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■ 正しい師走の過ごし方。
さてさて、気が付くと、世の中はクリスマス一色のデコレーション。 ついこの間、ユーロ(サッカー)があって、オリンピック(アテネ)があったようなのに、否応なしに、今年も後僅か、着実に来年の足音が聞こえてきている。早い、早すぎる。甘く見ていると、いつのまにか2005年の十二月になってしまいそうだ。なのに街には酔っ払いが溢れている。
そんなことをいいながら、やれ打ち上げだ、打ち合わせだ、挙句、まだ本年飲む予定ある人間を捕まえて、忘年会だー!とやっている。 なんだかこれは、正しい師走の過ごし方のような気がしている。 身体には酷だけど。。。 なにせ、来週から二週間、こっちでの生活時間がないのだと思うと、普段から拍車がかかっているくせに、更に拍車がかかっている。止まらない師走の正しい過ごし方だ。なにかが間違っているだろうことはよくわかっているが、間違いに気が付いて、おっと!なんて言って、憂鬱になって結局忘年をすることは目に見えている私は、先んじて、敢えて気が付くことに気が付かないふりをする。
正しい土曜日の過ごし方については、未だ結論を得ない。 得るわけはないのだが… 正しい師走の過ごし方。
本年は言わば、通例となっていたR−viveの十二月の芝居がない。 その分、こなすべき仕事が増えてきているというありがたい事情は置いておいて、師走については、R−viveで三年、その前も、芝居で二年、まともに行く年を惜しんだことすらなかった。そこで、十二月というものについて立ち止まって考えてみる機会をえた。どうせ毎年やってくるものだし、毎年行ってしまうものなのだから、いちいちイベントみたいにしなくたってそれはそれでいいような気もするのだが、そういう一つ一つを楽しむように人間はできているらしい。いや、もしかして、それくらい楽しんでないと、おかしいことになってしまうのか。人がいろんなことを繰り返してしまうのは、もしかして、一年の周期が確実に繰り返されているからかもしれない。そして意識しない無意識の部分でその事に痛いほど気がつかされる最後の月、十二月。
だから、正しい十二月の過ごし方として、人は酒に浸るのだ。 そして、ふとセンチメンタルに、この一年の、言ってみれば、三百四十何日かを振り返って、振り返ることに本当はどんな意味もないのかもしれないと思いながら、もう一献もう一献と杯は続き、総括、なんていいながら、きっと明日も総括するのに、できもしないことを考える。そして、どうしようもないから、もうすぐそこに迫っている来年に思いを馳せる。そして明後日も、同じことをする。
いいじゃないか。この逡巡そして集約。 忘年会。まさに描いて字の通り。 「年を忘れる会」だ。 もしかしたら「歳を忘れる会」かもしれないし、 「今またほそぼそと活動し始めた田原俊彦をやっぱり忘れる会」かもしれないが、 それは「新年会」とはまったく違うのだ。
年末=「忘年会」新年=「新年会」 とほぼ同義として使っていたが全然違うものだ。 忘年会は「暮年会」ではないのだ。「忘れる」ことがテーマである。 その点、新年会は「新しい年の会」で、他にどうも考えられないじゃないか。 そして「新しい年の会」をしっかりとむかえる為には、「忘れる」ことから始めなくてはならないのだ。そのための師走の儀式。 愚かな人間が培ってきた、年末の儀式だ。
だから私は浸ってみる、師走の正しい過ごし方に。 そして街には酔っ払いが溢れる、緑と赤と金色のイルミネーションの前で。
長々と、どうして飲むのかということに対する言い訳だこれは。 他にどういえばいいんだ。 唯一いえるのは、これを書いている私は、決して酔ってはいないということだ。
ごう
2004年12月11日(土)
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