スカーレットの心のつぶやき
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2003年07月08日(火) 分かったこと

私は今年の秋で52歳になる。

この年になってようやく分かりかけたことがある。

それは、私が何故今までのような生き方をしてきたのか?ということだ。

ここで前にも書いたことがあるけれど、
私は人が経験したことのないことをしてきた。

別に法律に違反することや世間の人に迷惑をかけたことではないけれど、
親には心配をいっぱいかけてきた。

私が親になって14年、娘も大きくなり中学生になった。

そして自我の確立の時期、自立の時期真っ只中だ。

だからよく衝突するし、私も悩むことも多い。

でも、子供を育ててみて初めて
私がいかに親に心配をかけてきたかが納得できるようになった。

先日の新聞の記事を見ていて気づいたことがある。

それは私が何故今まで自分を傷つけることばかりをしてきたかということだ。

私が自暴自棄になり死にたいと思い続けていたことが
私の「思春期境界例の心性」に因るものだと気づいたのである。

見捨てられはしないかという不安を持ち、
相手を全面的に信頼して理想化するか、
徹底的にこきおろすかの両極端な対人関係しか持てず、
強烈な感情をぶつけ激しい衝動性を持つという。

そして、その衝動性は摂食障害を引き起こすということも分かった。

何か私の呪縛されたように感じる衝動性がここに起因していたのだと初めて気づいた。

心療内科に入院し治療も受けたけれど、
医師はここまで私にはっきりと説明をしてくれなかった。

ぼんやりと母親との関係に起因するということは知っていたが、
この年になってようやく、
母親に見捨てられたくないから、
幼児期に自立したくとも母の脅威に不安感を持ち、
結局は母の言うとおりにしてきたことの結果だったということが分かったのだ。

母を非難はしたくない。

母は私が先天性の心臓疾患を持ち生まれたことで
他の母親にはない特別の心配があったのだと思うから。

そして私は自立したくても体力的にもできず、
母の庇護の元でなければ生きていけないと自分で思っていたのだから。

こんな私が思春期に大きな心の傷を受け人間不信になったとき、
自分の命を消そうと思ったことは決して逃避ではなく、
非常に不安定な対人関係に対する恐怖と不安のためだたと思う。

そしてその不安が情緒不安定な私を作ったのだと思う。

今も私にはその傾向が残っている。

決して完治していないのだと感じるときがある。

もう死にたいと何度思ったことか!

自傷行為を何度繰り返したことか!

私には母親としての意識や義務感が欠落しているように思うときがある。

誰かを愛していたい、誰かに愛されていたいと思う気持がその表れのような気がする。

いつも誰かに思われていないと不安でたまらないのだ。

情けないなと思う。

もうこれだけ人生を歩いてきたのだから、
もっとまともな考えを持ちたいと思う。

そろそろ卒業したいと思う。

私は今までの私の人生を後悔はしたくない。

あれは今の私になるための遠くても正しい道だったと思いたい。

そしてこんな自分を素直に受け入れて決して自分を嫌いになりたくない。

人を許すくらいの大きな愛を持ちたいと思う。

母として一番大事なことは何か?と自問自答しながら、
残された私の歩く道を歩いていきたいと思う。


スカーレット