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JIROの独断的日記
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2003年09月17日(水) 道具が便利になっても、事を成すのは人間の情熱だ。松本清張氏に思う。

 普段は全くテレビドラマというものを見ない。家人は好んで見ているから、私の視界の片隅にそれらしき映像が映ることはあっても、大抵、下手くそな若い役者や「アイドル」が型にはまったような演技をしていて、全然関心を持ち得ない。
 
 そんな私だが、昨日は珍しくTBS系列で放送していた松本清張原作の「霧の旗」を最後までみた。原作はずっと若い頃に読んだし、この小説は何度も映像化されているので、ストーリーの結末まで知っている。
 
 冤罪に問われた兄の弁護を有名弁護士に依頼するために、一人の少女が青森から東京まで出向くが、多忙や、少女に資金が無い事を理由に、弁護士はその依頼を門前払いにした。兄は無実の罪を着せられたまま獄死する。妹は弁護士に対する復讐を決意して、目論見どおり、弁護士は完全に破滅に追いやられる、という、まあ、「暗い」話である。それもわかっているのだが、それでも、リメイクされたドラマを見てしまう。これは、いかに松本清張氏の原作が人を引き込む力を持っているかを証明している。
 
 松本清張氏は苦労人だ。学歴は高等小学校、つまり、今でいうところの中卒である。それから、印刷会社の版木下書き工の仕事などを経て、朝日新聞西部本社広告部でデザインを担当したそうだが、あるときご本人が語っていたところによると、随分いじめられたそうだ。朝日新聞の大学出の記者たちは、学歴の無い松本氏を召使のように扱ったそうである。何か買い物を頼むときも、たのむ、と言わず、ミカンを投げてぶつけるのだそうだ。何というひどい事であろう。まるで、奴隷である。しかし、松本氏はそんな境遇に耐えつつ、文章の修行をし、自力で社会の様様な事を勉強して、ようやく40歳を過ぎてから小説の執筆をはじめたのである。
 
 だから、松本清張氏はいつも「俺には、時間がない。時間がないんだ。」と憑かれるように執筆活動を続けていたという。デビューが遅いから、生涯に書くことができる小説が人よりも少ない、だから、一刻も無駄には出来ない、という意味である。
 
 言うまでも無く、松本清張氏の時代には、ということはつい最近まで、PC、ワープロソフト、インターネットなどという便利な道具は存在しなかった。皆、物書きは原稿用紙のマス目を一つ一つ、鉛筆や万年筆で埋めていったのだ。資料を調べるときも、紙の資料を買うか、図書館に行って調べるしか手段が無かった。今のように手元でインターネットで貴重な文献に接することなど出来なかったのだから。
 
 それでも、松本清張氏は82歳で他界するまでに、原稿用紙に換算して8万枚、約750点の作品を世に送り出した。松本清張氏ばかりではない、司馬遼太郎氏も、遠藤周作も、皆、あの膨大な作品群を、すべてそのようにして書き上げてきた。
 
 もしも、今、時代がネットやPCの無い世の中に逆戻りしたとしたら、一度それらの便利さを知ってしまった我々にとっては多分、とても不便な世界に感じられるだろう。しかし、所詮、これらは道具、ツールであって、仕事を成し遂げるのは人間なのだ、ということを、昨日の松本清張氏原作のドラマは思い出させてくれた。
 
 便利になりすぎると、人間は情熱を失うのかも知れぬ。


2002年09月17日(火) 小泉の馬鹿野郎

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