与太郎文庫
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2005年11月12日(土)  落第生は二度眠る 〜 清水睦夫先生講義録 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051112
 
 高校二年になって、与太郎は重大な決心をしている。
 与太郎の野望は、一年後に二十五年の伝統あるブラスバンドを解体し、
管弦楽団に改編するというもので、まったく孤立無援だった。
 
 教科書を買う金を楽譜にあてて、授業中はもっぱら睡眠時間とした。
 気のきいた野次は、しばしば授業を活性化させるが、ヒソヒソ聞えて
くる私語は、教室全体にとって迷惑である。居眠りはどうか?
 
 居眠りを許さない教師は、当の生徒にバカにされたと考えるらしいが、
誰かに恥をかかせるために眠る者はいない。
 かくて同じクラスの佐々木敏男君と、ならんで眠りこけたのである。
 
 いま思うに、その冬フィギュア・スケートの高校チャンピオンとなる
佐々木に、全校あげて期待と合意があったために、となりの与太郎まで、
ついでに目こぼしされたのかもしれない。
 
 音楽以外のことでバカになるため、いつも顔の筋肉をゆるめていると、
かつての優等生も、半年後には落ちこぼれていく。
 落第生のオーケストラが実現して、ますます授業中の睡眠に習熟する。
 
 いつものように眠っていると、思いっきり頭をブン殴られた。
 始業ベルから終業ベルまで、突っぷしたままだったらしい。
「最初から最後まで、ええかげんにせい!」
 
 拳をふりあげた清水睦夫先生が、赤い唇をふるわせていた。
 与太郎は周囲を見回し、状況を把握して「すんまへん」と謝った。
 さきに佐々木が進級してしまったので、もう目こぼしは通じないのだ。
 
 落第生の特権は、おなじ先生のおなじ授業を二度聞くことである。
 清水先生の“ふしぎな講義”も二度聞いたことになる。
 ただし眠っていたために、二度とも聞きのがした講義もあるはずだ。
 
(↓)旧稿(P27)
 落第生は二度眠る 〜 理由なき反抗 〜 20021018-1020
 西洋講談三題 〜 落第生は二度眠る 〜 20021018-1020
 
(19990630 初稿 20021018-1020 改稿 〜 寒月の右手 〜 20051111)
 ← 出谷 啓氏あて未投函書簡《幻の弦楽技法 Let'19990630 》参照
 → Mail'2003/01/15 (水) はるかなる読者より
 
(20051112)
 
 ◆ ラスプーチン、かく語りき
 
 清水先生は、めったに笑わない。しかし、与太郎の人生経験によると、
ユーモアやジョークを愛する人たちが、すべて笑顔を絶やさないわけで
はない。むしろ、ふだん気むずかしい表情のほうが効果的なのだ。
 
 清水先生は、あまり気乗りしない顔つきで教室にあらわれる。
 ほんとうは、もっと研究に専念したいのだが、愚かな生徒どものため、
しぶしぶ教壇に立っているのだ、というふうにも感じられる。
 
 つまり、生徒の機嫌を取るような態度ではない。
 お前たちが教わりたいなら、わたしの授業を聞け、さもなくばバカの
ままで生きろ、というふうに感じられる。
 
 ほとんどの授業は、さりげなく始まり、さりげなく淡々と終る。
 ただし、フランス革命やロシア革命の名場面に至れば、白い顔に朱が
点じられて、赤い口唇は紅色に転じる。
 
 さてこそ、ロシアの妖僧ラスプーチンが現われるころ、先生は分厚い
書物を持参して、うやうやしくページを開かれた。
 ここでは、あてがいぶちの教科書や、古いノートに頼らないのである。
 
「そこで、ラスプーチンはペラペラと喋りはじめた」
 先生は、この一行を読んだだけで、前後の情勢を語りはじめた。
「このころのロシアは、とくに農業問題については、かくかくしかじか」
 
 数分間にわたって講義がつづいた後、ふたたび先生は書物にもどる。
「そこで、ラスプーチンはペラペラと喋りはじめた」
 先生は、おなじ一行を読んだだけで、またも解説をはじめた。
 
「このころのヨーロッパは、ロシアに対して、かくかくしかじか」
 またも数分間の講義がつづいて、みたび先生は書物にもどる。
「そこで、ラスプーチンはペラペラと喋りはじめた」
 
 ここに至って、ようやく愚かな生徒にも、先生の趣向に気づく。
 はたして先生は、四度はおろか、十数回くりかえされたのである。
 かくて、ラスプーチンが一言も語らないまま、ベルが鳴りひびく。
 
 このような趣向を、なーんだと思う者に災いあれ。
 真似して、どこかで演ってみようと思う者は、失敗する。
 生れてはじめて聞いた者だけが、なるほどと納得できるのだ。
 
 幸運にも、与太郎は、このような名講義を二度も堪能したのだ。
 
 ◆ 夜汽車の女
 
 ときに、めずらしく雑談がはじまることもある。
「わかいころ、ぼくは用があって、旅行することになった」
 なんだ世間話か、とガリ勉どもが気を抜く。
 
「ひとりで汽車に乗って、野こえ山こえ、トンネルを越えた」
 なんだ、むかしばなしか、と悪ガキどもが姿勢をくずす。
「夕闇がせまるころ、わかい女が一人で乗ってきた」
 
 ぼんやり聞いていた愚か者が、やや座りなおす。
 あんまり期待していないが、聞きのがせない状況展開なのだ。
「この汽車には、ぼくと彼女しか乗っていない。二人きりだ」
 
 女生徒まで聞き耳をたてはじめ、はやくも生唾を飲む男生徒がいる。
「しばらくすると、とつぜん彼女が苦しみはじめた」
 誰も気がつかないが、すでに授業時間は、ほぼ終りに近づいている。
 
「どうしたんですか、と彼女を抱きかかえた」
 みんな、シーンと息をのんでしまった。
「彼女は、苦しがるばかりで、返事をしない」
 
「ぼくは、どうして黙っているのですか、返事をしなさい、と叫んだ」
「それでも彼女は、歯を食いしばったまま答えない」
「ぼくは、思いきって彼女の口を、両手でこじあけた」
 
「すると、彼女の口がポッカリ空いた。見ると歯がない!」
 生徒一同「えっ」と思うまもなく、先生の話に、みごと落ちがつく。
「歯がない、というハナシ」先生はさっそうと教室を去ったのである。
 
 ◆ カリスマ演出家久世光彦さん登場
 
 50過ぎたら(死亡記事は)自分でも書ける。これでは淋しいから、
二行くらいはつけ加えたい。いま死んだら、これくらい書きのこしたい。
── 《爆笑問題のススメ 20051206(火)00:30〜01:00 西日本放送》
 
── 森繁さん自身の述懐によると、英語への拒否反応は、七十数年前
の<北野中学>の英語の教師のせいだという。ネチネチした性格の教師
で、一度も森繁さんに及第点をくれなかったらしい。そういう教師はも
う一人いて、これは<日本史>の担当だった。授業をまるで聴かなかっ
た。それが証拠に、いまも森繁さんは<応仁の乱>についてほとんど何
も知らない。
── 久世 光彦《森繁 久弥の大遺言書 20040701 週刊新潮》P068
 


 森繁 久彌  俳優 19130504 大阪 東京 20091110 96 /〜《夫婦善哉/知床旅情》
 久世 光彦  演出 19350419 東京   20060302 70 /〜《寺内貫太郎一家 TBS》
http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2017/02/post-1a1f.html
 清水 睦夫 世界史 1928‥‥ 滋賀   20170128 89 /同志社高校教諭
https://booklog.jp/users/awalibrary?keyword=%E6%B8%85%E6%B0%B4%20%E7%9D%A6%E5%A4%AB&display=front
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou019.html

 
(20221120)


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