スカーレットの心のつぶやき
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この世に生まれてくるということは
自分自身の意思でしたことではない。
誰の意思で生まれてきたのかと思うとき、
それは何か大きな力で生まれさせられたような気がする。
昨日読み終えた白石一文の「僕の中の壊れていない部分」の中に
次のような文章があった。
人は何のために生まれさせられたのか?
人は育つために生まれさせられたのだ。 人を生かし、相手を生かし、喜ばし、伸ばし、守ること、
ここに全身全霊をつくすことが毎日の課業であり、
自分の一日一日を全力をかためつくして
自分を空にして相手にささげ、
相手を許し、相手を伸ばすことに努力していくことが
自分もまた幸福になる道である。 そして、日々に生きゆく姿は、
日々に死にゆく姿だと思えば、
もの皆有り難く感じることが出来る。 活き活きと生きゆくことが
活き活きと死にゆくことだと納得すれば心やすらぐ。
生きるということはこんなことなのか・・・
言葉では簡単に言えるけれど、
この通りに生きるって難しいと思った。
人は死に向って日々生きている。
毎日笑い、怒り、泣き、悲しみながら、
毎日の喧騒と怠惰と無意味さの中で生きている。
心の持ち方一つを変えただけで、
それまでの暗闇の中から
夏の日差しの中を歩くことが出来る。
同じ一度の人生なのだから
真っ暗な穴の中を手探り状態で歩くのではなく、
明るい光の射す日向を歩いて行きたい。
人のために何かできることがあるならば、
その人はとても幸せだと思う。
世のため、人のための人生を歩むって
本当に難しいし素晴らしいことだと思う。
そんな素晴らしい人生を歩むことが出来なくても、
自分の歩こうとしている道が
石ころだらけの道であっても、
転びながらも決して諦めない
そんな強い心を持って歩いて行きたい。
生まれさせられたのなら
育って行きたい。
相手を許し、相手に自分自身の心を捧げつくす、
こんな生き方が出来たらどんなに良いだろう。
スカーレット
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