スカーレットの心のつぶやき
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2004年06月07日(月) 信じるということ

私の好きな歌、武田鉄也さんの「贈る言葉」の中に、

「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい」

という言葉がある。

人を信じることは、決して相手に求めるものではないと思う。

人を信じることは、自らの心から出るものだと思うから。

だから、自分が相手を信じたいと思えば、

たとえ、相手がその信頼を裏切ったとしても、

相手を責めるのは間違っていると思う。

人を信じること、これは難しいことではない。

相手のことをそのまま自分自身の中に受け入れることだから。

人を受け入れるということは。

その人を信じる信じないに関わらず、

とても大事なことだと思う。

もしも人を信じて、

それが裏切られるという結果になっても、

決して嘆くのはよそう。

人を疑うことは嫌なことである。

人を信じることはとても気持ちの良いことである。

自分にとって大切だと思う人を、

疑いながら付き合うなんてことはしたくない。

そんな付き合いはしても楽しくないから。

もし、自分がその人を信じたいと思うなら、

たとえ、その人が信じられない人だと思っても、

私は信じたいと思う。

自分が信じたい人に対しては、

「裏切られてもいいから信じよう」

「この人を疑うよりは傷ついたほうがいい」

「この人を信じられる自分でありたい」と思う。

そして、その結果、もしも裏切られたとしても、

こういう風に思っていたら、

それほど心が傷つくことはないのではないだろうか。

私が19歳の時に初めて人を愛し、

そして信じていた人に去られた。

その時は裏切られたと思った。

どん底に突き落とされたと思った。

そして、心の病気になった。

でも、今思うとあほらしくなってくる。

時がそう思えるようにしてくれたのかもしれない。

今は、私が愛し信じていた人が居たということが嬉しい。

そして、心の病気で十数年も苦しんだことがバカらしく思える。

このことがあったからこそ、

今の私が居るのだと思う。

恋愛とは詐欺事件とでは話は違うけれど、

母は昔から私に「騙すより騙される人になれ」と言ってきた。

私も母の言葉のとおり、

騙すこと、裏切ることはしたくない。

むしろ、騙される立場、裏切られる立場を選びたい。

神様は必ず見ていると思う。

人を信じてその結果傷ついたとしても、

きっと幸せになるのは裏切られた人の方だと信じている。







スカーレット