数学ができるのか」、と思ったり、

 「語学はとにかく音読だ」ということを教えていただいたのは、大変有難かった。


◆代ゼミの特別講義はすごいぞ。

 

 その上に、代ゼミは、確かに金儲けに熱心だが、一方では意外に文化的で、

 たまに外部から偉い先生を招いて特別講義が行われる。



 京都大学人文科学研究所、京大名誉教授の桑原武夫先生。

 フランス革命の研究、「社会契約論」(岩波文庫)の翻訳者である。

 あまりの教養と見識で、私には残念ながら話の一部しか分からなかった。

 ただ、「これが学者というものだ」という、素朴な感動に包まれた。大学生になってから桑原先生の本を随分読んだ。



 それから、なんと。 

 平山郁夫画伯。

 何たる贅沢。

 スライドを上映しながら、シルクロードの美術を解説してくださったが、その内容が誠に丁寧、平易。

 「たかが受験生相手の小遣い稼ぎ」、などというものでは絶対になく、全身全霊で講義してくださることに感動を覚えた。

 これは私が無知だったがための、「初歩的な感動」である。



 実は、一番驚いたのは、「天下の平山先生」の物腰の低いことである。

 講義を始める前、何時間も立ったままでは、大変だから、予備校の事務員の女性が平山先生のところへ椅子を運んできた。

 そのとき、平山先生は、 「あ、恐れ入ります」とおっしゃった。



 シャバへ出ると分かるが、こう言うとき、何にも云わないオヤジが実に多い。

 事務員など人間ではないとでも言いたそうな奴。

 人品(じんぴん)というのは、こういう一瞬に現れる。それは、一目瞭然である。

 平山先生は頭のてっぺんから足の先まで紳士である。そのときから、私の平山先生への尊敬の念は変らぬ。

 どれも、これも、浪人しなかったら、一生経験しなかったことは間違いない。

 大変貴重な1年であった。


◆合格した人はおめでとうございます。

 

 さて、何をします? ひとまず遊びますか。それも良いでしょう。少しはハメを外さないとね。

 ただ、事情が許すなら、なるべく早い時期に、外国へ行くことを、強く勧める。



 私は、英語の勉強は、少なくとも自分の主観においてはかなり頑張ったので、後に英国駐在しても困らなかった。

 英国駐在時にヨーロッパの色々な場所へ行った。

 ベニスに行ったときには、ゴンドラの船頭さんや、カフェやレストラン(リストランテですな)の陽気なおじさんと「イタリア後で話せたらなあ」と思い、

 憧れのザルツブルグ(モーツァルトの生まれ故郷だからね)やウィーンに行ったときには、そこの人たちと「ドイツ語で話せたらなあ」と思い、

 パリでは、綺麗なパリジェンヌと「フランス語で話せたらなあ」と思った。

 この「〜たらなあ・・・」が語学学習の原動力になる。それには、卒業間際ではもう遅い。

 大抵の学生は、4年の終わりに、就職が決まってから、学生時代最後の記念にといって、外国へ行くでしょう。



 そうではなく、まだ、時間がたっぷりある、大学の初めのころに行った方が良いと思う。

 勿論、これほど沢山の語学を身につけるには、死ぬほど勉強しなければならないが、

 どれか一つで良いから、英語以外の外国語も、少し読み書き話せるといいですね(勿論アジア語でもいいのですが)。

 英語は上手い人が多すぎて、これからは当たり前になってしまうでしょう。


◆他人と違う何か、を持っているといいですね。

 

 例えば、今や、文章を書くのはPCが当たり前。 タッチタイピングが早く打てるように練習するのも良いが、上には上がいる。

 貴方よりも早く打てる人は必ずいる。



 その代わり、筆を使える人は殆どいない。だから、書道でも習った方がいい。

 要は「希少価値」を目指せ、と言うことです。

 とは云うものの、勉強したいことを勉強するのが大学ですから、

 英語が死ぬほど好きで、英語を極めたいというのなら、それはそれで大変結構です。



 相矛盾した結論になってしまったが、繰り返しになるけれど、事情が許すならば、

 外国は早めに行ってみることです。

 33歳になって初めて、日本の外に出た人間、すなわち私が、経験から感じたことを綴りました。


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