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JIROの独断的日記
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2005年06月18日(土) 「駆け込み乗車は自己責任? JR中央線車掌が車内放送」 司馬遼太郎さんの「風塵抄」を思い出した。

◆駆け込み乗車は自己責任? JR中央線車掌が車内放送

 

 JR中央線の快速電車の閉まりかけたドアをこじ開けて乗った男性客に、車掌(48)が「けがをした時はお客さまの責任」と車内放送していたことが17日、分かった。

 JR東日本は、駆け込み乗車があった直後には車内放送せず、普段の運行時に注意喚起のアナウンスをするよう指導している。

 車掌歴29年というこのベテラン車掌は「強引な駆け込み乗車に感情的になった訳ではないが、この言い方はまずかった」と反省しているという。

 JR東日本によると、4日午後3時すぎ、国分寺駅(東京都国分寺市)を発車する高尾発東京行き快速電車で、強引な駆け込み乗車があり、発車直後に車掌が「駆け込み乗車はおやめください。そのような乗り方でけがをした時は、お客さまの責任になります」と放送した。(共同通信) - 6月17日17時15分更新


◆コメント:客商売にはモノの言い方がある。

  

 これは、既に江草さんが、十分に書いておられるのだが、思い出したことが一つ。

  それから、実際に、当の「中央線」を毎日利用している人間の立場から、気がついたことを少し。

  思い出したのは、故・司馬遼太郎氏のエッセイ集「風塵抄」にある「威張る話」という一文である。

  それによれば、明治初年、国鉄職員は「官業様」であり、腰にサーベル(刀)を吊っていた。サムライだったのだ。

 つまり、士農工商の「士」であり、「民百姓をのせてやっている」という意識があったのだという

 「企業風土というものは、その企業が誕生した頃の時代の気分や精神が体質遺伝してゆくものらしい。」 と、司馬さんは書いている。

 司馬さんご自身の体験も書かれている。

 

「私が新大阪駅の改札口を通過したとき、どのフォームに行けばいいかということを改札掛(がかり)にきいたところ、かれは氷のような表情で、あごをちょっと右にしゃくっただけだった。

 「むこうですか」

 辞を低くしてもう一度きいた。

 「うむ」

 ともいわず、ふたたびあごをわずかにひいた。ほれぼれするような威張り方だった。

 話が逸れるが、こういうことに関して、「駅員の態度はなんだ!」というのは、普通だ。

 そう書かずに、「ほれぼれするような威張り方」という言い回しができるのが、司馬遼太郎さんの司馬遼太郎さんたる所以(ゆえん)だろう。読んでいて、つい、吹き出してしまう。

 司馬さんは、勿論直接存じ上げないが、他の作家や、編集者、画家の安野光雅(あんのみつまさ)さん(知らない人は調べて下さい)など、司馬さんを知る人で、司馬さんのことを悪く言う人を私は知らない。作家の井上ひさし氏など、「あたまのてっぺんから、つま先まで紳士だった」と、追悼文に書いていた。



 ところで、今回の「問題」を起こした車掌は車掌歴29年だという。

 国鉄が民営化されたのが昭和62(1987)年だから、この車掌は「国鉄」に入社していたのだ。

 司馬遼太郎さんの「仮説」が正しいとすれば、この人には、まだ、「お上」の意識が残っていたのかも知れないな。とおもった。



 それから、もう一つ。ものの言い方、ということである。

 江草さんが書いておられるように駆け込み乗車は大変危険で、これによって多数に迷惑がかかる。江草さんの仰ることは、正しい。これは、嫌味でも何でもない。正論だ。

 だからこそ、このベテラン車掌は、そのことを第一に表現するべきだったのである。

「駆け込み乗車により、ダイヤが乱れれば、何十万人に迷惑をかける。だから止めて下さい。」といえばよい。これは合理的だ。

 ところが、「怪我をしても自己責任です」という言葉は感情が先走っている。感情がもろに発露されると、正しいと分かってももめ事に発展しやすい。

 もし、当日駆け込み乗車をした客が怒って、車掌室に怒鳴り込んだら、ダイヤは一層乱れただろう。その意味で、この車掌自身が言うとおり「言い方がまずかった」

 言い方を変えれば、客商売をする人間として、客の心理洞察が不十分だと、まあ、ちょっと大げさだが、そのように言えなくもない。


◆中央線の車掌は客がドアに挟まれていることを知っていても、滅多にドアを再開閉しない。

  

 これはしょっちゅう経験することなのだが、朝の中央線の混み方は尋常ではない。

 駆け込み乗車ではなくても、ドアが閉まる瞬間に、偶然、電車内部から一瞬押し出されるような形で、ドア付近の客が外側にはみ出て、閉まるドアに挟まれることがあるのだ。

 私は、なんども、そういう人を「救出」した。

 つまり、閉まろうとするドアをこじ開けるのだが、あの電車のドアが閉まる力はもの凄い。大の男が二人がかりぐらいで渾身の力で引っ張らないと開かないのである。

 そして、私が問題だと思うのは、乗客が挟まれていることを、ホームの駅員も車掌も、間違いなく認識している。全部のドアが閉まらないと、ランプが消えないのだ。にも関わらず、ドアを開けようとしないケースが多いのである。

 「人がドアに挟まれていることを認識しながら、何もしない」のは、傷害の未必の故意があるといわれても仕方がないのではないか。

 ほんの一瞬、1秒だけ、もう一度ドアを開ければ、挟まれている人を容易に助けることができるのに、多くの場合、車掌は「駆け込むからいけないのだ」という意識で「制裁」をくわえているのだろうか、ほったらかしなのだ。あれこそ、ダイヤ遅延の原因になると思う。

 ドアを無理にこじ開けることにより、ドアが故障して閉まらなくなり、本格的に大運行障害になったことさえ、何度もある。

 要するにお互い様だ。駆け込みは良くない。だからといって、ドアに挟まれた客を放置する車掌も良くない。


2004年06月18日(金) 「多国籍軍初参加を閣議決定 基本計画を変更」 こんな重要なことを国会で審議せずに、又、選挙前に決定するべきではない。
2003年06月18日(水) 「米成人の16%にうつ病の恐れ、米研究グループ試算」 それぐらいありふれた病気だということだ。

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