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JIROの独断的日記
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2005年11月10日(木) 【音楽評論】 本田美奈子演奏、ヘンデル作曲歌劇「リナルド」よりアリア「私を泣かせて」

◆何故、何度も書くかというと、誰も「声楽家、本田美奈子」について語らないからである。

 

 本田美奈子さんのお通夜と葬儀は、埼玉県朝霞市の実家近くの斎場で営まれた。

 埼玉県朝霞市は、東京の都心から行くと実に遠いところなのである。電車でも、クルマでも。実際の距離以上に遠く感じる場所なのだ。

 にも関わらず彼女の葬儀(お通夜、告別式両方とも)には、その遠い朝霞に、多忙であろう芸能人や所謂「業界人」が2千数百人も参列したという。

 人徳であろう。 だが、そういうことはテレビのワイドショーが散々伝えている。


◆音楽的成長のものすごさが、業界人には分かっていない。

 

 本田さんが亡くなってから、改めて、彼女のクラシック楽曲の演奏を聴いた。

 追悼の意味もあるが、単なる感傷に浸っていたのではない。

 クラシック音楽の専門家は、彼女の演奏を、「所詮、芸能人」と思っている(たぶん)。

 一方、テレビ屋や芸能人は、普段クラシックなぞ聴いたことがないから、彼女の声楽家、ソプラノ歌手としての実力を評価できない。

 これでは、彼女も浮かばれまい。

 そこで、私は専門家ではないのに、はなはだ僭越ではあるが、クラシック音楽を30年間聴いてきた者として、

 私なりに、本田美奈子さんの演奏に対して、正当な音楽的評価を書く必要があると思ったのである。


◆声楽を学んだと言うことは、始めからやり直したのである。それは、殆ど「修行」に近い努力である。

 

 まず、勘違いしてほしくないのは、歌謡曲を歌って、ミス・サイゴンを歌って、場数をこなせば、

 あの透き通るようなソプラノの発声が出来るようになると言うものではない、ということだ。次元が違う。

 クラシック以外の歌は地声であるが、クラシックの女声(女性ではない点に注意)は、原則としてファルセット(裏声)で歌う。

 根本的に声の出し方が違う。したがって、本田美奈子さんは、完全に基礎から声楽を学んだのである。

 ゼロから習うのではなく、他の歌い方のクセがついているのを一度取り払って、声楽を学ぶのであるから、大変な勉強をしたことは間違いない。

 だが、彼女の努力は報われた。ファルセットで歌う事が可能になったことにより、音域は飛躍的に広がった。 

 音域(声域)は、一度に広げようとしても無理で、少しずつ、少しずつ広げてゆく。

 一遍に高い声を出そうとすると、必ず、喉に力が入る。これは、一番いけないことである。

 本田さんは、その「力を抜く」ことを完全ではないが、音楽大学の声楽科で勉強したわけでもないのに、驚くほど体得している。

 いずれにしても、「少しずつ」音域を広げてゆく過程は、忍耐を要する。

 はやる気持ちを抑え、一週間に半音とか、一音とか、人によって違うが、そういうペースである。

 ここで短気を起こしたら、負けである。声楽でも器楽でも必ずこういう道を通る。

 「修行」という表現が、最も近い。

 本田さんは、その地道な努力を続ける精神力があったと言うことだ。

 他の芸能人で、こんな事をした者はいない(声の出し方を聴けば分かる)。


◆音域の広さと、巧みな声のコントロールが、地道な研鑽を証明している。

 

 彼女のCDで音域の広さを確認できるのは、サン・サーンスの「白鳥」だろう。

 アルバム「時」に収められているが、CDはどこも売り切れなので、こう言うときこそ、iTunes Music Storeを使えば良かろうに。

 これが、「白鳥」のiTunes Music Store URLである。

 この曲の音域は広く、高音はかなりきつい。

 上2点ロ音。つまり、中央ハ(ド)の2オクターブ上のハの半音下の音だ。

 普通は上2点ト音(中央ハから1オクターブと完全5度)までが、ソプラノの守備範囲である。

 これぐらいの高音域になると音程を外しやすいが、本田さんは耳が良い。はずさない。 

 レコーディングなら外しても取り直しが聴くが、いつか「新・題名のない音楽会」でも、見事にこの最高音を当てていた。

 勿論、クラシックの歌手・音大生なら、同じ高音を出せる者は大勢いるけれども、そういう連中は音楽大学に入る前、そして、入ってから4年間レッスンを受けているのである。

 さて、「白鳥」の最後は長く声を延ばしながら、少しずつデクレシェンド(段々音を弱くする)し、最後は消えるように、終わる。

 その過程で声がブレてはならないが、本田さんはブレスの支えがしっかりしていて、ぶれない。

 その上、これ以上は無いぐらい適切な、品の良いビブラートがかけられている。

 本田さんは、非常に音楽的な演奏家である。しかし、これは、放っておいて出来るのではない。

 こういうことは、毎日練習していなければ出来ないのである。


◆アルバム「AVE MARIA」に収められているヘンデル作曲歌劇「リナルド」のアリアは、芸術の域に到達している。

 

 これは、実際のCDを買って聴いていただくか、iTunes Music Storeが使える人はここからダウンロード購入(200円)できる。

 ヘンデルというバッハと同い年の作曲家が書いた、オペラ「リナルド」という十字軍のエルサレム攻略を題材としたオペラは、

 そのストーリーはともかく、高貴で美しい私を泣かせてというアリアで有名である。

 信仰心の全くない私でも、敬虔な気持ちにならざるを得ない。

 クラシック音楽は本源的には成熟した大人の芸術である。

 本田美奈子さんは、ヘンデルがこの楽曲により表現したかった、崇高な精神を理解している。

 それまでの曲から、この曲の演奏で、更に高い境地に到達している。

 聴いていて、ふるえるような感動に包まれるほどの気品のある美しい声、音楽性には驚嘆せざるを得ない。

 この演奏は間違いなく「芸術」であり、本田美奈子さんは「芸能人」から「芸術家」に変貌を遂げた。

 今後、一層の研鑽積んだならば、さらに成熟した音楽を聴かせてくれたことは、殆ど間違いがない。

 ご本人が一番無念に決まっているが、私も本当に、残念である。


◆「私を泣かせて」の原詩が・・・・。

 本田美奈子さんは、リナルドの原曲とは関係の無い日本語の歌詞で歌っているが、原曲の歌詞を日本語にすると、唖然とする。

「私を泣かせて」原詩と日本語訳

Lascia ch'io pianga la dura sorte

e che sospiri la liberta.

e che sospiri,

e che sospiri la liberta!

Lascia ch'io pianga la dura sorte

e che sospiri la liberta.Il duol infranga queste ritorte

de' miei martiri sol per pieta.

de' miei martiri sol per pieta.Lascia ch'io pianga la dura sorte

e che sospiri la liberta.

e che sospiri,

e che sospiri la liberta!

Lascia ch'io pianga la dura sorte

e che sospiri la liberta.

苛酷な運命に涙し。

自由に憧れることをお許しください。私の苦しみに対し憐れみくださいますように

私の苦悩が打ち毀されますように。


なんたる偶然であろう。この日本語の歌詞と、彼女の運命との符合。
ダメだ。これ以上書けない。泣ける。


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