与太郎文庫
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| 2007年01月14日(日) |
恩師の初任給 〜 学校商法入門 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070114 Let'20070101 from Mr. Tanimoto, Iwao Mail'20070114 00:00 for Mr. Tanimoto, Iwao Subject: お誕生日おめでとうございます。 谷本 岩夫 様 あけましておめでとうございます。 早々に賀状をいただいたので、お礼をかねて(例によって)長々しい 駄文を(ブログに)書きつけましたので、ご高覧ください。 ことしは趣向をかえて、学校経営入門に取組んでみました。 先生のホームページ“格差問題”につづけて、さらに脱線しています。 月末には冊子に印刷して、数人の恩師・旧友にも郵送する予定です。 印刷するまでは草稿のまま推敲し、いろいろ手を加えるつもりです。 「ここは事実とちがう」とか「この点は内緒にしたい」とか「こんな ことを思いだした」というご指摘があれば、ぜひご教示ください。 当初の題名は、いかにも最近流行のインパクトのある「恩師の格差」 とするつもりでしたが、やや陳腐な「恩師の初任給」に変更しました。 不出来な教え子として、絶えざる敬意と親しみをこめたつもりです。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070109 格差の今昔物語 〜 所得倍増の行方 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070114 恩師の格差 〜 学校商法入門 〜 ◆ さきに、高橋先生の初任給が7600円(!)だったことから、高校 教師の年棒と、私立大学生の教育費が、ほぼ一致することに気づいた。 さらに、四才年長の谷本先生も8600円(!)だったそうである。 両先生は、ともに京都大学理学部卒業で、縁あって同志社高校に奉職 されたが、かたや新卒で途中採用(23才)、かたや二浪で転職(25才) であるところから、1000円(11.3%)の格差が生じたらしい。 当時の同志社高校の先生は、ほとんどが京大出身者だった。 理数科ぎらいの与太郎の担任は、四人中三人が理系、最後にようやく 文系だったのは、いまなお不利益に思える。 ともあれ、谷本先生のホームページを再読してみよう。 (教え子であるはずの与太郎には、さっぱり授業風景の記憶がない) 約9年前(19971103)から公開されているので、衆知の記述である。 …… 私は高校から大学に入るのに2年間浪人の経験があります。この 間、朝から晩までビロードの“切り”という仕事をしていました。これ は喰うための仕事でした(月収2万2千円、大学を出て大津東高校(膳 所高校)に就職したら、サラリーは8600円でした)。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/component/education.html 76歳のキャッシュ 〜 学問.教育その他 〜 ともに京大出身の秀才だが、それぞれの事情で格差があったはずだ。 ありていにいえば高橋先生は病弱で、谷本先生は裕福ではなかった。 両先生は、病弱で清貧の人生を刻苦清励して誇りたかく歩まれたのだ。 雨の日に、傘をさして歩く安月給の先生を尻目に、乗用車を運転する 高校生が、女生徒を拾って走り去るのも、名門校ならではの光景だ。 こういう格差に目くじらたてると、つぎのエピソードが理解できない。 金持のどら息子ばかりでなく、有力政治家の子息や、清貧の牧師の倅 も雑居しているからこそ、自由な気風が育つのではないか。 ある日、三人の生徒が“富豪教師”を訪ねたことがある。 当時ドイツ製の高級カメラ(ライカ�沓董砲録敬覆覆蕋隠庫�円もした。 ささやかな借家一軒が買える値段である。そこに10万円の中古品が あると知った“フクちゃん”が「すぐ見に行こか」と興味を示した。 与太郎が「センセ、お金どないするの?」と率直な疑問を口にすると、 “富豪先生”は悠揚迫らず「兄貴が払うてくれるやろ」と答えたものだ。 さらに、のちにオムロン会長となる生徒も、鷹揚にうなずいている。
高橋 勘 “カンちゃん”数学 19141011 京都 19970621 82 /同志社高校長 下村 福 “フクちゃん”国語 1923‥‥ 京都 19990205 76 /正太郎13(大丸)の弟 並河 純 “純ちゃん” 古文 19260701 島根 19870519 60 /山陰酸素工業社長 谷本 岩夫“ポンちゃん”化学 19290114 京都 20160910 87 /1955-1959,1966 高橋 哲郎“テッちゃん”物理 19321211 栃木 20050914 72 /1956-1979
このエピソードは、別稿《母屋と庇》でも詳述している。 かつて立石電機の創業者は、弟の勤める大丸百貨店の軒先を借りて、 新案のズボン・プレッサーなどを大道香具師のように売っていた。 それがのちに西のソニーと並び称される大企業に成長して、三男坊が 私立高校に進んだら、大丸の二男坊が古文を教えていたのだ。 こういうめぐりあわせは、それなりに奇妙な偶然である。 …… おなじ国語教諭で、大丸の次男だった“フクちゃん”こと下村福 先生にはかなわないが、並河先生も故郷では財界御曹司(安来商工会議 所会頭)として、わがままに育てられた“ボンボン”である。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570316 ── 卒業記念誌《�堯� 当の“フクちゃん”は、与太郎が寄稿した文芸部誌の発行人でもある。 中学時代には気づかなかった社会の仕組が、高校生になれば分る。 たとえば、経済市場においては、売り手よりも買い手が優位に立つ。 生徒が買い手で消費者なら、先生は売り手で生産者である。 なにゆえ学校の中では、生産者に叱られ、消費者の肩身が狭いのか。 先生が揉み手して「いらっしゃいませ」というべきではないか……。 …… 俺にはこの学校に対して『入れてもらった』という気持は毛頭な い。正直なところ、この学校が俺という薬にもならん人間に選ばれたま での話である。── 《諫争 195506‥ 山脈・第九号》文芸部誌 いみじくも入学早々の感想文は、このような書きだしで始まる。 このあと集団カンニング事件を活写したために、事実上の発禁処分と なるが、学校側の巧妙な処置で、もののみごとに鎮圧された。 …… 四年目の高校生活も、終りが近づく。受験も気になるが、手塩に かけたオーケストラの将来に期待もある。楽器はまだまだ足りない、と くにティンパニーが必要だ。十字屋にミニサイズの新品が九万円で出た と聞いて、校長室のドアをノック。就任直後の高橋 勘 校長に直訴する。 「金を貸してください、後輩たちが三年かけて返します」(19870928) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581126 振太郎 〜 ポピュラーコンサート以後 〜 要するに与太郎は、四年間も授業料を払って、上得意になっていた。 新任校長は顔色も変えずに反問した。「どうやって返すつもりかね」 「毎年3万円、後輩が3年かけて返します」 「ようし、貸してやろう」新任校長の即断もみごとなものだった。 この考え方は、いまにいう借金を後世に委ねる“債券発行”である。 どうして思いついたのか、われながら緻密な策略だった。 かいつまんで云えば、予算会議での経験を、新聞で総括して、財政 に関する見識を公表したこと、オーケストラのごとき遠大な計画を、 生徒だけで実現しつつあったことが評価された。しかも落第生が……。 予算会議の採決システムから“一票の格差”を指摘している。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581003 ── 《予算会議の反省 19581003 同志社高等学校新聞》 ◆ いま再検証するに、学校経営には奇妙な特性がある。 既製の学校に通うよりも、いっそ自前で家庭教師を雇ってはどうか。 むかし貴族が、青年を寄宿させて、子弟の教育に当らせたように。 あらためて当時を思いだすと、つぎのような収支が浮びあがる。 生徒1080人で10万円ならば年総額1億800万円である。 教員60人の給料総額が約600万円ならば、笑いがとまらない。 当時の地価は(校長いわく)坪3000円だった。 4000坪としても総額1200万円(人件費2年分にすぎない)。 残りの9000万円はどこへ消えたのか。 建築費は、いかほどか(当時は、大工の日当と材料費が等しかった)。 坪単価(平均月収相当)1万円として、延建坪2000坪とする。 ほかに教育設備・備品を加えても、総額4000万円以下であろう。 ふつうの小売店で粗利益600万円を得るには、年商2400万円、 在庫価格2500万円(仕入価1800万円)と店舗諸費用を要する。 さきの学校経営なら、60人×3学級の規模である。 あるいは酒場のホステスが、特定の顧客を確保するように、常連客は ホステス一人分の給料を保障するのが建前である。このような経済原理 があるにもかかわらず、愛情を偽装するから商売が成りたつのであろう。 (未完) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ http://q.hatena.ne.jp/1168324685 (20070109-0114)
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