与太郎文庫
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2006年11月21日(火)  孫を抱くまで 〜 隣客の人生 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061121
 
 1
 
 バスで隣りあわせた七十八歳の老婦人の、身の上話を伝え聞く。
 いままで旅行の経験がないので、バスガイドの説明が理解できない。
 岡山・兵庫・大阪・京都のコースにも、地図のイメージがない。
 
 七十五歳で死んだ夫の位牌をもって、この小旅行に加わってみた。
 ふだんより長風呂なので、覗いてみたら沈んでいたそうだ。
 ものしずかな婿養子だったが、ときに本気になって怒ることもあった。
 
 四十歳になっても子ができないので、孤児院から養女をもらった。
 とても利発な子だったが、ある日はじめて淋しそうに帰ってきた。
 わけを聞くと、同級生に「あんたは貰われっ子や」と云われたからだ。
 
 養母は、夜の十一時を過ぎていたが、その同級生の家まで出かけた。
 同級生の親に「どうぞ大切な娘を、いじめんでください」と頼んだ。
 翌日、娘は晴々とした表情で、学校から帰ってきた。
 
 2
 
 四十五歳になって、どういう風のふきまわしか、男の子が生まれた。
 二人を分けへだてなく育て、養女も義弟をかわいがった。
 中学を出た養女に、はじめてくわしい事情を話してきかせた。
 
 高校生になった養女は、ある日とつぜん家出してしまった。
「ながながおせわになりましたが、わたしはこれからひとりで生きます」
 という意味の書置きが見つかった。
 
 みしらぬ遠方の工場から、社長と名乗る人が電話をかけてきた。
 求人広告を見たといって訪ねて来たのは、おたくの娘さんですか? 
 まちがいありません、すぐ引取りにまいります、と養母は答えた。
 
 社長は養母に、娘さんの話は、とてもしっかりしていると伝えた。
 ぜひうちで働いてもらえまいか、夜間高校に通わせて卒業させたい。
 そうですか、それならよろしくお願いします、と養母も答えた。
 
 3
 
 息子も、すくすく育ったが、さきの養女がなつかしく思いだされる。
 おなじ孤児院にたのんで、もうひとり女の子をもらった。
 こんどの養女は、さほど利発ではなく、あまりなつかなかった。
 
 こんどの養女は、高校を出ると、黙って失踪してしまった。
 そのかわり、さきの養女が結婚したことを知らせてきた。
 実の娘のように、夫婦そろって孫(?)も見せに来てくれた。
 
 息子が年頃になったので、嫁を貰って孫が生まれた。
 その嫁は、現役の看護婦なので、衛生面できびしかった。
 それまで飼っていた座敷犬を、庭の犬小屋に追いやった。
 
 祖母が孫を抱こうとすると、さきに手を洗ってくださいと指図した。
 外出から帰ってきた祖母に、さきに服を着がえてくださいと命令した。
 あまりきびいしので、淋しくなって養女に電話して、愚痴をこぼした。
 
 4
 
 養女は、だまって養母の話を聞いてくれた。
 聞きおわると、弟に電話に出るよう伝えた。
 養女は義弟に、なにごとか云ってきかせたらしい。
 
 電話を切った弟は、だまって孫を連れてきて、母に差しだした。
 手を洗いに行こうとする母に、首をふって、そのまま孫を抱かせた。
 嫁の居ないところで、自由に抱いてもいいよ、と云ってくれた。
 
 いまや七十八歳になったが、どこもわるくない。
 週に何度か掃除のアルバイトなどして、年金とあわせて自活できる。
 だから、この小旅行では、息子に内緒で高価なネックレスを買った。
 
 バスを降りる前に、彼女は隣客に礼を述べた。
 どこのどなたか知らないが、長々話を聞いてくれて、ありがとう。
 どうぞ元気で暮してください、と云って立ち去った。
 
(20061120-1122)(20200311)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061120
 仔犬の運命 〜 当世捨犬事情 〜
 


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