与太郎文庫
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2006年01月20日(金)  老いらく考 〜 歌よむ人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060120
 
── 歌人の川田順氏(68)は京都市左京区北白川の自宅から家出、
真如堂に身を寄せ死を決していたが、養嗣子に発見され自宅に連れ戻さ
れた。死を決めての家出の原因は、三年前から続いた同氏の歌弟子前某
大教授夫人俊子さん(40)との恋愛をつきつめたため。二人の関係は
京都の文人や歌弟子仲間の噂にのぼり、俊子さんは夫と子どもを捨てて
今夏離婚、実家に帰り川田氏との結婚を進めていたが、川田氏は世間的
配慮から消極的で死による清算をはかろうとした。川田氏の歌は
「死なむと念ひ生きむと願ふ苦しみの百日つづきて夏去りにけり」と
ともに「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」があり、「老いら
くの恋」が流行語に。俊子さんの歌は
「はしたなき世の人言をくやしともかなしとも思へしかも悔なき」。
 その後、二人は結婚。(19481130)
── 《昭和史全記録 1989‥‥ 毎日新聞社》
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kawata-jun-omakedesu.htm
 
 ◆
 
── 【小田原発】小田原市十字二ノ二六〇室田さん方、東大名誉教授
塩谷温博士(七三)と夫人菊乃さん(三七)は数日前同市荒久海岸を散
歩中、菊乃さんが行方不明となり関係者が内々で行方を捜査、小田原市
署でも調べている。……菊乃さんの遺書も発見されたといわれ、自殺し
たのではないかとみられている。(19510720)
 
【小田原発】……十四日伊東海岸で発見された身元不明の水死者が菊乃
さんであると十九日夕確認された。自殺か、過失死かハッキリしないが、
日ごろ仲むつまじい間柄だっただけに、関係者は過失死と見ている。
 自殺と医師語る【伊東発】菊乃夫人の死体を検視した高安医師は次の
ように語った。ポケットに石ころが三つ入っていたところから自殺と思
う。(19510721 夕)
 
【伊東発】塩谷博士は廿日伊東で夫人菊乃さんの死体を火葬にしたが、
博士は棺の中に前夜手写した心経を納め「君帰れ、海の中には鬼多し、
とくとく来れわが懐に」とその心境をよんでいた。(19510721)
 
── 《朝日新聞一〇〇年の記事にみる�[�愛と結婚 朝日新聞社》
http://homepage1.nifty.com/B-semi/koiku/siotani.htm
── 正津 勉《恋歌 恋句》

── 松本 清張・監修《明治百年100大事件・上 19680910 三一新書》P
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 ふたつの事件は、京大と東大、人妻と元芸妓の対比でも印象的だった。


 川田 順 住友銀行総理事 18820115 東京 19660122 84 /19481130失踪事件1214報道1949再婚
♀川田 □□   順の前妻 19‥‥‥ 東京 1939‥‥ ? /病死
 中川 与之助 俊子の前夫 190.‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /19480811離婚/京都大学教授
♀中川 俊子 川田 順の後妻 1909‥‥ 東京 20060220 96 /1949再婚(41)与之助の妻/旧姓=鈴鹿
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 塩谷 温  中国語/歌人 18780706 東京 19620602 84 /東京大学教授19620603?
♀塩谷 菊乃 温の後妻   1914‥‥ 伊東 19510713 37 /入水0714遺体発見0719確認

 
 あらためて調べてみたところ“老いらく”の流行語は、歌会始の選者
が(満67才のとき)身をもって歌いあげたことにはじまる。
 翌1949年の歌会始の選者と、皇太子の作歌指導まで辞している。
 
 なぜか当時の記事では、老人の年令を68歳と“サバ”を読んでいる。
 誕生日一月十五日で満66才となるので、数え年でも67才である。
(むかしの庶民は、満年令より2歳多いと思いこんでいたふしもある)
 
 夫人の川田 俊子《いいぎりの花》に明治42年生れの典拠があるので、
11月末以前に誕生日を過ぎていれば満39才、数え年では40才だが、
これも41歳と“サバ”を読まれている。夫人の前夫の消息は未詳。
 
 四年前の不倫だから、現在の満年令なら63歳と36歳だった。
 さらに三年後、満73才の歌人が満37才の新妻に先立たれている。
 ふたつの事件は、京大と東大、人妻と元芸妓の対比でも印象的だった。
 
 いま思えば、中学時代の恩師の仇名“老いらく”の由来らしい。
♪「夏樫を なつかしと詠む 万葉かな」(Mai'20010210 to Mrs.Eiraku)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041216 〜 高島春江先生講義録 〜
 
 うろおぼえの聞きかじりによると高島先生は、畏れおおくも歌会始の
入選者であるとともに薙刀の有段者、女だてらに文武両道なのだ。
 おそらく、このイメージが“老いらく”連想に矛盾したのであろう。
 
 ある日、パーマをかけて来られたところ、悪ガキが「老いらく!」と
野次ったのではないか。あろうことか、ふだんは厳格な表情の先生が、
たちまち乙女のように、顔を赤らめられたのではないか。
 
 本来は、キッとなった先生の鋭い反撃が予想されたのに“はじらい”
こそが、未亡人であるらしい先生のウィークポイントだったのだ。
 
 くわしい事情は中学生には分らないが、あるとき詩人・小野 十三郎
に対する尊敬の念を語られたこともある。
 あるいは与謝野晶子が鉄幹に、樋口一葉が桃水に対するごとしや。
 
 ◆ もろともに
 
── 《君の名は》は、最初の半年くらいは不幸な女性の境遇を描いて、
なかなか文学的だったんだよ。役者が休んだりするので、会わせるわけ
にいかないから、すれちがいになったんだ。するとハガキが沢山きた。
── 《映像ファイル・あの人に会いたい「菊田一夫」
20050918(日)19:45〜19:55 NHK教育》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670707 哀愁 〜 すれちがいの美学 〜
 
 また、銭湯が空っぽになったという伝説は、いささか疑わしい。
 当時の庶民は、風呂がなくてもラジオはあった。
 どちらもなければ、銭湯へ行くと《君の名は》を聞けたはずである。
 
 ただし、玉音放送の時は、各家庭のラジオは強制撤収され、町内には
数軒しか残っていなかった。したがって、みんな集められて聞いたのだ。
 先生は、低俗な《君の名は》を、きらっておられた。
 
 三学期最初の授業で高島先生が詠まれた二重橋事故(19540102)の歌。
♪「ことほぎて 集ひし人の/……/ニュース悲しも(出典未詳)」
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P024-027
 
♪「もろともに いや健やかに いや栄えに 暮しまほしく 祈る初春」
 芝山 マツ先生の、お手本のような新古今調(Let'19520104)。
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P013
 
 下記の作者は、学習院教諭(19260303生)とは同姓同名の別人。
197301‥ 子ども ↓ 埼玉県 新井 正夫(1910ca生?)
♪「四十年の勤めはたして子らと立つ日向の灘は晴れてかぜ凪ぐ」
http://www.kunaicho.go.jp/utakai/utakai-s48.html
 
 ◆ ageing
 
 のちのち、ベラミ同窓会で「明治は生きている」と紹介したところ、
とても恥かしそうに挨拶されたのが悔やまれる。宴のあとも、教え子に
目をとめて去りがたい風情だった。もちろんパーマされていたが。
 
 教え子は、駆けよって一言つけ加えるべきだった。
「センセ、さきほど明治は生きていると言ったのは、明治は遠からず、
というつもりだったのです」
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710115
 同窓会始末 〜 閉会あいさつに代えて 〜 
(20060131)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060112 笑み 〜 歌会始の儀の歌 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060113 歌会始 〜 年譜/御題一覧 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060114 クレマチス 〜 与太郎の歌はじめ 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060120 老いらく考 〜 歌よむ人々 〜
 
(2006-20080714)
 


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