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JIROの独断的日記
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2003年05月08日(木) 威張りたがる人間はサル並みである。

 学校のクラブでも、大学の研究室でも、企業でも、役所でも、政治家の世界でも、およそ人間が集まってグループを作ると、威張りたがる人間が出現する。

 威張るからには何らかの「権威」という根拠を必要とする。ある場合には、他の人間よりも年をとっているということだけがその根拠となる。会社では、「肩書き」が根拠となっている。課長は係長よりも、部長は課長よりも偉いということになっている。

 しかし、それらは、人間がかってに抱いている幻想である。年をとっている人間が自動的に「偉い」のであれば、現代人は永久にクロマニヨン人に頭が上がらないことになる。

 また、係長や課長、部長といった肩書きは、人間が作った会社という集団で、かってに作り上げた虚構、つまり、ゲームのようなものである。その証拠に、如何なる大会社の大取締役といえども、一歩会社の外に出ればただの人である。渋谷のハチ公前で、自分は○○株式会社専務取締役の何某である、と叫んでも誰も一顧だにしないであろう。せいぜい、頭がおかしい人と憐れみの目で見られるのが関の山である。

 それでも、人間はそれらの幻想にすがって威張りたがる。それは、同種の生物の中で他の個体よりも秀でていることを示したがる動物的本能なのだろう。高崎山のサルにもボスがいて、そのご機嫌を伺うサブリーダーがいる。その様子を見て、なるほど、サルは人間に近い、高等動物だ、と考えるのは滑稽である。

 進化論が示すところによれば、人間はサルが進化して誕生した。つまりサルのほうが進化の過程では人間よりも原始的なのである。そのサルですら、権力を根拠に威張ろうとする。人間がそれと同じ行動をとるならば、サルから進化していないに等しい。

 権力を手にして威張れる、しかし威張らない。これこそ人間にして初めて可能な行動である。だから、威張る人間がいたら、その人物はサル並みなのだ、と思っていれば良い。


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