与太郎文庫
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2003年08月29日(金)  無伴奏 〜 与太郎のチェロ・リサイタル 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030829
 
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 J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲 〜 さまざまな、それぞれのバッハ 〜
 
 第2回目は河野文昭の担当で、第3番、第2番、第6番の3曲が演奏
された。河野はトークでも述べていたように、この組曲を改めて舞曲の
集合体として、表現しようとしていたのが、最初の第3番の演奏から、
聴き取ることが出来た。リズミカルなフィギュアを強調して、明るく軽
く歯切れ良くが、モットーのようなスタイルであった。リズムが明快に
なった分、演奏全体も粗笨になったようで、演奏のノイズが盛大に発生
したのには仰天させられた。だが音楽のエネルギーが、外に向かって発
散するような、ある種の開放感に溢れていたのは確かである。
 ところが第2番になると、演奏ノイズは激減して、実に芯のある伸び
やかな音色に変身、劇的な起伏にも不足せず、かなり緊張感の高い好演
を聴かせていた。当夜の3曲の中では、この第2番の演奏が最も優れてい
たといえるだろう。
 ところで河野は前半と後半に1回ずつ、トークを挟んだが、巧みな話
術にもかかわらず、話す時間が長過ぎたため、結局3曲の演奏に2時間
以上を費やす結果になり、他府県から来た聴衆に苛立ちをかき立ててい
た。やはり普通のリサイタルでのトークは、前後10分以内ずつというの
が限度であろう。なお第6番の演奏については、選曲の重みと疲労感か
らか、ネジが逆回りしたようで、第3番ほどではなかったにせよ、演奏
ノイズが結構復活していた。(20030828・京都府民ホール・アルティ)
── 出谷 啓《演奏会評》
http://homepage3.nifty.com/detani/new_page_1.htm
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 デーやんは、演奏家のおしゃべりが、よほど不愉快なようだ。前回の
渡部 玄一《チェロ・リサイタル 20030706 ムラマツリサイタルホール》
を読んだあと、与太郎がメールを送ったので、以下に再録する。
 
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 引用報告 〜 Mail'20030707 to Mr.Detani,Kei 〜
 
 去る六月十四日、貴君の誕生日に、気の利いたコラムを書くつもりで
いたが、その前日にあたる恩師の傘寿(八十歳)の祝辞的メッセージが
まとまらず、今年は(いずれもネタが多すぎて)パスしてしまった。
 きのうの《渡部家の人々》は、二つの演奏会評をならべただけだが、
渡辺昇一一家というキーワードを発見したので、ぜひ目を通してもらい
たい。そんなことは誰でも知っている、というかもしれんが「知的生活
云々」の著者の息子が、得々としてマクラを振る情景が目にうかぶ。
(彼のリサイタルは、いつもこのスタイルではないか)
 かくのごとくして、演奏家が曲目の解説を“自作自演”しはじめたら、
評論家の既得権を侵すことになる。しかし、ステージの使用料は演奏者
が払っているので、客席から文句は言えない。まして招待状をもらって
いたら?
 
 さきの 革島 香(ピアノ・リサイタル)から思いだした《深窓》は、
演奏会評の読者が、さまざまのエピソードを(好き勝手に)想い起して
いることのケース・スタディでもある。
↓《与太郎文庫》
── http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
2003年07月06日(日) 渡部家の人々
2003年01月22日(水) 深窓
 
 なお、著作物の無断引用については、さまざまの論議があり、ときに
感情的な反発を食らうことがある。あるいは貴君も、このような引用を
許さないかもしれないが、いまのところ、ボクの立場は常に先験的で、
「いやなものはいやだ」といわれた場合は、そのつど削除している。
 この問題は、なかなか考えがまとまらなくて残念だが、法律的権益は
存在しないだろう。インターネットの未来からみると、出版社が原稿料
を支払うという構図は絶滅するだろう。作家も評論家も、作曲家も歌手
も演奏家も、個々の読者・視聴者から直接受けとることになるのだ。
 あたらしい職業形態として“コイン作家・コイン芸術家”が登場する
にちがいない。(きりがないので)今日はこれまで。
                   与太郎 こと 阿波 雅敏
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 杉井 六郎    日本史 19230613 青森/京都女子大学名誉教授
 出谷 啓    音楽評論 19400614 大阪/
 河野 文昭    チェロ 19・・・ 兵庫/東京芸術大学助教授
 河野 美砂子   ピアノ 19・・・   /文昭の妻

 
 
 与太郎の無伴奏チェロ・リサイタル
 
 いま思いだすに、ちょうど三十一年前の夏、十字屋楽器店の大幡季生
(デーやんの同僚、のち専務取締役)君が女性のアシスタントとともに、
与太郎の経営する喫茶店にあらわれた。
 その日は、喫茶店の休業日だったので、与太郎みずからがコーヒーを
点ててみたが、これは大失敗だった。つまり、アイス・コーヒーの原液
を沸かしてしまったのだ。
 業務用アイス・コーヒーは、さきに砂糖を溶かしてあるので、すでに
甘い。これをそのままホット・コーヒーとして沸騰すると、さらに甘く
なる。これに客人たちが、いつものように砂糖を加えると、途方もない
甘さになってしまう。
 しかるに、若き日の大幡季生は、どことなく大物の風格があり、その
アシスタントともども、この甘々しい液体を、顔色も変えず飲みほして
帰っていったのである。
 その翌日、このことに気づいた与太郎は、大幡くんに電話して、昨日
のコーヒーは、誤操作によるもので、ふだん営業用のものでないことを
告げたが、悠揚せまらず笑ってくれた。
(以後、与太郎は注意ぶかくなり、コーヒーを飲む前に砂糖を入れたり
しない。さきに原液を味見してから砂糖の分量をきめることにしている)
 
 コーヒーはともかく、この日の与太郎は、どういう風の吹きまわしか、
はじめての客人を迎えて、チェロを弾いてみせることにした。
 ふだん、よほど親しい友人でも、アマチュアの演奏家が楽器を聞かせ
ることは少ない。聴かされる客人にとって、まことに迷惑だからである。
 おさらい会や発表会は、せいぜい幼少期のものである。どうしても人
に聴かせたいなら、落語の《寝床》を思いだすがよい。
 与太郎の考えは、アマチュアの演奏は、あたかも文学作品を黙読する
ような作業であって、人前で朗読することはつつしむべきことなのだ。
 客人の前で、決して弾かないわけではないが、応接間に楽器が飾って
ある場合には、注意ぶかく話題にすべきである。
 うっかり「へー、楽器をなさるんですか?」などと云ってしまうと、
ここぞとばかり長いプログラムが始まるかもしれない。あるいはガキの
玩具だったりして、「おーい、お客さまが一曲所望されてるよ」などと
取りかえしのつかない事態も予想される。
 
 さて、チェロを取りあげた与太郎に対して、ふたりの客人は、どんな
反応だったか思いだせないが、それほど迷惑そうには見えなかった(?)。
楽器店に勤めているからには、それなりの素養も覚悟もあるはずだ。
 かくて与太郎は、卒然として弾きはじめたのである。
 まずは、バッハ《無伴奏チェロ組曲》第一番プレリュード、今でこそ
テレビ・コマーシャルでもお馴染みになってしまったが、三十一年前は
それほどではなかった。
 一曲おわると、気分がよくなって、しばらく話をする。
「これが、第一番の第一曲でね、三本の弦によるアルペシオで始まる。
転調のさいに四本目の弦が加わって、初めて聴いた人なら、ハッとする
にちがいない。とくに六度の反復が美しい」などと、ふだん思っている
ことををつけ加える。
「つぎに第三番の第一曲は、2オクターブの下降音階ではじまり、最低
弦の開放弦から、こんどは上昇音階に折りかえす。うんと速く弾きたい
が、あとあと困難な段取りを考えると、そうもいかんのだ」
 などと云いながら、軽い舞曲を二三曲おりまぜる。
 とっておきの最後は、第二番の第四曲サラバンドである。
(この後、はじめて聴いたロストロポーヴィッチの、アンコールに採用
しはじめていた。与太郎の得意や、思うべし)
「この曲は、とても厳粛な気分になる。あきらめや絶望ではないのだが、
はたして救いがあるかどうか、確かではないのだが」
 数日後、大幡君は与太郎の書いたものを読んで、的確な指摘をした。
「つまり、絶望してはいけない、ということですな」
↓《英対話 〜 門脇邦夫の意見 〜 19720901 Awa Library Report》
 
 このような独演会は、アマチュアにとっては予期しない経験である。
いつもうまくいくとは限らない。聴かせる方と、聴かされる方の気分が
一致した、稀有な例かもしれない。客人たちにとっては迷惑だったかも
しれないが、与太郎にとっては、なかなかうまく演奏できたのである。
 後日、大幡君は「あない弾かはるとは思いませんでしたな」と、例に
よって微妙な口ぶりだったが、額面どおりに受けとっておこう。
 さらに後日、外山滋というヴァイオリニストが、ラジオで語っていた
「いまぐらい弾けて、アマチュアだったらいいな、と思うことがある」
というあたりが核心であろう。
 
 デーやんが、演奏家のおしゃべりを不愉快に思うのは、二つの理由が
考えられる。そのひとつは、オーティス・ケーリ(同志社大学教授)が
「日本の音楽評論家は、批評家ではなく解説者か紹介者にすぎない」と
断じたように、いくぶん居心地のわるい職業だからである。
 その後三十年たってみると、いまや音楽評論家の博識というものは、
インターネットを検索すれば、ほとんど得られるようなものであること
がバレてしまったのである。
 
 もうひとつは、たぶん彼が気むずかしい老人になりつつあることだ。
 彼が三十歳だったころ、ジョージ・セルやオーマンディの話を聞いた
ならば、もっと熱心に耳を傾けたにちがいない。しかるに、当時の彼は
あまりにも無名だったから、セルやオーマンディが彼の話に耳を貸すこ
ともなかったのである。
 いまの彼からみると、壮年期の演奏家たちは、ほとんどが経験の浅い
後輩たちなのであろう。
 
 わが友・デーやんについて、その勤勉なる努力と博識を軽んじるもの
ではない。与太郎は辛辣すぎるかもしれないが、彼の使命は終ったよう
に思われる。もちろん、その他の凡庸なセンセイ方も、退場のころあい
である。
 
 なお、この舞曲集を、演奏会用のものとする見方は賛成できない。
 もとはチェリストが、一人で手持ち無沙汰をもてあましている時の、
ほどよい練習曲であったろうと想像される。
 フルートやヴァイオリンとともに、無伴奏で、どこまで音楽的感興が
伝わるものか、その極限の傑作である。
 したがって、原型となるパッセージは、作曲家の頭の中で生みだされ
たというよりも、ふだん演奏家が手すさびに奏しているものに近い。
 バッハの(二人の)妻が楽譜を浄書したことは、しばしば論じられる
が、最初の協力者は、さまざまの楽器の専門家だったのだ。
 バッハは、彼らが練習の合間に奏でるフレーズやメロディに注目し、
ときには質問したりして、「ここは、こういうふうに弾いてみてはどう
かな」と提案したのかもしれない。
 
 バッハについて書きはじめると(つい長くなるので)今日はこれまで。
(未完)

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 JEUGIAの新社長に大幡氏
 大幡季生氏(おおはた・すえお)立命館大卒。66年十字屋(現JEU
GIA)。常務を経て01年6月から専務。59歳。京都府出身。田中義雄
社長は会長。6月27日就任。
── 2003.04.03 Kyoto Shimbun News
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↓Happy Birthday !(はるかなる異郷より)
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♀有賀 のゆり チェンバロ 19280829 京都/同志社女子大学名誉教授
 金谷 昭良 (泰典)  19270830 京都/新洞小学校教諭


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