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JIROの独断的日記
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2003年06月10日(火) 「洪庵のたいまつ」

 司馬遼太郎さんが、なくなってから随分たつ。

 司馬さんは、歴史小説家という以上に、現代日本を代表する知識人だった。晩年は、小説よりも随筆を書く事の方が多かった。どれをとっても、真理を鋭く射抜き、適格な評価を平易な表現でつづっていて、それ自体が芸術作品である。

 そんな、司馬遼太郎さんが、晩年に小学校の教科書のために書き下ろした文章がある。「21世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」である。子供のための文章とはいえ、ご本人は「小説を一本書くよりも難しかった」と述懐されていたという。

 私はどちらの文章も、大変好きだが、特に、緒方洪庵のことを綴った「洪庵のたいまつ」は、何度読んでも感動する。その書き出しは次のように始まる。


「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。
ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。
緒方洪庵のことである。
この人は、江戸末期に生まれた。
医者であった。
かれは、名を求めず、利を求めなかった。
あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである。
といって、洪庵は変人ではなかった。どの村やどの町内にもいそうな、ごく普通のおだやかな人がらの人だった。
病人には親切で、その心はいつも愛に満ちていた。・・・」


 最初の一言のなんと透明で美しい事か。
 「世のために尽くした人の一生ほど、うつくしいものはない。」・・・・。

 昔は、人は「世のため、人のため」に尽くすことが立派だと誰もが思っていた。

 それが、いつからか、「そんなのは、偽善だ。所詮、人間は自分が可愛い。ならば、正直に『自分さえ良ければ、世の中がどうなろうが、しったことではない』といってしまったほうが良い」、という考え方に取って変わられてしまったような気がする。

 私の半生は大したものではないけれども、司馬遼太郎さんがはっきりと書いてくれた、「世のために尽くした人の一生ほど、うつくしいものはない」ということばは、いつも、自分に言い聞かせている。


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