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■ なんたることやさ。。。
オリンピックも終わり、気が付いたらゴタゴタしているプロ野球もさっぱりあーそうですか状態だし、メダリスト来る!なんて番組もなんかあとの祭りを地でいっているようで、寒い感じだし、こうなるとスポーツも、さあ!イチロー年間257安打なるか!!と、諸局の番組構成と同じようにしか、思えない今日この頃、いかがお過ごしですか。
そんなところに、連日連日のロシアのこと… あえてこの場に書くのもいやなんで触れませんが… 感じる事多すぎてしばし思考停止。
あ〜、触れてるなあこれは。 わたしの夏休みもお終い。 依頼された脚色、脚本に向かう。 世紀の祭典を前に大分予定を狂わされ←別に直接私自身に関係がなかったことはよくわかっている。 思わず予定より長い永い長居をしてしまい、そのツケをもろに食らっている… 三日くらいパソコンの前に向かいっぱなし、睡眠時間はないも同然、ようやく少しながら光明が見える。←そして冷静になって三日後、また陥るのだ。毎度毎度の味の素、何時もの通り、進んでいる。
さて、問題は時代小説なわけである。
自慢ではないが、ワタクシ、時代小説を生まれてこの方、ほとんど読んだ事もなければ、さわったこともない、特に日本の。エクセプトフォー三国志。 鬼平犯科帳だろがなんだろが、基本的に、興味を覚えたこともなければ、読もうとか、借りようとか、ひいては買ってみようなどと思った事も無い。
最初に言われたとき、流石に自信まんまんのわたしが自信まんまんに、「一回読んでから返事をさせてください」と答えた。 それから一月半あまり。。。 わたしの手元には、現在、五冊の本がある。しかも先方と呑んで「いいですねえ」なんて言った三日後には、先方に買ってきていただいた、あり難い本なのだ。 いや、苦労しました、なんてったって、読み方がわからない。 無論、そんなに難しく書かれているわけではないことはこの際おいておいて。 実はそんなこと言っても、大衆小説なわけで…
そして特有の、漢字の読み方のルビが、普通の読み方と違うので、内容自体そんなにわかりずらいわけではないのに、あれ、あれ、この漢字読み方なんだっけ?と、五ページ進んでは、最初にルビがふってあったページに戻る。
一応、普段はわからない風な漢字とか、言葉とか、「自分なりの」解釈をして読むわけだが←どうしてこんなにえばっているのかはこの際無視。今回ばかりはそうもいかない、なぜなら、意味がわからなければ、書けないからなのだ。←当然である。
そんなシックハックを繰り返しながら、読むには読んで、一冊二冊と読後の本は増えるわけだが、これがまた、内容がすっかり明後日なのである。
そしてまた一冊目に戻る。 そんなことを繰り返し、三冊目になかなか進めないでいた八月の二週目あたり、
「読みました?」 と聞かれ、当然「まだ読んでいません」などとも言えず。 「ええと、どういう風にしたらいいのかなあなんて思いながら読んでます」 と苦し紛れに答える。 「そうですか、じゃあ、正式にお願いしたいのですが。初稿を九月の…」 と言われた。 あれよあれよあれよあれよ。 その小説的に言うと。
「あなや!」
とでもなるのだろうか。だいたいあなやってなによ。変換すると「穴や」だし、でもこれだと文字面的にも、「落っこちた」または「落とされた」ってところで逆に言葉遊びの真骨頂のようだし。まさに、わたしは「落とされた」のである。誰に?そんなの先方ではない。自分の掘った「穴に」、「穴や!」と落ちたのだ。
こうなったら自分でその穴より這い出るか、横に掘り進んでどうにかこうにか進むしかない。読む、読む、読む。とにかく、読む。背に腹はかえられないのである。だいたいがよく書いている事だが、追い詰められないと動き出せない、究極のM人間である。←或る人たちはこういう、おまえは究極のSだ!と、こうしてわたしの、自分からではない、世間体(狭い)につくられた多重人格が成立する。 追い詰められた時のパワーは凄い。ならきっと追い詰められない時のパワーも凄いに違いないのだが、その辺を突き詰めて、さらに「穴に」入り込む事は、よしではない。 今のわたし、気が付いたらすっかり「楽しく」なってます。 エクセプトフォー書くとき、ですが。読み方がわかると面白いんですわこれが。本を書いていて、或る役に人格がしっかり立ち上がった時の面白さによく似て、人物の性格なり、格好なり、しっかり想像の域までくると、これはなかなか楽しいのだ。
さて、当初の問題はむりやり解決された感があります。 しかしこうなるとこうなるで、また問題です。レベルが2にランクアップです。 「この元々・読・み・物・として面白いものを、どう芝居として面白くするのか」 いや、難題だ。きっとこれをクリアしても次の難題レベル3が現れることは自明の理。先は永い… それと― そのうちこの作品の題名は明かしますが。 この作品の魅力の一つに、人のものとは違う力が登場するというのがあります。 例えば、お尻からその鬼は入り、口から出て行った。 やら。 まじないを唱えると、藤の花が人になった。 やら。 その人間は人ではない、生霊であり、透けている。 やらやら。 その女の額が盛り上がり、角が出た。 出た。
素朴な疑問�”饌罎任匹Δ笋譴弌�
それから― 今はもう絶曲となっている琵琶の名曲を、これまた見事に奏し…云々カンヌン… こんなのが、話のキーポイントに多く登場する。 だって、もうなくなっちゃった曲なでしょ? 琵琶は?弾ける人いるの?
素朴な疑問��舞台でやるにはお金かかりすぎるんじゃないか?
上げていくとキリがない。 こういう時は、書き進めるに限る。 そう思って、しっかりやる気はあるのだが、筆は止まり、このページにはこれだけダラダラと書き続けられる程、現代語では言葉の洪水なのだが…
その八月の電話で、もう二冊、お渡ししたいと言われたまま。 まだ受け取ってません。 悪意はありません。
ごう
2004年09月04日(土)
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