スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2003年03月25日(火) 教えるということ

私は人に何かを教えるということが苦手だ。

だから、昔から先生にはなりたくなかった。

ずっと昔から教師にだけはならないと思ってきた。

何故か?

それは、分らない子供にどういうふうに教えると一番良いかと
いうことが分らないから・・・

情けないけれどこれは本当だから仕方が無いと思っていた。

そんな私が、今から20年くらい前に、
人に教えるということをした経験がある。

それはカラオケである。

当時カラオケ教室はまだ少なかった。

文化教室で私がカラオケを習い出した頃は
今のように皆が習っている時代ではなくて
まだ珍しいくらいだった。

ある教室で勉強していた時、カラオケを教えてくれる先生から
「人に教えたらきっと自分のためにもなる」との言葉をもらった。

人様に教えることのできるような立場ではないと思ったので
一度は辞退した。

でも、近所のおばさんたちに歌を習いたいという人たちが
多く居たので
近くの公民館を借りて教えることになった。

当時は8トラの時代、私のカラオケの器械を下げて
公民館に行き、新しく私が教室で習う曲をおばさんたちに
教えたのだ。

今思うと穴に入りたいような気分になるが
その時は皆に感謝されて、自分の勉強にもなるし
楽しかった。

数ヶ月後、私の体調が悪くなり入院することになって
その公民館の教室は止めた。

皆に心配をかけたし、途中で止めたことにとても悪い気が
していたが、なんとその後、おばさんたちは自分らだけで
今もずっと続けてると聞く。

たまにその生徒さんたちに出会うと「先生」と言われてどきっと
することがあるが、
あの時に教室を立ち上げたことを本当に良かったと
今は思える。

そのことがあったので教えることの難しさを
身に沁みて感じていた。

二度と教える立場にはならないだろうと思っていた私が
今では、又教える対場になろうとしているのだから
人生とは不思議なものだ。

「日本語を話せない外国の人たちに正しい日本語を教えるボランティアを
養成する講座」に通いだして4月で3年になる。

一言で言えば、日本で生活している外国の人に
日常使う日本語の正しい使い方を教えるのは
どうしたら良いかという勉強である。

一月に一度行って勉強しているのだけれど
今度4月の実習を私が担当することになった。

今教えているところは形容詞の使い方だ。

日本人なら自然に使っている形容詞を
如何に正しく使えば良いかを教えなくてはならない。

○○いと最後にいがつくのを「い形容詞」という。

又○○なというように最後になが付く形容詞を「な形容詞」という。

その違いや否定形、名詞を修飾する使い方など
結構面倒だ。

前もって予習をしないと、時間の配分もあるし
なかなかその時になって頭の中に入っていないと
困ることもある。

教えることの難しさ、普段何気なく使っている日本語が
如何に難しいかを実感している今日この頃である。

もう少しつめて考えようと今日も頭を悩ましている私。

でも、教えるということを通して
教えられる人の気持になれるのが嬉しい。

相手にわかってもらう喜びも感じるこの勉強。

後残り3年を止めずに勉強して
実際にボランティアで外国の人に正しい日本語を教える
ことが出来るようになれば、こんな嬉しいことはないと
思う。

さあ、続きを頑張ろう!!


スカーレット