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JIROの独断的日記
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2004年03月22日(月) 1914年3月20日、100年に一人の天才ピアニストが生まれた。名をスヴャトスラフ・リヒテルといった。

◆18世紀のモーツァルト、19世紀のショパン、20世紀のリヒテル

スヴャトスラフ・リヒテルは旧ソ連、正確にはウクライナに生まれた、天才ピアニストである。天才ピアニストと呼ばれる人は実は結構多いのだが、これぐらいの本当の天才はなかなか、世の中に現れないのである。

世界の音楽界では、18世紀のモーツァルト、19世紀のショパン、20世紀のリヒテル、というたとえが用いられる。云うまでもなく、モーツァルトとショパンは作曲家だが、同時にその当時における超一流の、人類史に永遠に名をとどめる、天才ピアニストであった。その二人と並び称されるということから、リヒテルの才能のものすごさが分かる。


◆リヒテルが愛用したのは、日本人が作ったピアノだった。

嬉しいのは、リヒテルは日本人が作った、ヤマハのピアノを愛用していたという事実である。

小泉首相などの政治家は、自衛隊を派遣することばかりが国際貢献と考えているかのようだが、それは正しい認識ではない。今更いうまでも無いことなのだが、日本人の技術力が生み出した優れた工業製品は、世界にどれほど貢献しているか、忘れてはいけない。楽器のマーケットなどというものは、自動車や家電製品のそれの規模に比べれば微々たるものだが、意味が違う。

「日本人は、西洋文化を輸入し始めてから100数十年しか経っていないのに、西洋一の天才ピアニストが溺愛するほどの優れた表現力を持つ楽器を作り出すことが出来る感受性と技術を持っている」という事実は、西洋人が日本人に対して抱くイメージを改善することに大きく貢献している。我々は、ヤマハピアノを愛用してくれた、リヒテルに感謝しなければならない。

彼が、ヤマハを弾いてくれたおかげで、今では、世界で最も権威のあるピアノコンクールである、ショパンコンクールの本選に、ヤマハのフル・コンサート・グランドピアノが使われている。私はそのことを思うと、日本人として、誇らしくてたまらない気持ちになる。


◆「私のピアノを作ってくれている人々にお礼がしたい」

リヒテルは、しかし、真摯で、謙虚な人だった。「私のピアノを作ってくれている人たちに、お礼がしたい」といって、ロシアからシベリア鉄道と船を乗り継いで(彼は飛行機が嫌いなのである)、遠い日本の浜松のヤマハの工場にやってきた。そして、ピアノ製作に携わる、作業服姿のヤマハの従業員の前で、特別にリサイタルを開いたのである。弾きはじめる前に彼は言った。


「私は、これほどの緊張の中で演奏する経験は初めてです。何故なら、ここにいる人々は、最もピアノを愛する人たちだからです」


NHKのプロジェクトXでこの言葉を聞いたときに、私は思わず泣いてしまった。あの世紀の天才のなんという謙虚さ・・・。

シャープスペースブックスという電子書籍のサイトでは「プロジェクトX」が一話ずつ、100円でダウンロードできる。リヒテルの話のあらましはここに載っている。

私は、近頃、嫌なことがあると、リヒテルの言葉を繰り返し、読む。


2003年03月22日(土) 「精密誘導兵器」「ピンポイント攻撃」というアメリカの言葉に惑わされてはいけない。市民の死者が出ている。

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