スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
あの頃の私はどうしてたんだろう?
今から15年以上前のこと。
まだ娘も生まれていなかった。
結婚はしていたけれど、何か今ひとつ自分の心が 見えてなかった。
生活しているという実感がなかった。
毎日がつまらなくて、虚しくて、日々退屈していた。
淋しかった・・・
今よりも年は若いし、本来なら子育ての真っ最中の頃、
私は子どもは持てないと信じていたし それはそれで良いと諦めていた部分がある。
諦めの気持と、焦りの気持が交差していた。
誰でも良い、私の心の支えになってくれるものが欲しかった。
何かにすがりたかった。
だから、あんなに「大衆演劇」に夢中になったのだろう・・・
今思い出しても、不思議な気がする。
私は忘れはしない。
あの日のことを。
自分が自分の命を絶とうと決心して、実行したあの日。
でも・・・
でも・・・
でも・・・
生きていた。
もう少しで危なかったらしいが、それでも生きていた。
数ヶ月の入院を経て、心はまだ傷ついていたけれど 体の表面的な様子は殆ど元に戻った。
心は同じ状態だったのに、周りも心配していたのに 入院がいやだったから治ったように見せかけていた。
母にはそんな私の姿が痛々しく写っていたに違いない。
だから、母は私を休ませようとしてくれた。
退院してある場所に母と休養を取りに行った。
そこで、私は始めて大衆演劇と出会った。
あの「姫 京乃介」劇団と。
笑われるかもしれないけれど、私はその時初めて 「死ななくて良かった、生きていて良かった」と思えた。
それからというもの、京乃介を求めて劇場に通い詰めた。
パソコンの世界がバーチャル世界であるように あの、大衆演劇の世界も同じ架空の世界、想像の世界 非現実的な世界だった。
でも、私はその非現実世界に足を踏み入れ そして、抜け出すことができなくなった。
何でだろう?
今も思い出してもは不思議に思う。
逃避だったのか?
代償行為だったのか?
現実の自分が満たされない満足感をあの劇の中の あの人に求めていたのか?
何にせよ、私は私がひかり輝いているのを感じた。
満たされていた。
嬉しかった。
幸せだった。
大阪や神戸まで所謂追っかけをした。
一人で土地勘の無い大阪の町へ行けたのも ひたすら、あの京乃介を見たいがため。
笑える・・・
今はそんな私がとても不思議・・・
人生には色んなことがある。
辛い時
悲しい時
嬉しい時
そして幸せだと感じる時、
いずれの時も私の時間なのだ。
すべては自分自身の心の持ちようだ。
あの大衆演劇にはまっていた数年は 私にとっては、自分らしくないとても曖昧な 存在感の見えない自分だったと思える。
それから、娘が生まれ忙しくなったのも手伝って
私の大衆演劇に向かう足は遠のいた。
今朝地方新聞のある記事で、久しぶりにこの大衆演劇のことを 見た。
そして、あの頃の自分を思い出したのだけれど
今では笑って話すことが出来るほど 私の心の中では消化済みのことになっている。
私には今とても大事なものがいっぱい存在している。
それらを大切にしたい。
そして、
もしも、辛くてどうしようもない気持になったときは こうして、ここで、私自身の心のつぶやきをしよう。
逃げるのではなくて、少し場所を変えて自分を見つけてみよう。
そうすれば、きっと良い解決方法が見つかると思うから。
スカーレット
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