与太郎文庫
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2003年01月16日(木)  Viva Doshisha !

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030116
 
Mail'20030116 (木) Re: Casablanca ! 10:00
 
 早速の御教示かたじけない。「ラインの守り」という歌なのですね。
わたしのホームページの同志社カレッジソングのところに何らかの形で
御教示の点を加えようと思っています。ありがとうございました。
早々
 
谷本岩夫
 
 
Mail'20030116 (木) Die Wacht am Rhein
 
 谷本 岩夫 様
 
── http://ingeb.org/Lieder/esbraust.html (原歌詞?)
Melodie - Melodie - Melodie - Melodie - 156KB MP 3 - Karl Wilhelm
 上の“156KB MP 3”をクリックすると、ドイツ語らしき合唱が聞こえ
ます。管弦楽の伴奏なので、「カサブランカ」のサントラ盤ではなく、
ニュース映画の音声ではないでしょうか?
 
 
 74歳のキャッシュ 〜 谷本先生のHPより 〜

 学問、教育、その他(注に同志社カレッジソングを載せているのです
が、この曲について新しく気づいたことを付記しました)2003.Jan.15;
── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
 
 不朽の名画“カサブランカ”の一場面にドイツの将校たちが歌詞こそ
違えこの曲を歌う場面がある。対するラザロはフランス国歌ラ、マルセ
イエズを歌い始め酒場にいるフランス人たちはみなこれに和しドイツの
将校たちの歌を圧倒する。この曲をなぜドイツの将校たちが歌うのかわ
たしには疑問で、それほどドイツではポピュラーなのだろうか、また本
来この曲の歌詞はどういう内容の歌だったのだろう。ドイツをあるいは
ナチスを讃える内容であったのだろうか。
 この疑問に応えてくれたのが同志社の卒業生、阿波雅敏君からのメー
ルでした。答えは既に同志社大学広報課が発行していたWILD ROVER誌
Vol.10(1996年8月1日発行)中の CAMPUS PRESSに出ていたのです。
わたしと同様の疑問をお持ちの方はぜひクリックしてご覧ください。
── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/component/tyuu2.html#doshishacs
 
 
 生徒はみんな紳士淑女          谷本 岩夫
 
── 私の教師としての道は最初大津東高校(現、膳所高校)でスター
トしたことは先にも書きましたが、ほんとの新米の私を気遣って、教頭
先生は“なあに前に座っている生徒はジャガイモが並んでいるくらいに
思えば良いよ”と言われたものです。実際1週間ぐらいは授業に出る前
は胸がどきどきしたものです。
 1年後、都合で同志社高校に転じましたが、こちらでは教頭先生が
“こちらの生徒はみんな紳士淑女ですから、そのおつもりで”といわれ
ました。1年前を思い浮かべて、大変ショックでした。現 京大総長の
長尾君も当時大津東高校に在学中で、生徒たちは優秀な良い生徒ばかり
でしたが、同志社はさすが新島先生の学校だなと思いました。
 今もそうだと思いますが、先生の勤務時間も基本的には自由で、学校
のまわりに塀もなく、生徒も伸び伸びとしていました。ですから校門を
時間に閉めて生徒を殺すというようなことはあり得ないのです。君が代
を歌うとか丸刈りにするとかいうような形式的なことを整えることを教
育だと思っている愚かさに早く気づいて欲しいものです。同志社の生徒
諸君は先生の前だけかしこまると言う風潮はなく、あけすけで、先生に
友達のように語りかけてくるのです。始めは“失敬な”という感情を持
ったこともありましたが、やがてここの生徒は裏表がないのやなあと本
当に親しみを抱いて、11年間過ごしました。やはり教育には信頼感が
お互いの間になければどうしようもありません。高校生はいわば狂気の
一面も持っているのですが、二十歳を過ぎるとやがて一人一人それはそ
れなりに形になっていきます。そういう過渡期のケアをしているという
気持ちが、教師や親の側にも必要なようです。
── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/component/education.html
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 このときの教頭先生が“カンちゃん”こと高橋勘先生ならば、のちに
谷本先生が修学旅行を廃する提案に、おおいに賛同されたことと感性が
一致する。与太郎の父も、最後の担任だった杉井六郎先生に呼出され、
「彼を一人前の紳士として接してやっていただきたい」といわれ、愚息
の将来に暗澹としてしていた父は、すっかり感動してしまった。
 なにもかも同志社がよいとは思わないが、当時の同志社中学高校には
同志社以外の出身者が教師としてあつまった結果、おなじような理想を
かかげたのである(とくに待遇がよかったわけではなく、むしろ給料は
ほかに比べて安かったという)。


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