スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
10月5日は「レモンの日」だった。
高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中に、
レモン哀歌という詩がある。
光太郎の妻智恵子が亡くなる前に、
レモンをかじり、正気に戻ったと彼は感じた。
私は若い頃彼の詩にとても惹かれたときがあった。
その詩「レモン哀歌」に惹かれた人は、
私だけでなく多いと思う。
彼の妻への愛情がにじみ出ている詩だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「レモン哀歌」 高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この詩からは、
愛する人を失った悲しみが感じられる。
人にとって喪失感ほど、
辛く悲しく耐え難いものはないのではないだろうか。
今まで自分の側に居た人が居なくなる・・・
同じ空気を吸い、
同じものを見、
同じことを感じていたであろう人が居なくなる・・・
その淋しさは言葉では言い表せないものだと思う。
幸せなことに私にはこの喪失感の経験はない。
勿論恋愛に失敗して愛していた人を失ったことはあるが、
それはこの詩の中にある悲しみとは全く別のものだと思う。
私はきっと母が死んだ時、
この喪失感に襲われるのだろうと思う。
それがどんなものか想像もしたくない。
食事も睡眠も出来ず、
ただ茫然自失の日々を送るだろう。
今は現実感はないけれど、
いつの日か必ず襲ってくるのは確かだ。
その時に私はどうなってしまうのだろう・・・
私にとって、母が居なくなるということは、
私自身の死にも等しい。
ああ〜もう今は考えるのはやめよう。
今は今だけを見つめていよう。
せめて、今だけはそんな悲しいことを思わずに過ごしたいから。
スカーレット
|