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■ ピッシャー君ではないけど。。。
それはそれはとても腹立たしい。 さぞや心病んでいることでしょう、庄司さま。(前回参照)
私にも、心に残る浮浪者が一人おりまして、 が、しかし、いつか、本にしたろうと思っているので、余り書くとネタばれのようになってしまいそうだが…
小学生時代、いたんですよ、近所のグラウンドに一人。 誰がつけたかしらないが、その名を「おまた」と言いました。 別に本人が名乗ったわけではないのだろう、大人になると、なんとなくそういうことはわかります。 いつもいて、ずっといて、ぼくらが遊んでても、帰るときも、朝も、移動図書館がやって来る時も。って現在移動図書館自体を知らない人が多そうだが。休みの日も、サッカー部の練習があって、大人が多いときは、すっかり身を隠してはいたけど、いないと逆に話題にあがるくらいの秀逸な存在感をはなっていた「おまた」。 彼はどこから来て、どうしてそこにいて、何をしていたのか。 いまや誰にもわかりません。というか、その存在自体を忘れているやつの方が多いだろう。 今みたいに、新宿の公園やなんかで、あたりまえのように浮浪者が存在している頃ではなく、また、彼がいたからといって、「何されるかわかんないから」と避難、または攻撃対象にもならない時代でした。
そのあと暫くしてぼくらが覚えた「ルンペン」という言葉。 その言葉、大流行。インフルエンザどこの騒ぎじゃなく、大蔓延。 …子どもって恐ろしい…
「おまた」と言っても、怒らなかったが。←もしも仮に本名であれば当然なのだが、小学生に敬略称である。もしくは本名を「また」と言って、「お」つまり「御」をつけているから、よしとしたのか、これも今となっては… しかし「ルンペン」と言うと、血相変えて追っかけてきたっけ。 …わたしって子どもって恐ろしい…
そんなことがいくらか続き。 怒って〜した。とか怒って〜しようとした。とか怒って〜されそうになった。とか怒って〜された。と様々な実証できない噂が飛び交うようになった。 そしてある日から、ぱったりとその、「ルンペンという言葉に怒る人」(当然だよな…)の姿を見かけなくなった。
噂はたつのだが、いざ確認にいくと、いないのだ。 そんな彼の最後の有力な噂、それは―
グラウンドの水のみ場の裏で死体で発見された。
というもの。誰かの友達の友達がそれを見つけたらしかった。 誰かの友達って誰だ? 更にその友達の友達ってさらに誰なのだ。 なのだが、彼はもうそこにはいなかった。 子どもの社会では、そういう結論で落ち着いたのである。 またの名を、飽きた、ともいえるかもしれない。
彼は何を考え、そして何をして、そしてその後にどこに行ったのか。
今や誰にもわからない。 でもぼくは今でも、水のみ場の裏で死んでなかったと思っている。
でないと、彼が存在したことすら、噂の一環で終わってしまいそうな気がするから。 彼はそこに存在し、きっと今も別のところで異彩な存在感を放っているに違いない。 できればその地域グループのリーダーとして役人と闘っている姿を想像したい。そしたら「おまたさん」と、敬称をつけた感じだけど、実は「お!またさん」みたいなテヤンデーな風に呼びかけたい。「おまったさん!」(「お待ちどうさん」を短くして勢いよくした風)でもいいけど。
そんなことを、ふと思った。
2005年06月17日(金)
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