与太郎文庫
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| 2004年05月30日(日) |
女中の棒先 〜 年金の行方 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040530 …… 「三人で宿屋へ泊まりましてね。「いつの話?」 「分かりやすいように簡単な数字で言いますけれどね、払いが三十円 だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、付けに添えて帳場へ持 って行かせたら、」じんましんをかきながら聞いていた。 「帳場でサービスだと言うので五円まけてくれたのです。それを女中 が三人の所へ持ってくる途中でその中の二円ごまかしましてね。三円だ け返してきました。」 「それで?」 「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあっ たのです。十円出したところへ一円戻ってきたから、一人分の負担は九 円です。」 「それがどうした。」 「九円ずつ三人出したから二十七円に女中が二円棒先を切ったので、 閉めて二十九円。一円足りないじゃありませんか。」 ── 内田 百�痢堝段粍に捨鷦� 195101‥ 小説新潮》初出 http://www.siq.co.jp/media/itou/ahou.html http://www.hatena.ne.jp/1085710519 付けに添えて=チップは勘定ではないから、カウントされない。 棒先を切る=買物などの代金の上前を取る(撥ねる)。 → 《与太郎文庫 20040203 ポッポ&ポッケ考》追記2 この噺は「三人であること、女中がくすねた」という2点で、心理的 にゆさぶられると、なかなか謎が解けない。途中のやりとりを無視して、 ふところに残った金だけに注目すれば、27=2+25円となる。 この噺を、客を国民、女中を役人(社会保険庁)、宿を政府(国庫) に置きかえて、年金のシステムを考えてみる。 (人数にとらわれず、年金の種別や資格条件も区別しない) 「みんなで掛金を払いましてね。」 「いつの話?」 「一生かかって払いが三百万だったのです。」 「満期だと言うので毎年五十万返してくれるのです。それを役人が、 途中で二十万ごまかしましてね。三十万だけ返してきました。」 「それで?」 「五十万のところ、役人が二十万棒先を切ったので、閉めて三十万円。 足りないじゃありませんか。」 「それがどうした。」 「はじめの約束は、一生かかって三百万払えば、死ぬまで毎年五十万 返してくれるんじゃなかったの?」 三百万の掛金合計で、毎年五十万払えば6年で元金が尽きる。 四百万の掛金合計で、毎年五十万払えば8年で財源が尽きる。 生涯の掛金が有限ならば、無限に払いつづけることはできない。 役人が「二十万棒先を切った」というが、これはピンハネではない。 “行政コスト”である。ただし、他の用途に流用すれば“横領”だが、 運用に失敗しても(民間経営者とちがって)責任を問われない。 ようやく鎮静化しつつある“年金世論”だが、どうしても分らないの は「払った人だけが、受けとる権利がある」と考える人々である。 そもそも福祉行政は、そのような原理とは無縁らしい。 たとえば、健康保険や失業保険は、大多数の人々が健康で、文化的な 生活を保障されているのが前提で「払っただけで受けとらない」はずだ。 不幸な少数者を(無条件に)救済することが目的なのである。 ここに「払った人には受けとる権利がある」と考える人がいるなら、 すすんで病気になるか失業すべきである。ほとんどの人が望まないから こそ成立するシステムなのだ。 年金だけに「払った人に受けとる権利がある」ならば「すべての人は、 かならず老いる」という原則と矛盾する。馬券を買った人々に、すべて 公平に配当するなら、競馬レースは成立しないではないか。 失業保険が、前年の所得に応じて給付されるのは短期間に限られる。 健康保険は、所得や掛金に応じて給付されない。その延長線上では、 いずれ公的年金の受給資格は、私有財産を放棄した者だけに限られる。 (20040530-20260124)
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