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JIROの独断的日記
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2005年12月17日(土) 「浅田真央のトリノ出場 会長、改めて否定−−国際スケート連盟」ガイジンに対してはここで黙ってはダメなのだ。

◆記事1:浅田真央:女王に圧勝!“真の世界一”

 

 世界の女王は真央だ!フィギュアスケートのGPファイナルは17日、国立代々木競技場で各種目のフリーを行い、女子は浅田真央(15=グランプリ東海ク)が125・24点の自己ベストをマークしてショートプログラム(SP)に続いて1位となり、合計189・62点で優勝した。

 GPファイナルでの日本勢の優勝は03年の村主章枝(24=avex)以来、史上2人目。トリノ五輪金メダル最有力候補のイリーナ・スルツカヤ(26=ロシア)に8・14点の大差をつけての圧勝で、浅田の五輪出場を否定した国際スケート連盟(ISU)に強烈なパンチを見舞う演技となった。

 最後のポーズを決めた浅田の表情に会心の笑みが浮かんだ。誘われるように客席から拍手が降り注ぐ。ただの拍手ではない。鳥肌の立つ感動をそのまま両手に込めたような拍手だ。次々と立ち上がる。総立ちのスタンディングオベーションが、すでに浅田が世界一の座にいることを証明していた。

 得点が表示されるとうっすらと涙が浮かんだ。「びっくりしたのと、うれしいのと…。いっぱいです」。15歳の精いっぱいの言葉で浅田は感動を表現した。「きょうは100点」。前日の99点が満点に変わった。言葉通り、世界女王にふさわしい完ぺきな演技だった。

 7つのジャンプをすべて成功させた。1カ月前から宣言していたトリプルアクセル(3回転半)を2度盛り込むとの約束は「(直前の)スルツカヤさんの時に少し不安になったので(山田)先生に言って1回にした」と言う。成功していれば女子では世界初、しかも1回はコンビネーションを予定していただけに、二重の世界初だった。快挙は「次の目標」にお預けとなったが、優勝は逆に強さを際立たせた。

 この日の大会前、ISUのチンクワンタ会長はあらためて浅田のトリノ五輪出場を否定した。ルールはルール。正論をタテに、イタリア人会長はかたくなだった。だが、02年ソルトレークシティー五輪2位、世界記録保持者、昨シーズンの世界選手権女王と数々の肩書を誇るスルツカヤを下した演技は、同会長の目にどう映ったのだろう。同国にはコストナーというトリノ五輪メダル候補もいる。自国での五輪を色あせたものにしかねない決断を、浅田の演技が真っ向から否定した会心の優勝だった。

 「スルツカヤさんに勝てるとは思わなかったのでびっくりしています。前と変わらず、トリノ五輪には少し出たい気持ちがあるけど、(2010年の)バンクーバー五輪で頑張りたい」。わずか87日、規定より生まれた日が遅かっただけの浅田に、世界最高の実力を世界最高の舞台で披露する機会は失われた。それでも色あせない実力を、代々木の総立ちの観衆が称えていた。スポーツニッポン 2005年12月18日


◆記事2:浅田真央のトリノ出場 会長、改めて否定−−国際スケート連盟

 

 国際スケート連盟(ISU)のオッタビオ・チンクアンタ会長は17日、東京・代々木第1体育館で会見し、ISUの年齢制限規定のためトリノ冬季五輪出場資格のない浅田真央(グランプリ東海ク)について「ルールはルールであり、(出場は)総会で規則改正されない限り認められない」と述べ、特例措置などによる同五輪出場の可能性を改めて否定した。
 ISUの年齢制限規定では、五輪前年の7月1日時点で15歳となっていることが五輪と世界選手権の出場資格の条件であるため、9月25日に15歳になった浅田真は約3カ月届かない。
 同会長は「個人的には五輪で見たいと思うが、会長としては別。規則は医学的見地から定められたもので、技術的見地からではない」と説明。日本スケート連盟から出場の嘆願申請がないことを述べたうえで、「日本連盟から申請があり、それを受けて理事会が総会を開くと決めれば総会を開くが、私から働きかけはしない。理事会は一選手の利益にかかわることでは動かない」と強調した。

 浅田真は東京で開催中のグランプリ(GP)ファイナルに出場。16日のショートプログラム(SP)では、3月の世界選手権覇者のイリーナ・スルツカヤらを抑えて首位。17日午後、初優勝をかけてフリーの演技に臨む。毎日新聞 2005年12月17日 東京夕刊


◆コメント:浅田選手が「演技者」として桁外れの天分を持っていることは間違いない。

 

 普段、フィギュアスケートなぞに関心が全く無い私ですら、若干15歳の浅田真央選手の演技を見て、彼女には演技者として人を惹きつける「天賦の才」があることは、良く分かった。

 更に、私はスケーティングに関して技術的な知識は皆無であるけれども、あらゆる分野における「名人」の共通点を、彼女は持っている。

 それは、「難しいことを、さも、たやすい事の如くやってのける」ということである。

 ジャンプにおける安定性。見ていて浅田さんがスッテンコロリンと転びそうな気がしない。この安心感。

 ジャンプの難しさは私自身は「身体で」知ることは出来ないが、他の選手を見れば、容易に推察出来る。

 殆どの選手は、あれだけ子供の頃から十数年も毎日々々、何時間も、或いは十何時間も練習しているのにも関わらず、しかも、昨日の様な大会に出るのは、それまで勝ち抜いてきた、それなりの天分を持つ選手なのであるのにも関わらず、多くが本番で失敗する。

 それだけ難しいことを、浅田選手は「簡単そうに」演ってみせる。

 これこそ「名人」たる証である。


◆外人に対しては、黙っていてはダメなのだ。パワー全開の自己主張をしなければ。

 

 オリンピックに出るためには、オリンピック前年の7月1日時点で15歳になっていなければならない。

 ところが、浅田真央選手は9月25日に15歳になった。よって、来年のオリンピックに出場する資格は無いし、これを帰るつもりはない、と国際スケート連盟会長は云っている。

 日本のスケート連盟は何も云わないつもりらしいが、ダメだそんなことでは。




 外人に対しては「黙ったら、承諾したことになる」のだ。西洋人の文化は徹底した自己主張の文化であり、例え論理が多少無茶でも、強引すぎるほどアピールしなければダメだ。

 記事2をよく読んでいただきたい。

 国際スケート連盟会長自身、云っているではないか。「個人的には五輪で見たいと思うが」、また、 「日本連盟から申請があり、それを受けて理事会が総会を開くと決めれば総会を開くが、私から働きかけはしない。理事会は一選手の利益にかかわることでは動かない」と。

 この意味が分からないのか?

 会長は、「可能性はまだある」、とほのめかしているのである。

 ここで、黙って引き下がれば、国際スケート連盟が同情して特例を認めてくれるかも知れないというのは、日本人の発想だ。

 くどいようだが、西洋人はこちらが黙っていたら、accept(承諾する)した、と見なすのである。以心伝心、行間を読む、気持ちを察するという精神構造は彼らに通用しない。


◆オリンピックだってしょっちゅうルールを変更している。

 

 国際スケート連盟会長は「ルールはルール」だという。常識的には、そうだ。

 しかし、スケートだけではなく、オリンピック全体を見た場合、ルールや競技種目の変更が実に頻繁に行われている。

 例えば、夏のオリンピックでロンドン大会では野球が無くなる。 野球はイギリス人の国技、クリケットが変形したものだと言われており、イギリス人は野球をやらない。野球はイギリス人の軽蔑するアメリカが発明し、世界的とは言えないが、元祖クリケットよりは世界の競技人口が多い。これがイギリス人には気に入らない。だから廃止にしたのだ。

 スケート競技内のルールとは違うが、スポーツのルールなどというのは、その程度の悪く云えば「いい加減な」、普通に云えば「流動的な」ものなのだ。


◆年齢制限は医学的見地に基づくと云うが、「人間の成長には個体差があり、一律に適用すべきでない。」と言えばよい。

 

 国際スケート連盟会長は「(年齢に関する)規則は医学的見地から定められたもので、技術的見地からではない」という。

 なるほど。それならば、次のように反論するが良い。

 「云うまでもなく人間の成長には個体差がある。2005年7月1日に15歳になった選手と、9月25日に15歳になった選手を比較した場合、如何なる医学的、解剖学的相違があるのか説明されたい。国際スケート連盟会長は浅田選手の才能を認めるという。今回出場できなければ、次は4年後だ。その間に浅田選手に何が起きるか分からない。最盛期を迎えた選手をオリンピックに出場させず、その才能をつぶしてよいのか」と。


◆論理は無茶苦茶だが、スポーツだけではない。ガイジンにはこれぐらい主張して丁度良い。

 

 話が変るが、外交もそうだ。黙っているから何でもアメリカの言いなりになる。

 「イラク復興資金を50億ドル出せ」と言われて、すぐに「分かりました」という。だから、いつまで経ってもナメられる。

 そうではない。「それはおかしい。日本はODA(政府開発援助)の拠出において世界のトップレベルにある。今回の戦争を始めたのはアメリカの責任だ。どうして日本が最大の資金を提供しなければならないのだ」と云わなければならない。



 アメリカの元国務副長官、アーミテージがやって来て、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と一括されたら、一も二も無く自衛隊のイラク派遣を決めた。

 そうではない。「日本は憲法によって武力行使が禁じられている。いまだに戦闘状態にある国に自衛隊を派遣することは出来ない」というべきなのだ。

 そのとき、米国が「あ、そう。じゃ、日本が責められたときに守ってやらないよ?」というだろう。

 その時は、「それはおかしい。日米安全保障条約に基づき日本は在日米軍の莫大な駐留費用を国民の血税で負担している。こちらの債務は履行している。イラクとは無関係に日本を守るのが、米国の義務だ」と。


◆結論:ガイジン相手に黙ってはいけない。押して押して、押しまくれ。

 

 スケートから話が逸れたが、要するに本稿で私が言いたいのはそういうことだ。

 ペリーが黒船で浦賀にあらわれたのは、1853年7月の事である。 それから152年が経った。

 いまだに、日本人は西洋人相手の交渉の仕方が分かっていない。


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