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■ エーシーオー沖縄「Gauche〜フェンスの向こう〜」パンフレット戯言。。
演出の戯言 かぷかぷ…かぷかぷ… 豊かすぎる賢治のコトバのイメージ… セロ弾きのゴーシュを題材にノンバーバル(コトバを使わない)作品を創る。 むちゃむちゃむちゃ… 普段、自分は「コトバ」を大事に、コトバから受けるイメージや奥行を大きく飛躍させる事を得意としている自負がある。まずもって、「台本を一体どういう風に書いたらいいのだ」というところからの出発(結果コトバは発しないわけだから)。演者には、得意とする武器の全く異なる四人をキャスティング(身体表現・俳優・琉舞・人形美術)して、船出した。四人の武器を目一杯使ってもらいながら、いつものスタッフチームの叡智をいただきながら、ゴーシュの中にある、楽しみと単純なようで単純ではない奥行の美味しさを引っ張り出して「今、この世界で演じられるべき作品」にしようという魂胆である。 にがにがにがにが… 改めて出会う賢治の文(コトバ!)、そこから派生して絵本やら研究本にいたるまで、色んなものに触発されながら、稽古場は出会いと気づきの連続で自由度高く進んでいる。 全く新しい、でもどこか懐かしい、そんな作品が生まれる予感である。 キックキックトントンキックキックトントン… Play is Play と唱えた巨匠が言う、 「どこでもいい、なにもない空間―それを指して私は裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もう一人の人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」 ブカブカどんどん… 演劇を演劇たらしめるのは、劇作家の書いたコトバではなく、なにもない空間に置かれた演者の存在である。コトバは演劇の1つの要素にすぎないのだ。台本に書かれていない演者の存在感や舞台に流れる空気感、そしてそれを受け取る皆さんの想像力が、演劇を物語を成立させる大切な要素となる。 物語の効能、というものについてこのコロナ禍になって考える機会が増えている。人はなぜ物語を欲するのか― どってこどってこどってこ… 全てはシンプルから始まる。 コリッ、コリコリッ、カリッとした現代に向けての処方箋、 どうぞ、楽しんでご覧ください。 わくわくわくわく… 藤井ごう
2021年08月26日(木)
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