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JIROの独断的日記
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2002年08月29日(木) 児童虐待対策の緊急性

 誠に嘆かわしい世の中である。親が子を虐待して死に至らしめた、というニュースが毎日のように報ぜられる。 しかし、マスコミも政府ものんびりと構えているように思われて、私は大変歯がゆい。子供とはいえ、人一人の生命が奪われるという事は言うまでもなく大罪である。しかも、状況は極めて深刻なのである。今も、日本のどこかでは虐待に怯えながら生きているいたいけな子供が何十万人もいるのである。

 もし、今ここで、1件の営利誘拐事件が起きたと仮定しよう。警察もマスコミも血眼になることは目に見えている。それは、言うまでもなく、人質となった子供の生命が危険に晒され、一刻も早く助け出さなければならないからである。
 振り返って考えると、子供を虐待する親が存在するという事は、子供の生命がかかっているという点において、営利誘拐事件が一度に何十万件も発生しているのと同じことなのである。なのに、警察も、マスコミもこどもが殺されるまで、あるいは大怪我を負わされてから初めて騒ぎ出す。 これはおかしい。滑稽である。
 どうしてそういうことになるのかは、おおよそ見当がつく。警察官にとって誘拐事件を解決する事は大きな「手柄」となり、操作に当った警察官をはじめ、キャリア組である各県警本部長の出世にも大きく貢献する。しかるに、虐待されていた児童を保護したところで大した「手柄」にはならないのである。言うのも嫌な事だが、潜在的にこのような心理が警察官の意識にあることは想像に難くない。
 マスコミもまた然りである。誘拐事件報道は各社のスクープ争いの格好の舞台となる。社会部の記者たちはさぞ燃えるであろう。しかし、虐待されていた児童が児童相談所に保護されたというニュースを社会面に載せたところで、社長賞は狙えないのだろう。
 だが、最も問題なのは政府の対応である。票がとれる経済・行政改革についてはこれでもか、とプロパガンダをぶち上げる。お金の問題は国民誰しも関心のあることであるから、この分野で功績を残す事が自分の政治生命を大きく左右する。だから優先する。
 
 こんなことでいいのか!
 生命は尊貴である。役人、ブンヤ、政治家の出世など、これに比べれば殆ど無価値である。繰り返すが、今の日本では、多くの子供の生命が危機に晒されているという点において、何十万件もの営利誘拐事件が起きているのと同様の緊急事態が発生しているのである。
 
 政治や報道に関わる人間にはこういう想像力が不足している。嘆かわしい。


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