スカーレットの心のつぶやき
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私の好きな歌、武田鉄也さんの「贈る言葉」の中に、
「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい」
という言葉がある。
人を信じることは、決して相手に求めるものではないと思う。
人を信じることは、自らの心から出るものだと思うから。
だから、自分が相手を信じたいと思えば、
たとえ、相手がその信頼を裏切ったとしても、
相手を責めるのは間違っていると思う。
人を信じること、これは難しいことではない。
相手のことをそのまま自分自身の中に受け入れることだから。
人を受け入れるということは。
その人を信じる信じないに関わらず、
とても大事なことだと思う。
もしも人を信じて、
それが裏切られるという結果になっても、
決して嘆くのはよそう。
人を疑うことは嫌なことである。
人を信じることはとても気持ちの良いことである。
自分にとって大切だと思う人を、
疑いながら付き合うなんてことはしたくない。
そんな付き合いはしても楽しくないから。
もし、自分がその人を信じたいと思うなら、
たとえ、その人が信じられない人だと思っても、
私は信じたいと思う。
自分が信じたい人に対しては、
「裏切られてもいいから信じよう」
「この人を疑うよりは傷ついたほうがいい」
「この人を信じられる自分でありたい」と思う。
そして、その結果、もしも裏切られたとしても、
こういう風に思っていたら、
それほど心が傷つくことはないのではないだろうか。
私が19歳の時に初めて人を愛し、
そして信じていた人に去られた。
その時は裏切られたと思った。
どん底に突き落とされたと思った。
そして、心の病気になった。
でも、今思うとあほらしくなってくる。
時がそう思えるようにしてくれたのかもしれない。
今は、私が愛し信じていた人が居たということが嬉しい。
そして、心の病気で十数年も苦しんだことがバカらしく思える。
このことがあったからこそ、
今の私が居るのだと思う。
恋愛とは詐欺事件とでは話は違うけれど、
母は昔から私に「騙すより騙される人になれ」と言ってきた。
私も母の言葉のとおり、
騙すこと、裏切ることはしたくない。
むしろ、騙される立場、裏切られる立場を選びたい。
神様は必ず見ていると思う。
人を信じてその結果傷ついたとしても、
きっと幸せになるのは裏切られた人の方だと信じている。
スカーレット
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